【日本史】GHQに焚書された書籍 (534レス)
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282: 10/10(木)15:39:07.80 AAS
p192 学習参考

(1)挿絵解説

「岩倉大使ら欧米に派遣される」の絵は聖徳記念絵画館書題考証図五姓田芳卿筆によったもの。明治四年十月十二日岩倉大使一行五十四人が横浜を出る時の光景である。太平洋汽船会社の飛脚船アメリカ丸は国旗を掲げて海中で待っている。一行をのせたランチはアメリカ丸めざしてこいでいる。この日は駐日米公使デロングが同乗帰国するので、出港に際しては岩倉大使に対する十九発、米公使に対する十五発の祝砲を発したのである。
「天皇は京浜鉄道開業式に臨幸しなさる」絵は東京市史稿中にある英人シンドレー筆の絵画の写真によったもの。明治五年九月十二日京浜鉄道開通式を挙げられ、天皇は横浜停車場にて勅語があり、新橋停車場に還幸遊ばされた時の光景である。停車場前には大アーチが建てられ、御車寄の上には、今も鉄道で用いる工の字の旗が立っている。官吏が烏帽子直衣の服装で供奉しているのも、拝観者の中には結髪に大小を帯刀しているのも、よく当時の光景を表している。
蒸気力の応用として機関車の作成に成功したのは、英国人ジョージ・スチーブンソンで、これは西紀一八一四年のこと、汽車が初めて運転したのはリバプールとマンチェスター間で、それは一八三〇年のこと。日本ではじめて鉄道が開通したのはこれに遅れること四十二年、すなわち明治五年である。京浜間約十八哩の全通であったが、明治の末期に至れば全国の延長六千哩に垂れ下がろうとするまで発達した。
この図では当時における上下の努力と歓喜に想到し、学習者に新日本発展の喜びを共にさせなければならない。

※哩=マイル>>274も「京浜間約十八里開通以来」を十八哩(マイル)に訂正
318: 10/13(日)17:58:54.80 AAS
ソース:外部リンク[php]:nipponlodge9.com

西周と津田真道この二人が日本人のフリーメーソン第一号というのは上のサイトに載っている。
日本のフリーメーソンリーWikipedia
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
381: ブログ転載 10/28(月)13:43:09.80 AAS
なお望遠鏡は野々口岩男が心配で手に入れます。この時、早合は一同庄野新兵衛が延期します。この件を記し上げ差し上げます。以上。

※因循=古い習慣や方法などに従うばかりで、それを一向に改めようとしないこと。
※紛紜=物事の入り乱れていること。事がもつれること。また、その乱れ。もめごと。ごたごた。
※目鏡=接眼レンズ(望遠鏡・双眼鏡・顕微鏡などの光学機器)
※早合=弾薬包
424: 11/06(水)22:01:29.80 AAS
p259
次いで第一・第三・第四師団を第二軍として司令官奥保鞏(ヤスカタ)大将がこれを統べて、五月五日大連の東北塩大澳に上陸して北進、陸軍中将川村景明の率いる第十師団は五月十九日、大弧水に上陸して、第一・第二軍の連絡をとって北進し、そのうち第二軍のうちの第一師団と新米の第十一・九師団と合わせて第三軍をつくり司令官乃木希典大将はこれを統べて旅順に向かった。後第二軍には第五・六師団を加えた。六月二十二日には陸軍大将大山巌が満州軍総司令官に任じられ、台湾総督児玉源太郎が総参謀長となった。次いで川村景明の第十師団及び第二軍中の第五師団をもって第四軍を編成して司令官野津道貫大将がこれを率い、析木城を占領して北進した。
こうして全線敵をやぶって、第一・二・四軍が協力して九月四日遼陽を占領し、十月九日激戦して沙河に勝ち、この時から泰天に向けて敵を追った。

(2)海軍の活動

海軍はその主力を三艦隊に分かち、第一艦隊は海軍中将東郷平八郎、第二艦隊は同中将上村彦之亟、第三艦隊は同中将片岡七郎、第四艦隊は海軍少将瓜生外吉、それぞれ司令長官となり、次いで第一・二艦隊をもって連合艦隊を組織し、後には第三艦隊も加わり、東郷平八郎は総司令長官となった。
我が国の艦隊は国交断絶と共に二月六日佐世保を出発し、七日早暁朝鮮沖の南西で商船ロシア号を捕らえ、この時から瓜生第四艦隊を仁川へ向かわせ、東郷第一艦隊は旅順を去る六十海里において、九日午後敵艦三隻を損傷させ、二十日午後敵の戦闘艦四隻、巡洋艦三隻の戦闘力を奪った。この日仁川では敵艦二隻を撃沈した。この時から東郷司令官は旅順に閉塞を企て二月二十四日第一回敢行、三月七日第二回閉塞において広瀬中佐がたおれ、五月三日には第三回閉塞と相まって、旅順背面の陸軍の攻撃は猛烈を極め、八月十日敵艦が大挙してウラジオストックヘ逃れようとしたので、我が国の艦隊は追跡して、旅順港沖約三十海里の地点で午後一時五十分から二時間の激戦を行い、敵の提督ウィットゲットを倒し、敵艦は算を乱して逃走、膠州湾・上海・柴棍に逃げ走って武装を解いた者各一、樺太へ逃れて沈没した者一、桑港へ逃げた者一、残艦は旅順に逃れ帰ろうとしたが、これらも我が国の攻囲軍の間接射撃によって撃沈された。これを黄海の戦いと言う。
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