日蓮ってver.74 (192レス)
上
下
前
次
1-
新
132
(1)
: 12/10(火)10:53
ID:ysNXbe5D(1/2)
AA×
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
132: [sage] 2024/12/10(火) 10:53:05.08 ID:ysNXbe5D 【相応部経典12-5】 「大徳よ、正見、正見と申しますが、大徳よ、正見とはいったい、どういうことでございましょうか」 「カッチャーシャよ、この世間の人々は、たいてい、有か無かの二つの極端に片寄っている。 カッチャーシャよ、正しい智慧によって、あるがままにこの世間に生起するものをみるものには、この世間には無というものはない。また、カッチャーシャよ、正しい智慧によって、あるがままにこの世間から滅してゆくものをみるものには、この世間には有というものはない。 カッチャーヤナよ、この世間の人々は、たいてい、その愛執するところやその所見に取著し、こだわり、とらわれている。だが、聖なる弟子たるものは、その心の依拠に取著し、振りまわされて、<これがわたしの我(が)なのだ>ととらわれ、執著し、こだわるところがなく、ただ、苦が生ずれば苦が生じたと見、苦が滅すれば苦が滅したと見て、惑わず、疑わず、他に依ることがない。ここに智が生ずる。カッチャーヤナよ、かくのごときが正見なのである。 カッチャーヤナよ、<すべては有である>という。これは一つの極端である。また、<すべては無である>という。これももう一つの極端である。 カッチャーヤナよ、如来はこれら二つの極端を離れて、中(ちゅう)によって法を説くのである。 【中論一五章】 七 カーティヤーヤナに教える【経】において、「有り」と「無し」という両者が、有に無とを説き給う尊師によって論破せられた。 八 もしも本性上、或るものが有であるならば、そのものが無はありえないであろう。何となれば、本性の変化することはけっして成立しえないからである。 九 【物の】本性が無であるとき何物の変化することがあろうか。また本性が有なるとき何物の変化することがありえるであろうか。 一〇 <有り>というのは常住に執著する偏見であり、<無し>というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は<有りということ>と<無しということ>に執着してはならない。 一一 <その本性上存在するものは、無いのではない>というのは常住を執する偏見である。<以前には存在したが、今は無し>というのは断滅を執する偏見となるであろう。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1730715960/132
相応部経典 大徳よ正見正見と申しますが大徳よ正見とはいったいどういうことでございましょうか カッチャーシャよこの世間の人はたいてい有か無かの二つの極端に片寄っている カッチャーシャよ正しい智慧によってあるがままにこの世間に生起するものをみるものにはこの世間には無というものはないまたカッチャーシャよ正しい智慧によってあるがままにこの世間から滅してゆくものをみるものにはこの世間には有というものはない カッチャーヤナよこの世間の人はたいていその愛執するところやその所見に取著しこだわりとらわれているだが聖なる弟子たるものはその心の依拠に取著し振りまわされてこれがわたしの我がなのだととらわれ執著しこだわるところがなくただ苦が生ずれば苦が生じたと見苦が滅すれば苦が滅したと見て惑わず疑わず他に依ることがないここに智が生ずるカッチャーヤナよかくのごときが正見なのである カッチャーヤナよすべては有であるというこれは一つの極端であるまたすべては無であるというこれももう一つの極端である カッチャーヤナよ如来はこれら二つの極端を離れて中ちゅうによって法を説くのである 中論一五章 七 カーティヤーヤナに教える経において有りと無しという両者が有に無とを説き給う尊師によって論破せられた 八 もしも本性上或るものが有であるならばそのものが無はありえないであろう何となれば本性の変化することはけっして成立しえないからである 九 物の本性が無であるとき何物の変化することがあろうかまた本性が有なるとき何物の変化することがありえるであろうか 一 有りというのは常住に執著する偏見であり無しというのは断滅を執する偏見である故に賢者は有りということと無しということに執着してはならない 一一 その本性上存在するものは無いのではないというのは常住を執する偏見である以前には存在したが今は無しというのは断滅を執する偏見となるであろう
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 60 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
ぬこの手
ぬこTOP
0.051s