神社の起源 (795レス)
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38(1): 2010/11/03(水)07:25 AAS
日本書紀(持統天皇)の時代に行なわれた宗教改革以前の古い時代の神道では、
王族の祖先である男王神とそれを守護する妹姫神のワンペアが祭祀されていた痕跡は、
伊勢神宮の内宮に建てられる神殿の敷地が、二つ存在することからもうかがえる。
八咫鏡を作る前に、パイロット版として試作された鏡が日前国懸神宮に納められた記録があるが、
この神社は伊勢神宮よりもそれだけ古い神道の姿を今に伝えているとも考えられる。
二殿併設の日前国懸神宮に祭られている神々は、
朝廷の圧力によって時代とともに変えられた可能性があるが、
社殿の形まで変えることは出来なかったようである。
問題は、斎宮制度の廃止によって、
斎王が神がかりして得た神の力を、天皇が受け取って行使する、
省6
39: 2010/11/03(水)11:05 AAS
大作ありがとう
興味があるので参考文献を挙げてくれないか
40(1): 2010/11/03(水)15:10 AAS
>>38
大陸に何らかの起源があったのは当然でしょうね。
浦島伝説(海幸山幸)七夕(龍と瓜)桃太郎、いずれも中国に原型がありますし。
しかも七夕はかなり早い時期に伝わって日本の機織り巫女と完全に同化してますから。
しかし、そもそもが中国と言う国は人種のるつぼで東アジアの中心地です。
今の東京のようにあらゆる地方の人間が集まって出来た国であって
逆に言えば「中国の伝説=中国に初めから伝わっていた伝説」ではありません。
文化の輸出国であったと同時に輸入国でもあった国なので。
そう考えれば、石器〜縄文期にはむしろ日本の方が先行していた経済活動(石器や土器の貿易)
などのことを鑑み、また縄文人の影響が濃い可能性のある神道は必ずしも大陸輸入ではなく
省3
41: 2010/11/03(水)19:46 AAS
>>37
桃太郎と卵生神話の関係とは盲点だった。
今月号だか先月号の雑誌ニュートンによると、
確か唐古・鍵遺跡から桃の種が大量出土の記事があった。
ただ、朱蒙とかの川渡り伝承部分はモーゼの海渡りとする旨を
森雅子(中央大学)が指摘してるので、西から東へではなかろうか。
>>33
禰宜(ねぎ)はマギからではなかろうか。
「シルクロードの宗教」(R.C.フォルツ、教文館、2003)では
西周時代遺跡出土宗教文物からイラン人の宗教指導者を雇っていた旨を述べていて、
省2
42: 2010/11/05(金)10:12 AAS
>>1 石 水 木
43: 2010/11/08(月)08:59 AAS
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("I'm not chicken!")
シャカチキ!シャカチキ!
省9
44: 2010/11/08(月)09:05 AAS
他スレと誤爆しました。すみません
45: 2010/11/08(月)15:38 AAS
いいよ
どうせオナニー過疎スレだから
46: 2010/11/09(火)18:35 AAS
上田正昭「神道と東アジアの世界」に神道、神宮の用語の所見等あり。
道教との関係が深いようですね。
47: 2010/11/10(水)09:24 AAS
神社は砦、前線基地の名残りw
48: 2010/11/15(月)00:50 AAS
ここはチョソを自慢するスレですか
49: 2010/11/21(日)23:39 AAS
>>40
中国に同じものがあるからといって直接の輸出入だけを考えるのは早計。
中国以外にも同じモチーフの説話は世界中にいくらでもある。特に浦島。
同モチーフ別系統の説話が後世になって習合するパターンだってありうる。
50(2): 2010/11/22(月)14:44 AAS
寅さんの地元、柴又神社って古墳の上に出来ているそうです。
古い神社ってだいたい、古墳とか霊場のようなところに出来ていると
思っていいんですかね
51(4): 2010/11/22(月)16:11 AAS
>>50
霊場(というかぶっちゃけ死体捨て場)に神社を作ることはかなり少ないだろうな。
ケガレの集まる場所なわけだから、そこを神社とする可能性はむしろ低い。
作るとすればむしろ寺。
神社があっても、まず寺があって、その鎮守として神社も作る中世以降の
パターンとか、最初は寺のつもりだったけど廃仏毀釈の折に神社ということにして
しまいました、という八坂神社型とかじゃないかと。
古墳の上に作ってるのはけっこうある(俺の実家の近所にあるのもそう)とは思うが、
古墳だと思って作ってるわけではないんじゃないかと思う。
あと、柴又八幡社はそんな古くないぞ。たかだか近世までしかさかのぼらんでしょ。
52(1): 2010/11/22(月)22:58 AAS
>>51
>霊場(というかぶっちゃけ死体捨て場)
うーん、そういうものだったのか
53: 51 2010/11/25(木)16:09 AAS
>>52
ちょっと訂正。死体捨て場は言いすぎだったかもしれん。
霊場の中には修験などの信仰から観念的にでてきた、死体捨て場としての
実績のないものも少なからずあるし。
ちょっと高野山あたりに意識をもってかれすぎてたかも。
ただ、いずれにしても、葬送の地すなわち死者の行き先として
観念されているということにはちがいなく、理論的には黄泉なんかと
一緒で穢れた場所のはず。
そこに神社を作ることは古代においては考えにくい。
中世になると信仰の形態がかなり錯綜するので、その中で従来は
省2
54: 51 2010/11/25(木)16:15 AAS
さらに補足。
「神社もどき」ってのはたとえば京都の八坂神社みたいなのね。
55(1): 2010/11/28(日)15:59 AAS
生贄とか人柱を立てた跡とか、それなりの人物の墓が、時の流れの中で神社(祠?)と化す場合もありそうだけど。
56(1): 弓道家 2010/11/30(火)15:20 AAS
昔の人は私達に見えないモノが認識出来てたんじゃないか、
そうとしか考えられないと子供の頃から思ってます。
絵巻なんかに描かれたモノは想像の産物ではないんじゃないかと。
「鎮める」とか「依り代」とか、認識出来てないと
生まれないものじゃないですかね?
57(1): 2010/11/30(火)22:28 AAS
ウラシマもかぐや姫も東南アジア周辺にいっぱい残ってるんじゃ
なかったけか?
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