▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (299レス)
1-

250: 警備員[Lv.1][新芽] 09/06(金)10:56 ID:MeobKQ4N0(5/13) AAS
>>249
イーロン・マスク氏は、ポーランドのアウシュビッツにあるナチスの強制収容所跡地を訪問した後、保守派のコメンテーター、ベン・シャピロ氏との会話の中で、自分は「縁故的にユダヤ人である」と述べた。
テスラのCEOでソーシャルメディアプラットフォームのXのオーナーでもあるマスク氏は、欧州ユダヤ人協会が主催した反ユダヤ主義に関する会議でこの発言をした。同協会は、ホロコーストで推定110万人のユダヤ人が殺害されたアウシュビッツをマスク氏が個人的に訪問できるよう手配していた。
251: 09/06(金)16:30 ID:MeobKQ4N0(6/13) AAS
p35
(三)保守党の総理となり名誉の孤立

1848年ベンラング卿が逝くや、ジスレリーは挙げられて保守党総理となり、直ちにこれを改革して普通ではあり得ない不思議な勝利を収め、1852年デルビー内閣の大蔵大臣として大いに手腕をふるおうとしたが、予算否決のために官職を辞し、後デルビー内閣再び組織されるに当たり、デルビーが周囲を鑑み、政敵グラッドストーンおよびパーマーストーンなどと協調するところがあったけれども快からず、断然孤立の境遇に自ら投身し、長らく不遇に見えたのだが、これはかえって彼によってその真剣味を十分に世に知らせることができた名誉の孤立であったのである。
だから1858年に至りデルビーと再び握手し、共に内閣を組織したが、その提出した改革法案のため、またまた失脚した。
降って1865年首相パーマーストーン卿が逝き、後任首相ラッセル卿が失脚するや、デルビーは三度び政権を掌握することとなり、ジスレリーはまたまた彼と共同したが、前二回の失敗に鑑みて政策を改め、盛んに暗中飛躍を試み、敵党からは悪評、非難、攻撃が湧くかのようになったけれども、巧みに難関を切り抜けて、その新改革法案を通過させ、これと同時にデルビーは勇退した。

(四)内閣総理大臣としての辣腕ぶり

ジスレリーはすぐに内閣総理大臣になる。間もなく彼の内閣はグラッドストーンの内閣と交代したが、1874年完全なジスレリー内閣を組織しただけでなく、約三十年間逆境にあったトーリー党は大多数党となったため、彼はその望むところを自由に遂行することができるのに至った。
この時に当たりすなわち1877年露土戦争が起こり、欧州の世論はキリスト教国であるロシアに同情を表し、回教国であるトルコに対して含むところがあったが、彗眼炬(ともしび)のごとき彼は群盲を排して一直線にトルコに同情し、この理由で干渉を試み、耳を裂くばかりの誹謗が内外に沸き上がったのを、蛙鳴蝉噪と聞き流して、あるいは艦隊をダーダネルスに派遣し、あるいはインド軍隊をマルタに出動させ、徹底的に英国の立場及び意思を表明した。
そうしてこの理由で彼の有名なベルリン会議は1878年の初夏に開催されたが、彼は自ら出馬し傍若無人の態度で忌憚なくその主張を貫徹させたその雄々しき武者振りには、内外を問わず感嘆を置くところを知らない者のように、政敵すらただ賞賛するだけであったという。
252
(1): 09/06(金)17:16 ID:MeobKQ4N0(7/13) AAS
p36
(五)ベルリン会議でトルコを救ったのは祖国パレスチナ復興策の第一歩とさせると同時に、独立した諸国の信教自由を憲法で保障させユダヤ教を保護するためにあり。

そうして彼はこのベルリン会議によってトルコの致命傷を救治させるのは、他日トルコによって祖国パレスチナ復興問題を解決させようとの下心であったのは言うまでもないことで、これと共にヨーロッパにおけるユダヤ人の致命的及び宗教的解放に向かって一新生面を開いたものである。
つまりベルリン会議議定書中に、ベルリン会議によって解放され独立した国は、信教の自由をその憲法で保障しなければならない明文がある。
ブルガリア、モンテネグロ及びセルビアなどは直ちにこれと同じだったけれども、ルーマニアだけ言を左右にしてこれを拒んだが、しばらくしてこれを承認するに至って、ビーコンスフィルド卿の英名は雷のように全ヨーロッパに響き渡った。

(六)彼はビクトリア女王にインド女帝の称号を奉った人だったが、次いでトルコによってクプロ島(地中海東北隅にある島でユダヤ人と関係が多いところ)を割譲させ、その代償として地中海沿岸の海防を引き受け、またスエズ運河乗っ取りの早道として同運河株を多数買い取ったようなことは、決して英国一国の政策からしたものではなくて、ユダヤ人のパレスチナ復興運動の前提と見るべきものであるとする。

(七)六年間の彼の治世はユダヤ人にとって黄金時代で、英国だけではなく全世界でユダヤ人のシオン(祖国回復)運動の精神は白熱して来た。
彼は1880年グラッドストーンに内閣を明け渡し翌年永眠したが、六年間の彼の施政は、どのように英国に福したのかは別問題とし、ユダヤ人にとってはクロムウェル当時と甲乙ない幸運時代で、カミソリ宰相と呼ばれた程、彼は辣腕、敏腕、怪腕、霊腕の限りを振るったものであった。
そうして彼の永眠はユダヤ人にとって大打撃であったが、英国人にとっても忘れることができない不幸で、彼らはこの日をプリムローズの日と称し、国際的記念日としているのを見ても、遺功が非凡であったのを知るべし。
253: 09/06(金)22:36 ID:MeobKQ4N0(8/13) AAS
p37
シオン運動の精神白熱して来た反動として、ロシア国ではポログラムを喚発し、フランスではドレーアス事件を惹起したのである。そうしてこの理由でヘルツルの奮起となり、1897年のバーゼルにおける全世界ユダヤ人大会となり、ここにシオン運動は二千数百年間で理想から現実に向かって猪進したのである。

(6)ヴィクトリア女皇のユダヤ人愛護

元来ヴィクトリア女皇は前述の通りユダヤ系を承け、ユダヤ人の祖国復興運動に対しては満身の同情と援助を与え、ダマスコ事件が起こるや、憂慮を置くことができないモントフォーアなどはこれのため実情検分として出発しようとするや、特に彼に謁見を賜ってその成功を祈り、一行のために官船を艤装させ、その他百般の援助をもってし、また首尾よく任務を果たして帰朝するや、再びモントフォーアを召しその成功を祝し、報いるのに貴族の礼をもってし、エルサレム勲章を賜ったという。
そうしてパレスチナ復興に関しては熱烈なシオン主義者で、出来得べくんば自己の治世中にこれを実現させようとの希望から、64年の長期間王位を保ったのであるとさえ言い伝えられたけれども、機はいまだ熟さなかったのか、志ならずしてこれを後継者エドワード7世に遺詔したのに、あたかも善い初産王(現皇太子)の誕生があったので、女王はこの遺詔を記憶させるため初産王をダビデと命名した。おおかたダビデはユダヤ王国の開祖である事を何人も知るところであるのをもって、これに因んでユダヤ王国を復興させようとの意思を残されたものである。
254: 09/06(金)22:44 ID:MeobKQ4N0(9/13) AAS
(7)英国政府は変わるも対ユダヤ方針は不変

バルフォアーの宣言にユダヤ人は狂喜頓死した者あり。

以来英国政府は何度も変遷があるも親ユダヤ方針に変化なく、1903年エドワード7世は首相バルフォアーを使って、祖国パレスチナ奪還の機会が来るまで、英領東アフリカ、ウガンダ地方を提供させたが、第七回シオン大会議は、

我ら神の選民であるユダヤ人は、自由の領土を求める者ではなくて、ただ祖国パレスチナを復興しようと望むのみ。

と拒絶するところとなるや、1916年時の外相バルフォアーは世界シオン国総裁ワイツマン博士に対し、
省8
255: 09/06(金)22:48 ID:MeobKQ4N0(10/13) AAS
(三)米国ユダヤ勢力に牛耳られる英国の悲哀

前述のように英国においては、最早上は皇室から下は労働党まで、ユダヤ勢力はすでに不治の病になり、英国は彼らの傀儡であるのを思わせるものであるが、彼らはまた米国ユダヤの勢力に支配されているのである。
世界を支配する米国のドルは、実は経済力をもって世界を支配しようとするユダヤ方針の実現である。日本の公社債の募集にもモルガン(ユダヤ人)の一顰一笑(顔を少ししかめたり少し笑う些細な変化)を気にしているのは残念な事実であるが、下り坂の大英帝国に至っては、誠に憐憫に堪えないものがある。
国際的な事になると、まず米国ユダヤの了解を求めるのにどんなに及々であるかの実例を次に挙げる。

(イ)ロバートセシル卿は米国ユダヤ人の集会において英国の対ユダヤ方針の不変を宣言す。

大戦中1917年11月2日英国外務大臣バルフォアーが全世界ユダヤ総代ロスチャイルド卿に手交された「シオン団の陛下の政府はパレスチナに一国家の設立を賛し、この目的のために最善の努力をなすべき旨をシオン団に通告を希望する」の意味のいわゆるバルフォアー宣言は、ユダヤ人の助力なしには確実な戦勝を得難い情勢上、連合国側だけではなく、敵国中にいる彼らをも利用しようとする政策を取らせるに至ったので、(この結果英国のユダヤ人が本当に乗り気になって金を出し数百万の派兵を可能にさせた)この事実や、ロンドン会議当時シオン運動の勇将マグドナルドに統帥された労働党が英国の政界を支配していた事などは、いかにユダヤ人が英国を牛耳っているかを示すものであるが、1924年英国国際連盟大臣ロバート・セシル卿が米国に赴き、米国ユダヤ人の集会に臨んで、『我が政府はいかに更迭するとも、上院はいかに変動するとも、ユダヤ人に対する英国の方針は断じて変える事はない』とご機嫌をとっている事や、またロンドン会議前マクドナルド首相が渡米し、米国ユダヤ人に、労働党が総選挙で予想外を多数獲得したお礼を述べたりしている事でもその一端がわかる。

バルフォアーの宣言は大戦は今だ終わらず、米国はいまだオーストリアに宣戦しないのに世界的大難題に向けて独断決行を試みたもので、傍若無人の振るまいと見られようが、実は彼の夫人はユダヤ人であり、当時以来大統領ウィルソンもシオン主義の巨頭で、夫人はユダヤ人であり、裏からの連絡はついているのであるが、表向きにはこの宣言を発すると同時に英国はサー・ルファス・アイザック(つまりリンデング卿で後にインド大守となったユダヤ人)を特命全権大使となし米国に派遣し、ウィルソンの了解を得て平和会議で具体化されたのである。
256: 09/06(金)22:51 ID:MeobKQ4N0(11/13) AAS
(ロ)マクドナルドは英国総選挙前に自党の抱負を米紙に掲げ、米ユダヤ人の了解助力を求める

またマクドナルドが英国総選挙前、労働党の首領として米国のニューヨーク ヘラルド紙に『政権がもし我が党に帰すならば』と題する一論文を寄書して無遠慮な抱負を公にした(これは東朝紙(朝日新聞の前身の一つ)に訳出された)が、この事実はすでに彼がいかに在米ユダヤ人の同志の助力了解を得るのに腐心するかを物語るのであると同時に、ユダヤ主義メイソン団の真目的(つまり世界革命)を知って読むと、誠によく了解出来る節が多々ある。

試しにその二、三を掲げる。( )内は解釈、訳文は東朝紙のものそのまま。

○米国は我らの世界計画においては我らの同盟国である云々
(世界計画とはなんぞや。大胆に世界ユダヤ禍を暗示する以外、英米同盟の成功を期待することができるものなし)

○労働党政府は、もし米国の方で我らと離れるような態度をとれば、それを災難と見なそうが、労働党政府はそんな事くらいで納まっていないで、それ以上ぐんぐん進んでいくだろうというのは、労働党政府は我らの世界政策である平和、改造、民主主義的発展、自由などの問題を、米国の精神や諸目的と本質的に同種のものであると考えているのである。
従って米国は我らの仕事において我らに与えることができる援助を差し控えようとする事はとてもできないわけである。
省4
257: 09/06(金)22:51 ID:MeobKQ4N0(12/13) AAS
○ロシア国革命は残忍な専制、残酷な圧迫、流血事件によって著名になった。でも私はそれを他の諸政府の敵対行為の実際の理由だと断じる事はできない。
ロシア国に白色帝国主義者連の革命が起こっていたら、同じく暴虐非道流血を極めたことであろうが、その場合は寛大な許しは容易であっただろう。そして承認は差し控えられなかったであろう。
(これは欧米政治家の詭弁の一例。白色革命はあるはずがない。あるとするならば愛国的内乱であるはずだ。また白色党の制裁は単にロシア国民の敵ユダヤ人にだけ加えられるはずだ。この言葉と次の言葉により、彼がいかにロシア国革命の味方であるかを知ることができるはずだ。)

○労働党政府が成立するなら我らは直にモスクワとの直接談判によってまた正当な援助を許し………云々。

○ロシア国は今に我々をひっくり返す事ができる強国である………。

(未完)
258: 09/06(金)23:31 ID:MeobKQ4N0(13/13) AAS
白色党や白色革命という言葉が出てくるが、フリーメーソンの別名で、グレート・ホワイト・ブラザーフットという組織があって、直訳すると偉大な白人兄弟愛。
シュタイナー教育ってオカルトなのか?
神秘主義者でもあるシュタイナーは、グレートホワイトブラザーフットは光の大同胞団とも呼ばれて悪霊と戦ってるという。
まさに光の戦士がDSと戦っているというQアノンの設定と似ている。Qアノンはフリーメーソン由来と思う。
外部リンク:ja.m.wikipedia.org

他に白色革命で思いつくのはアングロサクソン・ミッション
実は世界は昔からあまり変わってなかったりして

>252
カミソリの陸奥はパクリか…
陸奥宗光の孫の陸奥イアン陽之助は、ジャパン・アドバタイザーに入社し編集次長になっている。>>198
259: 09/07(土)07:54 ID:9vH7tqoB0(1) AAS
戦前の歴史教科書を転載したくて、ここだと宣教師の室町時代辺りはさすがにスレチなので、ちょいちょい規制があって書き込みしにくいけれど日本史板へ移動します。

【日本史】GHQに焚書された書籍
2chスレ:history
260: 09/09(月)14:06 ID:Hc+bj7aa0(1) AAS
敗戦後、日本は7000冊、ドイツは3万冊の本が焚書された。
ちなみに連合軍がドイツを占領した時に真っ先にやったことは閉鎖されたメーソンロッジの再開だそうだ。
261: 09/11(水)08:24 ID:fxHBNrAH0(1) AAS
ユダヤ陰謀はわかんねん
それはある程度あってるんやろうな
とも思うねん

でもそれだけじゃ理解できない国際情勢があると思うねん

1
どうしてアメリカは中国を経済成長させたのか?
非ユダヤ以外の巨大人口を抱える国が豊かになればユダヤにとって脅威になるのでは?共産党独裁体制ではユダヤが入り込む余地は無いように見える。
そのことは資本投下前に予想できたと思われるのにどうしてアメリカは積極的に援助したのか?

2
ユダヤの究極目標は何か?
省2
262: 09/12(木)16:14 ID:Bb0NRxEz0(1) AAS
戦後は誰もユダヤ研究はしていないからよくわからなくはあるけれど、中国といえばキッシンジャーでこの人が鍵かなと思う。
キッシンジャーはナチスに迫害されてアメリカへわたったユダヤ人。
「キッシンジャーは1923年5月27日、ドイツのバイエルン州フュルトでハインツ・アルフレッド・キッシンジャーとして生まれた。彼はロイターハウゼン出身の主婦パウラ(旧姓シュテルン)と教師ルイス・キッシンジャーの息子であった。彼にはビジネスマンの弟ウォルターがいた。キッシンジャーの家族はドイツ系ユダヤ人であった。」

中国歴代トップが重視した「キッシンジャー氏」…深い関係と、没後の見通しは 会談に立ち会った通訳が語る
2023年12月8日 12時00分
外部リンク:www.tokyo-np.co.jp
 キッシンジャー元米国務長官の死去は米国内より中国で大きく報じられ、業績への賛辞で埋め尽くされた。「力の均衡」による安定を信奉し、現実主義外交を貫いた重鎮は、いかに中国の「古い友人」(習近平=しゅうきんぺい=国家主席)となったのか。かつての最高実力者、故?ケ小平(とうしょうへい)氏とキッシンジャー氏の会談で通訳を務め、長年同氏と交流のあった中国シンクタンク、全球化智庫の高志凱(こうしがい)副主任へのオンライン取材から同氏と中国外交の親和性を探る。
263: 09/12(木)16:29 ID:5+s+hvz90(1/3) AAS
そして中国は日本よりはるか以前、アヘン貿易の頃からから、上海はユダヤ人アヘン王デビット・サッスーンが支配し、その莫大な利益で設立されたのが香港上海銀行(HSBC)。
出資者は、サッスーン商会、ベアリング商会、ジャーディン マセソン商会、ロスチャイルド系のバークレイズ銀行。日露戦争の戦費調達のためのロンドンでの日本国債で一貫して主要引受人として起債成功に尽力。
第二次大戦後の吉田茂首相の特別覚書による米国からの30憶ドルの借款は、サッスーン財閥から借りたもの。

アジアの金融はユダヤ人が支配していてそれは今でも続いているだろうが、中国が経済成長すると儲かるユダヤ人もいるんじゃないかな?
他にもいろいろ中国とユダヤ人の関係はあるかもしれない。
開封のユダヤ人が客家であり「華僑」といわれ世界有数の富豪がいたり。
シンプルに金という理由が全てな気がする…
264: 09/12(木)16:36 ID:5+s+hvz90(2/3) AAS
2018年5月度例会講演「近代日本 FRB ロスチャイルド」
外部リンク:www.focus-one.org
265: 09/12(木)16:54 ID:5+s+hvz90(3/3) AAS
あとはアメリカは疲弊したとしてもユダヤの軍需業者はずいぶん儲かっただろう
クウェートの復興はアメリカの建設会社ベクテルが請け負う
明石大橋もベクテル
266: 09/27(金)16:51 ID:Q0av5a3U0(1) AAS
フルベッキの解説

「1866年には,佐賀藩が長崎に開いた「致遠館」の教師も務めることになるが,ここでは,大隈重信や副島種臣をはじめとして,後に明治政府の要職に就くことになる多くの若手の教育にも関係する。フルベッキは,長崎で堪能な語学(英,蘭,独,仏)の教授に加え,政治,天文,科学,機関,築城,兵事等も教授したほか,蒸気船の購入等も依頼されていたのである(杉(1984),
pp.140-141)。このためか,高杉晋作,坂本龍馬,木戸孝充,伊藤博文,井上馨,小松帯刀,西郷隆盛兄弟等も,フルベッキのところに出入りしていたのである(『フルベッキ書簡集』(1978)の「解説」の項(p.372)を参照のこと)。
 『フルベッキ書簡集』の「年譜」によれば,フルベッキは,明治2年には,東京に出て開成校
教師や明治政府顧問となり,明治3年には,(開成校を改称した)大学南校教頭に推薦されている。
明治7年ごろからは,明治政府との関わりも弱くなり,明治10年には,明治政府の役職から完全
に外れるが,この間の功労が認められ勲三等旭日章が授与される。明治20年,明治学院の設立と
もに,教授に就任し,翌年,明治学院理事員会議長となっている。」

富田鐵之助「幕末維新のアメリカ留学と富田鐵之助―「海舟日記」に見る「忘れられた元日銀總裁」富田鐵之助(5)―」『東北学院大学経済学論集』第186号、東北学院大学学術研究会、2016年3月、1-91頁、ISSN1880-3431。
267: 10/13(日)18:01 ID:RVhBRX6t0(1) AAS
日本初のフリーメーソンの一人は慶喜の側近の西周
やっぱりフリーメーソンが江戸幕府を倒したんだ
そしてまた消されるかもしれないのでスクショ
しかしimgerは公開期間が決まっているとか
画像リンク[png]:i.imgur.com

外部リンク:ja.m.wikipedia.org
「文久2年(1862年)には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダに留学し、ライデン大学でシモン・フィッセリング(ドイツ語版)に法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。なお、1864年にライデンでフリーメイソンリーの「ラ・ベルトゥ・ロッジ・ナンバー7」に入会したとの史料も発見されている[3]。
慶応元年12月28日(1865年2月13日)の帰国後、目付に就任[4]、徳川慶喜の側近として活動する。王政復古を経た慶応4年(1868年)、徳川家によって開設された沼津兵学校初代校長に就任。同年、『万国公法』を訳刊。
明治3年9月28日(1870年10月22日)、明治新政府に乞われ兵部省(のち陸軍省)に出仕、軍人勅諭・軍人訓戒の起草に関係するなど、軍政の整備とその精神の確立に努め、文部省・宮内省・元老院などの公務も兼任した(学制取調御用掛・宮内省侍讀・宮内省御用掛・文部省御用掛・東京師範学校校務嘱託・元老院議官)。
明治6年(1873年)には森有礼・福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西村茂樹・津田真道らと共に明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。 」
省3
268: 10/22(火)07:18 ID:eDUV8cv00(1/2) AAS
クリストファー・コロンブスはセファルディムのユダヤ人だったのか?新しい研究が驚くべき起源を明らかに!
10月 14, 2024 3:40 pm
外部リンク:www.newsx.com
269: 10/22(火)07:19 ID:eDUV8cv00(2/2) AAS
スペインの科学者たちは、15世紀の著名な探検家クリストファー・コロンブスが西ヨーロッパ出身のセファルディムのユダヤ人であったと発表しました。この結論は、コロンブスの起源に関する謎を解明するためにDNA分析を活用した22年間の包括的な調査に基づいています。

コロンブスの謎を解明する
1490年代からスペインが資金を提供した探検を主導し、アメリカの欧州による征服の道を切り開いたコロンブスは、彼の出生地や遺産について長い間議論の的となってきました。伝統的にはイタリアのジェノバ出身と考えられていましたが、彼がスペイン、ギリシャ、バスク、ポルトガル、あるいはイギリスの血を引いている可能性を示唆するさまざまな理論がこれまでに浮上しています。しかし、この最新の研究は大きく焦点を移しました。
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