[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part108 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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16: 2016/03/14(月)11:25 AAS
運営の苗字って西日本ルーツばかりなんだよな2ちゃんって
そう、渡来人が住む西日本ね
西村
画像リンク[gif]:myozi.web.fc2.com
藤井
画像リンク[gif]:myozi.web.fc2.com
中尾
画像リンク[gif]:myozi.web.fc2.com
縄文時代の人口分布
画像リンク[gif]:web.joumon.jp.net
19: 2016/03/14(月)12:56 AAS
■ 纒向遺跡では、6年前からその中枢部に位置する居舘域の再調査が始められた。そして、3世紀
前半の建物跡がつぎつぎに見つかり、卑弥呼の王宮跡か祭殿跡ではないかとマスコミは盛んに騒ぎ立
ててきた。しかし、その出土遺構について、関川氏は以下のような興味深い指摘をされた。
■ 先ず、卑弥呼の王宮・祭殿と見なすには、場所がふさわしくない、と指摘される。数棟の掘立柱
建物は2つの川の流れに挟まれた幅100mに満たないような場所に立地している。これらの建物は
東西方向に軸線を揃えて建てられていることが話題になっているが、2本の川筋に挟まれて南北方向
の幅が狭いため、やむなく東西方向に並べて建てたにすぎないと言われる。
■ しかも、この場所は祭殿のような神聖な建物を建てるには適していないと指摘される。当時の川
筋はしっかりとした護岸工事がされている訳ではないので、洪水にでもなれば川は流路を変えて建物
などを押し流してしまう。そのような可能性のある場所に神聖な祭殿を建てたとは思えない。
省5
24: 2016/03/14(月)13:09 AAS
>>20
>ところが、近年になって箸墓古墳の築造時期が4世紀半ばから1世紀も早まり3世紀半ばとする学説が一般化してきた。元凶は炭素14年代法の導入である。
>土器に付着している炭化物などの年代を炭素14濃度で測定する技術が1990年代に開発された。
この主張がサギな証拠
画像リンク[gif]:yamatai.cside.com
間違った年代の修正はもっと前から
41(1): 2016/03/14(月)14:11 AAS
奈良の大和三山は、平田篤胤らが勝手に決めた偽物です。
本物の大和三山は、福岡県田川郡香春町の香春岳です。
金・銀・銅・鉄が採れる大和三山は、ここしかありません。
画像リンク[jpg]:www.yado.co.jp
57: 2016/03/14(月)15:09 AAS
みんな大好き混一疆理歴代国都之図
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
97: 2016/03/14(月)16:57 AAS
中国の史書「魏志倭人伝」が記す伊都いと国の王都とされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、
国内最古級の硯すずりの破片(弥生時代中期後半〜後期=紀元前1世紀〜紀元後2世紀)が出土
した。朝鮮半島にあった中国の出先機関・楽浪郡らくろうぐんから日本に渡来した使節が、筆で
文字を書くために使用したものとみられ、わが国の文字文化受け入れの起源を考えるうえで重要
な手がかりとなる。
倭人伝は伊都国について、「往来する郡使が常に駐在する所」と記し、「(伊都国の)港で贈答
する文書や品物の検査を行う」と、文字の使用を示唆する記述もある。市教委は、今回の硯は倭人
伝の記述を裏付けるものと評価している。
読売新聞 2016年03月02日
外部リンク[html]:www.yomiuri.co.jp
省2
212: 2016/03/14(月)20:04 AAS
264 名前:名無しさん@1周年 [sage] :2016/03/08(火) 21:06:41.38 ID:ZyQq6p3M0
隋書倭国伝の記事は、前半が古の倭国について、後半が倭国と名乗るが「怪しい」大和朝廷について書かれて
いる。
その古の倭国の記事に、阿蘇山が出てくる。
>有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。
阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
外部リンク[htm]:members3.jcom.home.ne.jp
恐れられた阿蘇の火の支配所こそが、邪馬台国の火巫女だ。
中国の使節は、阿蘇の火を見た。
省7
377(3): 2016/03/15(火)14:34 AAS
5倍誇張説の場合の計算結果と推定場所
帯方郡の場所
画像リンク[png]:upload.wikimedia.org
帯方郡黄海北道鳳山郡説より、帯方郡側の海州を起点とする。
帯方郡から狗邪韓国まで、乍南乍東7000余里 7000里/5=1400里*435m=609km 海州―釜山広域市 650km
狗邪韓国から松浦まで3000里 3000里/5=600里*435m=261km 釜山広域市−唐津 210km
松浦から伊都国南東500里 500里/5=100里*435m=43.5km 唐津―小城 38.3km
東南100里の奴国まで 100里/5=20里*435m=8.7km 小城―佐賀 10.1km
東100里の不弥国までの道 100里/5=20里*435m=8.7km 佐賀―大川 9.5km
南水行20日の投馬国まで 20日/5=4日*30里=120里*435m=52.2km 大川―玉名 47q
省11
459: 2016/03/15(火)16:06 AAS
中国の史書「魏志倭人伝」が記す伊都いと国の王都とされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、
国内最古級の硯すずりの破片(弥生時代中期後半〜後期=紀元前1世紀〜紀元後2世紀)が出土
した。朝鮮半島にあった中国の出先機関・楽浪郡らくろうぐんから日本に渡来した使節が、筆で
文字を書くために使用したものとみられ、わが国の文字文化受け入れの起源を考えるうえで重要
な手がかりとなる。
倭人伝は伊都国について、「往来する郡使が常に駐在する所」と記し、「(伊都国の)港で贈答
する文書や品物の検査を行う」と、文字の使用を示唆する記述もある。市教委は、今回の硯は倭人
伝の記述を裏付けるものと評価している。
読売新聞 2016年03月02日
外部リンク[html]:www.yomiuri.co.jp
省14
558(1): 2016/03/15(火)19:39 AAS
■ 纒向遺跡では、6年前からその中枢部に位置する居舘域の再調査が始められた。そして、3世紀
前半の建物跡がつぎつぎに見つかり、卑弥呼の王宮跡か祭殿跡ではないかとマスコミは盛んに騒ぎ立
ててきた。しかし、その出土遺構について、関川氏は以下のような興味深い指摘をされた。
■ 先ず、卑弥呼の王宮・祭殿と見なすには、場所がふさわしくない、と指摘される。数棟の掘立柱
建物は2つの川の流れに挟まれた幅100mに満たないような場所に立地している。これらの建物は
東西方向に軸線を揃えて建てられていることが話題になっているが、2本の川筋に挟まれて南北方向
の幅が狭いため、やむなく東西方向に並べて建てたにすぎないと言われる。
■ しかも、この場所は祭殿のような神聖な建物を建てるには適していないと指摘される。当時の川
筋はしっかりとした護岸工事がされている訳ではないので、洪水にでもなれば川は流路を変えて建物
などを押し流してしまう。そのような可能性のある場所に神聖な祭殿を建てたとは思えない。
省5
684(4): 2016/03/16(水)04:38 AAS
できた
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
これが陳寿が頭の中で勝手にイメージした日本列島の形だ
会稽の東に持っていくために九州は巨大化し、
魏略でいうところの四国も同様に拡大するが豊予海峡の幅は「千余里」を維持する
邪馬台国=大和であるため、瀬戸内海が巨大九州へ埋め込まれる
10日の水行はもちろん、陸続きの一つの島であるため一月かけて陸行も可能
省6
700: 2016/03/16(水)08:12 AAS
529 名前:名無しさん@1周年 [sage] :2016/03/09(水) 18:42:13.54 ID:yeKjoxp20
>>513
うずま川舟運で使われてた川の上流域はこれだな。
画像リンク[jpg]:img.4travel.jp
御笠川を源流までポタリングした人のブログ
外部リンク[html]:blog.livedoor.jp
画像リンク[jpg]:livedoor.blogimg.jp
「源流はこの先の宝満山にありそうです」
水が貯えられてる松川貯水池
画像リンク[jpg]:www.cforce.co.jp
省3
742(1): 2016/03/16(水)14:00 AAS
本土を離れた遠方について、中国人の地理感覚は
明の時代でさえこんなもんである
東南海夷図
画像リンク[jpg]:www.geocities.jp
三世紀に正確な地理情報が有ったという前提で思いつく邪馬台国位置論など
ナンセンスそのものである
823: 2016/03/16(水)16:37 AAS
■ 纒向遺跡では、6年前からその中枢部に位置する居舘域の再調査が始められた。そして、3世紀
前半の建物跡がつぎつぎに見つかり、卑弥呼の王宮跡か祭殿跡ではないかとマスコミは盛んに騒ぎ立
ててきた。しかし、その出土遺構について、関川氏は以下のような興味深い指摘をされた。
■ 先ず、卑弥呼の王宮・祭殿と見なすには、場所がふさわしくない、と指摘される。数棟の掘立柱
建物は2つの川の流れに挟まれた幅100mに満たないような場所に立地している。これらの建物は
東西方向に軸線を揃えて建てられていることが話題になっているが、2本の川筋に挟まれて南北方向
の幅が狭いため、やむなく東西方向に並べて建てたにすぎないと言われる。
■ しかも、この場所は祭殿のような神聖な建物を建てるには適していないと指摘される。当時の川
筋はしっかりとした護岸工事がされている訳ではないので、洪水にでもなれば川は流路を変えて建物
などを押し流してしまう。そのような可能性のある場所に神聖な祭殿を建てたとは思えない。
省5
938: 2016/03/16(水)18:51 AAS
■ 纒向遺跡では、6年前からその中枢部に位置する居舘域の再調査が始められた。そして、3世紀
前半の建物跡がつぎつぎに見つかり、卑弥呼の王宮跡か祭殿跡ではないかとマスコミは盛んに騒ぎ立
ててきた。しかし、その出土遺構について、関川氏は以下のような興味深い指摘をされた。
■ 先ず、卑弥呼の王宮・祭殿と見なすには、場所がふさわしくない、と指摘される。数棟の掘立柱
建物は2つの川の流れに挟まれた幅100mに満たないような場所に立地している。これらの建物は
東西方向に軸線を揃えて建てられていることが話題になっているが、2本の川筋に挟まれて南北方向
の幅が狭いため、やむなく東西方向に並べて建てたにすぎないと言われる。
■ しかも、この場所は祭殿のような神聖な建物を建てるには適していないと指摘される。当時の川
筋はしっかりとした護岸工事がされている訳ではないので、洪水にでもなれば川は流路を変えて建物
などを押し流してしまう。そのような可能性のある場所に神聖な祭殿を建てたとは思えない。
省5
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