弥生人イスラエル十支族説 (51レス)
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32(1): 08/02(金)10:34 ID:wlFOenOq(3/3) AAS
>>21
始皇帝が漢民族じゃなかったという説は、根拠が薄く、歴史学者の間では一般的な見解ではありません。秦王朝は漢民族の国家であり、始皇帝も漢民族の一員であるというのが定説です。
33: 08/02(金)15:06 ID:B/zQUQvM(1/2) AAS
ヘブライ語は、2世紀頃には口語としては死語となっていたそうだ。
文語のヘブライ語は祭祀や学者など少数の者が使用していたとされている。
そうすると、日本におけるヘブライ語の渡来は2世紀以前に限定されることになり、それ以後にはヘブライ語話者の渡来は考えにくいことになる。
10支族がアッシリアによって滅亡離散したのは前722年のこととされている。
その10支族の一派が日本にまでやってきたとすれば、だいたい弥生前期前葉頃を考えるのがよい。
この時期は、水田稲作の板付遺跡で稲作が活発に行われていた頃に当たる。
なお、その200年後頃にユダ族のバビロン捕囚が解除され、レビ族の支派のアテル氏族のかなりの人数の行方が分からなくなり、カナンに帰還したアテル氏族はごく少数だったとされている。
このアテル氏族の一派も日本にまでやって来ていたとした場合も、彼らはまだヘブライ語を話していたようなので、この時期の日本へのヘブライ語の渡来も想定可能である。
いずれにしても、日本にまでイスラエルの離散者がやって来る状況というのは、その現地での離散が相当な規模であった場合となるのではないか。
そうした規模の離散が起こったのは、上の二つの事件のときと考えるのがよいだろう。
省2
34: 08/02(金)18:10 ID:Nb5KeX+u(1) AAS
距離が遠すぎる
途中で脱落したグループがそこに定住した痕跡とかはないのか
なぜユダヤ教の信仰を捨てたのか、旧約聖書の物語を残さなかったのか
35(1): 08/02(金)20:27 ID:B/zQUQvM(2/2) AAS
中央アジアでは、ユダヤ教徒がごく普通に見られる。
10支族のような離散や交易に関係する者たちのようだ。
その東端は、交易の十字路のアルタイ山脈付近だ。
日本までは、それほど遠くない。
しかも、日本まで交易路は続いているのだから、それをつたってやってくるのはそう困難ではないだろう。
ユダヤ教が成立するのは、バビロン捕囚のあとユダヤ人がカナンに帰還してからのこと。
それ以前には、ユダヤ教はなかったのだから、10支族の場合はユダヤ教とは無関係とすべき。
なので、10支族の場合は、棄教ということは考えなくてもよいだろう。
36: 08/03(土)10:41 ID:U0DMs5nx(1) AAS
>>35
ブハラ・ユダヤ人(南端がパキスタン)
じゃあ距離は問題ない、ここから日本に渡って来ても全然不思議じゃないってことか
十支族と別の経歴でインドの「コーチン・ユダヤ人」ってのもいるのか
人間の移動力をなめてたかもしれない…
37: 08/04(日)06:15 ID:s3glVgMW(1) AAS
>>32
親父が漢民族じゃねえだろ
38: 08/05(月)00:28 ID:XM/JB0xR(1/5) AAS
ブラジリアンタウン
39: 08/05(月)00:28 ID:XM/JB0xR(2/5) AAS
アメラジアン
40: 08/05(月)00:29 ID:XM/JB0xR(3/5) AAS
GIベビー
41: 08/05(月)00:29 ID:XM/JB0xR(4/5) AAS
アイヌ
アイヌ人
アイヌ民族
42: 08/05(月)00:30 ID:XM/JB0xR(5/5) AAS
縄文人
弥生人
古墳人
渡来人
日本人
43: 08/09(金)02:13 ID:HlP7Cw6u(1) AAS
今のタリム盆地あたりは、中央アジアの交易路の一大要衝だったそうだ。
10支族もそのあたりまでくれば、日本列島の情報は入手できたのかもね。
実際、アルタイ山脈のパジリク遺跡の壁掛け絨毯には、日本の勾玉が描かれている。
半島を経た交易でアルタイまで勾玉が運ばれていたということになる。
そうなると、当然、半島から海を渡ったところに島があり、そこからお宝はやって来ると知られていたはず。
10支族もそのような情報を得て、「よっしゃ、行ったろかい」となったのとちゃうかな。
44: 警備員[Lv.20] 08/09(金)20:15 ID:aSSHDcEp(1) AAS
ほ
45: 08/10(土)15:13 ID:0Hu9KeqV(1) AAS
琉球民族
琉球人
46: 08/10(土)22:28 ID:hlwEZgR3(1) AAS
秦氏の先祖の弓月君もタリム盆地のホータン出身とみられているが、日本にやって来たのはやはり交易の関係で半島の向こうには宝を生む島があると知っていたからだろうね。
単に流浪してやっとこさ日本にたどり着いたのではないということ。
ちゃんと計画的にやって来た。
47: 08/13(火)01:25 ID:Mf1S3caZ(1) AAS
欧米系島民
48: 08/17(土)13:23 ID:h5Ff1rOG(1/3) AAS
オホーツク文化人
オホーツク人
49: 08/17(土)13:23 ID:h5Ff1rOG(2/3) AAS
港川人
50: 08/17(土)21:32 ID:h5Ff1rOG(3/3) AAS
キーロー人(オーストラリア)
キーロー人
51: 08/26(月)11:01 ID:YRqPrxO3(1) AAS
シルクロードの果て、黄金の国ジパングを目指して
中央アジアの要衝、タリム盆地。この地は古来より、東西交易路が交差し、数々の文明が栄えた歴史的な舞台である。シルクロードを往来する商人たちは、この地で貴重な品々を交換し、遠く離れた異国の文化に触れてきた。
その交易路を辿る人々の中に、イスラエルの失われた10支族の姿があったのではないか。彼らが中央アジアに到達した頃には、すでに日本の存在、そしてその豊かな自然と文化に関する情報が伝わっていたと考えられる。
パジリク遺跡出土の壁掛け絨毯に描かれた勾玉は、そのことを裏付ける決定的な証拠の一つであろう。アルタイ山脈の地にまで、日本の象徴的な宝飾品が運ばれていたということは、日本への交易路がすでに確立されていたことを示唆している。
シルクロードを旅する商人たちは、半島を経由して海を渡れば、黄金の国ジパングと呼ばれる島々があると伝え聞いていたはずだ。その島々には、想像を絶するほどの богатство(ボガツストヴォ、ロシア語で「富」)が隠されていると信じられていたに違いない。
省1
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