[過去ログ] ■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目 (1002レス)
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129
(1): 2008/07/15(火)22:49 ID:OXO9p6Qe(1) AAS
>>128
剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで
批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。
だから剣道の試合でも強い。
強いがゆえに嫌われ批判される(笑
だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと言われちゃうわけ。

適切かどうかわからないけどボクシングに例えて話をすると
現代剣道は、足を止めて打ち合うのが正しく、それ以外は汚いと考える感じ。
きちんと正面を向いて打ち合えと言う。
古流や古流の流れを汲む剣道の一派は、フットワークを使い、相手の攻撃を
省4
130
(1): 2008/07/15(火)22:56 ID:b0jyqgBe(4/4) AAS
>>129
>剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで
>批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。
>だから剣道の試合でも強い。
>強いがゆえに嫌われ批判される(笑
>だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと
>言われちゃうわけ。

現代剣道で誰かを批判するとき、「当てっこ剣道」という言葉を
使用するときがあるけど、「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
省1
131
(1): 2008/07/15(火)23:27 ID:R5tOVq/6(1/2) AAS
>>123辺りが言ってることは大方正しいと思うが、剣道批判の根拠が「当たり判定」でないのならこのスレッドのトピックからは外れるのではないかと思うのだが。

ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した経験が少しでもあれば分かるのでは?
左手を中心に残した、正しい担ぎ面は何ら問題のない技だし全日本優勝者が決めたのもそのような技だと思うが(資料がないので分からない)、
子供が真似をして左手を正中線から外して斜めに振りかぶる変な癖がついてしまっては良くない、まずは正中線を通した基本の技を見につけてから、
というのはいかに中村先生やその門下の方とてその通りだと仰ると思う。(剣先が開いていて中心を取っていないように見える構えでも、左手は正中線を通して中心を押さえている。勿論宮崎選手も同様)
教育的見地から、特定の技は癖がつき易いから使いすぎないように、というのは何ら間違ったことではないだろう。担ぎ面は応用的な技だし。
もし、全日本優勝者の技がその瞬間だけでも左手が中心を外れるような打ち方をしていたのなら、それは子供に真似させるべきではないと思う。
ちなみに批判はあっても剣道に取り直しはないのでご安心をw そこは競技だから、審判の旗がどう見ても間違っていると分かっても結果は取り消されない(と思う)。

何だか、「現代剣道」という実体の無いものが批判されているようだがその実物は例えば古流とどう違うのだろうか?
「斬られずに斬る」という発想からなる高度な動きが存在するのは確かだが、例えば自分が剣道を始める子供に対して「斬られずに斬れ」というアドバイスをすることは無いと思う。
省9
132
(3): 2008/07/15(火)23:48 ID:R5tOVq/6(2/2) AAS
>「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
>むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
>理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど

>>130氏がどれだけの剣道のキャリアをお持ちなのかは分からないが、例えばこれは(>>130氏が剣道の基礎をしっかりと身につけている方なら違うが)
「斬られずに斬る」を奨励した場合に生ずる弊害の一つだ。
仰る通り、極端に過ぎるし本質的に間違っていると思う。
もし、>>130氏が剣道をあまりやっていない方ならば是非その理念で剣道をやっていただきたい。
何も出来ないことが分かるだろうからだ。
少なくとも、これから剣道を始めようとする小学生や中学生に対して、かのようなものが「剣の理合」だと教えることは非常に危険だ。
そして、それを「理合」として剣道を始めても宮崎選手のような選手は絶対に生まれ得ない。
省7
133
(1): 2008/07/16(水)00:19 ID:JuakNJnj(1/5) AAS
考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」という言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。
決して「斬られずに斬れ」と仰っているのではない。現代剣道のルールを奇貨として剣の本質を忘れるなかれ、というメッセージだろう。
そしてもう一つ特筆すべきは、既に指摘した方もいるがこれが剣道日本の記事であるということ。
剣道日本は間違いなく「現代剣道」の場となっているジャーナルだ。
それが、「中村先生の思想を批判する」という立場にたっている、という前提は記事が掲載されたという事情それだけでも無理があるように思う。
剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのはそれが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって当然の反応なのだろう。
このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられているように感じる。
また、どちらの解釈に分があるかという客観的根拠に於いても上に書いた趣旨として捉える立場の方が、厚い。
134
(2): 2008/07/16(水)00:51 ID:T5rsAVGK(1/5) AAS
>>131-132
>ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した
>経験が少しでもあれば分かるのでは?

「かつぎ面」といえばその質を問うことなく全否定する画一的態度を
批判しているだけで、貴方のいう教育的効果については否定しない。

>相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の
>打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと
>何も出来ない選手に育ってしまう。

私もそのように教えられたし、剣道を人に教えるときにはそのように説明
している。捨て身の技の大切さは承知した上で、しかし、防御から
省7
135
(1): 2008/07/16(水)01:10 ID:JuakNJnj(2/5) AAS
>>134
バランスの問題に関しては確かに別の視点として考えられますね。
剣道は、あらゆる格闘技に比べて先手必勝、攻めろ攻めろと教えられる攻撃偏重の文化であることは否めないと思いますし、
それが剣道の価値観であるところは恐らく揺るがないのでその点、全体として何かバランスを欠くという指摘は充分可能でしょう。
(完全に余談ですが、そのような攻撃偏重の思想が戦時に軍国主義に於いて利用されてしまったという面もあります)
やはり、剣道が攻撃偏重であるからこそ剣道で結果を残したければまず先に攻撃を勉強するのは当然の流れなのでしょう。(「剣の技法」としての是非はともかくとして)
ですから、「剣道をする」ならば防御とのバランスを考えることよりもきちんとした打ち込みを先に教えることが徹底されていますし、剣道で結果を出す選手たちも皆(というか剣道をする者は皆、かも知れませんが)そのような稽古で錬を高めていますね。
結果、それで「攻撃偏重」となることも無いと思います。(剣道自体が攻撃することを是とするため当たり前ですが)
考えてみれば剣道の稽古は攻撃ばかりです。防御的な部分は足裁きくらいで(だからこそ差がつく部分ですが)素振りから始まって切り返し、基本技、打ち込みと攻撃を叩き込まれますね。
それは剣道をやるからには避けられない宿命なのかも知れません。>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的にはどのような稽古法なのでしょうか?
省6
136: 2008/07/16(水)01:11 ID:T5rsAVGK(2/5) AAS
>>133
>考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」と
>いう言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。決して「斬られずに斬れ」と
>仰っているのではない。

防御偏重で腰のひけた剣がダメなのは当然の前提だろう。
>>54で引用されているそれらの言葉の意味は、真剣を扱うことを前提に
するのであれば、相手の竹刀を体に触れさせないようにしなければならない、
としか読めないのだが。

>剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのは
>それが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって
省8
137
(1): 2008/07/16(水)01:33 ID:T5rsAVGK(3/5) AAS
>>135
>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的には
>どのような稽古法なのでしょうか?

とりあえず思いついたものを考えると・・・

まず基本的な足捌き(フットワーク)は最重要だろう。
その上で効率的なよけ方を学ばせる。足でかわす、竹刀でかわす、それぞれの
場面において、次の場面につながりうるようなよけ方を学ばせる。相手が連続
して攻撃してきた場合はどうするか、距離をとるのか、懐にとびこむのか、
相手を打つのか、それぞれの状況に応じて考えていくと。
あと、安全でかつ次の展開につながる距離のとり方(非常に難しいが)。
省6
138: 2008/07/16(水)01:34 ID:JuakNJnj(3/5) AAS
>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
>ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。

恐らく、その「全否定ではない」という部分が肝なんだと思います。
私が書いたのも、やはり現代剣道の一部分の批判ですね。(現代剣道、は特定の内容ではなく現代行われている剣道、という意味です)

「この発言があるから、剣道なんてやってもダメなんだ」
「つまり剣道の当たり判定で稽古をしてもダメなんだ」
そのように解釈する者がかつていました。(今はどっかいったかと思うと夏蝿のように湧いてきますw)
また、「それゆえ剣の理合=攻撃<防御だ。当てっこは理合に適う」という趣旨で捉えるのもやはり間違いだと思います。
「剣道の攻撃偏重の中でも、竹刀は刀であることを忘れてはならない」ということ、即ち私が書いたところの当てっこ批判と同じですが、それを意味する趣旨と解するのが自然ではないでしょうか?

また、
省11
139
(1): 2008/07/16(水)01:45 ID:JuakNJnj(4/5) AAS
>>137
なるほど、確かに防御方法をバリエーションをつけて意識的に練習することは効果的な気がします。
ただ、相手が打ってくることが分かったならその機先を制して打つ、というのが剣道のオーソドックスな戦法なので
まず防御ありきではなかなか一本を取れる選手には育たないかも知れませんね。
(どちらかというと、選手云々というよりは剣道に対する防御法の指導という感じなのかもしれませんが。。)
打ってこない相手だと思ったならば打たずに攻めて苦しくなったところの起こりを叩く、という感じで処理されてしまう気もします。生半可な攻撃は隙を生むだけですし…
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることも考えると、失礼ながら防御を以って攻撃の代を為す、という程の変革を起こせるものではない気もしてしまいました。
やはり「剣道」の稽古法としては苦しいのではないでしょうか?と言っても仕方ないですけど。
ご意見ありがとうございました。
140
(1): 2008/07/16(水)01:56 ID:T5rsAVGK(4/5) AAS
>>139
初心者に対し攻撃・防御のどちらから入るか、どのような教え方をするのか、
という話だから、上のような説明にした。
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることは承知だが、
どのような教え方をするにしろ、そのあたりはかなり上級で教えてできる、
というものでもないしね。

ただ、現代剣道の攻撃を是とする思想を相対化すべきではないかと
個人的には考えているので、あえて書いてみた。

現代剣道は隅から隅まで独自の価値観・思想で固まっている。
それ自体は悪いことではないが、その中で失われたものがあるというのは
省2
141
(1): 2008/07/16(水)02:07 ID:JuakNJnj(5/5) AAS
>>140
そうですね、結論として思うところは似通っていると思います。
陳腐な言い回しですが「真剣同士の戦いの緊迫感」みたいなものは相当相対化されていますし。
その中で、剣道人として何をしていくべきか中村先生の言葉をどう捉えていくべきかを考えると、
真剣ならばどうなるのか、といったことを年頭に置きつつ剣道をしていく中で「失われたもの」を追求していくことなのではないかと思います。
ルールに依存することなく、正しい、目指すべき一本とは何なのかを考えることもその一歩であると思います。

長々とありがとうございました。
142: 2008/07/16(水)02:20 ID:T5rsAVGK(5/5) AAS
>>141
こちらこそ、ありがとうございました。
143: 2008/07/16(水)04:07 ID:9YWNTIZ2(1/2) AAS
>>132
>私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を
>紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として
>教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
>斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が
>常に伝え続けているところで、
>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う

おいおい、本当に「五輪書」読んでるのかよw
五輪書地之巻には
 『武士の兵法を行う道は、何事においても人にすぐれるところを元とし、あるいは
省21
144
(1): 2008/07/16(水)04:28 ID:9YWNTIZ2(2/2) AAS
>>132
ついでに新陰流の「殺人刀」では
(現代語に要約すると)
 人に一太刀浴びせるのは容易い。人に斬られぬことは難しい。
 相手は斬ろうと思って打ち付けてくるが、身に当たらぬ間合いを熟知して
 驚かずに、あえて敵に打たせる。
とある。
そしてこう続く。 
『敵は当たると思ふて打てども、つもり(間合い)あれば当たらぬなり。
 当たらぬ太刀は、死に太刀なり。
省6
145: 2008/07/16(水)12:00 ID:sDUkmEAX(1/2) AAS
SUGEEEE
146: 2008/07/16(水)12:07 ID:sDUkmEAX(2/2) AAS
すまん、誤爆したw

>>144
葉隠も読もうぜ!
しかし「剣の理合」っていうのも色々あると思うな。
素肌剣術で武芸者として生き残っていこうと思うならまず斬られないように、が大切だったと思う。一人対多人数とかも攻撃動作は最小限にせざるを得なそう。
斬られないで生き残っていく中で技が磨かれていくとするなら、それこそボクシングの話のように防御から先に教わることもあったのかもしれないね。
147
(1): 2008/07/16(水)15:03 ID:6FzMtVY4(1) AAS
今まで見てきて一番有意義なやり取りが成立した気がするがトピックからするとどちらの立場からもさほど結論は変わらないようだな。
剣道の価値観は実戦そのものではない。剣でのやり取りの一部分をフォーカスして、現代ではその精神を人間としての生き方に沿え高めていこうとする文化。
当たり判定が不自然だ、という批判はそのような剣道の性質を理解していないからそう見えるだけ。攻撃偏重の価値観が肌に合わないなら余所へ行けば良いし誰も止めない。
そのように剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらもなお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる。
そのような足掻きをどう評価するかは人それぞれなのだろう。

剣道なんて150年の歴史も持たない競技、その内容や取り巻く環境も戦前戦後、現代とどんどん変わっている。
また数年程経ったら剣道を巡る議論や環境も全く違うものになっているのかも知れないな。
柔道のように国際主義の中で合理化・定式化の波に揉まれて剣道としての本来の姿を著しく見失ったものにはなっていないでくれと、現代の剣道家としては願うばかりか。
何が「正しい剣道」なのかは誰かが決めて押し付けるものではなく理想的には個々が考えるべきことだから、剣道日本のようなジャーナルで様々な剣道を紹介し、比較議論するような試みがもっとあっても面白くなるかもしれんね。
148: 2008/07/16(水)16:19 ID:jEltKim1(1) AAS
>すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
理合にかなうのかもしれないね

宮崎氏の剣道、合理的な剣道だと思う。だから6度も日本一になれたと思う。

>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。

実力の低い人が、実力の高い人に使う打ち方だと思う。
実力が接近したもの同士では「捨て身の打ち」は使うべき打ち方ではない。
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