【晩年】大江健三郎 8【様式】 (700レス)
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349: 2024/04/22(月)16:25 ID:0n7QjSpo(1) AAS
明治政府が作ったアマテラスを皇祖とする現人神の天皇像が三島で、それを脱構築した折口信夫のシャーマンとしての天皇像が大江

脱構築wwwwwwwww
未だに脱構築wwwww
350: 2024/04/22(月)23:16 ID:IzZ55L9+(1) AAS
世の中全員脱構築しとるもんな
犯罪者を讃えたりなw
351
(1): 2024/04/23(火)11:59 ID:/z7wXzgs(1) AAS
全然違う、戦後、天皇が「人間宣言」したことに対して反発したのが三島で、天皇を改めて明治以前のものに戻して構築し直そうとしたのが折口信夫
安藤の評論は、三島の「英霊の声」と大江の「セブンティーン」「政治少年死す」の比較で、大江に折口の影響があるのを分析したものである
大江の中にある天皇像を、「セブンティーン」「政治少年死す」の主人公の天皇像として描いてるのであって、左翼の立場から批判的に書いた小説ではないということだ
352: 2024/04/24(水)19:31 ID:/o4KU8oU(1) AAS
>>351
スタンドバイミー的な少年時の甘い心の対象として
天皇があったという大江の嫌味が入った分析
何だろうけれど
果たしてそれは事実なんだろうか?
三島由紀夫の金閣寺は事実とは違うとよく言われるもの
だけれど。
353: 2024/04/24(水)21:24 ID:HeeGRTIS(1) AAS
事実かそうじゃないかはどうでもいいんでしょ
机上の空論が精密でさえあれば

大江にもそんなところがあったから
燃えあがるや取り替え子は残念な仕上がりになってる
354
(1): 2024/04/25(木)10:38 ID:xukiiJCe(1) AAS
読売新聞で、仏文学者で東大教授の郷原佳以がこの本を書評している (2024.4.14)

「著者はデビュー以来、折口信夫について論じ続けてきた批評家である。
2014年の大著『折口信夫』のなかで著者は、「大嘗祭の本義」を始めとする折口の天皇論をこうまとめている。
「近代的な天皇制を、前近代的であるとともに超近代的でもある〈野生の天皇制〉へと解体し、再構築してしまうこと。
すなわち、天皇を『脱構築』してしまうこと」。
そしてこの構想は、フレイザーの『金枝篇』やモースの「呪術論」など、霊的な力を探求する民族学の視点に拠っていると指摘した。
(中略)
しかし、問題提起において圧倒的なのは間違いなく、大江健三郎と三島由紀夫をめぐる冒頭の2章、および、大江と村上春樹をめぐる終章である。
著者は、一見対照的に思われる三島と大江の天皇感の以外な関係性を暴き出す。
「政治少年死す」における右翼少年の「純粋天皇」崇拝は、単に切り捨てるべき愚行として描かれたのではなく、大江自身が取り憑かれていた想念だった。
省7
355: 2024/04/25(木)11:32 ID:wD7LtKaQ(1/2) AAS
>>354
要するに昔の柄谷がやったようなことを別の切り口で反復してるだけってこと?書評がクソすぎてどうしようもない
356: 2024/04/25(木)16:07 ID:Yvr/N++A(1) AAS
>「近代的な天皇制を、前近代的であるとともに超近代的でもある〈野生の天皇制〉へと解体し、再構築してしまうこと。
すなわち、天皇を『脱構築』してしまうこと」。

↑笑止千万。「天皇制を脱構築」って具体的に何よ?
意味不明の文章を書き連ねて、それが「説得的」とはねw
357: 2024/04/25(木)23:27 ID:wD7LtKaQ(2/2) AAS
概念で遊んでいるだけでしょう
ニューアカの頃と何も変わらん
もう皆騙されないだけでw
358: 2024/04/26(金)11:33 ID:nkdFiDsc(1/4) AAS
安藤礼二とは何者か
2009年の第3回大江健三郎賞の受賞者である
大江健三郎賞は、その年に「文学の言葉」で書かれた作品の中から、大江自身が一人で選考して勝手に受賞者を決める
受賞者にとってはまさに晴天の霹靂だが、賞金はない代わりに英独仏語のどれかに翻訳するプロジェクトが始動する
折口信夫の代表作「死者の書」を分析した安藤の受賞作「光の曼荼羅 日本文学論」は、「死者の書」と共に英訳されて2017年に出版された
一般の文学賞は、受賞者とその名前を冠した作家はもちろんのこと選考委員との間にも関係は生まれないが、この賞は両者の間に交流が生まれる
大江は、安藤から贈られた英訳の「死者の書」を、「いただいた朝から読み始め、その流麗さに一日中、ベッドから起き上がらないというふうだった」とお礼の手紙に書いている
359: 2024/04/26(金)11:36 ID:nkdFiDsc(2/4) AAS
では、大江にとって折口信夫はどういう存在なのか
大江のトレードマークの丸メガネは折口に憧れて真似したものだと講演で語っている
折口信夫全集が出たときは最初の購入者になったという
折口の影響が直接出てる作品は「万延元年のフットボール」(1967年)である

「ここで蜜三郎が妻に説明している祝祭、この「念仏踊り」こそが『万延元年のフットボール』全体を貫く通奏低音になる。
「ふるさと」に生起するさまざまな出来事、過去と現在、そしておそらくは未来までをも含めたさまざまな出来事は
「念仏踊り」のなかに取り入れられ、それが繰り返されるたびに活性化され、「ふるさと」の新たな歴史として産み落とされる。
そうした祝祭の在り方を、大江は、この一節中に固有名が明記されている通り、折口信夫がその生涯の最後に残した、ある意味では折口の遺言ということも可能な長編論考「民族史観における他界観念」にもとづいて再構築しているのである。
つまり『万延元年のフットボール』に描き出された「ふるさと」とは、現実の「ふるさと」に、テクストの解釈によって導き出された仮構の「ふるさと」が重なり合うことによって形づくられたものだった。
テクストの創造的な反復こそが「ふるさと」を生起させていくのである。
省5
360: 2024/04/26(金)11:36 ID:nkdFiDsc(3/4) AAS
 京都の皇典講究所と東京の皇典講究所(國學院大學)、「神憑り」から生まれた教派神道各派と密接な関係を持っていた研究団体「神風会」への熱狂的な参加等々、
出口王仁三郎による「神憑り」の実践と折口信夫による「神憑り」の研究は、その背景においても理論においても、きわめて深く共振するものであった。
三島由紀夫が出口王仁三郎を選んだとしたなら、大江健三郎は折口信夫を選んだのである。
『万延元年のフットボール』の源泉である折口信夫の「民族史観における他界概念」、そのものずばり「念仏踊り」と題された節は、こうはじまっている。
「村を離れた墓地なる山などから群行して、新盆の家或は部落の大家の庭に姿を顕す。道を降りながら行ふ念仏踊りは、縦隊で行進する。
家に入ると、庭で円陣を作って踊ることが多い。迎えられて座敷に上ることもあり、屋敷を廻って踊ることもあり、座敷ぼめ・厩ぼめなどもする。」
大江は、『万延元年のフットボール』のなかで、ここに描き出された「念仏踊り」をそのまま再現し、物語の最後、「ふるさと」に隠されていた秘密をあらわにすることで自ら命を絶たなければならなかった鷹四の「御霊」を慰撫するであろう。
つまり大江健三郎は、折口信夫が最後に到達した地点に立つことによって、自らの現実の「ふるさと」を脱構築することをはじめたのだ。」
(「死者たちへの捧げもの」P.60-62)
361
(1): 2024/04/26(金)11:38 ID:nkdFiDsc(4/4) AAS
大江健三郎が、あるいは折口信夫がよみがえらせようとした「御霊」とは、このようなものであった。荒ぶる霊魂の、未開の荒野に立つ。
そのことによってはじめて、靖国と天皇に体現された近代的な施設であるとともに人、極東の列島に育まれた宗教と文化にとっては突発的で特殊な制度であり機能であったものが根底から解消される。
「英霊」を「御霊」に戻し、天皇を「霊魂」の操作者に戻す。
折口にとって列島の原初の神とは人格をもつ神、人間的な神ではなかった。荒ぶる「御霊」のような非人格的な神、霊魂としての神であった。
天皇は、そのような霊魂としての神を自らの身体に憑依させるのである。
アマテラスではなく、アマテラスという「かたち」が与えられる以前の非定形で不定形の、つまりは明確な「かたち」をもたないことによって逆に内部に無限の変化可能性を秘めた「たま」としての神を。
折口は、そのような神を、本居宣長、平田篤胤と続く「国学」の伝統に従って『古事記』の冒頭にあらわれる神、「産霊」(ムスビ)とした。
無限の霊魂をそのなかから産出し、森羅万象あらゆるものに生命を賦与する根源神、自然そのもののもつ荒ぶる破壊する力と生成する穏やかな力をあわせもった神。
そのなかから、あらゆる「かたち」を生み出す神。アマテラスは「産霊」から生み出された一つの「かたち」に過ぎなかった。
アジア・太平洋戦争終結後の折口は、こう宣言する。
省2
362: 2024/04/27(土)21:30 ID:DAMklrYb(1) AAS
>>361
もののけ姫かよ。

宮崎駿も左翼だが
「もののけ姫」も反天皇のためのフラグであったとしたら
笑えるな。
363: 2024/04/29(月)08:27 ID:EV6cBIAq(1) AAS

364
(1): 2024/04/29(月)12:09 ID:85tLFGwJ(1) AAS
三島と大江の違いで重要なのは、東京出身と田舎の村出身というところである
左翼の人間でよくいたのが、戦前の軍国教育を批判し、戦後の反天皇・反君が代・反日の丸の日教組教育を正当化するために、自分は軍国少年だったと声高に言う連中である
子供の頃は、国家の教育のため軍国少年になったが、戦後は改心して平和主義の民主主義者になったと主張する、軽薄な人間である
大江は、こういう連中と違い、子供の頃の軍国少年であったことを、自分自身の中にある内なる天皇を晩年の作品「水死」に至るまで問い続けた
都会の子供にとっての天皇は、国家による教育で教え込まれるものに過ぎないが、田舎の子供にとっての天皇は、共同体の年中行事などの神事と係わり合いがあり、
憲法が変わり、国家による教育が変わったからといって、簡単に消えてしまうものではない
大江が、折口信夫の民俗学、古代学をたよりに生まれ育った村の共同体と天皇を生涯問い続けたのはそのためであろう
一方、都会育ちの三島は、国家神道の天皇にこだわり続けるしかなかった
365: 2024/04/30(火)12:47 ID:VtkeetCQ(1) AAS
age
366: 2024/05/01(水)23:06 ID:kkPB96b6(1) AAS
>>364
問題時大江の戯言など
もう記憶しておく価値などないだろう。
367: 2024/05/02(木)10:40 ID:cf1/LAQI(1) AAS
そもそも大江は社会正義を盾にして
戦後民主主義者に転向したやつを軽蔑している
368: 2024/05/03(金)13:18 ID:fjVGotnI(1/3) AAS
(359-361の続き)
 王仁三郎は、壮絶な「神憑り」の最中、お筆先として過激な「神の言」を撒き散らし続ける出口なおと出逢い、すぐさまなおに帰依し、
なおを「神主」、自らを「審神者」とする「鎮魂帰神法」を、理論においても実践においても、確立していったのである。
最大の力をもった「神主」こそが最大の力をもった天皇なのである。
アマテラスが憑依した天皇は、その度ごとに、文字通りアマテラスそのものとなる。
大本的な「鎮魂帰神法」にもとづいて小説「英霊の声」を書き上げた三島由紀夫は、続いて評論「文化防衛論」において、伊勢神宮とアマテラスを論じることになる。
三島は、そこで、こう宣言する。
日本文化の大きな特質の一つは、本来的に「オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」ところにある。
その端的な例は、伊勢神宮で二十年に一度行われている式年造営と、そこに祀られているアマテラスと天皇の関係に見出すことが可能だ。
伊勢神宮は内宮と外宮の二つの神域からなる。
省11
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