[過去ログ] 悟りを開いたことあるけど何か質問ある? (1001レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
729
(1): 2011/09/23(金)11:59 ID:kt8e8BqJ(5/5) AAS
商売で成功する方法を教えて欲しいわけではなく
どんな状況であろうと、客観的に物事を捉えられ判断する方法を求めていますが
1さんの悟りは特にそういう事とは関係ないのでしょうか?
730
(2): 473 2011/09/23(金)14:26 ID:D7fvEkuM(1/5) AAS
≫ご指摘の通り、解説するのは自我です。

私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
しゃべっているという指摘をしたのです。
別に誰もがそうなのですが、自分は自我を脱しているというつもりになっていると問題です。
便宜的な人格を使うということと、自我にとらわれているということは当然別の話であり、別に私でなくても、
比較的知性的な書き込みをした人は「対話能力がない」「アスペルガー」と批判するでもなく分析していたでしょう。
自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。

そのあたりお話が通じていないので申し訳ないですがご返答になっておりません。
また「ということ」
省8
731
(1): 473 2011/09/23(金)14:27 ID:D7fvEkuM(2/5) AAS
≫表現できる言葉があるのでしょうか?
光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。

そして光明にしろ瞑想にしろそれを伝えるのは、この場合は自らを証明するのはロジックではなく響きになります。
響きと「すでにある固定観念を破壊するもの、相手に感応している、ロジックより響き、新しい、融合様々な形。」
というその人の総合的な実存のレベルです。自分の場合、響きより後者の人間の総合的な理解方で表現しています。
あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。
省5
732: 473 2011/09/23(金)14:32 ID:D7fvEkuM(3/5) AAS
>>717
私たちは利己的な、嘘をつく他者を邪悪だと思うことがありますが、当の邪悪だと思われている人は、
「みんなやってるんだから」「しかたない」「本当はやりたくないんだ」「無自覚」「これが常識」
という主観であり、善良な一般市民のつもりで生きています。
するとその人への評価とその人自身の自己評価に大きなずれが生じます。(話が通じない)
邪悪な行為をあえてやる人はおらず、それは弱さであり、常識であり、無意識なのです。

しかし、こういったことを理解することは不可能です。こういったことを考えても何も変わらないのです。
他者の主観をいくら考えようとしても、奇跡の探求を何回も読んでも全く理解は進まないのです。
(グルジェフもあえて多くを語らずただワークをさせました。)
理解するためには思索ではなく自己の根本的な変化が必要なのです。
省10
733: 473 2011/09/23(金)14:34 ID:D7fvEkuM(4/5) AAS
>>720
そもそも人は死んでしまいます。
変化、変化こそが宇宙の本性であり、停滞や安定はほんの例外にすぎません。
長持ちする、永遠に続くものがあると思い込むのが悲劇の始まりで、人類は
集団でその間違いを美化して共有するものだから悲劇は増す一方です。

人は死ぬ。50年後の死を受け入れるのも明日の死を受け入れるのも大した違いはないと思いませんか?
死を受け入れると感情の働き方が全く違ってきます。
死を受け入れないことが迷いであり、実際にある死を実際に単にあるものとみているのが明晰な意識です。
このあるものをあると受け入れるというだけの事に、それも一瞬でも受け入れるということに相当の修業を要します。

一時的なものでもそれは人生観を変えます。
734: 473 2011/09/23(金)14:40 ID:D7fvEkuM(5/5) AAS
ロジックではなく体験を重視して語るなら

ではなく

人間の総合的な理解という方向性ではなく
瞑想の体験そのもので何かを伝えたいなら、
いや、ひとの観念を緩やかに解体し鎮め、人々に瞑想に目覚めるように誘導するなら

彼という表現が出るような実存でもって、彼という主体を使うのが適していると思います。
正しい実存で使われた彼という表現は人の自我を、思考を鎮めます。
実は1さんにはそれが向いているのかもしれません。
735: 小林白蓮 2011/09/23(金)16:27 ID:dANHig7u(1) AAS
>>728

>真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ

※それはある意味、心はどこらへん?後ろ?のどこと述べているのと一緒であります。

  大川先生の教えでは、私たちの心の場所は、胸元の中央にあり、心臓の横にあり
  ます。

  私たちは、仏から分かれた仏の子であります。
省3
736: 2011/09/24(土)02:48 ID:e/6ppmYr(1) AAS
OSHOってバグワン・シュリ・ラジニーシのこと?
473のいう「祖師」ってこの人のことかな
737: 2011/09/24(土)12:37 ID:HxMp8yqj(1) AAS
悟りは自身が感じるモノで、開いたり閉じたりするモノではない
738: ama 2011/09/24(土)13:31 ID:WXXxA0oo(1/6) AAS
>>546

私が申し上げている悟りは、葛藤なく自由に楽に生きることです。

私も入門をしたことはありません。
高次元へは行ったことがありませんし、
如来の存在を見たこともありません。
私も難しい会話は苦手です。(苦笑)

悟りは今ここにありますので、先に行く必要はありません。
逆に、まったくのゼロに戻ってみるといいかもしれません。
739: ama 2011/09/24(土)13:33 ID:WXXxA0oo(2/6) AAS
>>566
> 無条件の至福が起き、あらゆる体験の儚さを認識し、それそのものであるような瞑想が起きる。
> けれどそういうスペースから結局帰ってきてしまうわけです。
> あなたはそれを正直におっしゃってましたね。
> 結局元に戻ってそれを体験として記憶するのです。

おっしゃるとおりです。

> そのスペースにいるときだけがあなたなのではありません。

いえ、そのスペースにいるときは、私はいないと申し上げています。

> 体験を超えたものもあなたですが、体験しているのもそれを説明してしまおうとしたり、
> 意味を共有したいと望むのもまたあなたなのです。その全体において自分を理解せねば自己欺瞞に陥ります。
省6
740: ama 2011/09/24(土)13:35 ID:WXXxA0oo(3/6) AAS
>>566
> 誰だって一番いいところだけ抜き取ればいくらでも良く見せられます。
> あなたは自分の宝物を分かち合いたいのでしょう。
> その気持ちはわかりますが。あなたの本当の持ち物はあなた全体なのです。
> 宝物だけあげる訳にはいかないのです。実存の譲渡においてはあなたはあなた全部を上げるしかありません。

私は大した宝物を持っていません。
悟りも悟りの体験も宝物ではありません。
言うまでもないことだと思いますが、
そんなものは捨ててしまった方が、よっぽど役にたったりしますよね。
つまり、悟ったことなどないものとして、常に新しく確かめてみないと、そこにはいられないわけです。
省13
741: ama 2011/09/24(土)13:42 ID:WXXxA0oo(4/6) AAS
>>566
> 一片の思考との同化が無くなると、目に見える言葉で把握できる思考は静まります。鎮めることができます。

おっしゃっている同化とは、それに引っ張られ、それを自分と思い込み、自分であるかのようにその思考を採用することですね。

> しかしその状態において本当の意味での私、目に見えない思考の集合体は相変わらず機能しているのです。

目に見えない思考の集合体とは、記憶(思い出せないことも含めて)と言い換えてもよろしいでしょうか?

> そしてこの無意識の言葉にならない思考全てが静まった時、私は消えるのだと思います。
省7
742: ama 2011/09/24(土)13:44 ID:WXXxA0oo(5/6) AAS
>>566
> 私が消えたら思考が消えるというのは順序が逆でしょう。
まあ、私も思考も同じものですから、順序を問題にしてもしょうがないのかもしれません。
ここで申し上げたかったのは、私が力を与えなければ思考は消えていくという意味です。
解説したり、判断したりすると、その思考は思考として強まりますよね。
でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。
ないのです。
なにもない。
で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
申し上げるまでもなく、大切なことは、それをどのように呼ぶかではなく、
省11
743: ama 2011/09/24(土)13:48 ID:WXXxA0oo(6/6) AAS
>>566
> 他者の影響に過ぎない偽りの自己が消え、あなたの本質が核である統一された自己の誕生です。
> そして思考が静まればそれすら消えるのでしょう。

他者の影響に過ぎない偽りの自己というのは、生まれてから後天的に刷り込まれた思考、
つまり、親や教師やマスコミなどから植えつけられた思考のことですね。
私の本質が核である統一された自己というのは、上記で言うところのスペースでしょうか?
もし、違うとおっしゃるなら、そのようなものは出現させなくても悟れます。
少なくとも私には必要ありませんでした。
あるいは、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、私にも起こりました。
744: 小林白蓮 2011/09/24(土)14:12 ID:UgJk1IXe(1) AAS
※悟っているかどうかは、降魔成道をして宇宙即我の悟りの体験をしていることです。
 降魔成道無くして、宇宙即我の悟りの体験をすることはありません。

 大川先生の教えのように、この世からあの世に移行するとき、肉体は死んでも霊
 として新たな生の始まりであり、この世とあの世を越えた神仏の働きや高級霊の
 背後を直視して、高級霊のインスピレーションを受けれるかであります。

 そして、反省を突き詰めた姿として、心の内に満月のような仏性を直視できるか
 であります。 
745: 2011/09/24(土)14:15 ID:/SxK3NOL(1) AAS
この1の絶対的安心に基づいてる感触
なんでそうなのかというと、何もない からだ
何もない んだから失う心配もない(失うには失うものが必要)
脅される不安もない(脅される対象がないのでされようがない)

それに比べて473よ
何をそんなに怖がっているのさ>>708
>自分の経験によってでなく、相手の立場にも立ってみようと、
>互いの立場を混ぜ込んでゆこうとすると、自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
>人前でなくてもこの恐怖がわかるのなら、、。
746: 2011/09/24(土)14:44 ID:Tg4I4rWD(1) AAS
仏陀は、誰某は、、ああいったこういった、、、
そうやって積み上げていった自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
だからもっとしっかりとした見識を、経験を、もっともっと高く積み上げていく
それを捨てようとすると起こる恐怖と一緒に
747
(1): 473 2011/09/24(土)14:54 ID:PduxhH8e(1/4) AAS
≫で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
そこから始まるのでって、それを呼ぶ理由はありません。
肉体として社会生活をする私を私と呼ぶだけで足ります。
一つの冗談として存在するわけでもなく存在しないわけでもない無上の悟りなどと、
維摩経のヴィルマルキールティは語っておりました。

> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。

≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。

いえ、話が通ってません。
複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
表層で一時的に主人になってる思考=私
省12
748: 473 2011/09/24(土)15:05 ID:PduxhH8e(2/4) AAS
ああ、真ん中あたりまちがったかも。
話が通ってるのか。

間違いを指摘したのに、
「はいそういう意味です」ですか。
なんと調子のいい。しかも言葉の間違いではなく知っている人なら間違えないであろう人間の精神の事実関係の間違いなのに。
まったくそんな意味であなたは語ってない。逆の意味や明らかに異なる意味で語っていた。
もう何言っても、自分の自我に都合のいいように解釈して持論がより隙がないよう磨かれてゆくだけか。

まあそれもよい。

持論を信じ込む人間に恐怖はない。
持論があれば、無明があれば恐怖がある。
省1
1-
あと 253 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.015s