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日蓮って ver.30 (737レス)
日蓮って ver.30 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/
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159: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/24(金) 13:40:06.46 ID:woEVQHjD >>157->>158 さん 昨夜、>>150で挙げたサイトを見ていたら、別の記事でも言及されていましたので御覧になってみて下さい。 出席者についても簡単に紹介されています。仏法寺出土の柿経につき、複数のサイトで「忍性の祈祷のもの」と 推定 or 断定されているようですが、その過程と理由の一端がお分かりになるかと思います。中盤以降です。 中世鎌倉の発掘 (1) 仏法寺跡と由比ヶ浜南遺跡をめぐって 有鄰堂 ttp://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/430_2.html (参考) 極楽寺境内絵図 有鄰堂 ※ それまでの発見例と併せ、「信徒供養説」の参考にされて下さい。 ttp://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/430_gokurakuji_ezu.html あと、上記の対談記事の末尾や、>>150のpdfファイル(特に「X 編年」の項)の通り、柿経の発祥はあくまでも 寺院であり、そこから時代を経て民間にも広がっていったものだろうと思います。写経の歴史と同じ過程ですね。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/159
160: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/24(金) 21:51:01.93 ID:VWD4e4Ae >>159 恐れ入ります。実は157-158を書く前に既に見たのですが、仏法寺出土の柿経が忍性の祈祷のものとされている箇所が私にはどうにも見当たりません。 全文をコピペすると長くなりますから、「○○〜中略〜○○」みたいな形で山椒島さんがそう読解される該当箇所をご教示願えませんでしょうか? また150のPDFについても同様、157-158を書く前に既に読みました。「柿経の発祥はあくまでも寺院であり云々」という意味が私には曖昧に聞こえます。 出土された場所が寺院だということでしょうか。それは柿経は信徒が供養したものという考えと何ら齟齬はないと思います。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/160
161: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/10/25(土) 01:18:40.31 ID:/5LutV78 現代でも、いろんな宗派の祈祷行者がいる。しかし、その中でも最も多いの が、日蓮宗の僧侶だ。ある日蓮宗の僧侶が言っている。「どんな立派な文章 を書いても、感銘はしても、それを読んでその教えを信奉していこう、とい う人は少ない。御利益を与えないと。御利益ほど強い布教はない。」と。 このことから、日蓮の祈祷も、相当な御利益を信徒にあたえたものと思う。 そのために、あれだけの短期間で、信者を爆発的に増やしたのだろう。 祈祷力と並行して、予知能力にも優れていた。いわゆる超能力をもってい たと思われる。しかし、この力を得るには、かなりの修行が必要である。 日蓮の修行が、どれほど過酷なものだったかは、御書からはわからない。 しかし、祈祷についての確信に満ちた言葉の数々は、それを裏打ちする厳し い修行に耐えた者だけの、真実味がある。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/161
162: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:32:12.96 ID:LogMlDiH >>155 続き 訂正失礼 >そこで>>142の件である → そこで>>141の件である >解釈されただけで正解ではないだ → 解釈されただけで正解ではないが 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−9 そこで解答である。<ヒント1,2>を日蓮宗の管首氏の言に求めたので、<解答> への入り口も日蓮宗自身の研究者から頂けるらしいことが判明したためそうしたい。 >>138-140で当方が述べたことの入り口は、次の研究論文を一通り読むと納得できる。 その具体的要領も「浄心行」や「深信行」と呼ばれるプロセスで「お題目唱え」の部分 を挟んで構成されるこの「行法」を、精神身体医学的療法の一つとして解説している http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_02.htm この中の *29 の注記を読めば、まさにそこに>>138-140の意味は当然理解可能であり 「お題目」もその効果も、本質的において「仏教」とは直接関係は主張できないもの だとわかる。 >*29 ・・・しかしながら、文献学的な批判など近代仏教学の学的成果によって、 今までお経文は全てお釈迦さまのお言葉(仏説)であるとして信仰を支えていた根拠、 たとえば「『法華経』はお釈迦様の言葉であるから全てが真実である」などの宗教思想 の根幹が崩れさってしまったために、その三証という価値基準「燃えているところには 火がある・・現証(現量)、煙がたち昇っているところには火があるだろう・・理証 (比量)、あそこには火があったという聖者の言葉・・文証(聖言量)」、とくに三証 の中でも最も重きの置かれていた文証という経文の絶対的な価値すら理論的にも破綻 してしております。実際にはこんな理屈は誰も考えてないでしょうが、現代人には 「お経文は釈尊のお言葉であるから有り難いものだ!」という神話性はすでに崩壊して おり、もはやその思想性、その宗教性の優劣を論ずる価値基準にはなり得なくなった しまったことが上げられます(引用まで) http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/162
163: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:33:52.51 ID:LogMlDiH >>162 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−10 さらに、日蓮が当時依拠した天台教説にもその根底がすでにあったことも記されている。 >『摩訶止観』、『天台小止観』で天台大師は、祈祷やマジナイによって「病など が癒える効果(験)」を一種のプラシーボ効果であると考え、その救い(験)が 一時的な効果であって本質的なものではないと否定なされている これは単に真言的呪術の否定だけではなく、日蓮的な<功徳>の不可思議奇跡解釈 をも実は否定していることになる。それは、第一に機械的で身体的な生理学的な メカニズムに依存する、純粋に精神身体的効果による効能として受け取るべきこと を現代の我々に訴えている。 さて、このヒントは、現在日蓮宗で行われている行法作法だったが、 作法 http://www5e.biglobe.ne.jp/~shinryu/sahou.htm しかし、実は日蓮宗では昭和の時代になってから、同宗の湯川日淳大僧正という ご僧侶が開発されて、その後に日蓮宗に広く普及したもので、それ以前には行われて いなかったのだ。まずそこに注目すべきである!! >唱題行 http://temple.nichiren.or.jp/6021056-myofuji/event/17/#!prettyPhoto >日蓮宗の行学の大家とうたわれた湯川日淳大僧正の発願によって建立された唱題行の http://shakahonji.jp/shakahonji.html http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/163
164: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:41:10.81 ID:LogMlDiH >>163 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−11 つまり、これは少なくとも日蓮の時代にはなかった行法だった。 現代的知性による探求の結果、上記の論文のような理解、認識に至って初めて http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_02.htm その本当の意味がようやく理解されるようになったと解さなけれならない。まだ日蓮宗 の人々にはそこまでの認識は普及してはいない。 これは、開祖の認識や理解や解釈にはなかった真実に、「啓蒙主義」の洗礼を受けた 近代以降の知性が初めて到達した「中世的迷妄」からの脱却であり、また本来的に 「仏教」と呼ばれるべきものへの再回帰に他ならない。 日蓮の抱いたであろう<迷妄>は、ようやく正しく解釈され正しく仏教に回帰し、 現代の知性もまたその<迷妄>から卒業する準備が得られたのだ。 しかし当然ながら、それは創価学会的な呪術的理解や欲望的汚辱でも、日蓮正宗的 な中世以前的の不可思議信仰への回帰でもない。 そうではなく本来的な「仏道」の本質への回帰である。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/164
165: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 01:50:42.88 ID:LogMlDiH >>164 続き 私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−12 「浄心行」や「深信行」と呼ばれるプロセスで「お題目唱え」の部分を挟んで構成 することで、当時の大僧正氏は何を<実現しないといけない>と考えたのだろうか。 (初心者の体験記) 浄心行(姿勢を正し呼吸を整え)正唱行(お題目唱え)深信行(静かに瞑目) http://syukubo.com/spot/03kanto/chiba019.html >姿勢が整ったら、次は合掌します。指先はぴたりと合わせ、呼吸を整えます。 ゆるく、深く、長く……。ゆっくりと息を吐き、同じように息を吸います >にそのスピードがアップしてきます。15分ほどしてピークになってくると、 舌がもつれるほど早口です。息もだんだん上がってきて、苦しいんだか気持ち いいんだか分からなくなり、軽くトランス状態に・・・ >最後は逆に、だんだんスピードがゆっくりになります。鐘の音を合図にお題目は 終了し、最後は深信行です。しばらくは考えることよりも感じることを大切に しながら、瞑想状態を・・・ >唱題行を行ってみて感じたことは、座禅や写経などと比べて、あまりものを 考える余裕がないということです。とにかくついていくのに精一杯。それだけに 座禅や写経とは違ったアプローチから、心を空っぽにできそうな心地好さが・・・ この「改善型お題目唱え」は、先の *29 の注記を前提に解釈しなければならない。 この場合の中間の<お題目唱え>の部分は、実は「本質」への入り口の準備になって いたのだ。何の「本質」であろうか、また何の「準備運動」だっただろうか? そして「準備運動」を本体と考えるべき必然性が本当はないことへの正しい認識が、 先の *29 の注記に伴って徐々に得られる下地とならなければならない。そこに答え がある。そうして、帰るべき「仏道」の本質と真実への回帰と、迷妄からの卒業が 実現するのだ。皆さんはこれからそこを極めなければならない。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/165
166: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 02:36:13.12 ID:UTL06T24 横槍で話題も変わって申し訳ないんだがどうしても言いたい。 俺最近思ったんだけど、よく層化が法華経にこの経典が最高って 経典に書いてあるから最高なんだみたいなこというけど、あれ、 俺最近思うに、この経典って言ってある部分、法華経を示して いるんではなくて、仏法そのものを言っていて、それを最勝と、 つまり仏教が一番いい教えなんだって言っているのではないかと 思うんだよね。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/166
167: つづき [] 2014/10/25(土) 02:40:34.05 ID:UTL06T24 ほんでそう考えると、層化みたいに法華経以外はありがたがらない 連中がまったくしょぼくて、法華経もいい経典としてみとめながら 他の経典も大事にしてる宗派のほうがまともなことも納得がいくし、 さらに最近思うのはあの地涌の菩薩ってさ、やっぱ創価2世とか3世 とかで、創価やめて他の仏教きちんと信心しながら層化の問題点とか をきちんと獅子吼してる人たちなんじゃねえのかと。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/167
168: つづき [] 2014/10/25(土) 02:45:51.85 ID:UTL06T24 普通の仏さんやら菩薩さんはすでに清らか過ぎるから、こんな時代の ましてや層化にかかわるような層化2世とか3世とかにはなるような 因縁はないと思う。で、でも層化の2世や3世に生まれてしまうよう な不幸な因縁をもっているようなまだ修行の足りないいのちのもので それでも過去世において、どうか正しい仏教を信奉し、それを広める という誓願を立てたようないのちのものが輪廻をめぐりめぐって、い ま創価2世3世となってうまれてから、創価を抜けてまっとうな仏教 やりながら創価批判をしてるんでないかと。これこそが実は法華経の 言ってる地涌の菩薩ってやつなんじゃねえかと。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/168
169: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/25(土) 06:30:12.89 ID:FkBkapOP >>160 さん (1/3) あ、すみません。複数のサイトと言ったのは、たとえばここです。「鎌倉TODAY」なる地域情報サイトですが、 ttp://www.kamakuratoday.com/suki/mochida/18.html (頁終盤です。末尾から2項目) 断定調なのは割り引くとしても、>>150・>>159の対談と同一の調査結果を受けての記事と思われます。 URLの「18」を「34」に変えると、柿経がどのように行われていたかも垣間見ることも出来ます(中盤やや上)。 で、仏経典が民間レベルに普及するのは室町以降で、それまでは原則「僧侶が説き、民衆は聴く」ですよね。 京都大学附属図書館報 静脩 特集号 : 本屋と草紙屋 濱田啓介 ttp://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/37834/1/s94ex01.pdf 当時の経典制作の模様についても詳述されています。制作も入手も、とにかくもう色々と大変だったようです。 日蓮文書で、自分でも買えそうな有力武家が、わざわざ日蓮に写経を依頼したのもそういうことか、と考えたり。 pdfファイルの発見例などを年代順で見ても、写経(僧侶+国家→皇族・貴族ら→民間)とほぼ同じ流れです。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/169
170: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/25(土) 06:31:44.24 ID:FkBkapOP >>160 さん (2/3) 以上は一部ではありますが、そこに発案者として民間サイドが関与するケースについても、私なりに考えてみました。 信徒は聴く人、だとか、当時はまだそこまでの識字率は無い、などと言っても一般論ですし、十分な教養や経済力を 有する庶民もいたかもしれません。そういう人達の中から発祥し、彼らの側から寺院に依頼して費用を提供する − >>150のpdfファイルによると、池などからの出土例については、直接供養説と経年廃棄説があるようですね。 仏法寺は忍性と同時代に(おそらくは忍性によって)創建されて、新田義貞の鎌倉攻めで一旦焼失、少なくとも荒廃 しています。>>159の地層による年代判定の分け方も、私などが言うまでもなく、それをふまえての記述なのでしょう。 つまり、対象となる期間が短く、長年保管していた柿経を廃棄したとは、もちろん皆無とは言いませんが考えづらいです。 ここで>>159の境内図を見ると、仏法寺は厳密には境内の外、南端の山の上です。支院と言うより住房のようです。 一方、境内にはより大きな池が複数あります。1つは採水場でしょうけれど。また、周囲には極楽寺川も流れています。 供養なら本来本殿か、隣の社の拝殿でしょうが、水辺に直接供養するにしても、保管していたものを廃棄するにしても、 わざわざ請雨池まで登る理由は何だろうかと思うのです。そのような由緒?を探しもしましたが、見つかりませんでした。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/170
171: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/25(土) 06:34:22.71 ID:FkBkapOP >>160 さん (3/3) もうひとつ、>>159の対談では、叡尊と同時期に行ったという、蒙古調伏の祈祷についても言及されていますね。 ハッキリこうだとは書かれていませんが、文脈からみて、この時の忍性の祈祷も護摩焚きだったのだろうと読み取れます。 にも関わらず、請雨池出土の法華経について、誰も「忍性とは無関係」とか「これは誰々のだ」などとは言ってません。 私が>>150でかました大ボケ「出席者に日蓮系はいないみたい」どころか、むしろ発掘調査の当事者達のようですが、 ならば尚さら、>>160さんの考察と同様の指摘などがあってしかるべきなのではと思います。上記の情報サイトによれば、 江戸期に掘り出した付近の住民は「日蓮のもの」と勘違いしていますが、これが従来の定説だったのではないでしょうか。 なぜなら、いずれも情報自体が少ないのですが、日蓮説は散見され、忍性説に対する異論や信徒説は見当たりません。 立花弥生なる人がこの件の論文を出しているようですが、中身は見つからず。西大寺は公式サイト立ち上げ直後でした。 「アップル荒井しのぶって誰?」と思ったら、何と東洋哲学研究所の人だったり、私も立場にこだわらず調べたつもりです。 が、「自分に都合の良いものばかりを集めてるんじゃないの?疑惑」などもあって当然でしょうから、もし反証となるサイトが ありましたら、御教示願えたらと思います。長々と失礼しました。これでも散々削りまくったということで御容赦下さい(謝 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/171
172: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/10/25(土) 06:36:29.16 ID:FkBkapOP >>166-168 さん や、私の方こそ長文を連ねてすみません。 横槍でもNG指定でも、どうぞ御自由にお願いします。 (レスを返せていない方や他の方達も同様に願います) 書かれていることは、概ね分かるつもりです。 私もかつては、その「不幸な因縁」を持っていたようですので(笑 でも今は特定の信仰を持たず、この先も予定はありませんから 地涌の菩薩どころか、そこからもっとも遠い存在かもしれません。 批判はやめませんけどね(笑 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/172
173: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/10/25(土) 08:32:21.07 ID:hMeZPMoF >>95 そーいえば、ブタが正座してる写真見たことある・・。 >>100 これは日蓮教団が主張する、法華経サイコー説としての五時八教は、 大蔵経データベースで検索したら、もー結果は明らか、 ×七世紀天台大師、◎九世紀妙楽大師、しかもサイコーとは言ってない。 法華玄義の法華總括衆經は、法華経サイコー説を裏付けるために、 理論的パーツみたいのをバラでいろいろと収集してるとこでしょ。 日蓮さまがホントに法華経サイコーと信じてたかどうかは、 やっぱ「栓なし」ですからね。 >>101 富城入道殿みたいなオモロイ話を完全スルーして 気が付かないふりするのが、日蓮教学者のクォリティーですよ。 他にも貧乏人を追っ払う三沢抄だけじゃなくて、 聖人設定にはジャマになる問題発言が、多々あるんですけどね・・。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/173
174: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/10/25(土) 08:41:46.49 ID:hMeZPMoF >>113 小堀遠州は、徳川家康の庭師って感じだけど、禅宗なのか、、。 大徳寺は一休さんだから、臨済宗。「忘筌」ならきっと なんかわかったことがあるんでしょうね。 戦国時代の臨済宗は、現代の白隠流と少しちがって、 より臨済録にちかいものだったと思うけど、 一度伝統が途切れてるみたい感じする。 でね、1200年前の臨済録に、一箇所だけ法華経に関する記述あって、 臨済和尚が杏山とするこんな問答・・。 臨済 「露地の白牛はどうだ? 」 杏山 「もーもー 」 臨済 「言葉が喋れないのか・・ 」 杏山 「長老はいかがですか? 」 臨済 「ただの動物だろ 」 ・・・、。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/174
175: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/10/25(土) 08:58:18.43 ID:hMeZPMoF >>116 日蓮さまの弟子は、比叡山で修行も受戒も無理でしょ。 天台宗の僧籍をねつ造してもぐりこむのか?、 日蓮宗が明治に清澄寺を金で買収したのも、 寺の歴史を改ざんして、慈覚大師が開いた天台宗の寺、 というストーリー設定に変更しないと、 日蓮さまの比叡山遊学話につじつまが合わないからですよ。 叡山遊学には、天台宗の僧籍が必要なんだと思うね。 >>129>>134 戒壇は、国家公務員キャリアみたいなもんで、やや誤解されてる。 たとえば比叡山なら、最澄さん死後すぐに戒壇が朝廷から認可され、 遮那業(密教コース)、止観業(天台コース) のそれぞれに 毎年一人づつの受戒者の枠が設定されて・・。 これには国から給金(棒録)が出て、身分保障もされるって 司馬遼太郎せんせの「空海の風景」に詳細な調査報告が書いてあるわ。 その国家公認の戒壇で受戒した証明書が「戒牒」であって、 受戒は、公務員としての、僧官の任用試験ということらしいですよ。 宗教的な意味合いなら、菩薩戒さずければいいだけだもんね。 あと創価の言う国立戒壇も、意味をゴマかしてるとおも・・。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/175
176: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/10/25(土) 09:06:59.58 ID:hMeZPMoF >>166 これは、こう。 × 法華 → 法華経 ◎ 法華 → ほとけ 仏教だから、ほとけをホメ讃えるのは当たり前なんだけど、 そのときにほとけの代名詞である「法華」という言葉を使うと、 日蓮さまはすかさず、あの有名な大師さまも、 法華経をホメ讃えていると、↑上のすり替えテクニックで 法華経サイコーに、話を入れ変えてるのだ。 サギ師としては、才能ある人だなと思う・・。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/176
177: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 10:10:55.42 ID:0W/ZZ7kA >>169‐170 山椒島さん、このブログの「もちださん」が仏法寺出土の柿経を忍性のものと「確かめられた」と思っておられることはわかります。 そして山椒島さんが言うように、「>>150・>>159の対談と同一の調査結果を受けての記事」と私も思います。 同対談記事は当該の柿経が忍性のものと断定などしていませんが、忍性説のソースを尋ねた私の145末尾の問いに対し、山椒島さんが 150でこの対談記事を示して「終盤で言及されています」と書かれたのと同様の読解を「もちださん」もされたのではないでしょうか。 また信徒が柿経を供養するにしても、常識的に考えて、経典の写本がそう普及していたはずはありません。それを木片に書き写すのですから、 お寺で経典を借覧して自分で書写するとか、あるいは布施をしてお寺の写経僧に書写してもらって私家版の写本を作り、それをもとに、自宅で 家人とともに木片に書写するとかの方法になります。全部では大変なので、お寺の僧侶に一部の章節だけを書写させてもらったりもしたでしょう。 こういうことができるのは貴族や上級武士や富裕な商人など社会の上層だけです。この場合、信徒といっても一般庶民のことではありえません。 そもそも戦前ですら、字を知らない人はそれほど珍しくなかったようですから、鎌倉期では一般庶民は漢字を書写することなど無理だったでしょう。 寺と関係が深く、信仰心篤い信徒が、苦労して作成した柿経を供養するにしても、不法産廃業者のように寺に無断で投棄するはずはありません。 お寺と相談して納めるとか、境内の池や近隣の河川などに沈めたことでしょう。前者なら紙で足りますから後者のほうが一般的だったでしょう。 おそらくは、池などに沈めるときは僧侶に読経してもらったり、真言を唱えてもらったりもしたかもしれません。これが山椒島さんのいうところの、 「柿経の発祥はあくまでも寺院であり」(159)という意味なら、私も同意です。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/177
178: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/10/25(土) 10:56:00.31 ID:0W/ZZ7kA 177の続き また「わざわざ請雨池まで登る理由は何だろうか」(170)とのことですが、まさに159の境内図にある通り、当時の極楽寺の境内は広く、 池の位置は昔の人にとっては「わざわざ登る」というほどのことはないと思います。広いといっても関西の名刹に比べれば狭いものです。 それに177で書いたように通常の写経なら、おっしゃるように本殿や拝殿などに納めるでしょうが、柿経にするのは、池や河川に沈めたり、 山に埋めたりすることを前提にしていた場合がむしろ多かったのではと思われます。仮に全国の柿経の発見例で寺の建物の中から発見 された例が多かったとしても、それはそのほうが保存状態がよかったからとしか考えられません。忍性は病人や浮浪者にも憐みをかけ、 そのための施設を造って保護し、無償で医療を授けた人です。忍性なら信徒の要望次第で、支障のない場所を提供したでしょう。 それが請雨池でも何も異とするに足りません。そもそも池から出土した柿経が忍性時代のものかどうかも私は疑わしいとおもいます。 ン千年前±ン百年などという炭素14法なのか、堆積法なのか、干上がった池の底から出土した木片の時代を数十年の範囲に特定 できるものでしょうか。また仮に忍性の時代と実証できたとしても、それが「極楽寺の請雨池だから忍性が祈祷に使ったものに相違ない」 などと断定できないのは明らかでしょう。極端な話、当時、民衆の苦難や嘆きをよそに、忍性の祈雨祈祷の失敗を切望していた日蓮が 法華経の経文を書いた木片を夜陰に乗じて呪いを込めて請雨池に放り込んだと考えたほうがまだうなづけます。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/178
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