[過去ログ] なぜ教育現場は治外法権が成立しているのか 2 (433レス)
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160: 2016/04/16(土)11:04 ID:oN/6vrEy(1/17) AAS
>>98からの記事や>>104からの記事とは真逆の記事
2016年03月22日 19:36
褒めまくってやる気引き出す「ビリギャル」坪田先生 「なんで怒って委縮させてんの? バカじゃないの?」
外部リンク:blogos.com
勉強も仕事も、要は「やる気」である。そんな根本的なことを改めて思い起こさせてくれたのは、3月14日の「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ系)に出演した坪田塾の塾長・坪田信貴先生だ。
坪田先生といえば、映画化され話題となった「ビリギャル」の生みの親。学年ビリの女子生徒を並々ならぬ熱意で育て上げ、慶應大学に現役合格させたことで一躍有名になった通称「ビリギャル先生」である。(文:みゆくらけん)
映画の影響で塾生の15%を「学年ビリ経験者」が占める
省8
161: 2016/04/16(土)11:05 ID:oN/6vrEy(2/17) AAS
見るからにやる気のない子にも「素晴らしいですよ」
それは、新しく入塾を希望する生徒とその親との面談での一幕だった――。「僕をテレビで見たことはありますか?」と聞く坪田先生に、生徒のK君(12歳)は「ない」と即答。その後に続く「本を読んだりは?」「映画を見たことは?」の質問も、
先生が最後まで言い終わらぬうちに即座に「ない」。
何を聞いても「ない、ない、ない!」と子どもに斬り落とされ、これが常人なら思わず目眩がして心が折れそうになってしまうところであるが、坪田先生は違った。
「あぁいいですねー! フラットな感じが、とてもいいです」
マジか先生……。こうして「やる気のなさ」確認をされた後、入塾したK君。「書けなかった漢字を数える」という作業中にも集中力は感じられず、「面倒くさいなァ。帰ってゲームがしたいなァ」感が全面に出ている。
もう、臭ってきそうな心の声だ。なのに坪田先生は、そこでも褒める。
「(数を数えるという)単純作業って、辛いんですよね人間って。その中でちょっと違うところを見てみたり、俺を見てみたり、無意識のうちに何かしら工夫しているのがすごい面白い。素晴らしいですよ」
「相手の力を発揮させる環境を作るのが、上司の仕事」
こんなこと言われちゃうと、不機嫌だったK君は、もうなんだか困ったようにデレっと照れてしまう。坪田先生は言う。
省5
162: 2016/04/16(土)11:07 ID:oN/6vrEy(3/17) AAS
「やればできる」という言葉を使わない理由
ちなみに、坪田塾では、生徒に接するときに決して使わない言葉があるという。それは「やればできる」という言葉だ。
「『やればできる』という言葉は、子どもを無気力にしてしまう。『やればできる』っていうのは、できるんだったらやりましょうってこと。正しくは『やれば伸びる』。 できるかどうかではなく、成長するかどうか!」
実は、「ビリギャル」の話には賛否両論の意見がある。否定派の意見の主な声は、「ビリギャルは実はお嬢様学校に通っている生徒で、一時的に偏差値が落ちていたのをとり戻しただけのハナシ」といったもので、
ビリギャル自体が坪田塾のプロモーションだったのではないかとする見方だ。
しかし、事実はどうあれ、坪田先生が引き出した「やる気」によってしか、あのドラマは生まれなかっただろう。人は、やる気になることが大事だ。「やる気になれば、不可能はないのかもしれない、自分も頑張れるかもしれない」。
多くの人にそう感じさせ、夢を与えたのは事実といえるのではないだろうか。
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163: 2016/04/16(土)11:12 ID:oN/6vrEy(4/17) AAS
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省4
164: 2016/04/16(土)11:24 ID:oN/6vrEy(5/17) AAS
「さかのぼって処分することは困難」少女誘拐「卒業取り消し」問題で揺れる千葉大
弁護士ドットコム 3月29日(火)14時59分配信
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
約2年間行方不明になっていた埼玉県朝霞市の女子中学生が保護された事件で、未成年者誘拐の疑いで身柄を確保された容疑者の男性が通っていた千葉大学が「卒業取り消し」の検討を始めると記者会見で表明したことが波紋を広げている。
弁護士ドットコムニュースが3月29日、千葉大学に問い合わせたところ、広報担当者が「(誘拐事件が起きた約2年前まで)さかのぼって処分することは困難という見方に傾いている」と語った。
3月28日の記者会見で、大学側は今回の事態を受けて、約2年前までさかのぼって、停学などの処分を適用する可能性があるとの見解を示していた。以降の出席が無効となり、在学期間が不足するため、卒業要件を満たせなくなるという考え方だ。
この見解をめぐって、ネット上などでは「さかのぼって適用ができるのか」「学業とは別の話だ」などの指摘があった。弁護士ドットコムニュースが電話取材したところ、千葉大の広報担当者は、会見で表明した方針とは異なる状況になっていることを説明した。
165: 2016/04/16(土)11:24 ID:oN/6vrEy(6/17) AAS
●「法律的に難しい」との厳しい意見が出た
「会見の後、本当にさかのぼって適用できるのか、内部で議論になりました。結論から言うと、現在は『さかのぼっての適用は困難』という見方に傾いています。法学の教授らから『法律的に難しい』という厳しい意見があったためです。対応を慎重に検討しなおしています」
現在、千葉大では、3月23日に卒業した男性が、4月になるまでは同大の学生と言えるのかどうかを調査しているそうだ。
「取り消しを前提にしているわけではありませんが、卒業しても3月の末日まで、大学になんらかの効力があるのではないかと考えられるためです」
さらに、取り消しの根拠についても、「容疑者がまだ逮捕されておらず、大学が当事者から話も聞いていないのに、何をもって、(処分を)一方的に決めるのか、という部分もあります。多角的に検討して、なるべく早めに方針を決めたいと考えています」と語った。
省11
166: 2016/04/16(土)11:45 ID:oN/6vrEy(7/17) AAS
<窃盗容疑>万引きGメンが勤務中に…客のかばんから財布 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
>「かばんの口が開き、財布が見えていた。そんな無防備な人は困らせてやろうと思った」と供述しているという。
おにぎり万引き「生活苦しかった」校長逮捕
日本テレビ系(NNN) 4月12日(火)21時5分配信
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
文章中にはないが、映像だとアナウンサー「店員が警察に通報する旨を伝えた所、校長は土下座して謝った」ってあるが、土下座しても警察は呼ぶのか。まあ当たり前か。
法務事務官がおにぎり万引 千葉法務局、停職処分に
千葉日報オンライン 4月9日(土)11時54分配信
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
167: 2016/04/16(土)12:10 ID:oN/6vrEy(8/17) AAS
「やさしさ」が導く“一発レッド社会”――ベッキー、宮崎議員、ショーンK、“謝罪”の背景にある日本社会
松谷創一郎 | ライター、リサーチャー 2016年4月7日 5時30分配信
外部リンク:bylines.news.yahoo.co.jp
パターン化する謝罪術
パターン化する謝罪術
今年に入って目立つのは、ズバリ“謝罪”です。ベッキーさん、宮崎謙介議員、そしてショーンKさん等々――毎月数人の謝罪が報道されている印象があります。このとき毎度気になるのは、いったい誰に対して何を謝っているのだろうか、ということです。
彼らに本気で怒っているひとよりも、ゴシップを楽しんでいるひとが大多数なのでなおさらそう思います。
それでも、この3者のなかでももっとも謝罪に成功したのは、やはりショーンKさんでしょう。ラジオでの涙声の謝罪は、多くのひとの同情を誘いました。もちろんショーンさんの場合は、そもそも視聴者の被害者意識が強くなかったことも関係しているのでしょうが。
対して大失敗だったのは、ベッキーさんです。謝罪後に、会見前日のLINEやりとりが流出してしまい反感を買ってしまいました。不倫相手のLINEが不正にアクセスされたことのほうがずっと問題であるにもかかわらず、そのことは吹っ飛んでしまいました。
省3
168: 2016/04/16(土)12:12 ID:oN/6vrEy(9/17) AAS
千葉大がそこまでビクつくのは、日本が“炎上”だらけの怖い社会になってしまったからです。なにかしくじったら、深々と謝罪をし、長期の低迷を余儀なくされます。しかしそれ以上に怖ろしいのは、
謝罪しないことで炎上がネットで際限なく拡大し、再起不能の大ダメージ――一発レッドカードを喰らうことです。謝罪とは、その判定をイエローカードに留めるためのものなのです。
いまや日本は、完全に“一発レッド社会”の恐怖に包まれています――。
謝罪とはなにか
謝罪が目立つ背景には、日本社会の複数の特徴が見え隠れします。“炎上”がネットで頻繁に見られることはもちろんのこと、企業などではコンプライアンスの浸透もあるでしょう。さらに、土下座や切腹、はたまたヤクザの指詰めなど、
謝罪における過度に自罰的な文化もあります。
それにしても、こうした謝罪とはいったい何なのでしょうか?
大渕憲一『謝罪の研究――釈明の心理とはたらき』(2010年/東北大学出版会)大渕憲一『謝罪の研究――釈明の心理とはたらき』(2010年/東北大学出版会)
社会心理学者の大渕憲一さんによる『謝罪の研究』(2010年)は、その書名どおり謝罪を考えるうえで参考となる一冊です。そこでは、さまざまな実験結果をもとに、謝罪の中核的な要素がふたつあると論じられています。ひとつが「私が悪かったです」といった「責任受容」、
もうひとつが「申し訳なく思っています」といった「改悛表明」です。これらに加えて、被害者へのいたわりや赦しを請うことなどの要素を盛り込めば、さらに謝罪は効果的になると述べられています。
169: 2016/04/16(土)12:13 ID:oN/6vrEy(10/17) AAS
ただ、当人が実はそれほど悪くない場合もあります。たとえば偶発的な事象に巻き込まれた場合や、誤解が生じてしまった場合がそうです。そこでの謝罪は、弁解・正当化・否認などともに4タイプの「釈明」のひとつに分類されます。
この本でとくに興味深い点は、この「釈明」における日本とアメリカとの比較です。ここでは、被害者側の反応に明確な文化的差異が見られました。日本では、謝罪が正当化の2.5倍ほど支持される傾向にありますが、
アメリカでは正当化のほうが謝罪の1.3倍ほど評価されます。
もちろんこれらの反応はケースにもよりますが、大渕さんはこの背景に自己主張を肯定的に捉えるアメリカと、そうではない日本との違いを読み取ります。
なるほどそれは納得できます。大して悪くもないのに(あるいは誤解であるにもかかわらず)ひたすら謝罪する日本人を見ると、アメリカ人にはその場をただやり過ごそうとするポリシーのない人物だと見なされるのかもしれません。
思考停止を招く「やさしさ」
『謝罪の研究』は、謝罪をめぐる心理的メカニズムを知るにはとても良いテキストです。ただ、そこで考えてしまうのは、やはり謝罪があふれる日本社会の様相です。アメリカとは異なり、さほど悪くなくても誰もが深々と頭を下げてばかりです。
そのことによって、問題の究明から離れてしまうことにも繋がることもあります。
省4
170: 2016/04/16(土)12:14 ID:oN/6vrEy(11/17) AAS
「自分の子どもが殺されても、そんなことが言えるのか!」
私もこの言葉を投げかけられたことが幾度かありますが、その発言者の多くは普通のひとびとです。成人を迎えたばかりの若者、子を持つ親、孫のいるお年寄り等々、どこにでもいる善良そうな方々です。
そのひとたちが、被害者側に同情しながら感情をむき出しにしてそう言ってくるのです。
しかし、この言葉にはふたつの問題が隠されています。
森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』
ひとつは、映画監督の森達也さんが著書『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(2013年/ダイヤモンド社)でも指摘したように、「加害者の人権」と「被害者の人権」が対立する概念だと捉えられていることです。
同じ人間である以上、加害者も被害者も同じ人権であることは当然です。
もうひとつは、自分の子どもが加害者になることの想像力が完全に欠落していることです。彼らの想像力は極めて限定的で、エスパーかのごとく被害者の気持ちだけを代弁します。子どもを持つ以上、自分の子どもが加害者になる可能性もゼロでないにもかかわらず。
省1
171: 2016/04/16(土)12:16 ID:oN/6vrEy(12/17) AAS
「ほんとはこわい『やさしさ社会』」
「やさしさ」は、日本社会において暴力的な言動を正当化する大義にもなります。ネットで起きる炎上事件も、その根底には渦巻くのが「やさしさ」であるケースは珍しくありません。
たとえばこうしたケースがありました。
瑕疵のある言動をしたAさんに対し、激怒したBさんが本人に直接強い批判を投げつけました。その対立は、Bさんと仲の良いCさんの参戦によって炎が大きくなり、さらにAさんをかねてから敵視する多くの第三者によって炎上状態に突入しました。
その結果、AさんはBさんに対して「死んでお詫びしたい」と述べるほどの謝罪をします。これを聞いて、BさんやCさんはもとより大勢のひとびとはさらに激怒し、吊し上げの度合いも進みました。
なかには、Aさんを「命を人質にして脅迫するな!」と断じたひとまでいます。これは、Bさんに対する思いやりの裏返しです。被害者への「やさしさ」が、加害者への無制限の糾弾を正当化しているのです。
省5
172: 2016/04/16(土)12:17 ID:oN/6vrEy(13/17) AAS
(※1)。
内集団には優しいのに、外集団には冷たいことは、日本社会の特徴としてむかしから指摘されてきたことでした。社会学者・宮台真司さんの「仲間以外はみな風景」とは、この状況を一言で表した言葉です。森真一さんはこの内集団と外集団の格差――「思いやりの落差」が、
「やさしさルール」の厳格化により年々拡大しているのではないか、と論じます。
たとえば、先進国のほとんどで廃止されつつある死刑制度が、日本では存置されているだけでなく80%を超える高い支持をされるのも、「やさしさ」と無関係ではないのでしょう。被害者への「やさしさ」が、加害者に対する死刑(合法的殺人)を正当化しているのです。
チャールズ・チャップリンは、連続殺人犯を描いた1947年の映画『殺人狂時代』の最後で、自身が演ずる主人公にこう言わせて死刑台に向かいました。
「ひとり殺せば悪党で、100万人だと英雄です。数が殺人を神聖にする」
省1
173: 2016/04/16(土)12:18 ID:oN/6vrEy(14/17) AAS
「やさしさ」を大義とした暴力
“一発レッド社会”も、まさにこの「やさしさルール」によって構築されたものです。個々人の感情が理性よりも優先される社会では、誰かの気持ちを傷つければ、それは強い糾弾対象となります。
一回のケアレスミスが、命取りになるのです。原発管理なみの自己コントロールの檻に誰もが囚われている社会です。
先の例において、Aさんの「死んでお詫びしたい」という謝罪は、(自覚的かどうかはさておき)「やさしさルール」が支配する“一発レッド社会”のネタばらしでもありました。
B・Cさん、及びそれに追従して糾弾するひとたちがそれによってさらに激怒したのは、“炎上”行為に加担していることを第三者にわかりやすく開陳させられたからです。
そしてこの衝突は、幸せになった当事者がだれひとりとしていない結果に落ち着きました。Aさんが大きなダメージを喰らったのはもちろんですが、苛烈な糾弾を繰り広げたB・Cさんとその追従者も、
それを見ているサイレントマジョリティからは「面倒くさい集団」として認識されました。これは野球で言うところの完全な“バカゲーム”となったのです(※2)。
この一件が、生産的な議論として機能することは簡単でした。B・Cさんが冷静な態度でAさんの瑕疵を指摘すれば良かっただけです。さらに感情だけで猛進してくる追従者をたしなめることや、
あるいは追従者を生まないように公然の場でやらないという選択もあったでしょう。
省1
174: 2016/04/16(土)12:19 ID:oN/6vrEy(15/17) AAS
減点法社会に積まれた死屍累々
“一発レッド社会”の真の恐怖は、こうしたネット社会を介した“炎上”の積み重ねによって成立しています。そこでは、ちょっとしたミスが命取りになります。ミスによって生じた小さな傷口を、集団が思いっきり開いて再起不能にするのが“一発レッド社会”です。
なかには、意図的にミスを見つけて炎上させる存在もいるでしょう。
こうしたとき炎上に加担するほとんどのひとは、自分たちが被害者になることを想定していません。彼らは、決して自分がミスをしない自信があるわけでもありません。そもそもミスをしない人間はこの世にいないからです。
多くのひとは「やさしさ」を大義に、あるいは鬱憤晴らしとして炎上に加担します。
日々どこかのだれかに向かって、ひとびとはブーメランを投げ放っています。
結果、いま日本の空には、多くのブーメランが飛び交っています。誰が投げたともわからないブーメランが後頭部に突き刺さることは、誰にとっても起こりうるのです。そこでできることは、とにかくブーメランにぶつからないように匍匐前進すること以外にありません。
加点はできず、減点を回避することこそが最重要課題になっています。
つまり“一発レッド社会”とは、誰かが幸せになれる社会ではありません。誰もが不幸にならないように神経質になっている社会です。プラスになることは難しく、
誰もがマイナスを回避することで精一杯です。そこには、すでに引きずり下ろされたひとびとの死屍累々が折り重なっています。
175: 2016/04/16(土)12:19 ID:oN/6vrEy(16/17) AAS
そんな“一発レッド社会”でギスギスしているひとたちに対し、「もっとやさしくしよう」と言っても空振りに終わります。なぜなら、ここまで見てきたように、「やさしさ」こそがこの絶望的な社会を作ってきたからです。
多くのひとは、自分自身の「やさしさ」に過大な自信を持っています。その「やさしさ」が怖ろしいまでの集団暴力に変転し、自分に突きつけられる可能性があることも知らずに。
誰にとっても危険なこうした社会をどうやって改善すべきか――それは本当に難題です。どんな言葉を投げかけても空振りしますし、逆にその言葉を投げかけたひとが今度は攻撃対象になる可能性もあります。
ただこの記事のような分析こそが、ソリューションの道を拓くのではないかと私は考えています。なぜならここまで書いてきたことは、“一発レッド社会”のネタばらしだからです。もしかしたらそれは、
遠く離れた場所から冷静に状況を分析した態度として忌み嫌われるかもしれません
。炎上が蔓延る社会の澱んだ空気をいっさい読んでいないからです。しかし、「やさしさ」を大義に無自覚なまま“一発レッド社会”を推進させることには、やはり参与できません。
それは先の例のAさんだけでなく、BさんとCさん、さらにはそれに追従した多くの人々、さらには圧倒的なボリュームのサイレントマジョリティのためにも。
誰もが幸せになれる社会は、実現することはできないでしょう。しかし、誰もが不幸になることを怯える社会からは、そろそろ違う方向に舵を切ることはできるはずです。個々人が「やさしさ」を濫用さえしなければ――。
176(1): 2016/04/16(土)12:20 ID:oN/6vrEy(17/17) AAS
※1……「やさしさ」については、これまでさまざまな見地から考えられてきた概念でした。たとえば、栗原彬の『やさしさのゆくえ――現代青年論』(1981年)や『やさしさの存在証明――若者と制度のインターフェイス』(1989年)、
精神科医・大平健の『やさしさの精神病理』(1995年)などがあります。
※2……野球における“バカゲーム”とは、投手陣の乱調やエラーの多発によって両チームが大量の得点と失点をする締まりのない試合のことを指します。
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・元少年A『絶歌』が刺激した日本の“空気”(上)──日本社会に必要なのは「感情」ではない(2015年6月)
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