【日本史】GHQに焚書された書籍 (539レス)
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101(1): 09/20(金)07:32 AAS
p88(七)産業を興す
産業もまた将軍の奨励によって興った。当時珍重されていた朝鮮人参も輸入されていたし、砂糖なども支那から輸入されていた。吉宗はこの輸入を防ごうとするのに関して、人参の種を朝鮮から取り寄せて諸国に植えさせ、また諸方に薬園をつくらせて一般薬品の輸入をも防いだ。サトウキビの種は琉球から取り寄せ、支那人から製糖法を学ばせ、次第に砂糖の産額を増やし、寛政頃には氷砂糖も日本にできるようになっている。
凶年に備えようとするのに関してはサツマイモの栽培を奨励した。当時江戸の人青木昆陽は、もっぱら実用経済の学を修め、蕃藷考という書を著した。大岡忠相はこの書を読んで、昆陽を吉宗にすすめた。吉宗は昆陽を用い、サツマイモを薩摩から取り寄せて、小石川薬園(今の植物園)に作らせ、種芋を増やすのに昆陽の蕃藷考を使ってこれを諸国に配布した。やがて上総下総辺りにこれを作るものが多く、次第に全国に広まった。
またハゼノキ・竹の用途が広いのを見て、紀州からハゼノキの実を取り寄せ、吹上の庭に植え、後にこれを芝の御殿山・新堀などに植えて蝋を取った。竹笛はこれも紀州から取り寄せて逆井(サカキ)の渡の辺りに栽培した。
ことさらに米は経済の本になるのであったから水利を興し、新田を開くことをすすめ、上総東金の荒地、下総行徳の海岸、武州の多摩・高麗の両郡など、幕府の経営によって開発された地も甚だ多かった。このために米の産額は大いに増加した。元禄三年の調査では、二千五百七十八万石であったが、天保七年では三千四十三万石となっている。すなわち百四十年以上の間に四百六十万石以上の増加をしたわけである。人々は吉宗を称して米将軍といったのも理由があることであった。
諸藩もまた将軍の意を受けて、競って産業の奨励につとめ、各地の名産例えば上野・下野の織物、関東の生糸、紀州のみかん、薩摩の煙草、土佐の鰹節、これらは皆この頃に起源を有し、国豊にして民は太平を楽しんだ。
※蕃藷=サツマイモ
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