[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ12 (1002レス)
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358
(3): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 01/17(金)10:33 ID:MEr9oV+O(1/6) AAS
>>352-357
>結局、最後は力で決まる 無駄を承知でやりまくることでしか結果はでない
>数学者は馬鹿でなくてはならない、といった人がいる
>要するに、常に効率のいい方法を求める利口になるな、ということ
>新しい結果を出す最適の方法なんか存在しない

ふっふ、ほっほ
おサルさん>>7-10

1)公開処刑 進行中なww ;p)
2)おっさんな
 「結局、最後は力で決まる 無駄を承知でやりまくることでしか結果はでない」
省34
360
(1): 01/17(金)11:39 ID:MEr9oV+O(2/6) AAS
>>359
これは、御大か
朝の巡回ご苦労様です

棋聖戦の第一局ね
最近の碁は、昔とだいぶ違いますね
布石で、秀策のコスミ復活が目につきました

(参考)
kisei.yomiuri.co.jp/kisei/49th/top_7ban01.htm
読売
第49期棋聖戦七番勝負
省8
361
(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 01/17(金)16:30 ID:MEr9oV+O(3/6) AAS
>>341
>下記の"選択公理を仮定すれば、整列定理により任意の集合 A に対して A と同数であるような順序数が存在することが言える"
>を使うと、循環論法になる
>ツォルンの補題を経由すると、”循環論法!”と言われるのを、一応避けられるね ;p)

補足します

1)上記 ”任意の集合 A に対して A と同数であるような順序数が存在する”
 が、選択公理に依存していると、>>310の wikipedia Well-ordering theorem の証明で
 上記 ”順序数”の性質を使ったり あるいは
 そもそも、”Well-ordering theorem”(=整列可能定理)自身が、
 上記 ”順序数”の性質を使っているとすると
省10
362: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 01/17(金)16:41 ID:MEr9oV+O(4/6) AAS
余談ですが
”スコットのトリック”は
圏論の本で Dana Scott氏に付随して書かれていて
”スコットのトリック”?
なんだろうと思って調べたことがあって
そのときは、「へー」とは思ったが
「それがどうしたの?」みたく、なんの感慨もなかったのです
が、いま、結構大事な話だと分かりました! (^^
363
(4): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 01/17(金)18:03 ID:MEr9oV+O(5/6) AAS
>>177
(引用開始)
>これが 理解できていれば、選択関数は
>整列可能定理の 関係R の構成を通じて 具体化可能だ!と
じゃあ実数の整列順序を構成してみて
整列可能定理でできるんでしょ?
(引用終り)

”実数の整列順序”に戻る
下記です
・選択公理を含む集合論の ZFC 公理系からは、実数全体の成す集合 R 上の整列順序が存在することが示せる
省26
364: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 01/17(金)18:20 ID:MEr9oV+O(6/6) AAS
>>363
Cantor en.wikipedia に、興味深い記述があった(下記)
”彼はユリウス・ケーニヒが第三回国際数学者会議で発表した論文に憤慨し動揺した。その論文は超限集合論の基本原理が誤りであることを証明しようとしたものだった。その論文が娘たちや同僚の前で読まれたため、カントルは公に辱められたと感じた。エルンスト・ツェルメロが1日も経たないうちにケーニッヒの証明が失敗したことを証明したが、カントルは動揺したままで、一瞬神に疑問を抱いた。カントルはその後生涯慢性的な鬱病に苦しみ・・”
とある

en.wikipedia.org/wiki/Georg_Cantor
Georg 略 Cantor ( March 1845 – 6 January 1918)
(google訳)
Teacher and researcher
1889年、カントルはドイツ数学会の設立に尽力し、1891年にハレで開催された同会の第一回会合で議長を務め、対角線上の議論を初めて発表した。カントルの評判は高く、クロネッカーが反対したにもかかわらず、同会の初代会長に選出された。クロネッカーがカントルに対して示した敵意をよそに、カントルはクロネッカーを会合で講演するよう招いたが、当時、妻がスキー事故で負傷し瀕死の状態だったため、講演はできなかった。ゲオルク・カントルは、1897年にスイスのチューリッヒで開催された第一回国際数学者会議の設立にも尽力した

Later years and death
省4
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