[過去ログ] 旧制中学・旧制高校(大学予科・専門部)という学歴 (1001レス)
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968: 2015/06/17(水)02:36 ID:GoGDCiPZ(1) AAS
今こういう風に入っては辞め入っては辞め繰り返してる過去を持つ国会議員いたら
すげえ叩かれてたんだろうな。親の莫大な遺産があってこそだし

1894年日本中学入学
1895年高等商業入学、退校
1896年正則中卒業、東京物理学校入学、慶應義塾入学
1897年学習院高等科入学
1901年学習院高等科卒業、学習院大学科入学
1904年学習院大学科卒業、東京帝大入学
1906年東京帝大卒業※このとき28歳
969: 2015/06/17(水)03:05 ID:tASxmxur(1) AAS
政府公認
【大学ランキング2016年【確定版】[総合(医歯薬系単科大学・学部学科は除く)]
〔ST〕東京大
〔SU〕京都大
=================
〔AT〕大阪大・東京工業大・慶應義塾大・早稲田大
〔AU〕北海道大・東北大・名古屋大・九州大
〔AV〕広島大・筑波大 東京外国語大・金沢大・上智大・明治大・立教大学・関西学院大
=====================================================================================
〔BT〕一橋大・千葉大・岡山大・熊本大・京都工芸繊維大・東京学芸大・法政大・立命館大・国際教養大
省7
970
(2): 2015/06/17(水)18:43 ID:OPpRaCed(1/7) AAS
宮沢が徴兵されなかったのは、公式にはどういう理由なのだろう?
中曽根はたしか一応陸軍入って戦争に行ってるよな。
971
(1): 2015/06/17(水)20:06 ID:3QPC482p(1) AAS
>>970
中曽根は海軍
徴兵される前に海軍経理学校を受けて士官になった
972: 2015/06/17(水)20:14 ID:OPpRaCed(2/7) AAS
>>971
そうか海軍か。ということは、やはり内務省でも徴兵される可能性は大だったということ
だろうけど、大蔵省の宮沢はどうだったんだろうなあ。
973: 2015/06/17(水)20:22 ID:J2cjnot/(1/13) AAS
>>970
>宮沢が徴兵されなかったのは、公式にはどういう理由なのだろう?

空襲罹災者に対する保険業務という余人を持って以って任務に就いている高等文官だから、という理由。
宮澤ヨーダより1コ上の中曽根さんは短期現役主計科士官に志願し試験を受けて合格。

ヨーダよりも門地の高い鳩山威一郎は短現で海軍主計科士官。
後藤田正晴は陸軍経理部将校だった。
974: 2015/06/17(水)20:28 ID:J2cjnot/(2/13) AAS
戦中派に話を聞くと、
かりに徴兵を免れて内地に居ようと、遅かれ早かれ全員戦死するんだという諦念が当時あったらしい。
ならばジリ貧で殺されるならば志願で戦地へ出て他に先駆けて散ってやろう!という心意気が青年層にはあったそうだ。
975: 2015/06/17(水)20:29 ID:J2cjnot/(3/13) AAS
余人を以て代えがたい ね。
976
(1): 2015/06/17(水)20:29 ID:OPpRaCed(3/7) AAS
うーん、やはり戦争に行かざるをえないだろう者は、なんだかんだで結局短現とかで
より安全な道を選ぼうとしているように見えるね。

医学部だから結果的には何もしなくても徴兵されなかっただろう安部公房は、
気持ちいいくらい徴兵忌避してるのが面白い。
977: 2015/06/17(水)20:37 ID:J2cjnot/(4/13) AAS
>>976
安全だったかは分からない。
事実、中曽根さんは開戦劈頭、乗艦が攻撃され部下を大勢亡くした。
またレイテ沖海戦で座乗していた戦艦長門も攻撃され、主計科が所管する厨房が大破。この時も間一髪でセーフ。

他方、中曽根さんよりも3ヶ月か半年遅れで短現に採用された小泉信吉は海戦で戦死。

生きるか死ぬかは運ですわ。
978: 2015/06/17(水)20:45 ID:J2cjnot/(5/13) AAS
>医学部だから結果的には何もしなくても徴兵されなかっただろう安部公房は、
>気持ちいいくらい徴兵忌避してるのが面白い。

光クラブの山崎晃嗣は東大を中退し陸軍経理学校へ。
戦時中も現代人のような感覚を持つ個人主義者は居たってことだ。
979: 2015/06/17(水)20:52 ID:OPpRaCed(4/7) AAS
いずれにしても死ぬ可能性は高かっただろうなあ。
宮沢は、必要だから内地に残ったというのはあそらく本当なのだろう。
だから、護憲派という立場を「戦場に行かなかったお前が…」みたいに言われるのは
我慢ならなかっただろうか?それとも、後ろめたいところがあったのだろうか?

…で、旧制高校のことなんだけど、理系大学に行けば戦争に行かなくて済むと考えて
高校理科に進学する者、進学を強く勧める親は多くいたのだろうか?
あるいは、もっと露骨に高校文科から大学理系学部に進学しようとする(それが可能
だったかどうかは知らないが)者は?
980
(1): 2015/06/17(水)21:03 ID:J2cjnot/(6/13) AAS
>理系大学に行けば戦争に行かなくて済むと考えて高校理科に進学する者

澁澤龍彦がその口。戦後、文転している。

それとは反対に、
徴兵猶予が無くなったうえ、定員も削減された旧制高校文科を覚悟の上で受験して昭和19年春入学した中野孝次が居る。
981
(1): 2015/06/17(水)21:20 ID:OPpRaCed(5/7) AAS
>>980
ああ、澁澤がいたね。
家庭や高校の寮内で戦争に関してどういう会話がされていたかが気になるんだよな。
外では世間体のいいことを言いながら、家では子どもにとにかく理科に行け、医者になれ、
と言っていた親が多くいたんじゃないか?
あと、高校生の中には東条の批判をしたり、改造を読んでいたりしてた者がいたとかよく
言われる(多分に好意的に)が、そんなレベルではなく、寮の中では、戦争なんてバカバカしい、
どうせいずれ終わるからうまく生き延びようぜ、一番簡単に入れる理科系学部はどこだ、
みたいな会話が多かったんじゃないか?

それとも、家の中でも高校寮内でも、喜んでお国のために死にましょうが大勢だったのか?
982
(1): 2015/06/17(水)21:30 ID:J2cjnot/(7/13) AAS
>>981
同窓会誌の懐旧談にありそうだ。
松本の旧制高校記念館に問い合わせみると分かるかも。

堀田良衛の自伝的小説「若き日の詩人たちの肖像」が参考になるかもね。
小説の舞台は慶應だけれども、主人公が昭和11年に慶應予科に入学し昭和18年9月仏文科を繰り上げ卒業するまでを描いている。
芥川龍之介の長男、芥川比呂志をモデルにした人物と主人公が山手線車中で交わした会話なんか、アナタが知りたい内容に近いかもしれない。
983: 2015/06/17(水)21:40 ID:J2cjnot/(8/13) AAS
昭和17年9月卒業だったかな。
主人公は現在の国際交流基金の前身に就職し、徴兵される直前で小説が終わる。
984
(1): 2015/06/17(水)21:42 ID:OPpRaCed(6/7) AAS
>>982
機会があったら読んでみます。

結局、文系学生の徴兵猶予停止になるまでは大学生は戦争に行かずに大学生をしていた、
行かずに済む大学生になった、ということが結局はできれば戦争に行きたくないということ
だったんじゃないのか?という疑問があるんだよね。
985: 2015/06/17(水)21:42 ID:mUj5kSEP(1) AAS
AA省
986: 2015/06/17(水)21:44 ID:J2cjnot/(9/13) AAS
澄江君:「君ね、戦後ってこと、考えた事ある?」
若者:「考えてみようとすることはあるけど、邪魔になるものが多すぎて」
澄江君:「邪魔になる?」
若者:「うん・・・・・」.
若者は口を澄江君の耳へもっていって言った。
「あのな、天皇ってものがある限りは、戦争は終わらんと思うんだ・・・・・・」
澄江君はぎょっとして、若者の顔を見詰めた。若者は自分の言ったことの重大さにあ然としたのだった。
しかし、邪魔は他にもあった。
若者:「そいつはね、簡単なことなんだ。戦後とか、戦争が終わったら、って言うけど、その後とか、終ッタラという前に、もしぼくが死んでしまっていたとしたら、その死ぬことが邪魔になってぼくは、その後も終ッテカラも見られなくなるってことなんだ。」
987: 2015/06/17(水)21:53 ID:J2cjnot/(10/13) AAS
>>984
まぁ一般的に高等教育を受けている人間は軍隊嫌いだよ。
「ゾル」といってバカにしていた位だから。

だから嫌々軍隊生活を経験した彼らが戦後描いた小説や映画は反軍的内容が多い。

「人間の条件」や「戦争と人間」など偏向がひどい。

他方、労働条件が劣悪な環境で働いていた庶民から見ると、軍隊それも戦争が激しくなる前の兵隊暮らしは悪くなかったようだ。
そういう目線から撮った映画が「拝啓 天皇陛下様」など。
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