[過去ログ] 「いわゆる日本国憲法」は完全に無効だ。 (947レス)
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419: 2005/12/18(日)00:06 ID:CpF8Xh9F(1/8) AAS
>(○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G

逃げずにがんがれ。
420
(1): 言論ブルドーザー 2005/12/18(日)00:32 ID:pmh5u2QE(1/2) AAS
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#66】
改憲は法理論上不可能です。ok
421: 2005/12/18(日)00:37 ID:o83UuOFn(1) AAS
そうだね、判決でも法の遡及効について完全に無視した判決がで
てるぐらいだしね。
422: 2005/12/18(日)00:51 ID:GqpRXrGB(1/38) AAS
>>420

無効論者の私は、今回の貴殿の意見に100パーセント賛同致します。wwwwwww

でも、みんなにわかりやすいように、
いいかえてくれませんか?
このように、

【産経文化人妄言解毒対策レス#1】
改憲は無効な憲法を土台には不可能ですよok!!!!
423: (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)01:43 ID:bTIUT49G(1/3) AAS
>ポツダム宣言では、「軍隊の無条件降伏」と「日本政府による保障」しか要求されとらん。
ウソは逝けねえな。

ポツダム宣言


 このような新秩序が建設され、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証があるまでは、連合国の指定する
日本国領域内の諸地点は、われらがここに指示する基本的目的の達成を確保するため、占領される。


 われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようとする意図を有するものではないが、
われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間に
おける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに
省14
424
(1): 2005/12/18(日)02:09 ID:GqpRXrGB(2/38) AAS
だから?
なにをいいたいの?

貴殿から私に対する話の始まりは、

>時の政府が天皇の発布によって施行し、国会承認も受けたとゆ〜手続きからすれば
正式な憲法として認識されて当然。<

と貴殿が書くから、それは形式の話で実質はどこにも日本人の意思がなく意思ゼロだったから、
憲法として無効であると私が述べたのである。
そうすると、

>その意見は残念ながらポツダム宣言受け入れを日本が決定した段階で
主権委譲を決定しているので合理性がないわな。<
省8
425: 2005/12/18(日)02:11 ID:GqpRXrGB(3/38) AAS
 次に「民主主義的傾向の復活強化」の民主主義の意味についてです。
「民主主義」という言葉は大別して2つの意味で用いられます。

 一つは、主権(国家意思の源泉)が何人に存するかという観点にたって国民主権と同義に用いられる。
他は政治が国民の民意尊重の政治形式をとる場合に用いられるから

1、主権の所在(国民主権)
2、民意尊重の政治形式

 この2つに大別されますが、ポツダム宣言での意味がこのどちらかといえば、そのあとにつづく「復活強化」
という文言と文意が整合するのは2の方となり、以前に存在していた「民意尊重の政治形式の復活強化」を
要求しているものと解釈されます。
 他の一方の1との結合である「国民主権の復活強化」という解釈は我国の経験した過去の事実との整合
省6
426
(1): 2005/12/18(日)02:14 ID:GqpRXrGB(4/38) AAS
 又、ポツダム宣言を当時受諾した以降の人々の解釈はどのようなものであったのでしょうか。

 美濃部博士が当時朝日新聞紙上に<憲法を改正しなくてもポツダム宣言の要求する民主主義の実現
は可能である>と述べ(10月20日〜22日)次のように述べていたのです。

「私は、所謂「憲法の民主主義化」を実現するためには、形式的な憲法の条文の改正は必ずしも絶対の
必要ではなく、現在の憲法の条文の下においても・・・・・法令の改正及びその運用により、これを実現す
ることが十分可能であることを信ずるもので・・・・今日の逼迫せる非常事態の下に於いて、急速にこれを
実行せんとすることは、徒に混乱を生ずるのみで、適切な結果を得る所以ではなく・・・・憲法の改正はこ
れを避けることを切望して止まないのである。」

 また若手委員の宮沢教授も、同様の意見を「毎日新聞」に<明治憲法は民主主義と矛盾するものでは
ないと主張>しそれを発表していた。(10月19日)
省2
427
(1): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)02:26 ID:bTIUT49G(2/3) AAS
>>424
>それは形式の話で実質はどこにも日本人の意思がなく意思ゼロだったから、
>憲法として無効であると私が述べたのである。
日本人の意志がないのなら制定までの過程をどのよ〜に理解するんだ?
しかも日本はその後朝鮮戦争時、国軍を持ちアメリカ側に参戦させるべく憲法改正を迫るのを
当時の首相だった吉田茂が明確に拒否している。
そうすると、

>そして、今回の記述がその理由らしい。まったく持論の補強になってないし
それで充分だろ。日本はポツダム宣言受諾により主権を放棄し占領軍に委ねたのは事実。

>「復活」は以前存在していたものが再びよみがえることです。
省3
428
(1): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)02:30 ID:bTIUT49G(3/3) AAS
>>426
美濃部は元々が国家主権説だから、そうした認識であるのは当たり前。
宮澤はオマイが否定した八月革命説を唱えた張本人じゃんw
429: 2005/12/18(日)02:37 ID:GqpRXrGB(5/38) AAS
>>427

これなら、放置できそうだな。アッホー。

>時の政府が天皇の発布によって施行し、国会承認も受けたとゆ〜手続きからすれば
正式な憲法として認識されて当然。<

と「認識」と書いているが、これは「逃げ」だろ?
はやく、憲法有効論を述べろよ・・・・このつづき。
はやくはやく、時間がタップリあったのによーーwwww

まわりの人間にわかるように1回でかいてみせてよ。
そしたらカワイイよ。
430: 2005/12/18(日)02:44 ID:CpF8Xh9F(2/8) AAS
>(○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G
「憲法有効論」頼むよーーーーー
431
(1): 2005/12/18(日)03:02 ID:GqpRXrGB(6/38) AAS
>>428

昭和20年の10月には宮沢氏はこういってたんだよ。

それよりのち、半年ほどしてから昭和21年4月前後だっけ?一夜にして変節したんだよ。
そうそう昭和21年の4月頃革命説を発表されたので、その前は、すなわちポツダム宣言の受諾から
相当長い間、帝国憲法改正不要論を一生懸命述べておられたのです。
おそらく革命が起きたなどと当時は本人も夢にも思っておられなかったのでしょう。wwww

これ、大事だからおぼえとけよ。
432
(1): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)11:15 ID:A3YFCv93(1/10) AAS
>>431
宮澤の説を支持してる憲法学者は現在は少数だし主流ではねえよな。
433: 2005/12/18(日)11:23 ID:CpF8Xh9F(3/8) AAS
>(○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G

「憲法有効論」どーーーーーぞ。
434: 2005/12/18(日)11:47 ID:8h84xn1t(1) AAS
いつものようにウヨクとサヨクによる罵り合いで改憲論議は下火になるんだろうけど。
まあバカ者同志で勝手に続けちゃってくださいな。

但し仮想世界でねwwww
435: 2005/12/18(日)11:50 ID:CpF8Xh9F(4/8) AAS
「改正か!護憲か!」ってこいつらどっちも護憲じゃねーか
今まで護憲しやがってボケ。
436
(5): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)12:30 ID:A3YFCv93(2/10) AAS
日本国憲法の制定には、国の外からと内からの双方の力が働いている。 
外からの力とは、日本の敗戦により、「ポツダム宣言」を実施するために必要な措置をとる連合国最高司令官のもとで、
大日本帝国憲法(明治憲法)の変革が求められるようになったことである。内からの力とは、戦時中、軍部の行った
政治支配によって、敗戦当時、もはや戦前の議会制度をたんに修復させるだけでは、国民の期待する「民主主義」を
実現することができないまでに、明治憲法体制は深く傷ついていたことである。 

日本政府はポツダム宣言の受諾にあたり、大日本帝国憲法(明治憲法)上の天皇の地位に変更を加えないこと、
すなわち「国体護持」を条件にすることを求めた。しかしポツダム宣言は、「平和的傾向を有する責任ある政府の樹立」、
「民主主義的傾向の復活強化」、「基本的人権の尊重の確立」などを要求しており、これらを受け入れることは、必然的に
明治憲法の根本的な改革に道を開くこととなっていく。

この終戦直後の短い期間、政府においては法制局と外務省が、いち早く憲法問題に気づき、その検討を始めていた。
省10
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(4): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)12:33 ID:A3YFCv93(3/10) AAS
1945(昭和20)年10月にはじめられた内大臣府による憲法調査は、近衛文麿の戦争責任、内大臣府による調査の
憲法上の疑義などから、内外の世論の反発をまねいた。11月1日に、マッカーサーは近衛の憲法調査には関知しない
旨を発表したが、近衛らはそのまま調査を続けた。
11月22日、近衛は「帝国憲法ノ改正ニ関シ考査シテ得タル結果ノ要綱」を天皇に奉答、同月24日、佐々木惣一もまた
独自に「帝国憲法改正ノ必要」(日付は11月23日)を奉答した。佐々木案が奉答された24日、内大臣府は廃止された。
戦犯逮捕命令が発せられた近衛は、出頭を目前にした12月16日未明に服毒自殺をとげた。

一方、幣原内閣の憲法問題調査委員会(松本委員会)においては、当初、調査研究を主眼とし、憲法改正を目的としない
としていたものの、やがて「内外の情勢はまことに切実」との認識から、改正を視野に入れた調査へと転換を余儀なくされ、
顧問・各委員が改正私案を作成した。松本委員長は、1945年12月8日、帝国議会における答弁のかたちで「松本四原則」
として知られる憲法改正の基本方針を明らかにした。
省7
438
(4): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)12:37 ID:A3YFCv93(4/10) AAS
3月6日の「憲法改正草案要綱」発表とこれに対するマッカーサーの支持声明は、米国政府にとって寝耳に水であった。
同要綱は、「日本政府案」として発表されたものだが、GHQが深く関与したことが明白であったため、日本の憲法改正に
関する権限を有する極東委員会を強く刺激することとなった。マッカーサーと極東委員会の板挟みとなった国務省は、
憲法はその施行前に極東委員会に提出されると弁明せざるをえなかった。

極東委員会はマッカーサーに対し、「日本国民が憲法草案について考える時間がほとんどない」という理由で、4月10日に
予定された総選挙の延期を求め、さらに憲法改正問題について協議するためGHQから係官を派遣するよう要請した。
しかしマッカーサーはこれらの要求を拒否し、極東委員会の介入を極力排除しようとした。

1946(昭和21)年4月17日、「憲法改正草案」は、枢密院に諮詢された。しかし、4月22日に幣原内閣が総辞職し、
5月22日に吉田内閣が成立したため、先例にしたがって草案はいったん撤回され、5月27日にそれまでの審査結果に基づく
修正を加えて再び諮詢されることとなった。6月8日、「憲法改正草案」は、枢密院本会議において美濃部達吉顧問官を
省8
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