戦国時代の始まり?享徳の乱について (759レス)
1-

292: [age] 2024/05/08(水)10:20 AAS
>>291
> 長尾為景の頃の上杉顕定から見れば腰を抜かす展開に

>>21
293: 2024/05/08(水)14:57 AAS
上杉景勝家には畠山氏などもいて忠臣蔵関連メンバーが揃っている
294: 2024/05/09(木)11:27 AAS
>>284
続いただけでひどい失敗政権だったな
100年以上の戦乱を招いて今のソマリアのような失敗国家になった
295
(1): 2024/05/09(木)18:47 AAS
確かにひどい時代ではあるが民族が一つだけだから族滅まではいかない
また、非戦闘階級の損害も(大陸と比べて比較的)少なかった
城塞都市が無いことが証明となる
こうでないと天皇は今もいるかわからなかった
296: [age] 2024/05/11(土)21:47 AAS
>>295
色々と認識の順序が逆であるように思われる。
 
族滅に至らない理由こそが「天皇」なる共同幻想の存在にある。
この共同幻想は対立を超克したり止揚したりはしない。
対立そのものを只々曖昧に無化してしまう。
「こうでないと天皇は云々」ではなくて、
天皇が存在しなかったらこうはならなかったろうと推測される。

また戦国期の戦争に於いて原理的・制度的に「非戦闘階級」なるものは存在しないか、しても極めて特殊かつ稀少な集団に限られる。
小氷期の恒常的飢餓を真因とするこの時代の戦争、即ち「喰う為の戦争」は圧倒的多数の飢民にとって生命の危機であると同時に生命維持装置でもあった。
省1
297
(2): 2024/05/11(土)22:08 AAS
つまりそれだけ昔から「天皇教」という宗教が機能していたことになる
室町期には完全に文化になっていただろう
乱の当事者と非戦闘員については「ジェノサイド」が無いことが特徴となる
単一民族で言葉が通じるから主君が変わっても住民はそのままで良かった(国人が調整する必要があったにしても)住民を皆殺しにする必要が無かったのである

以上より単一民族国家の闘争時代は「比較的緩い」
298: [age] 2024/05/11(土)22:51 AAS
>>297
> 住民を皆殺しにする必要が無かった
 
たださえ生産活動が潰滅しかかっている時代にわざわざ生産力を減衰させる愚か者はいない。
むしろこの時代の権力体が必要としたのは生産の回復・維持、
即ち「住民を皆殺しに『しない必要があった』」。
 
>>270氏の指摘する如く新田開発は戦国期から行われていた。
一例として『北條所領役帳』所載の武蔵野地域の郷村群には正に享徳ノ乱の時期に草創されたものが多い。
この事実が戦国期とは何だったのかを暗示している。
省1
299: 2024/05/12(日)01:05 AAS
時期的に生産者が有利な時期なのでそういうことも言えよう
ヨーロッパではペストのせいで農業が壊滅し自作農が伸びたという話も聞く
私のは日本文化論的な切り口程度としてください
300: 2024/05/12(日)14:37 AAS
だが他の国と同様略奪と人さらいはあった
301: 2024/05/17(金)10:10 AAS
ただ、評判は伝わるからある程度の抑止力はあっただろうよ
バルバリア海賊の略奪と誘拐は宗教的な理由で正義の行為だったからな
302
(1): 2024/05/20(月)12:12 AAS
通史では割と生産力が上がったイメージ
骨皮道賢とかは傭兵と言えそうだし

農業生産力の向上や手工業の独立は市場を成立させ、都市や交通の要地とされる場所では市場が発達した。鎌倉時代の三斎市から月に6回定期的に開かれる六斎市など定期市や、都市部での見世棚をもった常設の店舗に、特定商品のみの卸売市場、卸売業を営む問屋も発生する。行商人は連雀商人と呼ばれた。平安時代あたりから公家や寺社を本所として販売の独占権や関税の免除などの特権を得る座と呼ばれる閉鎖的な商業独占体制は、成長する戦国大名によって自営営業を許す楽市・楽座によって廃止の方向へ向かう。
303: 2024/05/20(月)12:21 AAS
箱根の坂の司馬史観も記載してみよう
古い史観なので悪しからず
・足利氏→血筋により統治することを当然と思っている、徴税するだけの機関
・後北条氏→市民の市長として、司法律法行政を監督
304: 警備員[Lv.1][新芽] 2024/05/20(月)19:01 AAS
司馬史観つーか、昭和の左翼全盛期の頃は
戦国時代の研究がやりたきゃ史料の豊富な後北条氏でもやっとけ
つー風潮期に後北条氏研究だけが突出して先行していたが
足利や室町幕府のチマチマとした左翼史観による後付け論ばかりで
俯瞰研究なんか数えるほどしかなかった時代の話だわな
305
(1): 2024/05/20(月)21:09 AAS
>>302
いつの時代の認識だろうか。
自然科学の知見に基づく歴史考察が為されていなかった頃の議論に見える。

いずれ何かのコピペだと思うが、
その論者は「小氷期」をどう位置付けているのか。
気象災害年表、地震年表等を見ればこの時代の惨状は論を俟たない。

また「楽市・楽座」ばかり語られているが、
戦国大名が社会資源(戦争資源)の優先確保の為に官製ギルドを盛んに創設・活用していたこと、
即ち「戦時軍政機関」として統制経済への志向を持っていたことは無視しているのだろうか。
 
306: 2024/05/21(火)14:22 AAS
「享徳の乱」は、15世紀半ばの関東地方で起こった、室町幕府8代将軍・足利義政の時代を代表する戦乱です。1454年(享徳3年)から1482年(文明14年)までの約30年間、断続的に戦闘が続き、関東の秩序を大きく乱しました。

この戦乱は、単なる権力争いではありませんでした。鎌倉公方・足利成氏と関東管領・上杉憲忠の対立を皮切りに、多くの武将たちが巻き込まれ、複雑な人間ドラマが繰り広げられました。
307: 2024/05/21(火)15:01 AAS
>>305
昔の教科書がそんなんだったよ
最近はどうか分からないけど
308
(1): 警備員[Lv.4][新芽] 2024/05/21(火)17:28 AAS
>即ち「戦時軍政機関」として統制経済への志向を持っていたことは無視しているのだろうか。

全盛期の左翼ですらこんなぶっ飛んだ頭のイカレタ事は言わなかった希ガス
305は断片的な言葉を知っているだけで、俺がそういう言葉を知っているのだというアピールがしたいだけ
309
(1): 2024/05/21(火)18:23 AAS
まあ小氷期が農業生産性を上げる因果を持っているかもしれないし難しいところだ
二毛作もこの頃だろうし土一揆が政治権力に脅威を与えたり逆に利用されるのも農村の強化と言えるかもしれない
310: 2024/05/21(火)20:31 AAS
>>308
理解する知力が無いんなら無理して書き込むことはないぞ。
311: 2024/05/21(火)21:19 AAS
>>309
二毛作もあるが、
戦国時代と時を同じくして列島全域に普及した生産技術は「堆肥」と「水車」。
特に前者の効果は非常に大きかったと謂われる。
 
よく知られる如く硝石国産化はこの高温多湿の気候風土下で成功しなかったが、
途中まで製作工程が同じである堆肥はよく出来たようだ。
昭和後期まで実用され続けることになる寿命の長い技術だった。
 
1-
あと 448 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.007s