【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 (196レス)
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77: 名無しさん@おーぷん [] 2015/01/24(土)08:11:58 ID:JUT 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- It represents force which is invoked, rather than the natural force of the ACE OF WANDS. それは、「剣のエース」の本来の力というよりも、「召喚された」ものの力を表している。 This is a force called upon. これは、招集された力である。 --- ここまで --- 「イェツィラー界」の「剣=空気」のカードは、上位の「アツィルト界」と「ブリアー界」の 絶対的な支配の下に、我々の住む下位の「アッシャー界」を支配する、いわゆる「天使」 と呼ばれる中間管理職的で微妙な立場にあります。 つまり、「剣のエース」の働きは、我々から見れば、相談窓口というか、仲介役みたいな 働きをしている者たちのトップということなんですよね。 もちろん、「剣のエース」自身の固有の「force/力」もあるのですが、それを使うことは 「剣のエース」の本来の使命ではなく、あくまでも「中間管理職」の立場で、上位世界と 下位世界の「力」たちを、うまくコントロールして、この世界のバランスを保つことが、 与えられた使命であるということになるわけです。 そして、この世界のバランスが崩れた時に発動し、上位世界の巨大な「力」を行使する 権限を与えられ、下位世界に対して、我々から見れば「大いなる災い」をもたらすものと して現れるということになるわけですよね。 とはいえ、この「イェツィラー界」の存在である「剣」は、割と我々の近いところにある わけですので、我々自身も、ある程度の「働きかけ」をすることが可能ですし、発動する タイミングを予測することも、ある程度は可能となっています。 その点は、よくわかんない「アツィルト=棒」や「ブリアー=杯」とは異なる点であり、 知恵ある人であれば、「剣」のもたらす「災い」から逃れることが出来るわけです。 でも、そういう「災い」から逃れるのって、なかなか普通の人には出来ないことなんです よね。 そもそも人間って、他人に対しては「悔い改めよ!」なんて言いながら、自分のことに なると「オレは何も悪くない! みんな世間が悪いんだ!」と、そう簡単には悔い改め たりはしないものですからねぇ。 結果的には、予測されたものの中で最悪の事態に陥るというのが、世の常なのです。 わかっているのに、毎回デスマを繰り返す管理職って、何なんですかね〜。←グチ(涙) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/77
78: 名無しさん@おーぷん [] 2015/01/26(月)06:52:45 ID:02C 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- When the Kether energies are seen on the Astral level they are both dynamic and erratic, having the potential to be applied at will to different situations. 「ケテル」の精力たちが「星幽界」の段階に見られる場合には、それらは動的であるだけで なく不規則でもあり、意のままに種々の状況に適用される可能性を持っている 。 Thus, this is described as the "Sword of Good or Evil," of "Whirling force and strength through trouble. したがって、これは「渦巻く力と困難を乗り切る強さ」の「善もしくは悪の剣」と評される。 It is the affirmation of justice upholding Divine Authority; and it may become the Sword of Wrath, Punishment and Affliction." (*68) 「それは「神の権限」を支持する「正義」の確約であり;そしてそれは、「神の怒り」、 「懲罰」、および「苦悩」の「剣」になるかもしれない。」(*68) --- ここまで --- ちなみに、(*68)はNOTES/注記の項で、 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) --- 68. 'Book T', Golden Dawn, v. IV, 143. 68. 「Tの書」、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第4巻、143ページ。 --- ここまで --- とあります。 何度も言いますが、「イェツィラー界」の存在である「剣のエース」は、我々の意志に よって、ある程度までは、それっぽくコントロールが可能なものです。 ただし、しょせん「人間の意志の力」なのてものは微力であり、「剣」の持つ強大なパワー を暴走させて、結果として壊滅的な状況に陥ることも、ままあるわけです。 とはいえ、『「神の権限」を支持する「正義」の確約の「剣」』なんて話は、いかにも カルト宗教っぽい、いかがわしい感じがしますよね。 そして、わけのわからない「神の正義」を振りかざして、罪なき人々を地獄の苦悩へと 陥れるというのが、よくある定番パターンなわけです。 ところで、「スペードのエース」の例もあって、よく勘違いされるのですが、そもそも 「剣のエース」は、外界に向かって発揮される物理的な「力」の象徴などではなくて、 あくまでも「イェツィラー界」の存在、すなわち、本来は「影も形も無いもの」です。 つまりは、完全に「内なるもの」であって、いわゆる脳内妄想の「起承転結」の中での 「転」にあたる部分の動力源に相当するものです そして、その脳内妄想における内なる「善と悪」の概念も、世間一般で言われている 外なる「善と悪」の概念とは、全く違うものがあるわけです。 「災い転じて福となす」という言葉がありますが、これは内なる物の見方により、外なる 将来の運命が全く異なってくることを表すものです。 そして、これこそが「渦巻く力と困難を乗り切る強さ」を持つ「剣のエース」のミラクル パワーの真髄とも言えるものです。 そう、剣を抜かずとも勝つ、ということが、人生の基本であり理想なのですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/78
79: 名無しさん@おーぷん [] 2015/01/27(火)07:05:39 ID:H3Z 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- The style for most versions of this card relates to the Marseilles version, showing the Sword of Air, passing through the Crown of Kether. このカードの大部分の版の様式は、マルセイユ版と関連があり、「ケテル」の「王冠」を 貫通している「空気」の「剣」を示している。 Dual possibilities for action are implied in the palm of suffering, and the olive branch of peace. 行動の二重の可能性は、受難のナツメヤシ、および平和のオリーブの枝に暗示されている。 The six Vaus above the Golden Dawn crown mean Tiphareth, the Ruach (Air) center of the Tree of Life. ゴールデン・ドーンの王冠の上の6つの「ヴァウたち」は、「生命の木」の中心の「ルアク (空気)」である「ティファレト」を意味している。 --- ここまで --- ここも、「Tの書」を参考にした記述となっています。 なお、「ナツメヤシの葉」と「オリーブの枝」の左右の配置が、ゴールデン・ドーン版と マルセイユ&ウェイト版では異なっているのは、マサース氏のこだわりの部分です。 ちなみに、「ナツメヤシ」が「受難」で、「オリーブ」が「平和」を表すというのは、 キリスト教的な解釈になります。 元々、「ナツメヤシ」自体は、旧約聖書中でも良く出てくるものであって、厄災を意味 するものではなく、むしろ「生命の木」を象徴するものとして、神聖視されています。 そのため、『新約聖書:ヨハネによる福音書12:13』にあるように、エルサレムに来た イエスを、ユダヤ教の人々は「ナツメヤシの枝」で歓迎し、その後まもなく、イエスは 十字架に磔にされることになるわけです。 そして今でも、復活祭直前の日曜日を「Palm Sunday/パーム・サンデー」として、色々な 宗教行事が行われていますので、キリスト教圏では、いつのまにか「受難」のイメージが 強くなっているのではないかと推察します。 つまり、この「剣のエース」では、「ヤシの葉」を、イエス受難の前触れとして、そして 「オリーブの枝」をノアの大洪水が終焉して平和が戻った印として、使っているという ことになるわけですよね。 あと、「ゴールデン・ドーンの王冠の上の6つの「ヴァウ」たち」ですが、「Tの書」では 「Six Vaus fall from its point./6つのヴァウが、その先端から落ちている。」という 表現になっていますので、これらの「ヴァウ」の発生源は「王冠」ではなく「剣」である ことに注意しておいてください。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/79
80: 名無しさん@おーぷん [] 2015/01/28(水)06:16:05 ID:Qdd 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- THE ACE OF PENTACLES, Root of the Powers of Earth ( [heh] ). 五芒貨のエース、地([heh])の力の根源。 --- ここまで --- 最後のスートは、「五芒貨=地」です。 ちなみに、ここでは「Pentacle/五芒貨」と訳していますが、元々の意味は「五芒星」で あって、そういう神秘的というか魔術的な印を持つ、主に円盤状の護符のようなものを 総称して、英語では「Pentacle」と呼んでいるようです。 つまり、ゴールデン・ドーン版もトート版もウェイト版もマルセイユ版も、魔術カバラの 世界では、どれもが「Pentacle」で、ひとくくりにしても構わないということです。 さて、この「五芒貨のエース」たちですが、いずれも丸っこいデザインですよね。 若干少女趣味っぽい、こういう丸いものに反応して萌える人々にとっては、もうこれだけで 充分おいしいものになっています。 結局のところ、今まで「起=棒」「承=杯」「転=剣」と、色々とありましたが、最後に たどり着くのは、こういう「地=五芒貨」に足の着いた、丸萌えの癒しの世界であると いうことです。 間違っても、「最後の最後は、やっぱり銭の力やで!」なんて言ってはなりません。 ちなみに、こういう丸い形というのは、極めて安定して強固な形状であり、不定形な 「火」「水」「空気」とは違って、「地球」のように「まるくなる」という技は、 定番の守備体形として知られています。 あと、「猫がこたつで丸くなる」というのも、敵の攻撃力を下げる技として、究極の シチュエーションとなっているわけです。 まあ、人間も、色んな意味で「丸く」なった方が、絶対にいいですからねぇ。 結局、何がいいたいかというと、「丸萌え」こそが正義であり、究極の真理であると いうことなのですよ。←論理飛躍ww http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/80
81: 名無しさん@おーぷん [] 2015/01/30(金)06:21:25 ID:ofb 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- This Ace represents Kether in Assiah, the influence of Kether in the World of Matter. この「エース」は、「アッシャー」の中の「ケテル」で、「物質の世界」の「ケテル」の 影響を表す。 It is a card of materiality which may, like the ACE OF SWORDS, be either good or evil. それは、「剣のエース」のように、良いかまたは悪いかもしれない、物質性のカードである。 It is not necessarily a card of wealth, and should be compared with the TEN OF PENTACLES. それは必ずしも富のカードではなく、「五芒貨の10」と比較されるべきである。 --- ここまで --- 「アッシャー界」は、我々の住む宇宙そのものです。 このため、この「五芒貨のエース」の効果は、我々にとっては直接的なものであり、 「形あるもの」として、割とはっきりと目に見える形で、もたらされるものになります。 とはいえ、ここでもたらされるものは「ケテル」のパワーであり、まだ未分化というか、 まだ話が始まったばかりの状態であって、これからどういう経緯でどういう結論に至る のかは、その後の登場人物によって作られるストーリーの展開によるわけです。 まあ、資金集めに成功しても、それが結果的に良い作品になるとは限らないということで あって、やはり「火」と「水」と「空気」の大いなる助力が無ければ、「地」における 物事は成功しないということでもあります。 そういう意味でも、この「五芒貨のエース」は「よくわかんない」カードなんですよね。 もちろん「悪い」ものではないのですが、結果的にどうなっていくのかはわからないと いうか、まだ独り立ちさえできない存在ですので、まだ「良い」とも「悪い」とも言えない という感じです。 この点は、はっきりと結果が出てはいるものの、将来のことについては全く言及でない 「五芒貨の10」とは、真逆の立場にあります。 すなわち、 ・「五芒貨のエース」:現状=言及なし、将来=可能性は大いにあり ・「五芒貨の10」:現状=大いなる成功、将来=言及なし ということです。 さて、もし皆さんが、どちらかを選ぶとすれば、どちらのカードを選びたいですか? http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/81
82: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/01(日)06:58:12 ID:N4x 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- The Marseilles card is extremely simple, and relates to the ancient suit of Coins, money being considered the essence of material things. マルセイユ版のカードは、実に単純であり、物質的な物事たちの本質であると考えられて いるお金である「硬貨」たちの古来のスートたちと関連する。 --- ここまで --- 直前で、「not necessarily a card of wealth/必ずしも富のカードではない」などと 言っておきながら、いきなり「the essence of material things/物質的な物の本質」 である「money/お金」の話になります。 とはいえ、我々の住む「アッシャー界」の人間社会においては、「お金で買えない物は (ほぼ)無い」というのも確かですので、この「アッシャー界」を構成する「things/ 物事たち」を統合するものとして、黄金色に輝く金貨で象徴される「money/お金」の話を 持ち出すことは、人間世界に限定すれば、あながち間違いでもないわけです。 そういえば、「Gold/金」って、不思議な物質ですよね。 実用品としては、割とごく限られた用途しかないのに、その「朽ちない黄金色の輝き」と いう見た目と、産地が限定され、微量しか採掘できないという「レアさ」のおかげで、 人間社会において、古代より共通の「通貨」として使われ、そして今でも、人間社会全体 に与える重要性を全く失っていないという、実に奇妙な物質であるわけです。 そして、この世の全ての事物を統合する「金」の魔力に憧れる人々は、様々な分野において、 いわゆる「錬金術(総称)」なるものを生み出し、さらなるカオスの世界に落ちていくと いうわけです。 ちなみに、マルセイユ版はフランス製のカードですが、マルセイユ版が製造された当時の フランスにおいては、トランプカードは既に現在のようなスート、つまり「クラブ」、 「ハート」、「スペード」、「ダイヤ」という、安価に大量生産可能なデザインになって いました。 つまり、「ancient suit of Coins/「硬貨」たちの古来のスート」というのは、現在の トランプカードのデザインではなく、それ以前、具体的には15世紀までのトランプカード は、「Coin/硬貨」のデザインが使われていたということを意味しています。 なお、この「Coin/硬貨」のデザインのトランプカードは、イタリアなどでは、割と近年 まで使われていたようですね。 タロットカードとトランプカードは、フランスにおいては、どちらもルネサンス期の イタリアから導入され、フランス国内で商業的に大量生産されたものですが、いち早く 簡略化されたデザインとなって安価に大量生産され、世界中に広まったトランプカード と比べると、タロットは、比較的昔ながらの複雑なデザインを残したままの姿となって いるわけですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/82
83: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/06(金)06:57:07 ID:wv3 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- Waite's version also features a coin, but this is really a Pentacle, magical symbol of earth, held above a flowing garden of pure lilies. ウェイト版もまた、硬貨を特徴とするけれども、これは本当は、大地の魔術的な象徴である 「五芒貨(星形五角形)」であり、純粋な百合たちの湧き出る庭の上方に保持される。 --- ここまで --- ウェイト版の「硬貨」のデザインは、マルセイユ版のリアル「硬貨」、つまり「お金」に 似てはいるけれども、実は全く似て非なるものであり、基本的には、バーチャルな「大地 の象徴」であるということです。 まあ、「アッシャー界」の代表が「硬貨」というのは、一部の人々にとっては、あまりにも 夢が無いというか、あまりにも現実的すぎますので、リアル世界では、この程度でお茶を 濁しておくのが良いかと思うわけでした。 さて、この「Pentacle/五芒貨(星形五角形)」は、魔術用語の翻訳では「ペンタクル」と 呼ばれているわけですが、実のところ、ゴールデン・ドーンの「The Earth Pentacle/ 地のペンタクル」は、五芒星ではなく六芒星が基本となっています。 つまり、ウェイト氏は、内部機密とされているゴールデン・ドーンの六芒星を使わずに、 あえて語源に近い、旧来の「五芒星タイプ」のシンプル・イズ・ベストなペンタクルの デザインを採用し、カードのタイトルには、神秘的な「Pentacle/ペンタクル」という 言葉を入れてきたということになっているわけです。 まあ、確かに、一般向けには、こういうアレンジの方が、わかりやすい感じがしますよね。 さて、この「五芒貨」の背景ですが、ちょっと不思議な場所ですよね。 「pure lilies/純粋な百合たち」、つまり、人の手が入っていない、純粋で純潔で誰にも 触れられていない白い百合たちが、自然と湧き出す、不思議な庭という設定です。 なんか、これだけで、色々とけしからん妄想が捗るわけですよね。 いずれにしろ、この庭は、ある種のエネルギー、すなわち「地のケテル」のエネルギーが 湧き出している「パワースポット」であり、大地の泉でもあるわけです。 ただし、大量に(水として)噴出していると、「杯のエース」の領域となりますので、 より控えめに、じんわりとしみ出すというか、濡れ出してくるような、そういう控えめで 淫靡な雰囲気になるというわけです。 まあ、そういう意味でも、色々とけしからん設定ではあるわけです。 そして、そういう大地に咲く「白百合たち」から搾取された「ピュア・エナジー」が集め られて形となったものが、この「五芒貨(ペンタクル)」という象徴で表されていると いうことになるわけですよね。 そして、この庭で集められて生み出された「五芒貨」、すなわち「処女懐胎」で生まれた 「子」は、庭の奥にある「子宮口」から、下界へと降臨していくという、ウェイト氏の キリスト教的な福音書のストーリーへと繋がっていくわけですよ。 ウェイト版って、よく見ると、色々なオカルト的な伏線が張られています。 たまには、エロ目線だけでなく、オカルト目線でも見てあげると、いいかと思います。 (え、タロットをエロ目線で見てるのは、おまいだけだろうって?) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/83
84: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/07(土)08:34:12 ID:KAT 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- The hand floats in the air, suggesting that it is that which brings about the fruition of matter, rather than being matter itself. 手は空中に浮かんでおり、そのことは、それ自身が物質であるというよりも、物質の成果を もたらすものであることを示唆している 。 --- ここまで --- 神、あるいは天使の「The hand/手」は、他のエースと同様に、空中に浮いたままであり、 まだ「地についていない」、すなわち、このエースの状態の「ペンタクル」は、まだ完全 には「アッシャー界」には降臨していないことを表しています。 つまり、こういう中途半端な状態が「ケテル」が「ケテル」であるという、基本的な性質 でもあるわけで、それゆえ、きちんと読めないカードであるということなんですよね。 我々のような、何でも「お金」に換算してしまう「物質的世界のオトナの住人」にとって、 この「物質的であって、物質的ではない」という中途半端なものは、なかなか取り扱いが 難しいのです。 では、この実体がありそうでなさそうで、よくわからない「ペンタクル」とは、一体何なの でしょうね。 一言で言うと、これは地上世界における「可能性」であり、今はまだ生まれたばかりで、 得体の知れない「何かの卵」みたいな感じのものです。 そして、これが実体として進化していくことで、将来的に役に立つ、あるいは役に立たない、 色々な得体の知れたものへと変化していくということになるるわけです。 さらに、創世記の物語に見立てて、時空のゆらぎの中で生み出されてきた「宇宙のたまご」 と考えてもいいわけですし、この宇宙は、純粋な百合の花園から産み出されてきたという、 これまた妄想の捗るシチュエーションに結びつけることも可能となるわけです。 そういう意味では、この「ウェイト版」の「五芒貨のエース」の世界観というものは、 かなりロマンチックなものであって、割と現実的な「マルセイユ版」の価値観とは、 ずいぶんと違っているわけですよね。 まあ、原作担当のウェイト氏も、原画担当のピクシーたんも、それなりの夢想家であり、 ロマンティストであったということなのでしょう。 結果的に、研究対象としての「ゴールデン・ドーンのタロット」や、ハリス夫人の高尚な 趣味と道楽で描いた「トート・タロット」とは全く違う、割と大衆娯楽的というか、ニワカ ヲタクを惹き付ける娯楽作品みたいな雰囲気を持っているわけなんですよね。 とはいえ、ニワカだけでなく、熟練者にとっても、ウェイト版って、なかなか面白い題材な わけです。 簡単そうでいて、実は奥が深いというか、まあ色々な妄想が捗るというか、なかなか良く 出来たカードではないかと思うのでした。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/84
85: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/08(日)10:07:24 ID:Y5C 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- In the Golden Dawn card an angelic hand holds a Rose Tree surmounted by a Pentacle of five concentric circles. ゴールデン・ドーンのカードにおいては、天使のような手は、5つの同心円の「五芒貨」が 載せられている「薔薇の木」を持つ。 The outermost circles are in the colors of Malkuth: citrine, olive, russet and black. 最も外側の円たちは、「マルクト」の色たち:レモン色、オリーブ色、あずき色、および 黒色、の中にある。 These are the four Base Elements, shown to be in perfect balance by the red equal-armed cross. これらは、4つの「基底的な元素たち」であり、赤い等しい腕の長さの十字により、完全な 均衡にあることが示されている。 The twelve White rays are the forces of the Zodiac, expressed through the Elements of Earth. 12の「白い」光線は、「黄道十二宮」の力であり、「地の要素」を通して表されている。 --- ここまで --- この部分は、「Tの書」に書かれていること、そのままですよね。 ちなみに、この「五芒貨」の他のカードにも描かれている「Rose Tree/薔薇の木」は、 ゴールデン・ドーンの「剣」のカードたちに描かれている五弁の一重咲きの薔薇の花、 つまり野生種のものとは違って、八重咲きの人工的に品種改良された園芸品種です。 こういう点でも、ウェイト版の「五芒貨のエース」に描かれている、天界に咲くような 「pure lilies/純粋な百合たち」とは、考え方が若干異なっていることがわかります。 まあ、どちらが正解ということでもなくて、要するに、このカードの背景設定にある ストーリーの違いということなのですよね。 そういう意味では、ゴールデン・ドーンの「五芒貨のエース」は、より人工的というか、 マルセイユ版寄りというか、よりこの世界に近い、論理的で計算可能なものとして、 描かれているということなのでした。 魔術で、この世を操作することが可能であるという魔術理論からすれば、こういう論理的な 「メカニズムのわかりやすさ」というものは、ある程度は必要なんでしょうね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/85
86: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/09(月)06:59:18 ID:mVR 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) --- The four roses also represent the Elements, but the addition of two buds implies the very fertility of these Elements in their subtle earthly balance. 4つの薔薇たちはまた「元素」を表しているが、2つのつぼみの追加は、それらの巧妙な 地上界の均衡においての、これらの「元素たち」の大いなる肥沃さを暗示している。 --- ここまで --- 最後のエースである「五芒貨のエース」には、これまでの「エース」たちの全ての要素が 整然と組み入れられて、ひとつの完成形となっています。 でも、この「完成」は、天地創造の神世界の話、つまり『旧約聖書:創世記』における 「第七日目」のことであって、地上界に住む我々にとっては、全然終わりなんかではなく、 むしろ、この世界は始まったばかりのものなんですよね。 つまり、ゴールデン・ドーンのストーリーでは、この「two buds/2つのつぼみたち」は、 この世で肉体を得た「アダム」と「イブ」であると推察することが可能なわけです。 そして、この2つのつぼみたちが、一方の枝の同じところ、おそらく「イェツッラー界」と 「アッシャー界」の間から生えているのも、何となく「アダムとイブ」の人体錬成の 創世記のストーリーを連想させるものがありますよね。 それはともかくとして、この追加された「2つのつぼみたち」は、占い的に見た場合、 将来的にどういうふうなストーリーで性徴し、そして成長していくかは、この時点では 全くわからないわけです。 男なのか女なのか、善なのか悪なのか、幸福をもたらすものなのか、不幸をまき散らす ものになるのか、マジで何もわからないという、ひたすら「可能性」だけの存在です。 ただ一つ分かっているのは、「the very fertility/大いなる肥沃さ」、すなわち、 「大いなる可能性がある」ということと、「大いなる能力を持つ」ということです。 つまり、これを活かすには、我々自体が「育ての親」として、しっかりと働きかけをして、 なるべく良い方向に向くようにしていくことです。 今までの「棒のエース」「杯のエース」「剣のエース」の「ケテル」には、地上の我々の 力は到底及ばないものでしたが、こり「五芒貨のエース」に限っては、地上界の我々の 力を大いに必要としている、ということですよね。 要するに、いくら就職のチャンスがあったとしても、自宅に引きこもってばかりでは、 一生自宅警備員のままで終わる、ということなわけです。 まあ、五芒貨のスートの世界って、良くも悪くも、リアル(現実的)なのですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/86
87: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/10(火)06:57:08 ID:Hkt 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- The winged Red Cross refers to the Primordial Elements of Kether. 翼のある「赤い十字」は、「ケテル」の「原始的な元素たち」について言及する。 It is winged to show that the Elements pass through the state of Spiritual Air before manifesting into matter. それは、「元素たち」が、物質の中に顕現する前に、「霊的な空気」の状態を通過すること を、明らかにするために翼が付けられる。 --- ここまで --- 「ペンタクル(五芒貨)」の大きな五重円の上には、2枚の白い翼を持つ白い球体があり、 その球には赤い十字が描かれています。 この十字は、「ペンタクル(五芒貨)」の中心のシンプルな赤い十字とは若干違って、 「Maltese Cross/マルタ十字」と呼ばれる、十字の端部が広がったデザインとなって いて、より高級感を出しています。 つまり、この「2枚の白い翼を持ち、赤いマルタ十字が描かれた白い球体」は、上部組織 から送り込まれた「上位レベルのエネルギー体」であるということになります。 ちなみに、この構図は、ウェイト版の「杯のエース」を連想させるものですが、ウェイト版 が「杯」という上位体系のものである一方、ゴールデン・ドーンは「五芒貨」という下位 レベルのものであるため、同じように見えても、両者の持つ意味合いは、全く違うものに なっていることに、くれぐれもご注意ください。 で、ちょっと気になるのは、「Tの書」では、「two white wings/2つの白い翼たち」と 書かれているのに対し、ウォン氏のゴールデン・ドーンのタロットでは、明らかに黄色の翼 として描かれているのです。 とりあえずのワタシ的解釈としては、 ・元は霊的な白い翼であったが、下界に降りたことで、物質的な「黄金色」に変化した。 ・白い翼のままであるが、下界からの黄色い光線を反射して、「黄金色」に見えている。 ということになりますが、下にある「ペンタクル(五芒貨)」も、中央から周辺に向かって、 ・白→レモン色→オリーブ色→あずき色→黒色 と変化していますので、そういう変化の過程を示したかったのかもしれません。 まあ、あとは各自で好きなように解釈してもらえれば良いかと思います。 要するに、「Tの書」のタロットデザインの記述は、決して絶対的なものではなくて、 後の時代になってからも、ゴールデン・ドーンのタロットのデザインは、色々と研究 され続け、改良され続け、仕様変更され続けているということであり、それゆえ永遠の ベータ版であり続けるということなのですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/87
88: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/11(水)08:20:36 ID:FKT 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- Crowley's card apparently represents the wings of the four Archangels (Michael, Gabriel, Raphael and Auriel) whose powers serve to balance one another, and create stability. クロウリー版のカードは、見たところでは、それらの力たちが、お互いに均衡を取り合い、 安定をもたらすのに役立つ四大天使たち(ミカエル、ガブリエル、ラファエル、およびウリエル) の翼たちを表している。 At the center is Crowley's personal phallus symbol and the number of the Beast of Revelation, 666, with which be identified. 中央には、クロウリー氏の個人的な男根の象徴と、(クロウリー氏と)同一視されている 「黙示録の獣」である「666」の数字がある。 In the wheel are Greek words meaning "to the mark of the beast," another indicator that Crowley chose this particular card as his own. 車輪の中には、「獣の刻印に」を意味するギリシア語があり、もう一つの指示として、 クロウリー氏が、彼自身としてこの特定のカードを選んだということである。 --- ここまで --- トート版タロットは、他の版とは違って、クロウリー氏の個人的趣味が満載であり、ほぼ 完全に私物化されたものとなっています。 まあ、そういう意味では、クロウリー好きの人以外にとっては、全く役に立たないシロモノ であるとも言えます。 このカードについての自慢話、いやいや詳細な解説は、クロウリー氏の『トートの書』に 詳しく書かれていますので、その手のタワゴトに興味のある人は、そちらの方を読んでみて ください。 なお、『トートの書』には、「四大天使の翼」ではなく、「六つの翼」とありますので、 「apparently/見たところでは」よくわからないけど、あと2つの翼があるそうです。 また「Crowley's personal phallus symbol/クロウリー氏の個人的な男根の象徴」は、 中央にある、「三日月の付いた三つの輪」のマークの部分になります。 そして、「黙示録の獣」とか「666」の数字の元ネタは、『新約聖書:ヨハネの黙示録』 の13章以降にあります。 ちなみに、車輪部に書かれている文字ですが、実際は「ΤΟ ΜΕΓΑ ΘΗΡΙΟΝ (ト・メガ・テーリオン)/The Mega(Great) Beast/偉大なる獣」という意味になります。 これは、クロウリー氏が、「The Great Beast 666/大いなる獣666」を自称していたこと からみても、このカードを完全に私物化していることは明らかですよね。 まあ、ハタから見れば、かなり厨二病が悪化した、相当に痛々しいカードであるわけで、 そういう意味でも、あまり深入りしたくはないシロモノでもあるわけでした。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/88
89: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/12(木)06:49:17 ID:HkV 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- 2. CHOKMAH: Wisdom 2. コクマー:叡知 The Four Twos, 「四枚の2たち」 、 The Four Kings 「四枚の王たち」 --- ここまで --- さて、ここからは、「ケテル」の次のセフィラである「コクマー」の話になります。 最初の「ケテル」からの流出は、以下の三つの「小径」に分岐して下層に流下しています。 1. 「ケテル」→「0. 愚者」→「コクマー」 2. 「ケテル」→「1. 魔術師」→「ビナー」 3. 「ケテル」→「2. 高等女司祭」→「ティファレト」 キリスト教的に解釈すると、「ケテル:聖霊」、「コクマー:父」、「ビナー:母」そして 「ティファレト:子」の関係に相当するわけです。 ちなみに、「生命の木」のバランス理論では、基本的に左右均等である必要があります ので、パワーバランスを考えると、「ケテル」の流出エネルギーから、「ティファレト」 への流入エネルギーを除いたものの半分ずつが、それぞれ「コクマー」と「ビナー」に 流入しているという計算になります。 ただし、「コクマー」から「ビナー」へ、「コクマー」から「ティファレト」へ、そして 「ビナー」から「ティファレト」への流出分もありますので、結果的には、「ケテル」 から「コクマー」への流出量が、最も多いということになり、流れの順位的には、 「ケテル」→「コクマー」→「ビナー」→「ティファレト」 という上下関係が成立しているということになりますよね。 ということで、さっそく、「父」なる「コクマー」、そして「2」と「王」のカードに 込められた意味を、これからのんびりと探っていくことにしましょう。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/89
90: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/15(日)06:06:55 ID:O4I 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- □ The Supernal Father □ 天上の父 □ The Will to Force □ 力の意志 □ Dynamic Outpouring Energy, Unorganized and Uncompensated □ 未組織で未補正の、活動的な流出する精力 □ The Great Stimulator □ 大いなる刺激者 □ The First Positive □ 最初の陽性 --- ここまで --- まずは、「The Supernal Father/天上の父」の意味ですが、この世の全ての「父」なる ものを全世界的に統一する、究極で至高の「父性」という感じのものですかね。 とはいえ、「父性」というものは、常に「母性」の対極にあるものであり、「父性」と 「母性」は単体では存在できないので、「父性」と「母性」、すなわち「コクマー」と 「ビナー」は、常にペアとして論じる必要があるということになります。 つまり、「ケテル」は無極性であり、何とも形容しがたい、わけのわからないシロモノで あったものが、この段階で初めて、「父性」と「母性」という、陳腐な、いやいや、割と 誰でも理解することが可能な、普遍的な二軸に分極することで、この世界に二次元的な 妄想の広がりが生じるということになるわけですよね。 そして、この「父性」と「母性」は、自然界では「陽性/Positive」と「陰性/Negative」 に分類される性質のものとなります。 次の「The Will to Force/力の意志」ですが、これは「ケテル」から流出する「力」が、 これといった意志というか方向性を持たない、全方位の無制限垂れ流しバラマキの状態で、 全くもって制御不能であることに対して、「コクマー」の「力」は、ある程度の流量と 方向性の制御が行われていて、そこに何らかの「意図」というか「意志」が働いている ことを意味しています。 とはいえ、「コクマー」そのものは上流世界にあるので、人間がその実態を完全に知って 制御することは不可能であり、全くもって根源的であり未知なる世界のものであることも、 また確かなんですよね。 つまり、「ケテル」の「未分化」の状態ほどではないにしろ、一般の人間にとっては、 まだまだ「Unorganized and Uncompensated/未組織で未補正」のままであり、うまく 使いこなすことの出来ない、ほとばしる「無限に近いパワー」であるということです。 ただ、「ケテル」との違いという点では、「ビナー」と対比することで、「父性」とか 「陽極」というような微妙な違いに気づくことが出来るようになるいう感じですかね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/90
91: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/15(日)06:58:58 ID:O4I 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- Symbols: The Phallus, the Line, Yod. 「象徴たち」:「男根」、「線」、「ヨッド」。 Astrological Reference: The Sphere of the Zodiac 「占星術の参照」:「黄道十二宮の天球」 Color: Grey 「色」:「灰色」 --- ここまで --- この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である「勃起状態の男性器」すなわち、 「おっきしたチンチン&タマタマ」と、図形の「線分」と、「聖四文字」で「四大元素」の 「火」を表すヘブライ文字の「ヨッド」と、「黄道十二宮」を表す車輪のような図形と、 「生命の木」における「コクマー」の位置が図示された絵が描かれています。 なお、コクマーの「色」は一般的に「Grey/灰色」とされていますが、これはあくまでも 「ケテル」が「White/白」となっているのと比べた場合の表現です。 すなわち、「白」でもない、「黒」でもない、白黒決着が付かない無彩色のものは、全て 「灰色」に分類されるものなのですが、「ケテル」の「白」が桁違いにピュアなために、 普通の人間から見れば、「コクマー」も充分に「白」と言えるものではあるけれども、 この場の表現的には「灰色」に分類されなければならないということなのです。 そしてこれは、「ケテル」のような純粋無垢の100%ピュアで均質な状態から見れば、 「コクマー」は全体的に冷めてきて、内部の分化というか結晶化が進んできたために、 全体の透明度が低下してきていることを示しているわけです。 ちなみに、現代のアッシャー界の理論、すなわちビッグバン宇宙論においては、最初の 宇宙のビッグバン(ケテル)の直後から、宇宙の暗黒時代(ビナー)までの間に、この 「コクマー」の時代を割り当てることが可能となっています。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/91
92: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/16(月)06:51:30 ID:uiW 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- In Chokmah is a cloud-like grey which containeth various colours and is mixed with them, like a transparent pearl-hued mist, yet radiating withal, as if behind it there was a brilliant glory. 「コクマー」の中には、雲のような灰色があり、それは様々な色たちを含んで、 そして それらと混ぜ合わされていて、透き通る真珠色の霧のようであるが、それと共にまだ 放射しており、まるでその背後には、光り輝く栄光があったかのようである。 And the Sphere of its influence is in Masloth, the Starry Heaven, wherein it disposeth the forms of things. そして、その影響を及ぼす「天球」は「マスロス」、すなわち「恒星天」であり、その 中において、物質たちの形たちを配置している。 And Yah is the Divine Ideal Wisdom, and its Archangel is Ratziel, the Prince of Princes of the knowledge of hidden and concealed things, and the name of its Order of Angels is Auphanium, the Wheels or the Whirling Forces which are also called the order of Kerubim. そして、「ヤー」は、「神の理想の叡知」であり、そしてその「大天使」は「ラツィエル」、 見えない隠された物事たちの知識の「王子たちの王子」であり、そしてその「天使たちの 階級」の名前は「アウファニム」、「車輪」もしくは「渦巻く力たち」であって、それは また「ケルビム」の階級と呼ばれる。 --- ここまで --- ここの部分は、前項の「ケテル」と同様に、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』 の「第五知識講義」の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。 最初の文は、純粋エネルギー体の「ケテル」から産み落とされた「コクマー」が、徐々に 物質化していく様子を表しています。 目に見えない気体状態の水蒸気から、目に見える雲が出来ていくような感じですかね。 二番目の文は、作用する天球が「恒星天」、ヘブライ語の「[he][lamed][samekh][mem]: MSLH/Masloth/マスロス」であることを表しています。 これも、我々には見えない「ケテル」の渦巻きと比べれば、目に見える「日周運動」をする 夜空の星たちという意味では、割と身近に感じられるものです。 三番目の文は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Second Knowledge Lecture/ 第二講義文書」の「The Divine Names Attributed to the Sephiroth/セフィロトに配属される 神聖名」を参考にしてください。 とはいえ、こういうヘブライ系の神々の名前は、日本人にとっては、あまり身近なものでは ありませんので、興味のある人は、仏教や神道系の神々に例えてみるのも、面白いのでは ないかと思います。 そもそも魔術カバラは、特定の宗教には縛られていませんので、自分で色々と研究して、 好きなものを当てはめてみることは、いい勉強にもなりますからね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/92
93: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/17(火)06:57:41 ID:HH9 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- Many of our present-day notions of sexuality are still rooted in the Victorian era, when sex was considered almost unnatural. 性的な関心事についての我々の現代の観念の多くは、今もなおヴィクトリア朝の時代に根付 いているものであり、その時代では、性とはほとんど不自然なものであると考えられた。 It was, at best, not to be discussed in polite company. それは、どう見ても、礼儀正しい仲間の間で議論されるようなものではなかった。 --- ここまで --- 「Victorian era/ヴィクトリア朝の時代(1837‐1901)」とは、ヴィクトリア女王が君臨し、 大英帝国が最も栄えていた時代であり、そしてゴールデン・ドーンの活動期でもあります。 その時代は、まだ女性の社会的地位は低く、それゆえ女性の社会への進出を巡る活動も 活発化していた時代でもあります。 さて、そういう「古き良き時代」においては、世間的には「sex/性」の話というものは、 「unnatural/不自然なもの」つまり「タブー」なネタであって、あまり公の場では 大っぴらには語らないのが「紳士・淑女のたしなみ」でもあったわけです。 残念ながら、そういう風習は現代においても続いており、というか規制が厳しくなる一方 であって、今では地上波におけるパンチラなるものは、ほぼ絶滅してしまっているのが 現状ですよね。 さらに、その規制は、今や二次元世界全体にも及ぶこととなり、二次元世界の住人である 我々にとっては、なかなか世知辛い世の中になってきているよなぁ、と感じるのでした。 まあ、一部の逝きすぎた基地外のせいで、ワタシのような善良なる罪なき一般市民まで 犯罪者扱いされるというのもどうかと思うのですが、なんかそういう似非風紀委員の 君臨する監視社会というのは、何かイヤな感じがするわけですよ。 ワタシとしては、風紀を守ることは大事ですが、それと共に、人が人として楽しく生きて いくことの方が大事なわけであり、そういう意味では、眼鏡ポニテの風紀委員長から、 やたらと「違反チケット」をベタベタはられるというのも、一つのコミュニケーション でもあるわけで、さらにその人が裏で神アイドルを目指していたりするなんて設定があっ たりすると、それはそれで実においしいわけです。 まあ、何が言いたいかというと、「風紀を守る」というのは、何でも「否定=規制」する ことではなくて、「肯定=指導」していくことがメインであるべきなんですよね。 そして、未来を担う子供たちには、物理法則を無視し、あるべき表現を「規制」された ものではなく、もっと「natural/ありのまま」の姿で、スカートのリアルな動きを表現 してほしいと思うのでありました。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/93
94: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/18(水)05:22:20 ID:TsI 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) --- Today we are coming, increasingly, to understand that what has been described as the "mystery of sex" is aptly termed, and that the ability to manipulate the sexual currents in one's own body was among the greatest secrets of the ancient magicians. 今日、我々は、ますます、「性の神秘」と評され続けているものが、適切に名付けられて いるものであって、そして、人の自身の身体の中の性的な流動たちを操作する能力が、 古代の魔術師たちの最大の秘密たちの中の一つであったことを、理解するようになって きている。 --- ここまで --- 「sex/性」というものが、我々の目にすることの出来る(目に見えない原始的な微生物を 除けば)、ほぼ全ての植物や動物に存在し、そしてそれが生命の進化の過程において、 非常に大きな役割を果たしていることが、正しく理解されるようになってきたのは、実は つい最近になってからのことです。 とはいえ、「古代の魔術師」たちが、そのことを正しく理解していたかと言うと、決して そういうことではないわけであって、それゆえ「古代の性魔術」をやみくもに信奉する 必要も無いということなのです。 まあ、遊び感覚で、自己責任で「古代の性魔術」を楽しむ分には、とやかく言うつもりは ありませんけどね。 とはいえ、こういう「性」に関する魔術=神秘的なテクニックというものは、生身の人間 たちにとっては、それなりに重要な関心事であるのも確かです。 そう、人はパンのみにて生きるにあらず、たまにはパンツも見せろ、な存在なんですよね。 とはいえ、残念ながら、そっち系のリアルなエロ話は、この本の中には出てきません。 ワタシも、そういうリアルな話題には、いまいち疎いですので、その手の話を振られても、 いまいちよくわからないんですよね・・・。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/94
95: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/20(金)07:04:32 ID:k2G 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) --- It is no coincidence that the ecstasies of visionaries such as Saint Theresa or Saint John of the Cross are described in words that seem explicitly sexual and orgasmic. 「聖テレサ」もしくは「十字架の聖ヨハネ」などの幻想家たちのエクスタシー(恍惚状態) たちが、明示的に性的でオルガスム(絶頂感)のように思われる言葉で記述されている ことは、偶然ではない。 --- ここまで --- 「アビラの聖テレサ」(Teresa of Avila, 1515-1582)は、スペインのローマ・カトリックの 宗教活動家であり、堕落したキリスト教を改革するために、厳格な規律の女子修道院を 創立し、さらに神秘的で幻想的な著作を数多く残しています。 「十字架の聖ヨハネ」(John of the Cross, 1542-1591)は、スペインのローマ・カトリック の司祭であり、「アビラの聖テレサ」と共に、堕落したキリスト教や修道院の改革活動を 行い、こちらも神秘的で幻想的な著作をいくつか残しています。 ちなみに、この両者の活躍したスペインですが、魔術の歴史上では、イスラム国家時代に ユダヤ教カバラが発展した地としても有名です。 そして、16世紀は、スペインの地は、キリスト教により完全に制圧されて、ユダヤ教徒は、 キリスト教に改宗するか、他の地へと移住してしまっている時代です。 ちなみに、「アビラの聖テレサ」は、このユダヤ教からの改宗者の家系だったようで、 そういう意味では、ミナちゃんとマサース氏の関係に、少し似た感じがしています。 さて、両者に共通するのは、本人の希望かどうかに関わらず、かなり厳格というか、 恵まれないというか、精神的にも肉体的にも、かなり抑圧された人生を送っていると いうことです。 そういえば、男子は30歳まで童貞を貫くと魔術師になれるという都市伝説とか、なぜか 処女の方が妄想が激しいとか、とにかくそういうリアルな実体験を伴わない方が、色々と バーチャルな妄想が捗るということを聞いたことがあります。 一部には、ミナちゃんとマサース氏の夫婦関係が、そういうリアルな実体験を伴わない ものであったため、色々と妄想が捗ったのではないかという都市伝説もあるわけです。 とはいえ、そういう童貞魔術師や腐の方々の妄想的著作というものは、基本的には妄想に 満ちた痛々しい厨二病的オナニー本になってしまいがちであることも確かであって、 まあ「バーチャル魔術」の妄想を捗らせるにはそれなりに都合の良いものなのですが、 真剣に「カバラ」とリアル世界の関係を論じようとするのであれば、その手の過激な エロ妄想や無修正の描写は、きちんと分けて考えた方が良いというのも確かなんですよね。 つまり、「聖的なもの」と「性的なもの」を分けて考えることができるというのが、 「カバラ」を論じるためには必要なスキルであるということなわけです。 とはいえ、ワタシには、そんな上品なスキルは無いわけですので、これからも種々雑多の カオスなネタを、ありのままに提供していこうと思うわけなのでした。←いわゆる開き直りw http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/95
96: 名無しさん@おーぷん [] 2015/02/21(土)08:54:27 ID:bDB 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) --- Sexual repression, or discomfort with one's own sexuality (and here we are neither discussing nor advocating any particular pattern of behavior) is a serious impediment to any understanding of the inner worlds. 人の自身の性的なもの(そして、ここでは、我々は、いかなる特定の行動の様式でも議論せず、 主張していない)に対する性的抑圧、もしくは不快感は、内なる世界のどのような理解に おいても、重大な障害である。 --- ここまで --- 「性」に関する話題というのは、「男女差別」とか「セクハラ」に繋がるとの理由で、 公の場においては「絶対的なタブー」とされています。 日本においても、戦後の「民主的」と称される教育において、「男」と「女」の違いは 建前上において、徹底的そして強制的に排除される傾向にあります。 でも、そういう「性的なもの」を嫌う人は、結局のところ「自分のことだけ」しか見ない 「単極」思考であって、そういう自分勝手な人は、「人=ミクロコスモス」や「宇宙= マクロコスモス」の持つ「双極」という概念を理解することは、不可能なのです。 どういうふうに不可能かと言うと、「理解できない」「理解しようとしない」「話を聞こう ともしない」、つまり「絶対的に受け入れない」という閉塞状態なんですよね。 まあ、人間がそうなってしまう原因の多くは、いわゆる幼少からの「人生経験」による わけなのですが、そういう意味でも、よりオープンな世界になってほしいという希望も あるわけですが、ワタシの力では、そういうものは望むべくも無い状態であることも 確かですので、とりあえずこれ以上のグチは止めておきます。 ただ、知っておいてほしいのは、「男女」や「陰陽」という「双極性」がなければ、 人の成長は無く、人間の進化は無く、全ての生物の進化は無く、そしてこの宇宙の 進化も無く、つまり、我々はここに存在することも無かったということです。 要するに、「性」を否定する者は、自分自身の存在、そしてこの宇宙の存在さえも 否定しているということなのです。 「カバラ」とは、「人間=ミクロコスモス」、そして「宇宙=マクロコスモス」の神秘を 解き明かす学問であり、その過程において「性」に関する話題が出ることは必要不可欠な ことになります。 そして、「性」に対して正面から向き合い、そして真面目に語ることで、始めて理解できる ことも多々あるわけです。 もちろん、それは、ハタから見れば、「エロい話」にも見えるわけですが、頭ごなしに 「エロいの禁止! 乂`д´)」と拒否したりせず、(下心満載の)こっち側のエロい世界 にも入ってきてほしいなぁ、と思ったりするわけでした。 え、おまいの下心なんて、とっくにミエミエですって? まあ、ミエミエなのは当然ですかね。 そもそも全裸待機が、紳士のたしなみなのですから。 <( ̄^ ̄)> ひらきなおりっ! http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/96
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