【日本史】GHQに焚書された書籍 (536レス)
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(2): 09/15(日)08:00 AAS
三跪九叩頭の礼にあるように銀獲得のために、おいおい相手国を支配するためならなんだってやる欧州人は、好意を持ってそうに見えても真意が見えないから信用できないのにやすやすとオランダ人を信用した幕府。
しかも互いの国を誹謗して他国を追い落とすけれど、開国時に各国と次々条約締結したようにいざとなれば連携バッチリなのは各国にユダヤ人がいるからなのか。
例えば、シーボルトの長男はオランダ人で、ロシア海軍の通訳になろうとして、結局在日英国公使館の通訳になり、不平等条約の最たるものとして知られる日墺修好通商航海条約協力の功によりオーストリア=ハンガリー帝国の男爵となり、維新後はお雇い外国人として40年明治政府に雇用されて井上馨の秘書として条約改正の任にあたって、不平等条約改正できた明治政府有能!みたいなプロバガンダになってるけどシーボルトが原因じゃんっていう。

「1522年(明の嘉靖元年)寧波に来舶して貿易を開いたポルトガル人は僅か二十年を経ずして居留地を追われ、逃れた厦門からも放逐された。以来ヨーロッパ人たちは武力による脅しの手段で中国との貿易を開こうと試みたが、幾度かの経験すべてが失敗に終わったため、中国皇帝の命令を甘受する方法に変更し目的を果たそうとした。1544年(明の嘉靖23年)以後、中国に来舶する欧州人たちは貿易による利益を求めて自国の名誉を棄て去り、ただ命令に従うに至った。彼らは互いに他国を誹謗して貶め、自国とだけ貿易を行うよう皇帝に懇願した[1]。その姿は、元来外国人を蛮夷視する習慣があった中国人をして、西洋人に対する傲慢心を益々増長させる原因ともなった。」
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(1): 09/15(日)08:46 AAS
開国後を想定したオランダの通商条約草案は最後のカピタンのクルティウスやシーボルトが起草したもので、シーボルトって日本地図を国外持ち出してしょっぴかれたようにただの医者や植物学者ではない。間宮林蔵は有能。
外部リンク:ch.kanagawa-museum.jp
「当時、アメリカをはじめ日本との通商を望んだ国々が想定した貿易形態は、官による制限がない、民間人である商人の意思にもとづいて行われる自由貿易でした。しかし、この草案は、「鎖国」を始める関係以前に幕府がおこなっていた糸割符制度を彷彿とさせるような内容となっています【図1、図2、釈文】。この記載は資料の「第四、第六」ケ条を確認してみてください。実はこの草案の原文は、日本に滞在した経験があり、日本研究の第一人者として知られていたフランツ・フォン・シーボルトが起草したものでした。それを、商館長・クルティウスが修正を加え、草案としたのです。したがって、日本の法律に背かないことを前提としているのです。」
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(1): 09/15(日)11:53 AAS
シーボルトは日本研究の第一人者とあるけれど、シーボルトが居ながらにして日本研究ができたのは、日本人の弟子にオランダ語で日本文化のレポートを提出をさせていたからで、この日本人の善意?を利用して情報を集める手法は現代でも受け継がれていて、5chでもくだらない雑談ニュース記事のスレで本音を出させてまだ家計に余裕ありそうだからと増税の目安になったり、大喜利とか言ってアイデア出させてパクっていったりしてると思う。
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