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日蓮って ver.30 (737レス)
日蓮って ver.30 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/
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147: 名無しさん@お腹いっぱい。 [age] 2014/10/23(木) 12:36:18.98 ID:b7FhVH2d >>146 >おっしゃるような「池に竜王を呼びだすための木片を投げこむ」というの はうなづけます。ただそれが法華経であったかどうかやや疑問です。 最近、極楽寺にある池の調査が行われ、かわらけに、法華経の経文が書かれ た物が発見された。忍性の時代の、かわらけだった。したがって、極楽寺良 観(忍性)は祈雨のとき、法華経を唱えながら、法華経の経文を書いた、か わらけを池に投げていたと推察される。当時、どの宗派にとっても法華経は 大切な経であり、極楽寺良観が、法華経を唱えていても不思議ではない。 法華経以外は、祈祷であまり効果がない、と言ったのが日蓮だったが、極楽 寺良観が法華経を唱えて祈祷し、雨が降らなかったとすると、面倒なことに なる。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/147
148: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/23(木) 12:54:06.61 ID:oXSV7oc/ >>142 さん 取り去って抽出ですか、なるほど。 「釈尊の仏法は正像で終わり」と言い放ち、種脱相対を立てて日蓮本仏論に持っていくという、 六巻抄(これも依義判文抄でしたか)に関する記憶や印象から来る違和感が解けました(笑 ただ、日蓮の広宣流布観はやはり、天下万民一同に南無妙法蓮華経と唱える時、でしょうから、 日寛が遺文を引用した時点で、既にある程度のズレが生じているのかもしれませんね。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/148
149: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/23(木) 12:55:23.04 ID:oXSV7oc/ >>145->>146 さん 私の理解では、経典≒化法とは言っても良いかと思いますが、「教義的根拠」となると話が違ってきます。 「化儀」、「作法」まで広げると明らかにその範囲が異なります。話が敷衍したのは、その確認のためです。 忍性の祈祷についてですが、柿(こけら)経と呼ばれるそうで、教えて下さったのは>>129の御僧侶です。 とても信じられず、他の複数の宗派の方達にも確認しました。私の一連のレスは、言わばその集成です。 宗派を問わず行われ、鎌倉では旧・極楽寺境内地はもちろんですが、建長寺でも出土しているとのこと。 また、鎌倉仏教以前の宗派の寺院、神社や城址などからも出ており、やはり法華経が多いのだそうです。 柿経・極楽寺・仏法寺などを単・複で検索すれば、もっと詳しく、正確なソースも色々と出ると思います。 およそ日蓮が絡む話について、系統の教団の信徒さん達なら、関係するサイトは重宝するのでしょうけれど、 文書の扱いも理論構成も、基本的に個々の自派都合ですから、私のような者はあまり参考に出来ません。 年号や時系列、小難しい用語の意味、文書表記の確認など、実体験と古い記憶の補填が中心ですね。 見落としがちな論点や通仏教的な認識という意味で、むしろ批判的な見解の方がよほど参考になります。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/149
150: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/23(木) 13:00:48.84 ID:oXSV7oc/ >>149の補足です。 私のレスはいつも長いので、以前から原則として「1人の相手の方に対して、1度に1レス(15行以内)」という 自主規制を設けていまして、特にほとんど徒労に終わった龍ノ口の議論以降はそのように心がけていたのですが、 これだけ付き合っていただいた上に、言い出しっぺが丸投げなのもどうかと思い、自分でも少し検索してきました。 鎌倉の廃寺を語る ?中世都市の栄枯盛衰? (2) 有鄰堂 ttp://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_474/yurin2.html 要旨ながら客観的で読みやすいものを。終盤で言及されています。内容から日蓮系の人はいないと思われます。 奈良市埋蔵文化財調査センター紀要 柿経の考察 一分類と編年について一 奈良市教育委員会 (pdfです。URLが長いので短縮したらエラー?で書き込めませんでした。上記コピペですぐに出てくると思います) 既に御存知かもしれませんが、柿経そのものについて詳しく解説されているようです。私はここまで知りませんでした。 ただ、1,992年のものですので、極楽寺(仏法寺)の発掘調査(2,002年)の結果は反映されていないようです。 しかし>>146の考察も説得力がありますね。私には未知の領域ですし、こういった中身のある議論は楽しいです。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/150
151: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/23(木) 22:15:21.38 ID:yWz2Pz0x >>138-141 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−4 >>138 で日蓮正宗・創価学会での題目唱えの要領とは、要するに音楽的効能に 他ならないと言った。なのでスピードは速くするほど乗りやすくなる、と。 繰り返しの速度 = 本質は体の反響が利用されるのであり、その速度は 速いほど血流が良くなり乗るのでサルのナントヤラのようになる。 (例証)http://www.youtube.com/watch?v=N_lSnPBRoSk 速度が速い創価学会 http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=SghNEC0iUc4#t=107 つまり、お題目の効果は単純に意味が関係のない、マントラムの音楽的な効能 であるから、リズム音楽の身体から入る身体物理的な効果による精神身体医学的 関連効能にほかならない。 そこで、たとえば読経を含め、多くの宗派でも太鼓でリズムを補完して唱える ことも多くある。たとえば、以下も要するにすべて音楽的効能が狙いである。 演奏する者にも、それを聴く者にも、リズムによる音楽として効果が及ぶのである。 ★ 日蓮宗では普通に太鼓、ウチワ太鼓を使っている 日蓮宗大太鼓 【6】唱題 信者太鼓 ・・・・・速度が速い http://www.youtube.com/watch?v=niOnHGQV9k4 日蓮宗大太鼓 【5】唱題 宗定太鼓 ・・・・・速度がゆっくり http://www.youtube.com/watch?v=Xf7MYZJKMYc 唱題行脚 http://www.youtube.com/watch?v=_jwdPe_qJnE http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/151
152: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/23(木) 22:19:37.20 ID:yWz2Pz0x >>151 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−5 読経でも普通に使われている。 日蓮宗大太鼓 【7】自我偈大太鼓 http://www.youtube.com/watch?v=-6CvwqJOeJU このように、太鼓はリズムを取るために使われているが、それには人間工学的な 意味が大きくあり、題目を唱えるときの効能に大いに関係している。 それは人間が太鼓として共鳴することを利用しているからであり、和太鼓の低音が その共鳴に寄与するためである。その低音は横隔膜の振動数に共鳴しやすいから である。それが体の血行を良くしてリンパの働きも活性化して、また音楽で弛緩 してストレスが解消して病気が治ったりする。それは決して不思議や不可思議では ない。単なる音楽効果による精神身体医学的メカニズムであり、なんの不思議も ないことだった。それはなんの奇跡でもない。まして経文の不可思議効能ではない。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/152
153: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/23(木) 22:23:00.40 ID:yWz2Pz0x >>152 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−6 リズムによる音楽として効果を狙っているのは、すでに元々真言宗で立派に 音楽としてまかり通っていた。 ★ 和太鼓でお経を読む音楽読経パフォーマンス 法楽太鼓 5 「般若心経」+「九字」+「如意輪」 @増上寺 http://www.youtube.com/watch?v=trk3sYtN3_I (この演奏は「向源」にてらしい。「向源」とは2011年9月 仏教と音楽を軸としたイベントとしてスタート http://kohgen.org/) 法楽太鼓 1 「観音経」 東谷寺 (真言宗豊山派) http://www.youtube.com/watch?v=F4lTokRepCc 法楽太鼓 2 「般若心経〜諸真言」 http://www.youtube.com/watch?v=9Gilg7OstyA 法楽太鼓 3 「不動慈救呪」 http://www.youtube.com/watch?v=_x7quaeBPfI 法楽太鼓 4 「般若心経」 元旦版 経文字幕付 http://www.youtube.com/watch?v=5Wsju5XSXXA http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/153
154: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/23(木) 22:49:54.44 ID:yWz2Pz0x >>153 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−7 ★ 完全に西洋ドラムのソロ・パフォーマンス的な演奏 奉納太鼓 「妙音天」「光明」「如意輪」(真言宗豊山派 東谷寺) http://www.youtube.com/watch?v=bqm8UuQDzTI http://www.youtube.com/watch?v=o7pjqMdHvS8 http://www.youtube.com/watch?v=e68XmmaeziI ★ 禅宗ですらも太鼓は使うお寺があったもよう 曹洞宗 祈祷太鼓 http://www.youtube.com/watch?v=oPIKJE6S5tc これらリズム音楽としての読経+和太鼓の効果は元々仏教伝統の中で利用されてきた。 それは「題目教」の専売特許ではなかった。ただなぜか「お題目はすごいのだ」 という感覚を抱いてしまうのは、要するに補助用具としての「低音の和太鼓」 などなくてもそのリズムがサルのナントヤラとして自然に引き込まれる感覚が 「不思議を感じさせたから」で「集中するための意識的努力」が要らなかったからだ。 (例証)http://www.youtube.com/watch?v=N_lSnPBRoSk 速度が速い創価学会 http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=SghNEC0iUc4#t=107 これで「三昧境」に入れるとなり集中力も出やすくなる感覚が得られたからだ。 しかしそう言うからには、要するにその功徳やご利益というものは、不可思議力 でも不思議な奇跡でもなく仏様の慈悲でもなかったとなり、精神身体医学的効能 だったとなり、逆に言えば「仏教」とは関係なかったとなるだろう。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/154
155: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/23(木) 23:10:00.98 ID:yWz2Pz0x >>154 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−8 さて、そこで>>142の件である。 その前に参考として、これをごらんください。 静岡県本山海長寺貫首 菅野日彰さんという方が「南無の会の〜さんという方が ”永平寺に行くと日蓮さんに会えるよ”と言った。云々」と言っておられますね。 仏力、法力、信力のお題目 その6 http://www.youtube.com/watch?v=J_vWYsoh5Go 実はここに<ヒント1>があり、これは南無の会の〜さんという方が言わんと されたことはこの菅野さんが独自に解釈されただけで正解ではないだ、しかし さらにここに<ヒント2>がある。 仏力、法力、信力のお題目 その7 http://www.youtube.com/watch?v=t-WeHvz3tQM これらは題目唱えの日蓮的効能解釈から脱する入り口になっていて、ずっと 以前、当方がこちらで述べた真実に関係しているのだ。日蓮宗のお坊さんが これに接近したことは中々感心する次第なのであり、仏教2500年の因縁と拝さん。 いよいよ、次回は解答になります。ここまでリンク先を見ておかれたい。 ではまた。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/155
156: 名無しさん@お腹いっぱい。 [age] 2014/10/23(木) 23:26:12.57 ID:b7FhVH2d 祈雨の種類について述べる。古代の農耕社会においては、雨を 降る降らないは、大問題であった。祈祷で雨を自在に降らせら れれば、政府の重職に任ぜられるほどであった。 1.請雨行法(しょううぎょうほう)・・・大雲輪請雨経に基づく 2.水天供(すいてんく)・・・水天を本尊として行う。 3.孔雀経法(くじゃくぎょうほう)・・・龍を供養し喜ばせる 4.迦楼羅天法(かるらてんほう)・・・猛禽類を神格化した迦 楼羅(かるら)の力で龍を支配する。 また、雨を降らせるだけではだめで、雨を止めなくてはならな い。降り続けば、逆に大雨による災害が発生するからだ。 1.止風雨行法(しふううぎょうほう)・・・止雨のため、迦楼 羅天(かるらてん)の力を借りる。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/156
157: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/24(金) 08:39:35.89 ID:VWD4e4Ae >>147>>149>>150 149さん、山椒島さん、私の146は、断ってあるように「忍性が祈雨の祈祷に木片を池に投げ入れた」を所与の事実として私見を述べたものでした。 しかし改めてみなさんのレス内容を参考に関連事項を調べてみました結果、以下のように私見を改めます。 1.出土した木片は柿経であり、これに関する山椒島さんの149の2段目の記述はほぼ正しい。ただ忍性の祈祷とは無関係と思われる。 2.忍性の祈祷は真言の請雨経法によるものと考えられるが、これも他の祈祷と同じく用いた護符その他は破棄されるようである。竜王の勧請の ためなら八大竜王の梵名か漢訳名を記した紙片を池に浮かべ真言を唱えるといった仕方が自然である。 3.出土した柿経は湿気の多い沼沢で700年持ったくらい耐久性のある木材(竹?)で、しかも竜王の名前だけでなく法華経の経文であり、 その数もかなり多く、おそらく元は法華経の全部もしくは相当な部分を写したものと想像され、祈祷には不自然である。 4.柿経は山椒島さんが149で言うように宗派を問わず、全国的に出土例が多く、法華経が多いというのも事実であるが、これらは追善供養や 罪障消滅を祈願する目的で、僧侶というより信徒が行ったようである。忍性の師である叡尊の立てた奈良の西大寺からも多く出土している。 5.元々法華経は日本にもっとも古くから伝わった経典のひとつであり、多くの宗派で重視された。空海が法華経を誹謗したというのは日蓮のデマである。 空海は貴人の死に際して法華経の写本を送っている。これも上記の追善供養という意味合いと符合する。 6.おそらく旧仏法寺跡の請雨池跡から出土した柿経も、信徒によるものだったろう。それが後に有名な忍性の祈雨の祈祷と結びつけられた。 当時から戦乱や地震や津波など自然災害は多くあり、鎌倉も例外ではなかった。追善供養や罪障消滅の祈願は切実なものだったはずである。 だいたい以上です。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/157
158: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/24(金) 08:44:47.79 ID:VWD4e4Ae 157の補足 なお山椒島さんの136の「焼くのも投げるのも埋めるのも流すのも、『経典を粗末に扱っている』感が満載、違和感バリバリです。」ですが、 密教の請雨経法では上の2に書いたように、用いた護符その他はすべて祈祷が終わった後に破棄することになっていますが、これは孔雀明王や八大竜王に 祈願すると同時に「供養する」という意味合いがあるので、使いまわしや保存はされないです。再び祈祷するときは、また新しいものを用意します。 また法華経の経文の柿経を池などに沈めるのを特に奨励している宗派は見当たらないようですから、例えば池で入水した人や水難で亡くなった人を弔ったり、 あるいは、心ならずも殺人などの罪を犯した人々が罪障消滅を願った民間の習俗として広まったと思えば、むしろ自然な感じで納得できると思います。 なくなった方が法華経の経文に接して成仏するというのは、法華経の内容からしても、素朴で自然な回向の発想と思えます。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/158
159: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/24(金) 13:40:06.46 ID:woEVQHjD >>157->>158 さん 昨夜、>>150で挙げたサイトを見ていたら、別の記事でも言及されていましたので御覧になってみて下さい。 出席者についても簡単に紹介されています。仏法寺出土の柿経につき、複数のサイトで「忍性の祈祷のもの」と 推定 or 断定されているようですが、その過程と理由の一端がお分かりになるかと思います。中盤以降です。 中世鎌倉の発掘 (1) 仏法寺跡と由比ヶ浜南遺跡をめぐって 有鄰堂 ttp://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/430_2.html (参考) 極楽寺境内絵図 有鄰堂 ※ それまでの発見例と併せ、「信徒供養説」の参考にされて下さい。 ttp://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/430_gokurakuji_ezu.html あと、上記の対談記事の末尾や、>>150のpdfファイル(特に「X 編年」の項)の通り、柿経の発祥はあくまでも 寺院であり、そこから時代を経て民間にも広がっていったものだろうと思います。写経の歴史と同じ過程ですね。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/159
160: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/24(金) 21:51:01.93 ID:VWD4e4Ae >>159 恐れ入ります。実は157-158を書く前に既に見たのですが、仏法寺出土の柿経が忍性の祈祷のものとされている箇所が私にはどうにも見当たりません。 全文をコピペすると長くなりますから、「○○〜中略〜○○」みたいな形で山椒島さんがそう読解される該当箇所をご教示願えませんでしょうか? また150のPDFについても同様、157-158を書く前に既に読みました。「柿経の発祥はあくまでも寺院であり云々」という意味が私には曖昧に聞こえます。 出土された場所が寺院だということでしょうか。それは柿経は信徒が供養したものという考えと何ら齟齬はないと思います。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/160
161: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/10/25(土) 01:18:40.31 ID:/5LutV78 現代でも、いろんな宗派の祈祷行者がいる。しかし、その中でも最も多いの が、日蓮宗の僧侶だ。ある日蓮宗の僧侶が言っている。「どんな立派な文章 を書いても、感銘はしても、それを読んでその教えを信奉していこう、とい う人は少ない。御利益を与えないと。御利益ほど強い布教はない。」と。 このことから、日蓮の祈祷も、相当な御利益を信徒にあたえたものと思う。 そのために、あれだけの短期間で、信者を爆発的に増やしたのだろう。 祈祷力と並行して、予知能力にも優れていた。いわゆる超能力をもってい たと思われる。しかし、この力を得るには、かなりの修行が必要である。 日蓮の修行が、どれほど過酷なものだったかは、御書からはわからない。 しかし、祈祷についての確信に満ちた言葉の数々は、それを裏打ちする厳し い修行に耐えた者だけの、真実味がある。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/161
162: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:32:12.96 ID:LogMlDiH >>155 続き 訂正失礼 >そこで>>142の件である → そこで>>141の件である >解釈されただけで正解ではないだ → 解釈されただけで正解ではないが 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−9 そこで解答である。<ヒント1,2>を日蓮宗の管首氏の言に求めたので、<解答> への入り口も日蓮宗自身の研究者から頂けるらしいことが判明したためそうしたい。 >>138-140で当方が述べたことの入り口は、次の研究論文を一通り読むと納得できる。 その具体的要領も「浄心行」や「深信行」と呼ばれるプロセスで「お題目唱え」の部分 を挟んで構成されるこの「行法」を、精神身体医学的療法の一つとして解説している http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_02.htm この中の *29 の注記を読めば、まさにそこに>>138-140の意味は当然理解可能であり 「お題目」もその効果も、本質的において「仏教」とは直接関係は主張できないもの だとわかる。 >*29 ・・・しかしながら、文献学的な批判など近代仏教学の学的成果によって、 今までお経文は全てお釈迦さまのお言葉(仏説)であるとして信仰を支えていた根拠、 たとえば「『法華経』はお釈迦様の言葉であるから全てが真実である」などの宗教思想 の根幹が崩れさってしまったために、その三証という価値基準「燃えているところには 火がある・・現証(現量)、煙がたち昇っているところには火があるだろう・・理証 (比量)、あそこには火があったという聖者の言葉・・文証(聖言量)」、とくに三証 の中でも最も重きの置かれていた文証という経文の絶対的な価値すら理論的にも破綻 してしております。実際にはこんな理屈は誰も考えてないでしょうが、現代人には 「お経文は釈尊のお言葉であるから有り難いものだ!」という神話性はすでに崩壊して おり、もはやその思想性、その宗教性の優劣を論ずる価値基準にはなり得なくなった しまったことが上げられます(引用まで) http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/162
163: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:33:52.51 ID:LogMlDiH >>162 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−10 さらに、日蓮が当時依拠した天台教説にもその根底がすでにあったことも記されている。 >『摩訶止観』、『天台小止観』で天台大師は、祈祷やマジナイによって「病など が癒える効果(験)」を一種のプラシーボ効果であると考え、その救い(験)が 一時的な効果であって本質的なものではないと否定なされている これは単に真言的呪術の否定だけではなく、日蓮的な<功徳>の不可思議奇跡解釈 をも実は否定していることになる。それは、第一に機械的で身体的な生理学的な メカニズムに依存する、純粋に精神身体的効果による効能として受け取るべきこと を現代の我々に訴えている。 さて、このヒントは、現在日蓮宗で行われている行法作法だったが、 作法 http://www5e.biglobe.ne.jp/~shinryu/sahou.htm しかし、実は日蓮宗では昭和の時代になってから、同宗の湯川日淳大僧正という ご僧侶が開発されて、その後に日蓮宗に広く普及したもので、それ以前には行われて いなかったのだ。まずそこに注目すべきである!! >唱題行 http://temple.nichiren.or.jp/6021056-myofuji/event/17/#!prettyPhoto >日蓮宗の行学の大家とうたわれた湯川日淳大僧正の発願によって建立された唱題行の http://shakahonji.jp/shakahonji.html http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/163
164: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:41:10.81 ID:LogMlDiH >>163 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−11 つまり、これは少なくとも日蓮の時代にはなかった行法だった。 現代的知性による探求の結果、上記の論文のような理解、認識に至って初めて http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_02.htm その本当の意味がようやく理解されるようになったと解さなけれならない。まだ日蓮宗 の人々にはそこまでの認識は普及してはいない。 これは、開祖の認識や理解や解釈にはなかった真実に、「啓蒙主義」の洗礼を受けた 近代以降の知性が初めて到達した「中世的迷妄」からの脱却であり、また本来的に 「仏教」と呼ばれるべきものへの再回帰に他ならない。 日蓮の抱いたであろう<迷妄>は、ようやく正しく解釈され正しく仏教に回帰し、 現代の知性もまたその<迷妄>から卒業する準備が得られたのだ。 しかし当然ながら、それは創価学会的な呪術的理解や欲望的汚辱でも、日蓮正宗的 な中世以前的の不可思議信仰への回帰でもない。 そうではなく本来的な「仏道」の本質への回帰である。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/164
165: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:50:42.88 ID:LogMlDiH >>164 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−12 「浄心行」や「深信行」と呼ばれるプロセスで「お題目唱え」の部分を挟んで構成 することで、当時の大僧正氏は何を<実現しないといけない>と考えたのだろうか。 (初心者の体験記) 浄心行(姿勢を正し呼吸を整え)正唱行(お題目唱え)深信行(静かに瞑目) http://syukubo.com/spot/03kanto/chiba019.html >姿勢が整ったら、次は合掌します。指先はぴたりと合わせ、呼吸を整えます。 ゆるく、深く、長く……。ゆっくりと息を吐き、同じように息を吸います >にそのスピードがアップしてきます。15分ほどしてピークになってくると、 舌がもつれるほど早口です。息もだんだん上がってきて、苦しいんだか気持ち いいんだか分からなくなり、軽くトランス状態に・・・ >最後は逆に、だんだんスピードがゆっくりになります。鐘の音を合図にお題目は 終了し、最後は深信行です。しばらくは考えることよりも感じることを大切に しながら、瞑想状態を・・・ >唱題行を行ってみて感じたことは、座禅や写経などと比べて、あまりものを 考える余裕がないということです。とにかくついていくのに精一杯。それだけに 座禅や写経とは違ったアプローチから、心を空っぽにできそうな心地好さが・・・ この「改善型お題目唱え」は、先の *29 の注記を前提に解釈しなければならない。 この場合の中間の<お題目唱え>の部分は、実は「本質」への入り口の準備になって いたのだ。何の「本質」であろうか、また何の「準備運動」だっただろうか? そして「準備運動」を本体と考えるべき必然性が本当はないことへの正しい認識が、 先の *29 の注記に伴って徐々に得られる下地とならなければならない。そこに答え がある。そうして、帰るべき「仏道」の本質と真実への回帰と、迷妄からの卒業が 実現するのだ。皆さんはこれからそこを極めなければならない。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/165
166: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 02:36:13.12 ID:UTL06T24 横槍で話題も変わって申し訳ないんだがどうしても言いたい。 俺最近思ったんだけど、よく層化が法華経にこの経典が最高って 経典に書いてあるから最高なんだみたいなこというけど、あれ、 俺最近思うに、この経典って言ってある部分、法華経を示して いるんではなくて、仏法そのものを言っていて、それを最勝と、 つまり仏教が一番いい教えなんだって言っているのではないかと 思うんだよね。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/166
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