【日本史】GHQに焚書された書籍 (532レス)
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28: 09/10(火)09:58:23.24 AAS
p42
そうしてこれら二十以上の建物は一区域にまとまり、下から漸次上へ曲折して配置され、背景との調和を考えて巧みに絵画的構図をとり、しかも最もおもなところは左右均整を守り良くできている。
東照宮の建築は、江戸時代のものとしては最も優れているとはいえ、しかし別に取り立てて言うほどでもないが、その装飾に至っては、木工・漆工・金工・彩工あらゆるものが用いられている。
装飾の最も有名なものが陽明門で、色彩よりもむしろ彫刻をもってうめられている。
装飾過多のそしりは免れないが、しかし当代装飾の宝庫とみれば価値がある。当代の装飾は桃山風を学んでいまだ堕落してはいない。文久に修繕したところなどは甚だ劣ったものである。
日光東照宮及び陽明門は、一つは家康を記念し、一つは家光を記念し、一つは江戸幕府の力を表現し、一つは当代美術の概念を与えてくれる。
(2)指導要領
ここでは家康とか秀忠とか家光とか、事件中の人物を生かしてくることが一つの注意点である。
しかし単なる人物論を目的とするのではなく、主題になる江戸幕府が、どうして創立されねばならなかったのか、どうして創立されたか、江戸幕府の特徴はどこにあるか、などの事件を大観させることが必要である。
その間に政治の組織に触れる。これは高小独自の材料でもあるから、よく批判的に学習させる。
省4
171: 09/28(土)17:28:10.24 AAS
p140
こうして朝廷でも、熟議の上やむを得ないものとして、慶応元年十月二十三日初めて仮条約を勅許あらせられた。安政五年の調印から八年目、ここに江戸幕府の鎖国政策は完全に破れることとなった。
※>>26>>114をみると、江戸中〜後期は金一両およそ4〜6万円の価値で、金一両=銀60匁で取引されていたが、幕末になると、金一両およそ4千円〜1万円の価値になり、金一両=銀百匁の取引となったほどの急激なインフレ。
輸出に回されて国内のモノが無くなったのもインフレの原因。
244: 10/05(土)14:07:53.24 AAS
p171 学習参考
(1)挿絵解説
「天皇は神々に王事を誓いなさる」絵は佐藤範雄著「憲法自治の大精神」という書物の中の絵によったものである。明治元年三月十四日、明治天皇が紫宸殿においでになり、五事の宣誓をしなさる光景である。図の左の方に祭壇が見え、その前に天皇御礼拝御座所、臣下礼拝座所があり、天皇は衣冠束帯でおでましにおありになり、後方には聖賢障子も見える。これには漢唐の名士三十二人がえがかれている。この時は総裁有栖川宮熾仁親王は御東征不在であるから、副総裁三条実美が天皇に代わって御告文を読み、輔弼は岩倉具視・中山忠能であったから、天皇の御側近くにいるのはこの中の人であろう。
「天皇東京に行幸しなさる」絵は一葉斎国輝画の錦絵によっている。明治二年三月二十八日東京御到着、天皇が賢所を奉じて東京城に向かわせなさる有り様、風輦の前には御羽車とその御雨皮が見え、遥か遠くに江戸城もあらわれている。橋は京橋で、三条輔相・中山議定・中御門経之・池田慶徳らが扈従した。
(2)指導要領
「明治維新の前と後とはどんなに違っているか」「明治維新の精神は何か」というようなことを中心問題として学習を進めるのがよい。
こうして明治維新における国家的発展を会得させ、そこに流れている国家的大精神を味わい、またそれに付随して、神に対する宗教的な気分や、我が国民道徳が顕現しているところなどを、よく考察させて、日本精神を無理せずゆっくり養い育てなければならない。国体的根源をここで見直させるのである。
346: ブログ転載 10/16(水)21:44:45.24 AAS
p232
この時はすでに大院君が政権を握り、清国の袁世凱や丁汝昌がこれを助けて兵を朝鮮に出していたが、ここにおいて兵を構えることの不利を察した清国は、大院君を伴って自国に去った。
そこで我が国は国王に謁して要求を提示し、三日以内に回答を求めたが、期日に至るも答えはなかったので、公使の一行は京城を去って済物浦に至った。するとかの全権大臣李祐元など後を追って来て、はじめて談判を開き、朝鮮は償金五十五万円を支払い、日本公使館には一大隊の守兵を置くことなど六款を約束させた。時は八月三十日、これが済物浦条約で、この事件を明治十五年朝鮮京城の変という。
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