[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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978: 08/28(水)17:58 ID:JEy7NqnY0(5/5) AAS
>>975
>「オリジナルと同一である」という主張を行なっているのはどちらなのでしょうw

オリジナルと違うという主張を行っているのはどちらでしょう?
いくら無かった派でも…ry
979: 08/28(水)18:27 ID:IkGreEB90(1) AAS
 
<   //www.guidoor.jp/media/sugihara-chiune-story-japanese-schindler/4/

「日本のシンドラー」 /「杉原千畝物語」(1)

▼杉原千畝 失意の中、満洲国外交部退官

・・・しかし杉原千畝は、日本外交きっての「ロシア通」という評価を得てまもなく、1935年(昭和10年)には満洲国外交部を退官。

その理由として、ロシア語が堪能だった杉原に対し、関※軍から破格の金銭的条件と引き換えに軍部のスパイになるよう強要されたことや、満州での軍人たちの目に余る暴挙への憤慨があったとされており、
「驕慢、無責任、出世主義、一匹狼の年若い職業軍人の充満する満洲国への出向三年の宮仕えが、ホトホト厭」になり外交部を辞任したという。
省6
980
(1): 08/28(水)20:42 ID:Vd0zW+6H0(5/6) AAS
>>977
>そもそも、阿羅インタビューで不思議なのは、小宅曹長は「第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して」と述べた上で、「我々の中隊長がどこにいるのか…分かりませんでした」とも述べています。中隊の中核である指揮班に中隊長がいないというのは非現実的です。

南京ではその非現実的な事が頻繁していたようですがw
中隊本部所属の森尾市太郎の証言では中隊本部に所属する者でさえ攻撃時に「中隊長と一緒だったかどうかは記憶に無い」と言っていますよw
そして入城後どこにいたかと言えば「城内の中隊本部」ですよw
つまり中隊長が所在不明な事は戦場では珍しい事ではないという事ですよw

森尾市太郎 歩兵第66連隊第3中隊 中隊本部 上等兵
証言
「 十三日朝、城壁の前の高台で中隊長と一緒だったことは記憶していますが、私は昼前、中華門から入り、そのとき中隊長も一緒だったかどうか記憶にありません。
 城内では煉瓦作りの建物を中隊本部にして、中隊長もここにいました。」
省8
981
(2): 08/28(水)22:00 ID:Vd0zW+6H0(6/6) AAS
>>977
>しかし『野州兵団奮戦記』では、軽装甲車中隊の井上中尉からの依頼で奇襲攻撃をしたのは、小隊から抽出した二個分隊(山形、田波分隊)を宛てたことになっており、中隊行動ではありません。

???
何で小隊から分隊を抽出したら中隊行動ではなくなるんですかね?
指揮班長の小宅曹長が奇襲部隊を抽出するなら第一小隊、第三小隊からになりますし、小隊から部隊を抽出するなら分隊規模になるのは当然ですが?
小隊規模で奇襲部隊を抽出すれば第四中隊の約半数を奇襲部隊に回す事になって本隊の攻撃力が低下して奇襲の意味がなくなりますし、中隊規模なら指揮下の全部隊が奇襲参加する事になるんですが?

奇襲攻撃とは「奇襲で相手を混乱させる事で本隊からの攻撃を容易にする為」に行うものですw

まさか「軍事行動は全部隊が参加するものだ!」なんて思っていませんよね?

そもそも小宅曹長は指揮班長で第1小隊長代理ですw
田波分隊長は第3小隊の分隊長、山形徳治は第3小隊の第2分隊長ですw
省14
982: 08/28(水)23:13 ID:CL3NkTUr0(1) AAS
kーkのサイトは本ー当ーに役に立ちますね♪
983: 08/29(木)00:00 ID:iPfyY5l+0(1) AAS
 
< 29 :名無しさん:2013/02/10(日) 19:27 ID:

※本は※の※※を立てて、※※全土を※※するのも完全に正しい。

※※人なんぞに統治ができるわけがないんだから、※※人が導いてやるのが正しいんだよ。

31 :名無しさん:2013/02/10(日) 19:44 ID:

>> 129
省4
984
(3): 08/29(木)00:22 ID:1oTt5+F90(1) AAS
>>980
>南京ではその非現実的な事が頻繁していたようですがw
>中隊本部所属の森尾市太郎の証言では中隊本部に所属する者でさえ攻撃時に「中隊長と一緒だったかどうかは記憶に無い」と言っていますよw
>そして入城後どこにいたかと言えば「城内の中隊本部」ですよw
>つまり中隊長が所在不明な事は戦場では珍しい事ではないという事ですよw

森尾上等兵の証言は、森尾上等兵が本部からはぐれたということで、中隊長が指揮班にいないのと意味が違いますね。
「珍しい事ではない」と主張したいのであれば、指揮班に中隊長が居なかった明確な事例を提示する必要があるでしょう。

>直接部隊を指揮する現場指揮官と後方の本部から指示を出す部隊長が別々の場所にいるのが「非現実的」なのですかねw

部隊を指揮するというのは、中隊長が一人で出来るのではありません。本部指揮班は、戦場に散在する現地部隊へ命令を伝達し、上部組織から命令を受領する等、指揮班内は分業されているのだから、指揮すべき中隊長が指揮班から居ないなど基本的にあり得ません。
中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例を提示する必要があると思いますよ。
省13
985
(2): 08/29(木)10:41 ID:iZqf2JNg0(1/2) AAS
「小宅曹長が孤立したままだった」という根拠のない妄想に固執しているから見当違いの頓珍漢な結論にしかならないのですよw

KKのHPの日本軍の部隊編成の中に第一大隊の一覧がありますよw
その中に[第3中隊]として西沢弁吉、大朏良三、大橋福次、原貫一、荒井誠寿、松島勝利、湯田芳松、森尾市太郎、渡辺紋蔵、中田実、藤沢藤一郎、川越進、高久、岩本清、武藤昇、小川真、中田金一、小川正作、高橋忠太郎、古谷武、久保田和三郎、柴田、大出清造、福富、宍戸、小林、大森、水沼兼吉、、保暁三、狐塚新衛、亀田二蔵、石川権蔵、渡辺酉二郎、塚原軍司、斎藤信吉、阿久津光、鴇田栄光、細島光、横山松太郎、高島仲一、谷中清太郎、中山勇の名前がありますw
その横に中隊長、指揮班長、指揮班、本部勤務第1小隊長、第1小隊分隊長、分隊長という職務が書いてありますw

もちろん「このKKのHPに書かれている事は根拠の無い出鱈目だ!」と主張されるのならばそれは自由ですよw

何も考えず脊髄反射で書き込む前にもっと「KKのHP」を良く確認する事をお勧めしますw

ああ、それともKKのHPを良く確認してなお見当違いの頓珍漢な書き込みをしたのですかw
省1
986: 08/29(木)11:52 ID:FtM0Df5z0(1) AAS
 

<  16 :名無しさん:2013/02/10(日) 12:21 ID:

というか満?国怒ってたのは????だけで。

????は極東利権があるから日本と関係?くなって?しかなく??ー気味。???も??ーしてた。

チャーチルが軍事展開力あるならはよ言ってほしかった言ってたんで。??????を?本の力で追っ払させ、その後機を見て??得したのは??。
省8
987: 08/29(木)12:37 ID:iZqf2JNg0(2/2) AAS
>985に補足しておきますが、同じKKのHPに[第1中隊]も[第2中隊]も[第4中隊]も書かれていますので、あくまでも「例として[第3中隊]を出した」という事は理解をお願いしますw

それも理解出来ないなら、もう「日本語での意思の疎通は出来ない相手」だと判断させていただきますがw

今更ですがw
988
(3): 08/29(木)19:41 ID:11cbgh1F0(1/4) AAS
>>984
>部隊を指揮するというのは、中隊長が一人で出来るのではありません。本部指揮班は、戦場に散在する現地部隊へ命令を伝達し、上部組織から命令を受領する等、指揮班内は分業されているのだから、指揮すべき中隊長が指揮班から居ないなど基本的にあり得ません。
>中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例を提示する必要があると思いますよ。

KーKのサイトによれば小宅氏は指揮班です。
KーKの主張では実質的な中隊長だった小宅氏が指揮班からはぐれて中隊にいなかった事になります。
KーK自身の主張によって「指揮すべき中隊長が指揮班から居ない事」「中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例」が示されていますね。



>>連行時に暗がりに足を取られる、殺害時に暗闇で手元が狂う、戻る時に道を間違える、どれかひとつでもトラブルによって時間を浪費すれば次の行動が遅れるのですがw

省21
989: 08/29(木)19:43 ID:11cbgh1F0(2/4) AAS
>>988
コピペミスです。
すみません。
990: 08/29(木)20:02 ID:Kw+cbc0f0(1) AAS
 

<  40 :名無しさん:2013/02/03(日) 21:09 ID:

>完全に別個の国。統治してきた歴史も存在しない。

↑だとしたら別個の国には条約を守る義務も存在しなくなるがw

そもそもそこの治者(張学良)が蒋介石国民党政府に合流すると旗幟を明白にしたんだがねえ。
省4
991
(1): 08/29(木)21:01 ID:11cbgh1F0(3/4) AAS
>>984
>部隊を指揮するというのは、中隊長が一人で出来るのではありません。本部指揮班は、戦場に散在する現地部隊へ命令を伝達し、上部組織から命令を受領する等、指揮班内は分業されているのだから、指揮すべき中隊長が指揮班から居ないなど基本的にあり得ません。
>中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例を提示する必要があると思いますよ。

「中隊長が指揮班からはぐれた」というより「中隊長は指揮下の小隊と別命を実行していて小宅氏はそれを知らなかった」だけでは?
小宅氏によると「十二月十二日、第四中隊の戦力は半減していたが、第一線で戦っていた第三中隊の右側に進むように命令を受けて、私は第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して第三大隊の援護に向かった。ですから、当時の第四中隊は私が指揮していたことになります。」との事ですので小宅氏が命令によって指揮していたのは「第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人」です。
「第三中隊の右側に進む命令」を受けた小宅氏の指揮下には最初から第二小隊は含まれていません。
平沢中隊長代理は第二小隊長なので「第三中隊の右側に進む命令」に含まれずそのまま大隊の側にいたと考えられます。
第二小隊を含む第四中隊の全てに「第三中隊の右側に進む命令」が出ていて平沢中隊長代理が所在不明だったなら小宅氏が指揮していた部隊に第二小隊も含まれていたはずです。
「小宅氏の指揮下に第二小隊も含まれていて」「小宅氏が指揮していた」ならそれこそ「中隊長の所在が不明だった具体的な事例」になります。
しかし実際には「平沢中隊長代理が指揮する第二小隊」は小宅氏の指揮下に含まれていません。
省3
992
(1): 08/29(木)22:16 ID:11cbgh1F0(4/4) AAS
>>984
>部隊を指揮するというのは、中隊長が一人で出来るのではありません。本部指揮班は、戦場に散在する現地部隊へ命令を伝達し、上部組織から命令を受領する等、指揮班内は分業されているのだから、指揮すべき中隊長が指揮班から居ないなど基本的にあり得ません。
>中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例を提示する必要があると思いますよ。

KーKのサイトでは「うちの小隊は中隊主力から孤立した」となっていますので、KーKによれば指揮班だった小宅氏が「指揮すべき中隊長(小宅氏)が指揮班から居ない」という基本的にあり得ない状況だった具体的な事例になりますね。
KーKのサイトからですがKーKは「小宅氏が平沢中隊長代理と一緒に第3中隊の右翼へ前進した」と思い込んでいます。

KーKのサイトから
 この戦闘詳報の記述から、第4中隊はそれまで連隊予備隊だったが12月12日12時に第1大隊に復帰し、直後の12日12時10分には第3中隊の右翼へ前進していることが分かる。小宅曹長の証言では、この直後、乱戦に巻き込まれて平沢中隊長代理とはぐれ、第4中隊を臨時で指揮することになったという。

実際には平沢中隊長代理が指揮する第二小隊は小宅氏の指揮下に含まれていませんので小宅氏と平沢中隊長代理は別行動していたと判断出来ますのでこの時点でKーKの理論は破綻しています。
この破綻した理論を根拠にしてさらにKーKはKーKの言う「あり得ない」はずの「指揮班の小宅氏ははぐれて小隊だけだった」と言っています。
それに中隊主力に第二小隊を含めていたり「小宅氏は中隊主力(第2、第3小隊、指揮班)から離れていた」と言っていたはずなのに「小宅氏が指揮していないはずの第3小隊から分隊を抽出した」と言っていたり言っている事が無茶苦茶です。
省1
993: 08/29(木)22:22 ID:Y/zGKcIx0(1) AAS
 

<  41 :名無しさん:2013/02/10(日) 21:06 ID:

 >>39
少なくとも国際連盟では帝国の主張など全否定されてるよ。

あんなのを自衛と認めたら大国が好き放題に侵略できるって事でな    >

 
994
(1): 08/30(金)02:27 ID:4Ca8Cog20(1/3) AAS
>>985
>もちろん「このKKのHPに書かれている事は根拠の無い出鱈目だ!」と主張されるのならばそれは自由ですよw

まず、田波、山形両分隊長の所属小隊については、K-K氏のサイトでも表記が違います。
田波分隊長の場合は、所属小隊は記載がなく、単に「分隊長」となっています。にも関わらず「田波分隊長は第3小隊の分隊長」としたわけですから、K-K氏のサイトは根拠になりません。
また、山形分隊長に関しては、K-K氏のサイトでは「第3小隊第2分隊長」としていますが、私の把握している限り、通称「ナマコ山」高地での戦闘について手塚清中隊長が回想している部分でしか確認できませんので、同時点での所属と考えられます。隊長クラスの戦死傷が続いた部隊で、田波伍長が所属小隊を変わらずに12月12日・13日にいたという根拠はみあたりません。
あなたは、その根拠があるのか無いのかを尋ねているのですよ。

>>988
>KーKの主張では実質的な中隊長だった小宅氏が指揮班からはぐれて中隊にいなかった事になります。
>KーK自身の主張によって「指揮すべき中隊長が指揮班から居ない事」「中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例」が示されていますね。

小宅小隊が乱戦で中隊はぐれたことを是認するならば、その場合は中隊は誰が指揮を採っていたのですか?
省8
995
(1): 08/30(金)11:42 ID:lg/z1clj0(1/4) AAS
>>994
>田波分隊長の場合は、所属小隊は記載がなく、単に「分隊長」となっています。にも関わらず「田波分隊長は第3小隊の分隊長」としたわけですから、K-K氏のサイトは根拠になりません。

とうとうKKのHPはあった派にも否定され、根拠にならないと認められましたw
これだけ出鱈目な事を書いていれば当然ではあるがw

>また、山形分隊長に関しては、K-K氏のサイトでは「第3小隊第2分隊長」としていますが、私の把握している限り、通称「ナマコ山」高地での戦闘について手塚清中隊長が回想している部分でしか確認できませんので、同時点での所属と考えられます。隊長クラスの戦死傷が続いた部隊で、田波伍長が所属小隊を変わらずに12月12日・13日にいたという根拠はみあたりません。
>あなたは、その根拠があるのか無いのかを尋ねているのですよ。

隊長クラスが戦死して分隊長も所属小隊をコロコロと変わったとでもw
しかも12月12日・13日限定で小隊を変わらずにいた根拠が必要と?
手塚清中隊長の回想時点での所属は判明していて、あなたが「12月12日・13日に田波伍長は所属小隊を変わっていた」と主張しているのですから

「 あ・な・た 」が
省23
996
(1): 08/30(金)13:57 ID:lg/z1clj0(2/4) AAS
『城塁』 連載第19回(『丸』1990年7月号)
p.212-213
兵士廠の建物の前にある陸橋で指揮を取っていたが、やがて中国軍が後退し、その中に白布を振っている兵も見えたので射撃を禁止し、彼らに対して手招きをした。すると、城壁上から私を狙って撃ってきて、五、六発が私の近くに当たった。
 それでも中国兵は三三五五降伏してきたので、私のところで検問して後に送った。検問している途中、中国軍の逆襲にそなえたり、井上戦車隊長との打ち合わせ等があり、どのくらい捕虜がいたのか正確には分からない。あとで千二百の捕虜がいて、他の隊が捕まえた捕虜二、三百も合わせると千五百人になると聞いた記憶がある。

高橋文雄『野州兵団奮戦記』 (昭和58年4月10日発行)
p272
 擲弾筒と手榴弾で敵を制圧していたら、軽装甲車隊長の井上中尉殿が私のところに「敵の対戦車砲で動きがとれない。宇都宮さんでこれを攻撃してくれ」といってきた。豪胆な田波希平分隊長(元小山市農業協同組合長)と山形徳治分隊長(西方村)に乏しい兵力のなかから二個分隊をさき、奇襲攻撃を命じた。田波分隊は敵将校が死守する対戦車砲陣地にひそかに近づき、石川寛軽機関銃手(真岡市)の発射を合図にこれを不意急襲し、敵を撃退したばかりでなく、砲二門を分捕って意気揚々と引き揚げてきた。このため、軽装甲車隊の行動が容易になったので、精強を誇る敵兵のなかにも白旗を立て投降するものが続出した。これを見た敵将校は城壁上や後方から投降せんとする味方の兵を有無もなく射殺した。戦争とはむごいものだと思った。

『城塁』と『野州兵団奮戦記』を比較してみればわかるが『城塁』には井上戦車隊長と共闘した記載はない。
しかし小宅曹長が井上戦車隊長と共闘していないのならば何故井上戦車隊長との打ち合わせが必要だったのか?

小宅曹長が第1小隊単独で捕虜を得たのであれば、既に中国兵は投降してきているのだから井上戦車隊長と打ち合わせを行う必要は無いw
省3
997
(1): 08/30(金)14:04 ID:4Ca8Cog20(2/3) AAS
>>995
>>田波分隊長の場合は、所属小隊は記載がなく、単に「分隊長」となっています。にも関わらず「田波分隊長は第3小隊の分隊長」としたわけですから、K-K氏のサイトは根拠になりません。
>とうとうKKのHPはあった派にも否定され、根拠にならないと認められましたw

K-K氏のサイトが、田波伍長を単に「分隊長」としかしていないから、K-K氏のサイトは根拠にならないのですよ。やり直しですね。

>隊長クラスが戦死して分隊長も所属小隊をコロコロと変わったとでもw

田波伍長は小宅曹長と同様に本来は中隊指揮班所属なのですから、そもそもが第3小隊の所属ではないのですよ。
田波伍長が所属小隊を変わらずに12月12日・13日にいたという根拠はみあたりませんが、あなたにはそのことを示す根拠はないのですね?

>>小宅小隊が乱戦で中隊はぐれたことを是認するならば、その場合は中隊は誰が指揮を採っていたのですか?
>>詭弁にもなってませんよ
>日本軍に限らず軍隊の指揮官は死傷時に次席指揮官が即座に指揮を引き継ぐようになっていますw
省19
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