[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)41【ダメ工作員】 (366レス)
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308: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:10 ID:R+otnx5v0(258/265) AAS
(年代)説明東京・根津美術館富岳図仲安真康筆掛軸15世紀現存
最古の水墨による富士山図。鎌倉建長寺の僧でエムゾネ、鎌倉画派の祖
とされる。東京国立博物館富岳図祥啓筆掛軸1490仲安真康の弟
子、建長寺の書記を勤めた禅僧万里集九や雪舟とも交友があった。
東京永青文庫富士清見寺図雪舟集掛軸15世紀世界的に著名な日本
を代表する水墨画家の作。水墨画によエムゾネる富士山の一典型作。静
岡県立美術館富士八景図式部輝忠筆掛軸1530東国を中心に活躍
した水墨画家。瀟湘八景にあやかって連作に挑んだ作品。個人(〜
)富士三保松原図是庵筆掛軸16世紀京都相国寺の僧で、画をよく
した。下辺に三保松原、富士エムゾネ山の左手に日輪を描く。22富士
省18
309: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:18 ID:R+otnx5v0(259/265) AAS
け。円山派円山応挙兵庫・白鶴美術館富士三保松原エムゾネ図屏風17
84装飾性と写実性とを融合し、独自の画境を開いた、いかにも応
挙らしい作品。洋風画派小田野直武秋田県立近代美術館富岳図17
77秋田藩士。日本で最初に西洋画を学んだ、秋田蘭画の創始者。
江戸出府の折の作。洋風画派司馬江漢静岡エムゾネ県立美術館薩〜山富
士遠望図1804平賀源内らと蘭学を研鑚、後に小田野直武の影響
を受けて、洋風写生画の第一人者となる。南蘋派宋紫石東京国立博
物館日金山富岳展望図(18世紀)長崎に渡来した清人画家より写
生的花鳥画を学び、また平賀源内エムゾネらを通じて蘭学に通じた。禅
画白隠慧鶴大分・自性寺富士見大名行列図日本臨済禅を確立した禅
省18
310: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:25 ID:R+otnx5v0(260/265) AAS
き作。〃田崎広助長野・田崎美術館箱根朱富士1975日本独特の
平面的装飾に新しい一頁を開いた田崎ならではの自然景観。〃林武
箱根彫刻の森美術館赤富士1967主として第二次大戦以後洋画壇
をリードした。豪快な技法で富士連作に挑んだエムゾネ。膠画(日本画
)富岡鉄斎兵庫・清荒神清澄寺富士山及び山頂全図屏風1898最
後の文人画家とも言われる思想家。自ら富士山に登り、その神聖性
をダイナミックに表現した。〃横山大観東京国立近代美術館或る日
の太平洋1952フェノロサ、岡倉天エムゾネ心と共に日本画壇を復興
した巨匠。日本の象徴と意識して多くのテーマに富士山が描かれた
。〃下村観山秋田県立近代美術館三保富士図屏風1919横山大観
省18
311: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:32 ID:R+otnx5v0(261/265) AAS
、広めた。木版画萩原英雄山梨県立美術館三十六富士1926本県
出身の日本を代表する木版画家。新しい視点からの富士山シリーズ
。富士山の文学歴史書「六りっ国史こくし」(奈良エムゾネ−平安)菅
野すがのの真ま道みちら「続日本しょくにほん紀ぎ」(平安)藤原
通憲ふじわらのみちのり「本朝ほんちょう世紀せいき」(平安)伝
皇こう円えん「扶桑ふそう略記りゃっき」(平安)※作者未詳「吾
妻鏡あづまかがみ」(鎌倉)斎藤月岑さいエムゾネとうげ
312: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:39 ID:R+otnx5v0(262/265) AAS
ぶこう年表ねんぴょう」(江戸)風土記元明天皇げんめいてんのう
詔「常陸ひたち国のくに風土記」(奈良)談話集景戒きょうかい「
日本にほん霊異記りょういき」(平安)※作者未詳「今昔こんじゃ
く物語集ものがたりしゅう」(平エムゾネ安)和歌集大伴家持おおとも
のやかもち「万葉集まんようしゅう」(奈良)紀淑望きのよしもち
・紀貫之きのつらゆき「古今和歌集こきんわかしゅう」(平安)村
上むらかみ天皇てんのう「後撰和ごせんわ歌集かしゅう」(平安)
後鳥羽ごとば上皇じょうエムゾネこう「新古今和歌集しんこきんわかし
ゅう」(鎌倉)後鳥羽院ごとばいん「最勝さいしょう四天王院して
んのういん障子しょうじ和歌わか」(鎌倉)藤原長清「夫木和歌抄
省18
313: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:46 ID:R+otnx5v0(263/265) AAS
き」「うたたね」後ご深ふか草院くさいんの二条にじょう(鎌倉)
「とはずがたり」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「岡部日記おかべ
にっき」永井ながい荷風かふう(江戸エムゾネ−昭和)「大窪だより」
伝説・物語※作者不詳「竹取たけとり物語ものがたり」(平安)※
作者不詳「伊勢いせ物語ものがたり」(平安)紫式部むらさきしき
ぶ「源氏げんじ物語ものがたり(若紫わかむらさき)」(平安)藤
原兼輔ふじわらのかねすけ「エムゾネ聖徳太子伝暦しょうとくたいしで
んりゃく」(平安)※作者不詳(平安)「平中へいちゅう物語もの
がたり」「平家へいけ物語ものがたり」(鎌倉)※未詳「曽我そが
の物語ものがたり」(鎌倉)※作者不詳「源平げんぺい盛衰記せい
省18
314: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:53 ID:R+otnx5v0(264/265) AAS
おまちけいげつ(明治−大正)「富士の大観」中村星湖なかむらせ
いこ(明治−昭和)「少年行しょうねんこエムゾネう」北村きたむら透
谷とうこく(明治)「富嶽ふがくの詩し神しんを思おもふ」深田ふ
かだ久弥きゅうや(明治−昭和)「日本にほん百名山ひゃくめいざ
ん」小説落合直文おちあいなおぶみ(江戸−明治)「たかねの雪ゆ
き」夏目漱石なつめそうせき(明エムゾネ治−大正)「三四郎さんしろ
う」「虞美人草ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おんな系
図けいず」「春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」
徳富とくとみ蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜんと
人生じんせい」(随筆)エムゾネ永井ながい荷風かふう(明治−昭和)
省18
315: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/26(金)23:59 ID:R+otnx5v0(265/265) AAS
よ正ただ集」在原業平ありわらのなりひら(平エムゾネ安)「業平集」
藤原ふじわらの公きん任とう(平安)「公きん任とう集」藤原ふじ
わらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首」「名号みょう
ごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね(平安−鎌倉)「
明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわエムゾネらの俊とし成なり(平安
−鎌倉)「(藤原兼ふじわらのかね実ざね)右う大臣家だいじんけ
百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹後守為忠朝臣家百
316: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/27(土)00:06 ID:/kmEsvOR0(1/51) AAS
ん(平安−鎌倉)「拾玉集」西行さいぎょう(鎌倉)「新古今和歌
集しんこきんわかしゅう」源エムゾネ実朝みなもとのさねとも(鎌倉)
「金槐和歌集きんかいわかしゅう」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「安嘉
門院あんかもんいんの四条しじょう五百首ごひゃくしゅ」万里ばん
り集九しゅうきゅう(室町)「梅香無尽蔵」堯ぎょう恵え(室町)
「下葉和歌集」水無エムゾネ瀬みなせ氏成うじなり(安土桃山−江戸)
「水無瀬殿富士百首」清水浜臣しみずはまおみ(江戸)田安宗たや
すむね武たけ(江戸)「悠然院様御詠草」林羅山はやしらざん(江
戸)「丙辰へいしん紀行」石川いしかわ丈山じょうざん(江戸)加
藤枝かとうエムゾネえ直なお(江戸)「うけらが花」賀茂真淵かものま
省18
317: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/27(土)00:13 ID:/kmEsvOR0(2/51) AAS
明治−昭和)「旗」「変身」渡辺エムゾネわたなべ水すい巴は(明治−
昭和)「富士」加藤楸邨かとうしゅうそん(明治−平成)「寒雷」
「慟哭」「都塵抄」「雪後の天」293.登録の価値証明a)評価
基準への適合性証明1)条約上の遺産種別「富士山」は、世界遺産
条約第1条及び『世界遺エムゾネ産条約履行のための作業指針』(以下
、『作業指針』という。)第45項に規定にする「記念工作物」、
「建造物群」及び「遺跡」に該当する。2)評価基準への適合性証
明以下に示す理由に基づき、「富士山」には、世界遺産一覧表への
記載のための評エムゾネ価基準のうち(B)、(C)、(E)が適用で
きる。評価基準(B)現存するか消滅しているかにかかわらず、あ
省18
318: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/27(土)00:20 ID:/kmEsvOR0(3/51) AAS
った山麓の浅間神社における遥拝活動とともに、以下の絵図(類似
の登山案内図が数多く作成された)に示されたように、雲上の神仏
の世界へ一定の儀礼に従って参詣する「登拝」を中心に、富士山体
・周辺にある富士山の火山活エムゾネ動によって生成され神聖な意味を
持つとされた風穴・溶岩樹型・湖沼・滝・湧水地などを巡礼し、修
行することで治病・除災などの超自然的力を獲得し、罪や穢れを消
して生まれ変わる(擬死再生)と考える「富士山禅定」(※2)と
呼ばれる行為(儀礼エムゾネ・活動)が成立し、18〜19世紀にかけ
て富士山は体系化された登拝のための宗教施設も含め、大規模な大
衆による宗教的登山を代表する存在となっていた。このような自然
省18
319: (ワッチョイ 560c-CMKN) 2018/01/27(土)00:27 ID:/kmEsvOR0(4/51) AAS
あすか井い和歌集」藤原ふじわらの俊とし成なり(平安−鎌倉)
「(藤原兼ふじわらのかね実ざね)右う大臣家だいじんけ百首ひ
ゃくしゅ」「五社百首」「丹後守為忠朝臣家百首」慈じ円えん(
平安−鎌倉)「拾玉集」西行さいぎエムゾネょう(鎌倉)「新古今
和歌集しんこきんわかしゅう」源実朝みなもとのさねとも(鎌倉
)「金槐和歌集きんかいわかしゅう」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「
安嘉門院あんかもんいんの四条しじょう五百首ごひゃくしゅ」万
里ばんり集九しゅうきゅう(室町)「エムゾネ梅香無尽蔵」堯ぎょ
う恵え(室町)「下葉和歌集」水無瀬みなせ氏成うじなり(安土
桃山−江戸)「水無瀬殿富士百首」清水浜臣しみずはまおみ(江
省18
320: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/27(土)00:27 ID:/kmEsvOR0(5/51) AAS
富士山信仰の形成の中で神社等の建築群・登山道・宗教施設を経て
山頂に参詣する体系化された宗教的儀礼・活動が15〜16世紀に
かけて発達し、18〜19世紀にエムゾネかけて完成された。この過程
において、日本における山に対する固有の文化的伝統や富士山によ
り生み出された芸術活動を背景として、富士山の宗教施設、そこで
の儀礼・活動は富士山の自然環境と一体となって宗教的な意味を持
つ景観として認知され、エムゾネこれが宗教的絵画等で表
321: (ワッチョイ 560c-CMKN) 2018/01/27(土)00:33 ID:/kmEsvOR0(6/51) AAS
虚子たかはまきょし(明治−昭和)飯田いいだ蛇笏だこつ(明治
−昭和)「山りょ集」富安風生とみやすふうせい(明治−昭和)
水原みずはら秋桜子しゅうおうし(明治−昭和)「葛飾」永井な
がい荷風かふう(明治−昭和)「名所方角集」西東エムゾネさいと
う三鬼さんき(明治−昭和)「旗」「変身」渡辺わたなべ水すい
巴は(明治−昭和)「富士」加藤楸邨かとうしゅうそん(明治−
平成)「寒雷」「慟哭」「都塵抄」「雪後の天」293.登録の
価値証明a)評価基準への適合性証明1)条約上の遺エムゾネ産種
別「富士山」は、世界遺産条約第1条及び『世界遺産条約履行の
ための作業指針』(以下、『作業指針』という。)第45項に規
省18
322: (ワッチョイ 560c-CMKN) 2018/01/27(土)00:40 ID:/kmEsvOR0(7/51) AAS
エムゾネを顕著に表わす物証として稀有な存在である。・日本にお
ける山に対する固有の文化的伝統を顕著に表わす物証富士山の山
頂部一帯は、山に対する日本の宗教観とその秀麗な姿、及び10
世紀頃まで盛んであった火山活動などに基づき神仏の世界、ある
いエムゾネは他界(死後世界)とされてきた。このため富士山では
富士山の神(※1)を祀った山麓の浅間神社における遥拝活動と
ともに、以下の絵図(類似の登山案内図が数多く作成された)に
示されたように、雲上の神仏の世界へ一定の儀礼に従って参詣す
る「エムゾネ登拝」を中心に、富士山体・周辺にある富士山の火山
活動によって生成され神聖な意味を持つとされた風穴・溶岩樹型
省18
323: (ワッチョイ 560c-CMKN) 2018/01/27(土)00:48 ID:/kmEsvOR0(8/51) AAS
結果仏と一体化エムゾネすることを示す言葉であり、その後、主に
修験道において富士山などの霊山に登って修行することも意味す
るようになった。写真「絹本著色冨士曼荼羅図」(部分:16世
紀ごろ)30「絹本著色冨士曼荼羅図」(16世紀ごろ)評価基
準(C)歴史上のエムゾネ重要な段階を物語る建築物、その集合体
、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である
。評価基準(C)の適用富士山では、富士山信仰の
324: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/27(土)00:48 ID:/kmEsvOR0(9/51) AAS
いる。したがって、富士山は顕著な普遍的価値を持つ生きた伝統と
直接的・実質的に関連がエムゾネある景観である。・顕著な普遍的意義
を持つ芸術作品との直接的・実質的関連独立峰である富士山の周囲
には湖や海と組み合わされた富士山の優れた景観を望む展望地があ
り、今日に至るまで多くの芸術作品を創造する場となった。これら
の富士山を題材エムゾネにした芸術作品のうち、最も海外に影響を与え
た作品は葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。19世紀前半
に作成されたこの一連の作品は、日本の開国に伴い西洋に輸出され
、他の浮世絵とともにその構図や表現方法がジャポニスムと呼ばれ
た西洋エムゾネにおける日本芸術の流行を生み、モネ、ゴッホといった
省18
325: (ワッチョイ 560c-CMKN) 2018/01/27(土)00:55 ID:/kmEsvOR0(10/51) AAS
社等の建築群・登山道・宗教施設を経て山頂に参詣する体系化さ
れた宗教的儀礼・活エムゾネ動が15〜16世紀にかけて発達し、
18〜19世紀にかけて完成された。この過程において、日本に
おける山に対する固有の文化的伝統や富士山により生み出された
芸術活動を背景として、富士山の宗教施設、そこでの儀礼・活動
は富士山の自然環境とエムゾネ一体となって宗教的な意味を持つ景
観として認知され、これが宗教的絵画等で表現されることにより
、多くの人々に富士山が神聖な山であるとの認識がより強固に定
着し、日本写真上図拡大部分宗教施設水垢離場における山と人間
の良好な関係の形成に影エムゾネ響を与えた。したがって、富士山
省18
326: (ワッチョイ 560c-9lb2) 2018/01/27(土)00:56 ID:/kmEsvOR0(11/51) AAS
つ。顕著な普遍的価値の言明エムゾネ富士山は、日本を代表し象徴する
日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山として世界的
に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本人の自
然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広
重などによる顕著なエムゾネ普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独
特の芸術文化を育んだ「名山」である。富士山は、山岳に対する信
仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国
327: (ワッチョイ 560c-CMKN) 2018/01/27(土)01:01 ID:/kmEsvOR0(12/51) AAS
した(※4)。この認識は近代工業社会の自然に対する考え方が
一般化する以前の山と人間との良好エムゾネな精神的関係を示すも
のであった。、31(※3)富士山は神仙思想における不老不死
の象徴である「蓬莱山」や仏教における世界の中心である「須弥
山」に見立てられた。また、主に18世紀後半より富士山の信仰
上の景観認識を立体化した「富士塚」エムゾネが東京を中心に建設
され、女性を含め山頂への登拝ができない人にとっての代参施設
となった。(※4)登拝者には登山口の浅間神社や御師の発行す
る富士山の信仰上の景観認識を描いた宗教画が配布されるととも
に、縁起の良いものとして富士山やそのエムゾネ図像を拝したり、
省18
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