北海道と北方領土ってアイヌ人の領土だろ (478レス)
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399: 11/09(土)18:34 AAS
>>397
進出してたよ
400: 11/09(土)21:54 AAS
>>393
狩猟採集民同士の侵略・抗争は凄惨>>385だわな、特にアイヌの暴力性が目立つ

「トパットゥミ」という、アイヌ同士の酷い抗争の多さ・暴力性の強さが伝承にもある
元記事≫「トパットミ」について
 ≫ トパットゥミ topattumi 【名】 トパットゥミ。 群盗; かつてあったと伝えられる集団強盗。

 ■≫ 村ぐるみで他村を襲い、
 ■≫ 財産を奪って村人をみなごろしにする。
401: マリタ・ビュレット 11/09(土)22:39 AAS
本州にあるアイヌ語地名ってあれ嘘だよ
だってアイヌが成立する前からその地名はあった
あれは縄文語地名とか蝦夷語地名とするのが正しい
402: 11/10(日)00:47 AAS
アイヌが縄文文化の直接後継者と考えれば矛盾はない
403: 11/10(日)00:48 AAS
縄文人の直系子孫がアイヌだからなぁ
404: 11/10(日)08:02 AAS
直系子孫とは何ぞ?それは家制度を前提としたものではないか?
倭人も間違いなく縄文人の子孫だがその遺伝子の濃度で先住だとか後からだとか言うのか?
405: ネトウヨ撲滅隊! 11/10(日)08:08 AAS
縄文人を上代アイヌ民族、弥生人を上代日琉民族と改名するべきである
更には擦文人を古代北海道アイヌ人、古代の東北蝦夷を古代本州アイヌ人と呼べばよい

縄文人は和人ではない
ネトウヨは縄文人と和人が同一という嘘を根拠に北海道の先住民をアイヌではないとヘイト発言を行っている

日本の政治家たちはネトウヨの嘘を潰していくべきであろう
406: 11/10(日)13:58 AAS
縄文系+渡来系弥生人=倭人
縄文系+オホーツク人=アイヌ

渡来系弥生人もオホーツク人も縄文系と混血しながら縄文文化を終わらせ新しい文化を開始した。
407: 11/10(日)21:04 AAS
割合が全然違うのに一緒くたにされてもw
408: 11/11(月)00:52 AAS
日本人の血
 本州
22000年前は、縄文人100%
2000年前は、縄文人60%、弥生人(満州から半島経由)40%
1500年前は、縄文人20%弱、弥生人20%、渡来人(漢民族が長江・黄河流域から)60%強
現在、縄文人12%、弥生人16%、渡来人72%

 北海道
15000年前は、縄文人100%
1500年前は、縄文人(擦文人)80%、オホーツク人20%
現在、その血を引くアイヌは1万数千人に減っている
409: 11/11(月)01:11 AAS
AA省
410: 11/11(月)01:12 AAS
[アイヌ]
縄文系 D1a2_ 75.0%
バイカル系 C2 25.0%
弥生系 O系統_ 0.0%
411
(1): 11/11(月)08:55 AAS
7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)本州の土師器の影響を受けた擦文土器を特徴とする擦文時代が外部からの急激な変化によりアイヌ文化に移行した。
412: ネトウヨ撲滅隊! 11/11(月)11:09 AAS
日琉民族は南満洲起源である
この島国の本当の主はアイヌ民族である

ネトウヨが主張するような日本列島は日本人のものという書き込みは嘘
埼玉のクルド人や在日の特別永住者たちと日本人とは外来者という立場で対等なのである

だからネトウヨの外国人は出ていけという主張は間違いなのである
413: 11/11(月)12:40 AAS
>>411
>外部からの急激な変化により

ソースは?
414
(2): マリタ・ビュレット 11/11(月)14:30 AAS
世界発の土器つくったのは日本人じゃなく昔のアイヌ人である
この土器の発掘場所は津軽半島北部の外ヶ浜で古来異人の地されていた

17世紀時シャクシャインの戦いでは、弘前藩の出兵に際して外ヶ浜の津軽アイヌが通訳や交渉役として随行している
18世紀、宝暦の改革時に和人同化政策時は、同化を拒んで山中に逃げ込む者もいた

アイヌを日本人と認めないネトウヨは日本人がつくった縄文土器が世界最古などと誇る資格はない
415
(1): 11/11(月)18:25 AAS
>>414
あなたが日本人をどう定義しているのか知らんが土器を作ったのは縄文時代草創期の縄文人だろ。アイヌ人と何の関係があるの?現行法では日本国籍を有する者が日本人だ。
で、縄文時代草創期から17世紀まで飛ぶし意味がわからん。
416: マリタ・ビュレット 11/11(月)18:29 AAS
>>415
外ヶ浜で縄文人のまま生きた人が和人にアイヌと称されたんだよ
417: ネトウヨ撲滅隊! 11/11(月)19:27 AAS
鹿児島県の悪石島の来訪神の祭りにボゼという東南アジア的な扮装したものが出てくる
従来はこれを一つの根拠として隼人はオーストロネシア系などと言われていた
しかし記録にある隼人語は日琉語で解釈できるので、彼らをオーストロネシア系というのは不自然なのだ

ナマハゲなど今の日本の来訪神は殆どが鬼の扮装をしている
ただ鬼というのは仏教の羅刹がデザインの元になっているため、これは仏教の影響を受けて後世に変化したもので、仏教以前の来訪神の姿は伝えていないのだ

仏教伝来以前の来訪神はどのような姿だったのか?

それは恐らくボゼのような姿であったろう
なぜならば魏志倭人伝に倭人の習俗は東南アジア系と書いてあるからだ

国学者やネトウヨは仏教伝来前の日本文化を現代の神社神道的なものと想像していただろう
しかしそれは全く違う。
省2
418
(1): 11/11(月)21:26 AAS
>>414
その津軽半島のアイヌ人を強制的に同化したのが、家老の乳井貢。
そもそも乳井ってのがアイヌ語地名で、乳井氏は元々熊野権現系の修験道出身の武士。調べるとアイヌ語の意味も地形と合致する。
津軽氏初代の津軽為信ってのが肖像画見るとヒゲがやたら濃くてこの人蝦夷じゃないのって思う。
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