[過去ログ] 【中共に妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった】チベットへの侵略と虐殺【スペインが訴追 世界犯罪者 江沢民】 (60レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
1
(5): @転載は禁止 2014/06/30(月)09:37 ID:N7oTmoBM(1/4) AAS
当時人口7万人のラサに2万人以上の人民解放軍が進駐し、ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、瞬く間に食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃した。
1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、
寺院の仏像や経典を容赦なく略奪した。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用する。
「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、
「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は手足を切断され、首を切り落とされ焼かれ、熱湯を浴びせられ馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、
大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。

貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。
省22
2: @転載は禁止 2014/06/30(月)10:13 ID:N7oTmoBM(2/4) AAS
今現在の中国のどこに70年前の日本を非難する資格がある?
4: @転載は禁止 2014/06/30(月)22:20 ID:N7oTmoBM(3/4) AAS
>>特に尊敬されている僧たちは、尼僧と性交を強いられたりもした。

これは、日本仏教や中国仏教からすると、神仏をも恐れぬ所業なんだが、
チベット仏教というよりチベット密教からすると、少し興味深い。
なにしろ原始チベット密教は、男女修行者が性交により互いの性エネルギーを高めあい、それが修行の大きな部分だった。
歳月を経るに従い、性交修行は観想だけになり、実際の性交は禁止の普通の宗教になったが、元々の教義にはあるはずだ。、

インドのティロパの所に密教を教わりにチベットのチベット密教カギュ派の祖となるナロパが訪れた。インドの漁師のような粗末な家だったらしい。
そうするとティロパは、この女性と一緒に修行しなさい。と言って、ナロパは女性と一緒に家に篭って修行した。という話を聞いたことがある。
ティロパとナロパとマルパ、ミラレパの名前がごっちゃになっているが、たしかにそんな話だった。女性はダーキニ(性的パートナー)で、
師匠と性的修行をしたダーキニを経由してナロパは修行したことになる。これは弟子にも受け継がれて行ったはずだ。
ナロパの女性パートナーであったニグマの教えから分派シャン派が生まれたらしい。シャン派の近現代の行者としてはカル・リンポチェがいるという。
省10
5: @転載は禁止 2014/06/30(月)22:27 ID:N7oTmoBM(4/4) AAS
ああ。詩聖ミラレパまで来ると、全く女性と無縁と思ってたか、違う資料もあるようだな。

チベットで絶大な人気を誇る詩聖ミラレパ(1040−1123)といえば、女色を絶ち、長いあいだ人里はなれた洞窟にこもって修行をした大成就者(マハーシッダ)
であり高僧というイメージがある。ところが伝記を読むかぎり、ミラレパは女色を遠ざけるどころか、性的タントラの実践者であった。

 ある日ツェリンマという女と侍女である4人のダーキニーがミラレパの洞窟にやってきて、お香や食べ物、飲み物、楽器、衣類、花などを捧げる。
彼女らは歌と踊りを捧げ、さらには彼女ら自身を「四楽の知恵をもつ至福の空の捧げ物」としてミラレパに献上したのである。

 彼女らはすなわちカルマ・ムドラーである。

カルマ・ムドラーとは、明妃のことだ。ジューン・キャンベルによれば、ヴァジュラヤーナ(金剛乗)において性的実践は
必要不可欠なのだという。
省12
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.122s*