[過去ログ] 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
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334(1): 2021/02/15(月)03:13 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
省8
335(1): 2021/02/19(金)00:22 AAS
>>334
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw
336: 2021/02/19(金)01:16 AAS
>>323
沼河ヒメと八千矛神が結ばれた一節を受けた、
その次の何気ない一節も、非常に多くの情報を含んでいますね。
須勢理ヒメが嫉妬します。
大国主は、「出雲から倭國に上ろう」として、
片手は馬の鞍に、片足は鐙に踏み入れながら、
須勢理ヒメのご機嫌を取る歌を詠みます。
須勢理ヒメを若草に例えていますね。
須勢理ヒメの返歌も、
自らを若草に例え、淡雪の若い胸を、など例の艶めかしい表現を使っています。
省4
337: 2021/02/19(金)01:57 AAS
全て、伊都説ならば、の仮定の話ですが、
一つには、出雲から倭国へ行くのに、馬で移動しています。
魏志によると倭国に馬はいませんが、
海を隔てた朝鮮半島には馬がいる、と書かれているわけですから、
倭国に馬は常在していない、ということであって、
交易などで不定期に馬を入手してはいたわけですね。
奈良時代の貴族が庭で孔雀を飼っていたのよりは楽に入手できた筈です。
鐙は、
移動時の両鐙だと世界史的にもまだ登場したかどうか微妙ですが、
馬に乗りこむ時の片鐙なら存在しうるかと思われます。
省9
338: 2021/02/19(金)01:58 AAS
一つに、
古代出雲は、倭国とは別国家だった、ということもわかります。
邪馬台国九州説者にあっても多くが、宗像周辺が邪馬台国ではないのでは、と指摘していますし、
考古学的にも、石器など、流通する物品に、独自のものが見られます。
文献では、過去スレで触れましたが、
後の豊玉ヒメも、山幸彦を見て、「自分たちの王」よりも尊いと言っており、
少なくともその時代まで、
倭国と、いわゆる豊国は、別国家だった。
しかしながら、東征将軍スサノオの基地を受け入れた豊国は、
倭国に従属する立場だった、
省1
339(1): 2021/02/19(金)01:59 AAS
一つに、
弥生時代に、
古代出雲=宗像周辺から、倭国=伊都を首都とする北部九州国家へ、
馬で移動する、
というのは距離としても妥当ですね。
同じ陸路を、イザナギも辿っていますね。
>>112
古代出雲の東端から、奴国の板付遺跡まで、ということになります。
手漕ぎ船が時速5〜9km
走れば時速10km以上
省12
340: 2021/02/19(金)02:00 AAS
一つに、
大国主が須勢理ヒメを若草に例え、
女性の須勢理ヒメ自身も自分を若草そして淡雪の若い胸と表現していることから、
須勢理ヒメはまだ若い。
弥生時代であれば、20代前半はまず超えないであろう、ということになります。
341(2): 2021/02/19(金)02:03 AAS
奴国の御曹司の末弟が、
保護された先の、宗像の伊都国王族東征将軍の娘と懇ろになって、
伊都国王族東征将軍の軍を使って、奴国を制圧した。
奴国を制圧したので、中広形銅矛を生産できるようになり、
中広形銅矛将軍として、銅剣銅矛戦争を戦った。
その末期に、土井ヶ浜遺跡の女性指導者を口説いた。
戦争が集結して、荒神谷遺跡で降伏調印式をして、奴国王になった。
その頃に、伊都国王族東征将軍の娘が、まだ20代前半かそれより若い。
伊都国王族東征将軍の娘が10代後半よりは年上の時期に出会って、
銅剣銅矛戦争が終了した時に、まだ20代前半かそれより若い。
省4
342: 2021/02/19(金)06:54 AAS
☓サルマトイ
〇サルマタイ
343(1): 2021/02/20(土)01:05 AAS
>>335
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
省8
344: 2021/02/20(土)01:06 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
省12
345(1): 2021/02/20(土)01:06 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。
常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。
外部リンク:i.imgur.com
346: 2021/02/20(土)01:07 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)
∧_,,∧
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
省5
347(1): 2021/02/20(土)01:07 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
外部リンク:ja.wikipedia.org
江戸時代より以前の史料にはない呼称。
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
外部リンク:i.imgur.com
348(1): 2021/02/20(土)01:07 AAS
AA省
349(1): 2021/02/20(土)01:07 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白
五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう
五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。
にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している
省5
350(1): 2021/02/20(土)01:08 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている
351(1): 2021/02/20(土)01:08 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。
声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>◯のような連投が糸島朝鮮式声闘。
議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。
古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。
省4
352: 2021/02/20(土)01:08 AAS
AA省
353: 2021/02/20(土)01:08 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ
"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
2chスレ:history
"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
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何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ
中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
省10
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