【日本史】GHQに焚書された書籍 (536レス)
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168: 09/28(土)07:55 AAS
最後のオランダ商館長クルティウスが日蘭修好通商条約を締結しオランダとの自由貿易が認められたその年、クルティウスは長崎奉行所と交渉して踏み絵も廃止している。
ハリスも信教の自由を重視した。
「1858年7月29日(安政5年6月19日)には,日米修好通商条約が調印されるに至った。キリスト教的には,この条約の第8条が重要である。すなわち,
「日本に在る亞米利加人自ら其の國の宗法を念し禮拜堂を居留場の内に置も障りなし
並に其建物を破壊し亞米利加人宗法を自ら念するを妨る事なし・・・・・
日本長崎役所に於て踏絵の仕來は既に廢せり
である。この第8条に対して,「幕府が何ら難色を示さず疑問ももたなかった」ことは,「聖公会会員のハリスにとって非常な驚きであり。感謝であった」。これにより,「宣教の拡大活動」,すなわち,医療・英語教育・社会教育を通じて,居留地に出入りする日本人とキリスト教との関わ
りができるのである。この視点から,ハリスは,上海の聖公会宣教師に対して「日本宣教の将来の成功は派遣される初代宣教師の性行,態度,人格によるものである。・・・学校を興し,英語を教え,貧民に施療することなどが有益である。従って日米通商条約は貿易の開始ばかりでなく,キリスト教の開教第一歩である」と書簡を送っているのである。
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