[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part973 (1002レス)
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70: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:09 AAS
◆FAQ 86
Q:卑弥呼冢は「冢」とあるのだから高墳であるのだ!
  日本の古墳は平坦で、高くない!
  卑弥呼の冢は古墳ではないのだ!

A:秦始皇陵が冢であることはFAQ84に述べたとおりである。
  驪山陵墳丘の側面傾斜角は、急峻さに於いて日本の古墳と大差ない。
画像リンク[png]:i.imgur.com
画像リンク[png]:i.imgur.com

◆FAQ 87
Q:魏皇帝の制詔に「鄭重賜汝好物也」とある!
省8
71: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:09 AAS
◆FAQ 88
Q:箸墓を見て前方部の径だけを記録するのは不可解だ!

A:箸中山古墳が築造過程で円丘と基壇部のみの前方部から成っていた時期があることはFAQ 23に既述である。
 中国人が建設途上の箸中山古墳を遠景から目視した場合、完成した陸橋部平坦面上から目視した場合、共に主体部の存する墳丘本体は円形と認識されるであろう。径百余歩という規模認識に不自然さは無い。

 また、中国に於ても陵寝制度下では円形墳丘の一角に方形の寝殿が付随する。鳥瞰すれば前方後円形の土地利用状況であり、中国人が前方後円墳の円丘のみを墳冢と認識することに不自然な要素は取立てて存しない。

 江戸時代の絵画に現れた箸中山古墳は5段段築の円墳として描写されており、後円部の段築描写が正確であるにも拘らず前方部が無い。
 参考:大和名所図会(寛政三年)『長者屋敷』
 画像リンク[png]:i.imgur.com
また河村秀根は書紀集解に「道右有圓形之丘、相伝曰箸墓」と記す。

 このように、後円部のみが墳冢と認識されることを不自然とする根拠は希薄である。
省16
72: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:10 AAS
◆FAQ 90
Q:倭人伝は短里で解釈するしかない!
  短里でかかれた報告を魏晋の中央が長里で解釈したため錯誤が生じたのだ!

A:中央政府が理解できない単位を用いて報告書を上げる朝臣はいない。
敢えて制式の度量衡を用いないのは帝力の否定であり、叛逆に類する行為であろう。
以下のとおり、魏の皇帝本人から陳寿同時代人まで皆な六尺一歩・三百歩一里の正常な単位を使用していることが明らかである。

「高祖・光武陵四面百歩、不得使民耕牧樵採」(魏書載明帝戊子詔)
「光武原陵 山方三百二十三步、高六丈六尺」(古今注具)
「在臨平亭之南,西望平陰,東南去雒陽十五里。
 明帝顕節陵,山方三百步、高八丈」(帝王世紀)
省15
73: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:11 AAS
◆FAQ 92
Q:『周髀算経』に一寸千里法が説明されている!
  周代に短里が実在したことは疑い得ない事実だ!

A:『周髀算経』の成立は後漢代初期まで遡らない。西晋代の偽作とする説にも一定の信憑性があり、短里実在説の根拠たり得ない。

 六尺表を用いない『淮南子】や成立年代不明の『周髀算経』を措くと、一寸千里法の初出は後漢末の鄭玄による『周礼』注であるが、数学的算出でも天文学的考察でもなく、古来知られている禹都陽城(地中)に於ける土圭長と王畿千里思想の融合に過ぎない。

『周髀算経』は漢書芸文志に記載なく、引用者も居らず、成立は後漢代初期まで遡らないとされる。一方で円周率に3を使う古拙さから後漢末までは下らないと考えられてきた。
しかし劉徽が263年時点で一寸千里に言及した際も「説曰」として鄭注等から引用するのみで『周髀算経』には触れていない。よって同書の成立年代は更に下る可能性がある。

 また『周髀算経』が記載する数値から計測地点の北緯を逆算すると、統一性がない。このことは同書が今日滅失した緯書など異なる出典から剽窃を繰り返したか、架空の測定数値を用いたかして成立していることを示す。
二十四節気の二至を除く景長、北極四游の南北、ならびに二十八宿周天歴度法については架空が確定している。
北極星の位置について計測地点が北緯37°以北にならざるを得ない異常値さを示している理由は、『尚書緯考靈曜』、『洛書甄曜度』などの緯書に現れた空想的宇宙観と整合性を取るための捏造数字であったためと推認できる。
省11
74: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:11 AAS
◆FAQ 94
Q:北部九州と畿内に政治的関係があったなど認められない!
  畿内式土器が出るのは単なる交易の結果だ!

A:那珂・比恵遺跡群は弥生中期以来古墳前期中頃まで大規模な集落として存続しており、晩くともIB期後期頃より倭人伝に登場する三大国の一角である奴国の政治的中枢部として機能していたと考えられている。(久住2000など)
ここに畿内との密接な政治的関係の痕跡が認められる。

 IB期に庄内系(庄内2〜3)が受容されて筑前型庄内甕が成立し、IIA期には在来系が激減。布留0式の影響下で北部九州型布留甕が成立したと考えられ(久住1999)、畿内系主体の遺跡となっている。
IB期新相には纏向石塚(纏向型)と箸中山古墳(定型)の中間的平面形状を呈する那珂八幡古墳が、九州最大の墳丘として、これまで在来系の地域に突然築造される。
画像リンク[png]:i.imgur.com
画像リンク[png]:i.imgur.com
第二主体からは三角縁神獣鏡が出土する。
省10
75: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:12 AAS
◆FAQ 96
Q:「銅出徐州」というが銅山があるのは呉領だった徐州南部のみ!
  彭城銅山県は名ばかりの存在で漢書・後漢書に銅山のあった記録もない!

A:彭城銅山県(現・徐州市銅山区)は北宋の元豊年間に宝豊監が置かれ鋳銭が行われていた。宋銭「元豊通宝」の鉛同位体比は三角縁神獣鏡に酷似している。
のち廃坑となり地名のみが今に残る。
 これと別に、隣接する利国には鉄冶を主する監が置かれていた。

 呉の領有した徐州南部とはもと揚州の属であった広陵郡南端の極めて限られた地域のみで、徐州の殆どは魏領である。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで銅山があった記録がないことは彭城と同じである。

◆FAQ 97
Q:纒向は蛙を食う貧困な寒村だ!
省16
76: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:12 AAS
◆FAQ 99
Q:ホケノ山古墳の年代は古木効果の影響を受けない小枝資料の炭素年代によるべきだ!
  4世紀後半だ!

A:後代の混入物として除外する通説が正しい。
 墓室内に落下していた丸底坩と加飾壺は、他古墳での類例を鑑み、墳頂に囲繞配列されていた祭祀用土器と見るのが妥当と思われる。明らかに混入物である小枝資料は天井崩落時のコンタミであろう。
 ラジオカーボンによる暦年代の較正に当たっては古墳寒冷期に対応する炭素14濃度の乱高下を考慮する必要がある。3世紀末にかけて大幅な炭素14濃度の上昇が観察される。また4世紀後半にはラジオカーボンの崩壊速度に見合う濃度上昇があり、これが撹乱要因となって較正曲線によって絞り込める暦年代が拡散している。
 Intcal20から見た炭素14濃度は西暦270年頃をボトムとして大きく上昇しており、布留1古相のyBP値が新相のそれより高く出る実態と合致している。また、同時代資料と見られる小枝の確率密度分布ピークが一方は4世紀中葉後半、他方が4世紀末から5世紀初頭の値を示すことも、気候変動による撹乱要因が深刻であることを読み取れる。逆に270年頃のピークは両資料とも適切に合致しており、より信頼度が高い。ここから、天井崩落の時期を布留0末から布留1初頭と推察する。
 周濠底のS字甕Aの年代(庄内3)に属する多数の測定例と整合している。
画像リンク[png]:i.imgur.com

◆FAQ 100
省14
77: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:13 AAS
◆FAQ 101
Q:纒向の大型建物Dというのは東西二間しか見つかってないではないか!
  四間x四間に復元して大型大型というのはインチキだ!

A:「本来の建物規模は調査の状況や建築学的な検討から東西も4間であったと」
 と調査機関は公式発表している。

 事実、東西6・2m、南北19・2mはアンバランスに長大である。一般に偶数柱間の総柱建物は居館の系譜と考えられており、このような形態は異例であろう。
 建物Bと建物Cの間隔は建物Cの東西二間に等しく計画的に設計されている。
 建物Dで発見された柱列西端から建物Bまでの間隔は建物Dの東西四間に等しい。
 また建物Dと南柵列との間隔は建物Dの南北一間(束柱をカウントすれば南北二間)である。
 全体が規則的・計画的な配置であることを考慮すれば、総柱建物が正方形を志向する傾向も鑑み、建物CとDの間隔も建物Dの東西二間に等しく復元することは合理的である。つまり建物Dを東西四間、南北四間とした復元は合理的かつ妥当である。
省7
78: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/12/17(日)20:13 AAS
以上テンプレ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*前スレが終了してから書き込んでください。

なお、書き込みは
 邪馬台国畿内説に関係が有って
 根拠のある内容をお願いします。
 畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。

 前スレ終了以前及び本スレ立て作業中の書き込みは
 荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
省1
79
(1): 2023/12/17(日)20:28 AAS
大物主神の子孫を自称した者達の痕跡かもしれない遺蹟を発掘破壊し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と誤認したのと同時に、
明確な切り合い関係も確認できないスケッチを示すだけで、(ホウケイシュウコウボの)溝が、建物Dの(ハシラの)穴を破壊したのだ、と発表した者達が、いるのだが、撮影された風景写真の中の、最東のハシラ列の南から5番目の箇所の、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、
「発掘では発見できなかったが、「後世の削平面の上にあって確認出来なかったのだ。」と想像された、建物Dの(ハシラ)穴の底面を囲う、想像の線の一部」なのだろうか。
それとも、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線が、
「後世の削平面と発掘面の十数センチ程の間にあって、かろうじて確認出来た建物Dの(ハシラ)穴の底面の境界」だった可能性も、全く0ではないが、それならば、なぜ、発掘破壊面の白線が分割した両側に、段差すら残さず、発掘破壊してしまったのだろうか。
それとも、発掘破壊面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、調査報告のスケッチに、実在しない痕蹟を書き加えるための、つまり、有り体に言えば、捏造するための前工作だったのだろうか。

0082日本@名無史さん2023/09/04(月) 15:13:24.15
貴方は、この白線には根拠が無いと言おうとしているのか
その主張は謎の熱血青年の反発を招く
省1
80
(1): 2023/12/17(日)20:28 AAS
その疑惑の箇所とは別に、建物Dのハシラ群の最南列の東から2番目のハシラ穴の箇所は、発掘破壊直後に示されたスケッチでは、ハシラ穴だけが描かれていました。スケッチ(以下、「笑いリラックス図」と呼びます。)では、このハシラ穴(以下、ハシラ穴★南1東2)は、別のどのような穴や溝とも、切り合い関係どころか、接触も確認できません。
ところが、後日、その遺蹟の南側を、更に、発掘破壊し、調査し、ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と断定したことは、完全に、間違いだったことに、気付き、
また、ジグザグの溝の先に、桃の種等のゴミが捨てられた、祭祀の跡なのだと断定されてしまった、マツリの穴を、発見したのだが、その発掘破壊では、布留1式期の溝が、発見されました。
そして、布留1式期の溝が、マツリの穴やジグザグの溝やそれ以前に発見された建物Dのハシラ穴とともに、「笑いリラックス図」に繋げて、スケッチされました。
このスケッチを「疑惑のスケッチ」と名付けます。なぜならば、驚くべきことに、疑惑のスケッチでは、笑いリラックス図では確認できなかった、ハシラ穴★南1東2に重複する溝が、布留1式の溝の延長として、描かれているからです。

疑惑のスケッチ 画像リンク[png]:i.imgur.com
同空撮 画像リンク[png]:i.imgur.com

「笑いリラックス図」ならば、「巻向遺蹟第166次調査報告」という語句で、画像検索という物事を、実行すれば、獲得することが、出来ます。
81: 2023/12/17(日)20:28 AAS
成る程。ヤマタイコクキナイセツにとっては、致命的だね。
最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたにも関わらず、そのハシラ穴内の堆積土では、他の痕跡との切り合い関係が、発見できなかったのだから、
後日の調査で、ハシラ穴★南1東2と重複して存在していた事が確認された、布留1式の溝は、やはり、その堆積後に掘られた建物Dのハシラ穴★南1東2に、痕跡が破壊されたことになるな。
つまり、建物Dは、布留1式期以降の建物だったのだ。
頭が普通の者達ならば、ごく自然に断定できる、
【布留1式の溝を、ハシラ穴★南1東2が破壊した】という真実を、否定するためには、
コウテキキカンによる最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたときに、その、
【ハシラ穴内の堆積土に、地層が不連続となる明確な変化があり、発掘空間の側面からは連続していた他の痕跡との切り合い関係が、発見でき】ていて、
【白線の件で、スケッチの証拠能力の是非を指摘されているコウテキキカンによるスケッチではなく】、
その写真を示すしかないな。
省5
82: 2023/12/17(日)20:29 AAS
だが、現代の建築物でさえ、基礎は、庄内式期の地層に達するが、頭の出来映えが普通ならば、基礎が、庄内式期の地層に達していたからといって、庄内式期の建築物だとは、考えないよ。
そして、庄内期の整地層を発掘破壊した時に発見したハシラ穴を、庄内期に掘られた穴なのだ、とした(笑いリラックスされるべき)バイアスがあったので、先行していた遺物との切り合い関係の存在の可能性に気がつかず、発掘作業の撮影記録を怠っていた可能性は、あるな。
だが、ヤマタイコクキナイセツが想定する建物Dのためだという整地層は、ヤマタイコクキナイセツには、あまり、深く考えることが出来なかったのかもしれないが、ハシラ穴の平面プランや、宣伝してしまった建物の規模からの想定からは、深さ2メートルの土壇場になってしまうね。
だから、やはり、悪質な捏造ではなく、頭の出来映えが、あまり良くはない、ヤマタイコクキナイセツのリーダーが、部下には有無を言わせることなく、発表させてしまったのでは、ないのかな。
しかし、それにしても、不思議なのは、二度の調査の平面図を見比べれば、容易にバレてしまう、布留1式の溝と建物Dのハシラ穴★南1東2の切り合い関係の逆転の誤認の可能性に対して、なぜ、関係者や報道機関からは指摘がないのだろうか。
客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは方法論が、完全に異なり、主観的な意見が罷り通る文学部では、権威者に反対できないのだろうか。
つまりは、権威者が、ゴッドハンドを、擁護し続けていたときにもあったように、権威という💩のような物事に、文学部出身の者達は、体質的に、怯んでしまうのだろうか。
83: 2023/12/17(日)20:31 AAS
そして、疑惑は、まだ、あるぞ。これは、建物Bの北側の図だよ。

       西

口★口★口★口★口口口口口口口口口口
口口口口口口口口口口口口口口口口口口
口口口★★口口★口口口口口口口口口溝
口口口★★口口口口口口口口口口口溝溝
口口口口口口口★口口口口口口口溝溝口
口口口口口口口口口口口口口口溝溝口口
口建口★★口口★口口口口口溝溝口口口
口物口★★口口口口口口口溝溝口口口口
省12
84: 2023/12/17(日)20:31 AAS
報告された(推定ではなく、)状況が事実ならば、整地層が出現した時期は、整地土より上層の布留0式期=庄内3式期の可能性が、高いな。なぜならば、整地層に、主に庄内古式が含まれていたならば、整地土は、周辺の庄内古式の地層を掘り起こし運搬されたことになるからだ。
そして、整地層から、整地作業中に使用され混入した【割れていない庄内3式期の土器】が発見されても、全く、不自然ではないね。
つまり、サクレツFの北端のハシラ穴から発見された【割れていない庄内3式期の土器】は、実際には、発掘破壊時にハシラ穴の底を見逃し、さらに、発掘破壊で掘り下げられた整地土の中に、布留0式期の整地作業中に何らかの目的で使用され、埋もれていた土器だったのだ、というのは、ごく自然な意見だよ。
整地が庄内式期になされたとして、
使用される土器が布留1式や布留2式に入れ替わるまで、つまり、せいぜい半世紀程度の間で、人の活動痕のある、その地表面には、せいぜい数センチの厚さの堆積はあったかもしれないが、ヤマタイコクキナイセツは、発掘破壊調査で、布留式の地層があるかのように報告しているね。
だが、その布留1式期前後の地層の厚さを確認できる、記録写真は、残されては、いないのでは、ないのかな。
連続しながら重複していく他の活動痕があるにも拘わらず、建物や柵のハシラが整地時に立てられ、庄内式期中に抜き出されたと断定してしまったのは、やはり、ホウケイシュウコウボの誤認や建物Dのハシラと布留1式期の溝の切り合い関係の見逃しの件でもわかるように、色々な物事に対して、考えが至らず、早とちりする体質があるからではないのかな。
そして、そもそも、庄内式期は、馬力利用時代直前の4世紀だよ。
なぜならば、直後の布留1式期の地層から、5世紀の木製鐙が、発見されたからだ。
85: 2023/12/17(日)20:31 AAS
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった女王の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」も、
本当は、5世紀以降に、建てられた物体である可能性が、高いな。
86: 2023/12/17(日)20:34 AAS
馬鹿が、馬鹿な加筆を実行したな。
87: 2023/12/17(日)20:41 AAS
高々、5ちゃんねるのプロ固定だから、仕方ないよ。
88: 2023/12/17(日)21:18 AAS
「大宜都比売命」は「阿波」の神。
ならば、殺した「須佐之男命」も「阿波」の神。
「須佐之男命」の姉神「天照大御神」も阿波」の神。
どう転んでも、記紀神話の神々は「阿波」の神々である。 わははははは   @阿波
89: 2023/12/18(月)02:06 AAS
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