[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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703
(1): 07/06(土)08:03 ID:/rgsKqwX0(2/5) AAS
>>697
>実際、野州兵団奮戦記は藤沢氏の資料を基に作成されているのだから、どれだけ事実に即して書かれていようが二次史料以下w

 当然、『野州兵団奮戦記』は戦後にまとめられたに二次史料ですが、そういう意味であれば阿羅「兵士たちの「南京事件」城壘」も二次史料にあたります。
 論じているのは、それぞれに掲載されている証言内容ですから、掲載資料が一次か二次かというのは論点にならないのですよ。
 それとも、本書を執筆された高橋文雄元二等陸佐が、証言内容を捏造したとでも言うのでしょうか?
704: 紀州人 [D1a2-D4] 07/06(土)12:19 ID:gP7Ot+FV0(1) AAS
結局の所、30万人もの市民が虐殺された事が嘘。
705: 07/06(土)13:06 ID:aGwqJ45f0(1) AAS
>>703
確かに、史料の一次性・二次性のみで議論を展開するのは不十分ですね。

ご指摘の通り、「野州兵団奮戦記」と阿羅健一氏の「兵士たちの「南京事件」城壘」はいずれも戦後に編纂された二次史料であり、その点では同列です。重要なのは、それぞれの史料に記載されている証言内容であり、一次史料か二次史料かという形式的な区分は議論の本質ではありません。

もし、高橋文雄元二等陸佐が「野州兵団奮戦記」の証言内容を捏造したと主張するのであれば、その根拠を明確に示す必要があります。単に二次史料だからといって、その内容を全て否定するのは論理的に筋が通りません。

歴史研究においては、一次史料と二次史料を区別することは重要です。しかし、最終的に判断すべきなのは、それぞれの史料の信憑性であり、一次史料だから必ず真実、二次史料だから必ず虚偽というわけではありません。
706
(1): 07/06(土)16:20 ID:sNTZDCmu0(1/5) AAS
>>698
> 一中隊って何人いるか知ってるか?
>  【全員で毎回50人ずつ】 連れていってるとか思ってんの?

戦闘詳報を読み直せw
どこにもそんな奇妙奇天烈な事は書いていね~よw
まあ、お前の日本語能力では内容を正しく理解できないだろうがw

捕虜(1800人)を3中隊で分割し、50人単位で監禁室から連れ出し処刑w
その時「但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知されざる如く注意す」とまで命令されているw
戦闘詳報によれば監禁室周囲の警戒兵と連れ出して処刑する丙は別に存在するw

どこにも「「中隊全員で」50人単位で監禁室から連れ出し処刑」等とは書かれていないwwwwww
省1
707
(1): 07/06(土)20:02 ID:sNTZDCmu0(2/5) AAS
>>702
まさに机上の空論w
収容所警戒が15人?
つまり1500人~1800人程の捕虜の警戒がわずか15人程度?
8倍以上の120人程度で警戒していた第4中隊でさえ捕虜の暴動を抑えるのに苦労していたのにどれだけ捕虜に暴動を起こさせたいんだよw
普通に考えてあり得ない兵の配置だなw

郷土部隊奮戦記
このときのことを高野保太郎さん(鹿沼市上石川)はこう語っている。「百二十人たらずの第四中隊で警戒に当たった。捕虜のなかにホネのあるものがいて、一部の兵隊を扇動して暴動を起こしたが、機関銃の空砲でおどしたら間もなく静まった。無装備というものの、千五百余の敵を一個中隊で監視するのはひと苦労だった」

根本的に理解していない、理解したくないようだけど、収容所から処刑場まで連行する捕虜は「1回50人」が3中隊で「150人」w
捕虜に悟られないように「但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知されざる如く注意す」とまで念入りに命令されているw
省13
708
(1): 07/06(土)20:31 ID:/rgsKqwX0(3/5) AAS
>>706
>どこにも「「中隊全員で」50人単位で監禁室から連れ出し処刑」等とは書かれていないwwwwww

それはあなたが「一回の処断に掛かかった時間は往復時間も含めて【12分30秒】」と「往復時間」と書いているからです。
戦闘詳報に書いていないようなヘンテコな想定をあなたがしているから、そのヘンテコを指摘されているのだと思いますね。

他責思考は否定論者に共通なのでしょうね。
709
(1): 07/06(土)21:26 ID:sNTZDCmu0(3/5) AAS
>>708
戦闘詳報に書かれていなくても「処刑する人数」と「連行する中隊の数」と「一度に連行する人数」と「処刑開始時間」と「処刑完了時間」が判明しているのだから「一回の処刑にかかる時間」の計算は小学生でもできるわアホw

戦闘詳報にはしっかりと
「各中隊(第1第3第4中隊)に等分に分配し、監禁室より50名宛連れ出し、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地西南方凹地、第四中隊は路営地東南方谷地付近に於いて刺殺しむる事」
「午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り」
と書いてあるw

常識以前の問題として「処刑場所まで移動時間がかかる事」は物理的に「当たり前」の事だw

お前には「処刑場所まで移動する」「処刑場所から戻る」という行動に時間がかかる事が理解できないんだなあw

「時間」とか「カレンダー」とか「地図」といった概念を理解できないお前には無理な事かw
710: 07/06(土)21:46 ID:/rgsKqwX0(4/5) AAS
>>707
>8倍以上の120人程度で警戒していた第4中隊でさえ捕虜の暴動を抑えるのに苦労していたのにどれだけ捕虜に暴動を起こさせたいんだよw

>郷土部隊奮戦記

おやおや、「小説が根拠になる」と思っているわけですか(苦笑)

それと、ローテを組んでいるのですから、連行実施中の部隊以外は収容所警備につけますし、第1大隊はこの当時、歩兵3個中隊以外にも140人はいたわけですから、こちらも収容所の警備につけます。
もう少し、部隊の状況を把握した方がよいでしょう。

>100m程度離れた状態で、連れていかれた捕虜の泣き喚き救助を嘆願する声があちこちから聞こえてくれば残った捕虜に簡単に察せられてしまうw

戦場で100mも離れていれば、いくら泣き叫んでも何の音か分かりませんね。
省6
711
(1): 07/06(土)22:06 ID:/rgsKqwX0(5/5) AAS
>>709
>お前には「処刑場所まで移動する」「処刑場所から戻る」という行動に時間がかかる事が理解できないんだなあw

既に書いた通り、「往復時間」などというヘンテコ主張をしているから、「中隊全員で」という指摘になるのです。
3ローテを組んで連行するならば、仮に300mを10分で捕虜連行したとしても、1チームは行きは10分、帰りは5分の往復合計15分なので、次のローテに十分間に合う計算となりますね。
712
(2): 07/06(土)22:38 ID:sNTZDCmu0(4/5) AAS
戦闘詳報によると捕虜の数は12日に1500余、13日に300余の計1800前後w
附表の合計との差は150~200前後
丸MARUの検証でも処刑された人数は最大合計しても200人前後で一致w
そして郷土部隊奮戦記によると捕虜の暴動が発生しているw
つまりこの差は「暴動による処刑」と判断できるw

「暴動を起こした捕虜の処刑」は虐殺でも何でもないw

丸MARU 1990年7月号 通算528号 連載第19回

「南京城には城壁からでなく、城門から入りました。中華門だったと思います。入った日にちははっきりしませんが、昼だったと思います。
 捕虜は城外にいたとき、何人かいてご飯を食べさせました。その後、大隊から命令が来たのか、その捕虜を処分することにしました。夕方でした。平沢(第四中隊長代理)あたりからの命令のような気がします。
 捕虜にご飯を食べさせたことも、やったことも、考えてやったことではありません。すべて命令です。あのときは無我夢中で、それが戦争だと思っていました」(田波希平分隊長)
省6
713: 07/06(土)22:53 ID:Q8PYhMm30(1) AAS
>>712
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
714
(1): 07/06(土)22:53 ID:sNTZDCmu0(5/5) AAS
>>711
「1500余の10分の一以下の15人で監視をしていた」という珍論が前提の計算に何か意味がありますかw

ついでに現実には「監視が120人程度いた第4中隊でも暴動が起きた」という事実は認めましょうね~w

それなのに捕虜の10分の一以下の15人程度の監視にどの程度意味があるのかは不明ですがw

せめて最低でも小学生と同レベル程度の「距離」と「時間」と「速度」の知識を身に着けてから書き込んでもらえないですかねえw
715
(1): 07/07(日)02:39 ID:H9NyCL+I0(1/2) AAS
>>712
>丸MARUの検証でも処刑された人数は最大合計しても200人前後で一致w

その阿羅の見解は「何人かの話をまとめたもの」というが、肝心のその部分の証言がないのだから、根拠無しと評さざるを得ませんね。

>つまりこの差は「暴動による処刑」と判断できるw

既に聞いたと思いますが、なぜ「「暴動による処刑」と判断できる」のか、根拠をもって説明しないと、その様な「判断」には何の意味もないのですよ。

>>714
>「1500余の10分の一以下の15人で監視をしていた」という珍論が前提の計算に何か意味がありますかw
省1
716
(2): 07/07(日)10:31 ID:kR8OZZtm0(1/4) AAS
>>715
「捕虜を殺害した」という証言は精々第4中隊の100人前後で、そもそも第3中隊は「ほとんど城内にいた」という証言がありますw

戦闘詳報を所有していた第3中隊藤沢藤一郎氏の証言w
「第三中隊は十三日からずっと城内に入っていましたから」
渡辺紋蔵小隊長の証言w
 「第三中隊は十三日、十四日と城内にいたので捕虜を捕らえるということはありませんでした」

第3中隊は西沢中隊長以下が 13日に中華門から東よりの城壁にかけられた縄梯子から城内に侵入w
城壁上で万歳しそのまま城壁内に入って進みそのまま城内にとどまり十七日の入城式に参加していますw

つまり第一大隊は第2中隊と第3中隊を欠いた状態であり、城内にいた第3中隊が捕虜を殺害するなどありえませんw

第一大隊には他に140人いた?
省13
717: 07/07(日)16:09 ID:H9NyCL+I0(2/2) AAS
>>716
>「捕虜を殺害した」という証言は精々第4中隊の100人前後で、そもそも第3中隊は「ほとんど城内にいた」という証言がありますw

で?「精々第4中隊の100人前後」という証言はどこにあるのですか?
誰が証言したのか、具体的にどう証言したのか提示してくださいね。

>つまり第一大隊は第2中隊と第3中隊を欠いた状態であり、城内にいた第3中隊が捕虜を殺害するなどありえませんw

自分で「?【収容所からの連れ出し(※三中隊合計約150人)】」とか書いていますが、この「三中隊合計約150人」に第三中隊は含まれていないというのでしょうか?

なお、第三中隊 水沼兼吉の証言では、「中隊の幹部の人」「指揮班の人あたり」が「捕虜をやる、といって希望者を募っていました」と言っていますので、第三中隊でも捕虜を殺害していますね。
これは戦闘詳報「第三中隊は露営地西南方凹地…に於て刺殺せしむることゝとせり…各隊午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り」と一致します。
省4
718
(1): 07/07(日)16:50 ID:zEmA3fpe0(1) AAS
>>716
>そもそも戦場で「暴動を起こした捕虜」はどうなりますか?

出ましたーっ!w 東中野とその信者(似非否定派)の自己矛盾
第一大隊戦闘詳報の「捏造」と「捕虜の暴動」が矛盾することに気が付かない否定派。
捕虜の暴動があって殺害したのなら、第一大隊戦闘詳報を捏造する必要がない。
逆に第一大隊戦闘詳報を捏造するなら、いっそのこと焼却するなり証拠隠滅したほうが手っ取り早い。
第一大隊戦闘詳報を捏造したという証拠はないし、捕虜の暴動があったという証拠もない。
すべて東中野の創作だ。K-K氏が解き明かしている。

東中野の矛盾
・「第1大隊が独断で捕虜殺害したこと隠蔽する為に、戦闘詳報に旅団・連隊の発令による捕虜殺害命令を捏造した」
省1
719
(1): 07/07(日)21:22 ID:kR8OZZtm0(2/4) AAS
>>718
誰が東中野説を主張しているんですかねえw
見えない相手へのシャドーボクシングですかw
また誰も主張していない事に自分の妄想で反論して勝利宣言して逃亡ですかw

つくづくあった派は成長しないねえw

> 捕虜の暴動があって殺害したのなら、第一大隊戦闘詳報を捏造する必要がない。

日本語で書かれているのに第一大隊戦闘詳報に何と書かれているか理解できないようですねえw
再掲しますw

歩兵第六十六連隊第一大隊戦闘詳報
自昭和十二年十二月十日 至昭同十二月十三日
省29
720
(1): 07/07(日)21:39 ID:kR8OZZtm0(3/4) AAS
ちなみに「第一大隊戦闘詳報」が捏造と言う根拠w

宇都宮の原隊で保管されていたもの数部のうちの一部なら必ず表紙に「軍機」を示すものが有るはずだが、表紙に「軍事機密」「軍機」などの表記が全く無い

同時期の114師団関連文書にはちゃんと赤いゴム印で「軍事機密」とあったり、ガリ版で最初から「軍事機密」と刷り込んである

アメリカ軍接収のリファレンスNO.は付いていないので返還文書ではない

宇都宮での保管時に他の部隊と合本状態で保管されていて合本表紙に軍機のゴム印があり、第一大隊戦闘詳報にはゴム印が押されなかった場合が考えられるが、
この場合、藤沢氏にはわざわざ合本の和綴じを外し第一大隊戦闘詳報のみを渡した事になる
省8
721
(1): 07/07(日)22:00 ID:kR8OZZtm0(4/4) AAS
それから軍隊の命令で「処断」や「処分」や「処理」というものはあっても、戦闘詳報という公文書に記載される命令で「殺せ」という命令は使用されないw

現存する戦闘詳報でこのような命令が存在するのは「第一大隊戦闘詳報」の14時の命令のみw

だからこそ板倉氏の説に説得力があるw

Ⅰが戦闘詳報に、自分の部隊の武勇伝を創作して書き込んだものとしか思えない。
本当はこうだった南京事件
p129 板倉由明
722
(1): 07/07(日)22:32 ID:vtA3zLD/0(1) AAS
>>721
> それから軍隊の命令で「処断」や「処分」や「処理」というものはあっても、戦闘詳報という公文書に記載される命令で「殺せ」という命令は使用されないw

なるほど
「処断」「処分」「処理」は殺害のことを指すわけですね
墓穴、掘りまくってますよ
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