[過去ログ] 【教育】ジャイアンにのび太殴られるシーンは「いじめ助長」 台湾団体が「ドラえもん」に「異議あり」 (1001レス)
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266(1): 名無しさん@0新周年 2014/07/17(木)00:08 ID:280/Zkot0(1/6) AAS
藤子・F・不二雄
子ども漫画には、言うまでもなく子どもが登場します。
作品の中の子どもたちは、いかにも子どもらしく、活きいきと活躍していなければなりません。
読者である子どもたちが、共感を寄せてくれるような子ども像が描かれていなければなりません。
作者が頭の中だけで、調査資料などを頼りにでっち上げたニセ子どもなんか、たちまちソッポを向かれてしまうのです。容易ではありません。
結局、僕等は僕等自身を自作に登場させているのです。
遠い少年の日の記憶を呼び起し、体験した事、考えた事、喜び悲しみ悩みなど…。それを核とし、肉づけし、
外見だけを現代風に装わせて登場人物にしています。
オバQも正ちゃんもゴジラも木佐くんも、みんな作者の分身です。
中身は、昭和一ケタの人間たちなのです。
省14
326: 名無しさん@0新周年 2014/07/17(木)00:18 ID:280/Zkot0(2/6) AAS
藤子・F・不二雄
まんが「ドラえもんのナンセンス性の一つに、四次元ポケットがあります。
のび太のリクエストに応じ、またはドラえもん自身の判断で、その場の状況にふさわしいナンセンスな道具をヒョイと取り出す。
その道具が周囲にナンセンスな反応を引き起し、ナンセンスな結末に至るというのが大よそのパターンなのです。
最近このヒョイと取り出すのが、教育上好ましくないと言う批判を、しばしば目にします。
のび太が、汗も流さず手も汚さず、ヒョイと良い物を手に入れる安直さが、人気の要因であると。
そんな安直なまんがは子供に、苦労抜きで成功をユメ見るイージーな人生観を植えつけるものであると。大よそ、そんな論旨です。
ちょっと困っています。
省14
341: 名無しさん@0新周年 2014/07/17(木)00:21 ID:280/Zkot0(3/6) AAS
藤子・F・不二雄
「風刺」は、まんがの持つ機能の内の一つです。
特にまんがの発生した当初においては、風刺こそ、まんがの最大の武器であったようです。
言うまでもなく、描こうとする対象の特徴を拡大し、誇張した絵がまんがなのですから、これは当然でしょう。
写実以上に作者の主張が、クッキリと打ち出されるわけです。
時には、権力に歯向かう牙となって、為政者の弾圧を受けたりもしたのです。
しかし、時代が下りまんがが庶民の間に浸透するに従い、「風刺」は主流の座から退き、「笑い」の機能がクローズアップされてきました。
そして現在。今やまんがは、やっと文字が読める幼児から中年サラリーマンまでを読者として、その機能も多様化し、細分化し、
「風刺」など、ほんの片隅に追いやられてしまったように見えます。
省17
358: 名無しさん@0新周年 2014/07/17(木)00:26 ID:280/Zkot0(4/6) AAS
藤子・F・不二雄
ー 子供が叱られたぐらいで離れるなら、それは本当のまんがではないのです。 −
昭和二十六年「天使の玉ちゃん」毎日小学生新聞連載でデビュー。二十九年上京。本式に活動を始めたわけですが、
その頃の児童まんがを取巻く状況は、それは厳しいものでした。
「俗悪まんが追放」が声高に叫ばれていた時代です。マスコミに児童まんがについての記事がのれば、それは決って批判非難の物でした。
「俗悪まんが(つまり児童まんがすべて)は暴力的であり、反道徳的で痴呆的で、報知すれば日本中の子供を汚染するであろう。」というのが共通した論旨でした。
「当店にはまんがを起きません。」と広告したデパートがありました。
選挙運動で空地にまんがを山積し火をかけた候補者もいました。
そうそう、漫画家を主人公にしたラジオとテレビのドラマがありました。
どっちの主人公も売れっ子で稼ぎまくっているわけです。そのうち良心に目ざめ、筆を折るのがラジオの主人公。
省19
389: 名無しさん@0新周年 2014/07/17(木)00:33 ID:280/Zkot0(5/6) AAS
藤子・F・不二雄
子どもの世界を描き、その中で「ほんとうの子ども」を活躍させるためには、
かつて自分が子どもだった頃をふりかえって、その姿を自分の主人公に投影しながら描いていきます。
じつは、意外とこれが、むずかしいことなのです。
人間は成長していくにつれて、自分の視点が少しずつ高くなってきていることに、なかなか気づきません。
小さい頃と今とでは、いつのまにか視点が違ってしまっている。
自分は、まぎれもない子どもを描いているつもりでも、ひどいときにはそれが子どもの姿をしたおとなであったり、
おとなが外から観察し概念的にとらえた子どもであったり。そういう危険性が、往々にしてあります。
省21
407: 名無しさん@0新周年 2014/07/17(木)00:38 ID:280/Zkot0(6/6) AAS
藤子・F・不二雄
「人気」なんてものに、あまりこだわっているっていうのは、何か次元の低い卑しいことみたいなイメージがあります。
「人気なんて関係ない。自分のかきたいものを。人気のあるなしにかかわらずかいていくんだ」
それはそれで、そういう姿勢も立派だと思いますし、あつてもいいと思います。
しかし、プロのまんが家であるということは、その作品を出版流通経路にのせて、何万、何千万という単位の読者を相手にするわけです。
つまり、自分の頭の中で創りあげた架空世界を紙に定着させ、それを読者に伝えて読者の共感を得たいとか、あるいは喜ばせたい、楽しませたい、感動させたい……。
そういう気持ちがあったから、プロのまんが家になったのです。それならば、対象となる読者の人数は、多ければ多いほどいいわけです。
そして、大勢の読者が支持してくれるまんが、すなわち人気まんがということになります。これは、やはり、まんが家として目指すべきひとつの目標だ、と思うのです。
ところが、この「人気」というものは、すこぶる正体がとりとめのない漠然としたものです。
省18
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