【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
上下前次1-新
1(2): 2024/09/07(土)07:42 AAS
GHQに焚書された7000冊以上の書籍を確認できる目録。
書籍の没収は警察も手伝って行われた。
文部省社会教育局 編『連合国軍総司令部から没収を命ぜられた宣伝用刊行物総目録 : 五十音順』
文部省社会教育局[1949]
国立国会図書館デジタルコレクション 外部リンク:dl.ndl.go.jp
「宣伝用刊行物の没収」とは、昭和21年3月17日付連合軍総司令部の覚え書きによって指令されたもので、その後、追加覚書は46回に及び7700以上の戦前及び戦時中の刊行物が没収を指令されている。
いま、この7700余り種の刊行物を速やかに没収するための便宜を図って、本書を編集発行した次第である。
現在本覚書の執行は、各都道府県教育委員会にお願いして、その管下の教育関係公吏員中から、「没収事務担当者」を決めて、実務に当たってもらっていることは、後出の「文部次官」通達の通りである。
523: 2024/11/24(日)03:30 AAS
>>322
ユダヤ人は作家を使って社会的思想をコントロールするのが得意という話題に関連して、芸能界は片目を隠したりして露骨にイルミナティをアピールしているが、漫画アニメにもサタニストの要素が入っている。666
ドラゴンボールもミスターサタンとデービルが出てきて孫悟空の血統と交わる。小麦粉を取り扱うアメリカユダヤは日本人にパンを食べさせたい。
超サイヤ人が出た頃から変わったと思う。その前はインディアンがいい人キャラだったり、中国風な世界観でアジア優勢だった。国王なんて犬で人種関係なかった。
でも面白い漫画アニメがサタニストだからって見ないのもつまらないし、漫画アニメとどうつきあえばよいのかを考えた。
自分を楽しませてくれる遊びの女程度につきあうのがいいのかととりあえず思いついた。
間違っても本気で好きになって貢いだりしてはいけない。
戦後、ロックフェラーが資金を出して吉田茂(フリーメーソン疑惑あり)が主導してつくった国際文化会館が、日本の社会的思想をコントロールしていそうとにらんでいるが、近年の会員に作家は見当たらないようだ。大企業の役員や、大学教授などが多い。文化人は演奏家など。しかし怪しい。
524: ブログ転載 2024/11/24(日)14:14 AAS
p347
文化一般から見れば、明治十年頃までの旧習一洗、二十年頃までの西洋心酔、二十七年頃までの国粋保存、明治三十七、八年頃までの国民自覚期を経て、三十七八年以後は道徳は退廃して西洋文化の弊害も見えてきたが、この時に当たってオイケンやベルグソンの理想道徳が高唱されるなど、見まぐるしいばかりの歴史の文はあれど、結局は驚異的な発展を遂げている。
大正の時代に入っては、憲政は普通選挙にまで及んだ。大正十年五月五日は普選の交付された日である。外交はますますその舞台が広まり、世界大戦に際してはドイツと国交を絶ち、世界の五大強国として講和会議に列し、皇太子は外遊され、ワシントン会議に加わり、人類平和のために力を尽くすこととなり、国民の責任は重さを加えて来た。大正時代の外交はまさに明治時代を継承して花の開いた時である。
文化方面もまた明治を継承したが、欧州大戦以来、我が国民の思想はとかく動揺をまぬかれなかったが、ちょうど大正十二年九月一日には関東代地震が起こり、死者十数万、負傷者十万人、被害百億円以上にも上り、国家の損害ははかりしることができないものがある。ここにおいて大正天皇は特にその年十一月十日に国民精神作興に関する詔書を下し、「最近は学術はますます開け、人智は日に進む。しかしながら浮華放縦の習わしが次第にきざし、軽兆脆激の風もまた生じる。今に及んで時弊をあらためなかったら、あるいは先祖の遺業を失墜させることを恐れる。今次の災禍ははなはだ大きくて、文化の紹復、国力の新興は、皆国民の精神に期待するのはなおさらだ。」とおっしゃりなさり、「浮華放縦をしりぞけて、質実剛健におもむき、軽兆脆激を矯正して醇厚中正に帰す」とねんごろに諭しなさる。まことにおそれ多いことである。こうして大正時代はその大所高所から見るならば、守成紹述の精神から、国民的自覚心が発揚し、転回進歩の気運が出て来た時である。いわば明治時代の文化に反省を加え、何らかの転回進歩を図るべきことに気運が動きかけた時である。まことにその機を得た傾向といわれねばなるまい。
※浮華=うわべは華やかで、実質の乏しいこと。
※軽兆=言動が軽はずみなこと。脆激は不明
※紹復=前人の事業を再興する。
525: ブログ転載 2024/11/24(日)15:19 AAS
p348
(四)国民の責任と覚悟
(1)両陛下の御聖徳
今上天皇は御幼少の頃から、将来の聖天子としての御資質をそなえなさり、国史上の人物では清麻呂・義家・義経・頼朝・秀吉・清正などの物語をお好みなさり、特に義経をお好みになったという。天皇は歴史に関して深く御研究になっているばかりでなく、生物学の御研究では専門的におわたりなさり、その他万般に通じなさり、また孝行心が深く、君徳を備えなさるところは、明治天皇を拝するかのようで、国民の幸福はこれに過ぎたものはない。
皇后は久邇宮邦彦王の第一女にあらせられ、御名を良子と申し上げ、明治三十六年三月六日御誕生、大正十三年一月二十六日皇太子妃殿下、昭和元年皇后に立ちなさる。皇后は御幼少の頃から気品は衆にすぐれなさり、きまりよくあらせられ、お用いの品は大切にお取り扱いになり、御自身で御整頓をなされ、御修学中でもよく時刻を順守しなさり、御運動は特にテニスに御上達でいらっしゃる。大正十二年九月一日関東大震災のことがあるや、多数の衣服をお縫い上げになり、難にあった者に賜ったこともある。御仁徳は特にすぐれなさるものであるから、国民はあたかも慈母に仕えるかのようにして景慕し申し上げるところ、皇室はいよいよ御繁栄でおありになり、国体はいよいよ強固を加えて、神勅の御精神はますます発展している。
われらは万古に動きなき皇位を翼賛し申し上げる栄誉に浴しているのである。
(2)政治上の問題
明治・大正の時代を受けて、今やわれらは昭和の時代を迎えた。政府においては憲政がますます熟して普選の時代となった。これは大正十四年五月五日に公布された十三章五十条の衆議院議員選挙法がそのはじめである。従来選挙権に納税要件を付すことが残っていたので、この不公正な制限を撤廃せよという要求が次第に台頭し、第十八議会にそれが現れて以来二十年間以上国民の声として叫ばれたもの、大正十四年憲政会、政友会、革新会のいわゆる三派連合の基礎をおいた加藤高明内閣のとき、第五十議会においてはじめて挙国参政を精神とする普選法が通過したので、昭和二年九月二十一日に実施することとなった。
この選挙法の特徴とするところは、第一に選挙権の拡張ということ、第二には中選挙区制の採用、第三には選挙運動の制限ということである。
526: ブログ転載 2024/11/24(日)16:25 AAS
p350
すなわち満二十五歳以上の帝国臣民である男子は全て選挙権があり、満三十歳以上の男子にはすべて被選挙権がある。そして全国を百二十二区に分け、一選挙区は定員三名ないし五名とし、選挙の公正を保つためには至れり尽くせりの注意を払って設けた規則である。
今日はなお女子にも参政権を与えよとか、選挙権をなお拡大せよとか、選挙区を改めて、比例代表制にせよとかいう議論は残っている。
しかも惜しいかな、公正な選挙はなかなか行われない。天皇から与えられた選挙権を行使するには、天皇を翼賛し申し上げる誠意をもってしなければならない。われらはあくまで日本独自の選挙制が確定されなければならないと思う。
選挙によって出た議員は多くは政党をつくる。政党は二大政党を対立させ、大政党が内閣を組織する。これが政党内閣で国民の信頼を負ったものと見る。国民の信頼は選挙に反映するから、これによって内閣が維持されたり更迭されたりする。これが憲政常道論である。大正七年九月二十九日に成立した原敬内閣はまじりけのない政党内閣の出現であった。以来変遷を経て、次第に政党内閣となって来たが、そのうちに政党は自党本位となり、財閥と結託して政治を行い、政党も財閥も選挙も腐敗しているとの声がしきりで、ついに昭和七年五月十五日帝都において、陸海軍人及び民間有志が互いに分かれて、首相官邸、政友会本部、内大臣官邸、日本銀行、警視庁、三菱銀行などを襲撃し、時の総理大臣犬養毅はそのためにたおれて十六日薨去したという大不祥事件が勃発したので内閣は総辞職となり、二十四日子爵斎藤実に大命は降下して、斎藤内閣は出来た。この内閣は、今日の時局を打開するには憲政の常道を排して政党を基礎とする挙国一致内閣ということを標榜して立った。
こうして国民の心は政党を離れ、あくまで国家本位の政治が行われるように望んでいる。したがって政党はその信頼を回復することに努めて、次第に国家本位となっていくようである。
しかし政党に対する不信は国民自らの不信である。どうしてかというと政党議員は国民自ら選挙したものであるからである。
国民はここに覚醒して、自ら国家本位の観念に立ち返り、理想的な議員を選出し、国家本位の理想的な政治が行われるようにしなければならない。これが今後国民に課せられた大きな問題である。
527: ブログ転載 2024/11/24(日)17:01 AAS
p351
(3)外交上の問題
(イ)軍縮の問題
明治大正のあとをうけた昭和の外交はいよいよ世界的となり、特に大戦後の外交は太平洋を中心とし、特に東洋に着眼されるようになった今日、軍縮の問題はたしかに考慮を払われるはずの価値がある。かの主力艦の五・五・三比率を決めた大正十一年のワシントン会議後は、補助艦艇中でも巡洋艦において著しく造艦競争を招来するに至った。ワシントン会議では、補助艦について、単に一万t以下であること、備砲八インチまでと決めた他は、なんらまとまるところがなかったからである。
ここにおいて昭和二年にジュネーブ三国海軍制限会議が開かれ、日・英・米間においてワシントン条約の間隙を補填しようとしたが、不幸にも失敗し、再び競争の旧態にかえったので、さらにまた昭和五年一月二十一日からロンドン会議を行い、この問題を議論した。我が国はその時、海軍の三大原則というものを立てていた。
一、水上補助艦は総括的対米七割であること
一、八インチ砲巡洋艦も対米七割であること
一、潜水艦は現有量を保持すること
これは軍部はもちろん、政治家もこれを宣伝して会議にのぞんでみると、英米の共同反対にあって会議は完全に行き詰まり、決裂の他なきまでに至った。それをようやく一つの妥協点を発見して、これに同意して終わったわけであるが、国内特に軍部側にはこれに不満を抱く者もあり、軍部対政府に各種の問題を醸成した。政府は財政の許す限り海軍の新補充計画をするということにして、ようやく批准交換に漕ぎつけた。かの五・一五事件もここに原因の一つがある。
こうしてロンドン会議は日・英・米においては、ともかくもまとまったが、仏・伊両国はなんらの協定を見ることなくて物別れになったから、これら両国が造艦競争をすれば、当然他国の方へも刺激を与える。
省1
528: 2024/11/24(日)19:21 AAS
>>2
【シオンの議定書】スレに『戦時生活の建設』森崎善一著を転載していて、その中にワシントン会議について書いてある部分がある。
2chスレ:whis
高等小学国史新指導書下巻にもあるように、ワシントン条約の時に日英同盟もなくなってしまった。
日英同盟の解消と日本の軍縮を併せて、アメリカは20年前から太平洋戦争に照準を合わせて計画してきた。戦勝を確実なものにするために。
そしてワシントン条約は今では絶滅動物の保護に使われていて、わざと名称を被せて過去の軍縮条約を忘れさせようとしてる卑怯もの。
529: ブログ転載 2024/11/24(日)21:02 AAS
p353
(ロ)極東の政局
維新以来の理想は明治・大正の時代において、ほぼ達せられ、国際的にも重きをなすに至り、我が国の一部にはほとんど理想を失う者が出て来た。また世界大戦の余波は我が国の経済を豊かにした挙げ句、生活は驕奢となり、大正四年から昭和二年の間に輸入超過の総額は実に十一億五千四百万円に達している。加えると世界的経済不況ときたから、我が国の経済は急に行き詰まり、そこに各種の思想問題をも生じ、やや国民に倦怠疲労の色も見えた時、はからずも憂いは隣国支那の方面から襲って来た。
隣国支那には明治四十四年辛亥革命以来、民族主義・国家主義・資本主義・共産主義が雑然として並列して、収拾もできない混沌状態をあらわしたが、このいずれの主義から見ても日本とは合わなかった。
ここにおいて彼らは我が国を侮り、我が国を排除し、我が国に抵抗するに至り、日本の発展を猜忌する欧米列国にすがって、支那一流の遠交近攻の策によって我が国に迫って来た。我が国との間に三百件以上の不解決問題を蓄積するに至り、我が国に隠忍に隠忍を重ねさせたものであったが、ついに昭和六年九月十八日、支那正規兵の満鉄爆破事件により、俄然我が国の自衛権は行使されるに至った。後錦州城に入ったのは昭和七年一月二日であるが、この事変によって我が国の戦死二九九、戦傷六〇二、凍傷三七〇以上、その犠牲一千二百を数える。(昭和七年一月二十日現在地)
そうであるからにはまた新しい紛争は南支那に展開された。上海事変これである。この事変は昭和七年一月九日民国日報が我が皇国に対する不敬記事掲載、一月十八日夜における我が国の日蓮宗僧侶五名を袋叩きにした結果、二十四日一僧侶水上秀雄が死亡した事件がある。急角度に険悪化し、我が国は海軍の他陸軍も送って交戦するようになり、敵は蒋介石政府に反対して対日強硬論を唱えていた蔡廷楷の率いる広東派の十九路軍約三万二千、列国も軍隊を増して尖鋭化している中で、爆弾三勇士のように、帝国の名誉を発揮して敵を潰走させ、三月三日停戦の声明を公にした。この事件においては我が国の死傷は二千五百を数える。五月五日英国公使ランプソンの調停により停戦協定が成立し、六月から我が国は撤兵を開始した。
こうして我が国は満州における旧軍閥の搾取政治(七割の重税)を葬った結果、そこに満蒙三千万民衆によって新満州国が建てられた。
530: ブログ転載 2024/11/25(月)10:41 AAS
p354
三月一日建国の宣言が発せられた。宣言によれば王道政治を実施するという。王道は仁による政治、道による政治であるから、我が国の皇道と互いに通じる所もあり、また満州自らの歴史にかえったことになるのである。
我が国は前には朝鮮を生命線とし、後に満州国を生命線としていたところ、今日本と提携して楽土を建設しようとする新満州国が出現したので、我が国は他国に率先してこれを承認し、昭和七年八月八日、元帥陸軍大将武藤信義を満州派遣特命全権大使・関東軍司令官・関東長官として任命され、手厚い勅語を賜った。
かの満州事変発生以来、支那はこの問題を国際連盟に訴えたから、傍ら我が国は連盟外交に悩まされてきたが、ジュネーブにおける帝国全権松岡洋右は敢然起こって連盟脱退を宣言してかえった。同時に昭和八年三月二十八日詔書を下され、今後国民の向かうべきところを諭しなさった。すなわち連盟のために尽くすことは十三年ばかり、今次満洲国の新興に当たり、帝国はその独立を尊重し、健全な発達を促すことで東亜の禍根を除き、世界の平和を保つ基であるとする。不幸にして連盟の所見はこれと背馳するものがあり、ここに連盟を離脱するという措置をとらせた。しかしこれをもって友邦のよしみをおろそかにするものではない。国民は各その業務に励み、向かう所は正を履(ふ)み、行う所は中を執り、力を合わせて邁進することで、この世局に処して進めよとおっしゃられる。
天皇の計画はまことに宏遠、我らはこれを謹んで守り、対満・対支・対露・対米その他あらゆる困難な外交を切り抜けて、日本精神を基調とした正しい世界をつくり出さなければなるまい。
531: ブログ転載 2024/11/25(月)12:40 AAS
p356
(4)経済上の問題
我が国の内地の人口は中御門天皇の享保十一年〔※1726〕には二千六百五十五万人、これより百二十年間すなわち仁孝天皇の御代までは毎年平均四万人を増やしたにすぎないが、その後人口増加の勢いが急に加わり、明治維新までの二十一年間は毎年約十万人増加、維新後六十年間には人口は倍加して六千万人となり、毎年五十万人の増加を示した。この勢いで進めば日本本土だけでも三十年後には、ほぼ一億に達するであろう。
そして一人一年の米消費量を昭和五年農林省では一石一斗一升六合と算定しているから、八千万人で八千九百万石消費することとなり、我が国の内地及び殖民地合わせて年八千四百万石の収穫と見て、結局不足している。米だけについてもこのような状態である。
世界には面積において我が国の二十倍強、逆に人口密度は日本本土の二百分の一にも足りないオーストラリアその他これに類する所は多いが、我が国だけこの有り様である。せめては我が国の経済的進出だけでも自由であればと思うが、これとても世界列国は関税障壁を高くして、それぞれ経済ブロックを作りつつある。我が国の人口圧力をいかに緩和するか、これは我が国の問題であるだけでなく、世界の問題となっている。
幸いに満洲国は面積において我が国の全領土の一倍七分、人口において三割八分に過ぎないから、これと経済ブロックをつくるにしても問題は多い。今後の経済的打開はただもう将来の国民に待たなければならない。
532: ブログ転載 2024/11/25(月)12:40 AAS
(5)文化上の問題
明治・大正の文化的経験からしても、昭和現代の政治・外交・経済から来る思想からしても、昭和の今日は文化的国民主義の時代となければならなかった。実に今日は経済的国民主義であると共に文化的国民主義の時代である。
蘇峰曰く、「日本は周辺に頓着するところなく日本が進むべき標的を残さなければならない。それが大日本帝国の理想である。その理想は日本固有の精華、すなわち特色個性を発揮して、これを世界に拡充することである。武力的帝国主義でもなく、経済的帝国主義でもなく、真にいわゆる文化的帝国主義をもって世界を開導し、世界を向上させることである」と。
私は個性のないものは死であると思う。したがって国己性があればこそ存在の意義がある。この国己性こそ世界文化に貢献することができる原本的なものであると思っている。我らは東西文化を融合して、そこに日本独自の文化を創造し、内では天皇の朝見御儀の勅にお応え申し上げ、外では万邦に与える所がなければならない。
ただここで注意をすべきは、国史の成跡に照らし合わせても、人類の歴史に見るも、文化の閉鎖孤立は国民・民族を退化衰微に導くものだということである。あれを思い、これをかんがえ、我らは国家社会的生活において、経済的・学問的・道徳的・芸術的・宗教的・健康的生活において、よく回顧の力は革新の力であることを実にしなければならない。文化的奮闘力を養わなければならない。思えば現代ならびに将来における帝国国民の責任やまことに重くかつ大であり、したがってまた快である。
※蘇峰=父が横井小楠に師事。キリスト教徒でジャーナリスト。
533: ブログ転載 2024/11/25(月)15:00 AAS
p358
学習参考
(1)指導要領
ここでは国史学習を総括して、国民としての覚悟に及ぶことになっている。総括をするには復習ということが必要である。無論復習ということは、ここでかためてするには及ばない。平素の学習中にも常に行われるべきであるけれども、ここでもした方がよい。従来総括とか復習とかいえば、前に学習したことを、ただ単に繰り返すことだけが行われたが、これは効果が少ないものである。復習をするには多方的取り扱いがよい。あるいは時表を作るとか、あるいは系統表作製をすることによるとか、あるいは絵図をかくことによるとか、あるいは感情表現文創作によってするとか、色々な方法によると、趣味もあるし体験的にもなる。
この種の復習をした後は、大体この本文にかいておいたようにまとめるのがよいと思う。
最後に我が郷土ないし国家において問題となっていることは、ことごとく拾い上げて、これを歴史的に解決しておくべきである。
よってもって日本的観念型態を構成して、国史教育の目的を達成するのであるが、それと同時に国史学習が断続的に行われるよう、とくと相談を遂げておきたいものである。
高等小学国史新指導書下巻 終
定価金二円八十銭(1933年)
省6
534(1): 2024/11/25(月)16:42 AAS
とりあえず終わったので休みつつも近代日本史板のフリーメーソンスレで1冊転載します。
535: 2024/11/30(土)12:56 AAS
>>489
・日本屈指のスペイン語の権威、笠井鎮夫教授が驚天動地の話を漏らしたという。昭和天皇が皇太子だったころ、メーソンの社員の服装で写っている写真が存在する、というのだ、と。この話を、彼は、東京の法曹界では知らぬものはない高名な下村栄二弁護士から直接聞いたという。当時下村は三菱グループの顧問弁護士。
昭和20年春、下村は東京大空襲で焼け出され、杉並区の松庵に避難。その隣家が詩人の小田秀人(心霊研究家でもある)で、すぐに仲良くなったという。
この小田と上の笠井が友人関係。笠井は下村とも交友を結んだ。で、小田の家の離れでこの話が出たという。下村は別の弁護士、益田正雄からメーソンの機関紙に皇太子のメーソン正装の写真が掲載されており、それを実際見せてもらったと断言したという。
もし写真が本物なら、『大正10年の欧州巡行の時に撮られたもの』ではないかと推測しているという。その根拠として、そのときの皇太子の供奉長を務めたいた珍田捨巳伯爵が「知る人ぞ知るメーソン社員」だからだというのである。(ちなみにサムさんの報告では三菱はメーソンの牙城だそうだ)。
536: 2024/11/30(土)13:09 AAS
>>534
ありがとうございます。
537: 2024/12/29(日)13:57 AAS
『ソ聯の要路を占めるユダヤ人の極東政策? : 戦争か・経済戦か・祖国の危機!』,人文書院,昭11. 長谷川泰造 著 外部リンク:dl.ndl.go.jp
『今次大戦と裏のニュース : 世界猶太情報』
政経書房,昭和16,国際政経学会調査部 訳編 外部リンク:dl.ndl.go.jp
2chスレ:whis
『マソン結社の秘密』J.トウールマンタン 著 ほか,政経書房,1939. 外部リンク:dl.ndl.go.jp
外部リンク:itest.5ch.ne...i
『支那における英国の動向と猶太の勢力』
Japanese Source Online Search
外部リンク[php]:124.33.215.236
請求番号9601
省6
538: 2024/12/30(月)07:34 AAS
ユダヤ人の手法
ユダヤ人は、その倒そうとする、破ろうとする、弱めようとする国々に対しては、その国々の事情に応じて、その国々の内部に、分裂を導き、不和を起こし、喧嘩を発生させることを目的として直接もしくは間接的に働きかける。あえて働きかけないまでも、思想の動きを、このような方向に導く。
その機会はいくらでもある。あるいは社会の上流と下層とを背反させる。政府と民間とを対立させる。資本と労働とを反目させる。という風に、思想を一方に傾かせることを主とする。和合を無視して争闘のための争闘を吹聴して、思想を変更させることは、ユダヤ得意の手段である。
ユダヤは蔭になり日向になって、常に一方的宣伝に力点を置いている。人生の真の必要は、適度な調和にあって、一方的偏向にあるのではないのだが、それでは話がはずまない。人間の好奇心に投じない。人間はある場合には、極端を喜ぶものであり、誇張を好むものであり、真面目ぶってさかんに説明すると、自然と論争がわいて一種の人気を呼ぶに至ることもある。ユダヤの宣伝法は、いつもこの流儀である。
『『国際秘密力とフリー・メーソンリー』解説 : 敵国政府の背後を暴露す』,昭和18.
外部リンク:dl.ndl.go.jp
539: 01/02(木)16:07 AAS
【戦え日本人、侵略行為に抗戦せよ!】
日本は帰化朝鮮系の家系の人間によって隣国の大韓民国と北朝鮮に侵略行為を受けている
彼らがやっていることは「差別」を盾にした日本人を対象にした迫害であり「民族浄化」である
国際法でもこのような行為は決して許されていない
しかし何となく加害者が日本人で、差別されているの朝鮮系と言う意識を刷り込まれて彼らに遠慮してないか?
事実は逆である、加害者は彼らの方で迫害されているのは日本人である、まずこの意識を共有しよう
なぜそうなっているのか? 新聞、出版社、テレビ局、会社の起業家、大学教授などが帰化系の人間で徒党を組み
日本人を差別、排除してまるで日本人であるかのように振舞っているからである
テレビに映り世論を形成している人間が日本人の振りをして韓国、北朝鮮に有利になるように論調を組み、
日本を支配し、日本人が朝鮮人に隷属することを強要している
省15
540: 02/09(日)14:21 AAS
ユダヤフリーメーソンの本を読んでみて、ユダヤ人は他民族をゴイムと蔑んでゴイムを殺してもいいとまで言ってるのに皆ユダヤ人の実態を知らずかわいそうと同情的だ。
ユダヤ人から日本支配の手ほどきを受けている朝鮮人も同じ手を使ってくると思う。
現在日本人から帰れと言われて裁判を起こしている朝鮮人が、100年後、200年後、それを証拠に迫害にあったと被害者になって同情を得るかもしれない。
ただネットで帰れと言うだけではなんの効果もない。
541: 02/09(日)14:25 AAS
あとは創価は朝鮮人×日本人の組み合わせで信者同士の結婚を斡旋していると思う。別に違法ではないんだが。
542: 02/09(日)18:28 AAS
《関連スレ》
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2chスレ:history2
【日本史】GHQに焚書された書籍
2chスレ:history
【GHQに焚書された書籍】 ←たまに検索に出ない 2chスレ:whis
【シオンの議定書】 2chスレ:whis
省3
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