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103: 06/11(火)20:52 ID:6by8G9Lfh(35/37) AAS
いざとなれば主要路のトンネルを爆破する 鎖国も覚悟で山に立て籠もる
104: 06/11(火)20:53 ID:6by8G9Lfh(36/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・24

 このスイス軍の防衛努力に加え、スイスに、もう一つの決意が、ドイツに侵略をため
らわせた。と言われる。急峻な土地で、もしドイツに攻められ、占領されそうになれば
、スイスへの通りの道にある、大事なトンネルを自ら爆破する、という予告と宣言であ
る。ドイツがスイスを占領するメリットは、交通の要衝路として使う為にあった。なの
に占領前に、ほぼ小さな橋は、既に爆破させられ、侵攻して行軍でトンネルが爆破され
たのでは、「スイス占領」の、目的の根幹に関わる大問題となった。これを受けての、
スイス占領を計画していたドイツ軍は、「武力侵攻すれば占領は困難ではないだろうが
輸送路や、鉄道の喪失は、避けられそうにない。」と見積ったといわれる。スイスは、
こうして、鉄道爆破の予告により、ドイツによる侵略のメリットの数々を減らして対策
省13
105: 06/11(火)20:55 ID:6by8G9Lfh(37/37) AAS
 スイスは「拒否的抑止」に成功し、時間が彼らに味方した。
106: 06/12(水)01:57 ID:xGGOIpCDF(1/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・25

 「損害は予想外に拡大し、長期戦への突入と、戦争継続能力に響く消耗は避けられな
い。これが、スイス侵攻が避けられ、占領で得られる成果が 見合わないであろう。」
と言う、侵攻側の占領コストを上げ、メリットを減らす。というスイスの防衛努力が、
実った結果である。スイスの、軍事力はドイツに比べれば弱小で、この弱小なスイスの
軍事力でも力を尽くすことで、ドイツの侵略を抑止し、国を守ることができた。という
歴史の真実である。こうした軍事力をもって、相手に侵攻を思いとどまらせることを、
「抑止」や「抑止力」といいます。ドイツの軍事力はスイスを占領可能なものでした。
ですが、たとえ、侵略側より弱い軍事力しか持たなくとも、戦争を抑止する術はある。
たとえ勝てないにしても、相手が、許容できないほど損害を与えられるだけの軍事力が
省11
107: 06/12(水)01:59 ID:xGGOIpCDF(2/14) AAS
 姿勢は、ナチズムの恐喝、現実は 欧米からの敵視
108: 06/12(水)01:59 ID:xGGOIpCDF(3/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・26

 しかし、スイスはこのような堂々たる努力だけでは済んではいない。恥ずべき努力も
行っている。当時、ドイツはユダヤ人への差別、迫害、そして虐殺政策をとっていた。
スイスは、そこまではしなかったものの、ドイツから逃れるユダヤ難民に冷淡な態度を
とった。1938年以降、ある意味属国化した。9月から、逃げてきたユダヤ人の入国者の
ビザに、赤いJマークを刻印するとともに、入国制限を強めた。これはナチスのユダヤ
人摘発に、供する以外何ものでもなく忖度したのだ。赤いJマーク付き旅券所持者は、
スイス国外に出て行っても、ナチスの摘発から逃れられなくなって行くのだ。なぜナチ
ス協力にも類するようなことが行われたのか。その最大の理由は幾つかある。一つは、
「ドイツとの貿易関係の維持が、中立の継続にも直結したということ」である。スイス
省12
109: 06/12(水)02:00 ID:xGGOIpCDF(4/14) AAS
 欧州大陸は かつて反ユダヤ主義で 一致していたのに
110: 06/12(水)02:00 ID:xGGOIpCDF(5/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・27

 このように中立は簡単な政策ではない。ある一時だけの中立ならともかく、ずっーと
中立を国是として貫くのは、至難の技といっても良いでしょう。中立国は戦争に勝手に
巻き込まれることもない代わりに、他国に守ってもらうこともできない。時には友好国
を見捨てる事になり、恨みを買う。同盟国を持たないため、単独で国防をせねばならな
い。自主防衛どころか、これでは孤立防衛である。この中立を守るに、マキャベリズム
の「狐の知恵と獅子の勇気」にとどまらず、そのうえさらに「貝の辛抱」が求められた
のである。別の言い方によると「(中立政策とは)氷のように冷血で、利己的、かつ、
生存のための可能性の政策」とされる。これが試されたのが、スペインである。スペイ
ンは第一次世界大戦でも出遅れた国とされた。かつて大国だったスペインは、まだまだ
省11
111: 06/12(水)02:01 ID:xGGOIpCDF(6/14) AAS
 世界は金に飢えていたのか
112: 06/12(水)02:01 ID:xGGOIpCDF(7/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・28

 しかし、にわかに起った、1848年カリフォルニア・ゴールドラッシュが起り、それに
続いて1856年のアヘン戦争とアロー戦争の後始末や、1854年の日本の開国には。その後
のアラスカ州での数回のゴールドラッシュ(ノーム、フェアバンクス)が発生までも、
世界の帝国銀行の金庫を満杯にした。そしてその金はスエズ運河や、中東の鉄路という
砂漠の開発と、石油掘削に使われたのである。第一次世界大戦は1914年〜1918年の間に
起こった戦争だが、実はその前哨戦に中東クリミア戦争があった。1853〜1856年ロシア
は、南下政策を積極化させて、オスマン帝国に宣戦したことで、イギリスとフランスの
この中東投資の回収に赤信号が灯ると、積極的に参戦した。サルデーニャも、オスマン
帝国を支援し、列強間の戦争となったが、かろうじて近代科学の石炭船で、ロシアを、
省12
113: 06/12(水)02:02 ID:xGGOIpCDF(8/14) AAS
 世界で急に ユダヤが 溢れ出す。
114: 06/12(水)02:03 ID:xGGOIpCDF(9/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・29

 パレスチナの地は、長い間イスラーム国家の支配下だった。が、突然にこの地をユダ
ヤの地である。とユダヤ人がプロパガンダし広報作戦に出た。これまで居住していた、
イスラム教徒は、さんざん十字軍の遠征などでキリスト教徒と対立していたのに、今度
は、ユダヤ教徒との三者は共存関係を維持する事になる。当時のパレスチナを支配して
いたのはオスマン帝国であり、こうした入植は、規制されなかった。何故ならそもそも
イスラム教も、旧約聖書の、商人の誓いとして成立した、経済宗教であり、自由な往来
を護る事に宗教主旨があったからだ。しかし、ドレフュス事件などの影響もあって、パ
レスチナ入植の、ユダヤ人の数は徐々に増え始めた。これまで一人もいなかった砂漠の
地に忽然と現れた横暴な白人の金持ち集団である。更に世界の一連のゴールドラッシュ
省11
115: 06/12(水)02:04 ID:xGGOIpCDF(10/14) AAS
 歴史の中の 幸せな国家は、乗り遅れて大帝国を築いた
116: 06/12(水)02:09 ID:xGGOIpCDF(11/14) AAS
 歴史の中の 幸せな国家は、乗り遅れて大帝国を築く
117: 06/12(水)02:09 ID:xGGOIpCDF(12/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・30

 1914年に国際的異常、は更に天候不順での不作もあって、農業関係は、3つの元凶が
農奴の特に植民地化していた、欧州のパン籠である東欧には、大きな不幸が押し寄せた
。そこで、オーストリア=ハンガリーのフェルナンド大公の皇太子暗殺事件が起こる。
サラエボ事件である。オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナでボスニア系セル
ビアに襲撃されたのである。当初、各国はよくある暗殺事件であり、大事件のままで、
戦争になるとは、誰も思わなかったのであるが、ここに大国オースリアの後ろ盾を無く
した事で、小公国の集まりで出来たばかりドイツ連邦の舵取りに、ドイツ皇帝ヴィルヘ
ルム2世に暗雲が垂れ込める。これが2つ目の不幸である。当時、プロイセン皇帝から
ドイツ皇帝になりたてで、共和制議会政治を始めたばかりであった。その上で、この、
省10
118: 06/12(水)02:10 ID:xGGOIpCDF(13/14) AAS
 アラゴン王女はプロセン帝国に、そして息子はドイツ帝国に
119: 06/12(水)02:11 ID:xGGOIpCDF(14/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・31

 しかし、カールの時代は、まさに大航海時代にあたり、この大航海時代の知見は富者
を蔓延らせ、農民の抵抗運動と宗教戦争が起こった時代だった。カールは、ドイツ王・
神聖ローマ帝国皇帝を出すハプスブルク家の出身ではあったが、昔からのハプスブルク
家の、全ヨーロッパに巡らした婚姻政策が続き、純粋なドイツ人とは言えなくなってい
た。父(フィリップ)の両親つまり祖父と祖母は、祖父マクシミリアンでドイツ人(そ
の母はポルトガル王女)、祖母マリアもブルゴーニュ公国の王女でフランス人。また母
のファナ(狂女ファナ)は父フェルナンド(アラゴン王)、母イザベラ(カスティリャ
女王)で両方ともスペイン人。だから3代前にさかのぼればカールにはドイツ人の血は
8分の1しか流れていないと言うスペイン血脈であった。生まれた場所は父の領地の里
省12
120: 06/12(水)09:24 ID:zxbLDsqp+(1/18) AAS
  中立のリアル・・・・・・・32

 宗教改革と三十年戦争で、オーストリア帝国は、カトリック体制の強化が進んでいく
のだが、修道士会の、フランチェスコ会や、イエズス会などが出て来て、その改革は、
依存するようになり、宮廷文化が開花し、バロック建築やバロック音楽が出来ていく。
その後も、幾つもの戦争を嵩ねながら、オーストリアは、国内の体制を固め、1683年に
、オスマン帝国による第2次ウィーン包囲の危機を脱し、オスマン帝国の弱体化に乗じ
て、バルカン方面への進出を開始するのである。フランス生まれの、軍事的天才オイゲ
ン公の活躍もあって、1699年のカルロヴィッツ条約で、オスマン帝国からハンガリーを
奪回を果たしたのであるが。……カルロヴィッツは、現在のセルビアの首都ベオグラー
ドの事で、オスマン帝国はオーストリア・ポーランド・ヴェネツィアに土地を切り刻ま
省10
121: 06/12(水)09:24 ID:zxbLDsqp+(2/18) AAS
  中立のリアル・・・・・・・33

 オーストリアはイギリス、オランダ、プロイセンなどと共に、対フランス同盟を結成
していた時代だった。、有利な戦いを進める事が出来て。結局、スペイン王位は、ルイ
14世の孫フェリペ5世が継承することで、戦争は終着をみたが、此の時、スペインと
フランスが敗けて、1714年のラシュタット条約では、スペイン領であった南ネーデルラ
ント(旧オランダ)、ミラノ、サルデーニャなどを獲得して実利を得て、大国としての
地歩を固めるのである。このスペイン継承戦争でのハプスブルク家同士の身内の闘いは
、その後に身内の結束は無く、同じ様な身内が戦う事を示唆していた。更にこの条約に
イギリスが全く関わっていなかったのだ。この戦争ではフランスとスペインが実質的に
敗れたので、それまでスペイン=ハプスブルク家領であった南ネーデルラント・ミラノ
省11
122: 06/12(水)09:25 ID:zxbLDsqp+(3/18) AAS
  中立のリアル・・・・・・・34

 ナントはフランスの黒人奴隷貿易の拠点港で、商業も盛んであった。ブルジョワ階級
が一定の成長を遂げ、フランス革命が起きるとジャコバン派共和国政府の拠点都市とも
なった。1793年3月、南西部の農民のヴァンデーの反乱が起き、農奴軍はナント攻撃を
目標として進軍した。共和国の総督カリエが防衛するが、彼は非情で、反乱軍捕虜を、
集団で溺死させる。など残虐行為で反乱軍を撤退させ鎮圧した。この共和派の虐殺行為
が「ナントの虐殺」で、「ナントの王令廃止」を行った意図であった。自ら熱心な信者
でありカトリックの保護者と自認していたルイ14世は、「一国一宗派」にこだわった
。ナントの王令が廃止され、結果、数十万のプロテスタントが密かにフランスを逃れ、
イングランド、オランダあるいはプロイセン、スイスなどに亡命したのである。ユグノ
省15
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