[過去ログ] / ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門131.02m 【IP表示なし】 (270レス)
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137: 2018/06/30(土)03:22 ID:fQcMv/55(133/256) AAS
域について2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画
策定ワーキング・アフィ世界文化遺産登録への取組状況について・
山梨県保存管理計画の策定について2運営010年3月16日平成
21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方
について2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理
計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日平成19年度第1回
静岡県保存管理計画検討部会運営・保存管理計画について−7雑波
138: 2018/06/30(土)03:22 ID:fQcMv/55(134/256) AAS
008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年度第
2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の
審議結果・静岡県保存管理計画について2008年2月21日平成
19年度第3回山梨運営県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画
検討部会の審議結果2008年7月16日平成20年度第1回静岡
県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静
岡県保存管理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県
保存管理計運営画検討部会第1回庁内連絡会議・アフィの世界文化
遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21年度第
省18
139: 2018/06/30(土)03:23 ID:fQcMv/55(135/256) AAS
りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山
梨県)計画名称策定年等?資産に影響する可能性がある個別の開発
計画大規模集客施設等の運営立地に関する方針(山梨県)2010
年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(山梨県
)1993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和
50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森
林計画書平成1運営8年4月策定?資産に影響する可能性がある個
別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成1
8年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小
省18
140: 2018/06/30(土)03:24 ID:fQcMv/55(136/256) AAS
の範囲「アフィ」の顕著な普遍的価値を表す構成資産の保護を確実
にし、各構成資産における富運営士山体への良好な眺望を保証する
ために、個々の構成資産の周囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定
する。さらに、個々の構成資産間の関係を良好に保ち、アフィの景
観の一体性・連続性を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全
管理区域を設定する運営。構成資産の位置及びその周辺地域である
緩衝地帯、保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである
。図「アフィ」の範囲(構成資産・緩衝地帯)アフィ山体の範囲に
ついては、現在特別名勝アフィに指定されている区域だけでなく、
その周辺部運営にあたる標高約1,500m付近までとした。この
省18
141: 2018/06/30(土)03:24 ID:fQcMv/55(137/256) AAS
なお、保全管理区域についても、運営森林法と景観法で保護されて
いる。アフィ山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこと
から、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言
える。3構成資産の概要運営構成資産及び保存管理状況の概要につ
いては、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推
薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細につい鐘次
142: 2018/06/30(土)03:25 ID:fQcMv/55(138/256) AAS
、構成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、そ
れぞれ具体的内運営容を含めた説明を行っている。なお、p18,
19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。A富士
山山体及び登山道B信仰に関わるものCアフィの眺望に関わるもの
(1)アフィ山体及び登山道Aアフィ標高3776mを測るアフィ
は、日運営本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山であ
る。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に対
する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。
アフィは山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代エムソ
゙ネを超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文
省18
143: 2018/06/30(土)03:26 ID:fQcMv/55(139/256) AAS
く。アフィ頂へ向か運営い、登山の歴史の中で開鑿された登山道が
、現在の4本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に
沿い、アフィ山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士
講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、その後「大沢
崩れ」とい運営う危険箇所を通るため、富士講信者により修行の道
として利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924年史蹟
名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護法の下に名
勝運営、ついで特別名勝に指定1969年国が大沢崩れに対する砂
防事業に着手(継続中)1996年国・県が台風による森林の風倒
省18
144: 2018/06/30(土)03:26 ID:fQcMv/55(140/256) AAS
での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「
御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる神
仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅に
おける仏の世界運営に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)
」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施
設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立された大日寺(大日
堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納
・埋納運営や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀に
は、大宮・村山口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
が造営された。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認でき
省18
145: 2018/06/30(土)03:27 ID:fQcMv/55(141/256) AAS
ことが知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに
山頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中に
あるいくつかの仏像運営や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の
大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを
巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道アフィ南
西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登
山道である運営。12世紀前半、アフィで修行した末代上人の坑植
146: 2018/06/30(土)03:28 ID:fQcMv/55(142/256) AAS
した登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とそ
の活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在が確認で
き運営、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発心門等
の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年、村山を
神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えている。この
権利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理に運営関
わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での
水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由し
た登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀前半に30余りの道者坊
省18
147: 2018/06/30(土)03:28 ID:fQcMv/55(143/256) AAS
八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登
山の解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道
線の開運営通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの
対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道
(カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山
口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在エムソ
゙ネは、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡
の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡など
をある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山
道の写真A3須山口登山道アフィ南東麓、須山浅間神社運営を起点
省18
148: 2018/06/30(土)03:29 ID:fQcMv/55(144/256) AAS
860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神仏分離
令後も継続運営していたが、1883年、須山口二合八勺に接続す
る御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東海道本線が
開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口からの登拝者や登山
者が減少することとなった。1912年には、登山道の一部が陸軍
演運営習場となり使用不可能となったため、須山口からの登拝(登
山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道
が確認できる部分は一部のみである。また、1999年、地元住民
により須山口下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興さ運営れ
た。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道アフィ東麓の冨士浅
省18
149: 2018/06/30(土)03:30 ID:fQcMv/55(145/256) AAS
や関本の道了尊運営とセットにされた参詣の流行で登拝者数は増加
し、年平均約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピー
クを迎えた。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方か
らの登拝者も見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下
山に適運営した須走口へ下山する形をとった。また、1831年、
須走口山頂部に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による
登拝も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場口、牲芯
150: 2018/06/30(土)03:30 ID:fQcMv/55(146/256) AAS
び1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離エムソ
゙ネが長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され
続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間大
社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また運営、19
23年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959年
、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合目以下の登
山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区間があ
る。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道運営北口本宮冨士浅
間神社を起点とし、アフィ頂を目指す道である。15世紀には、富
省18
151: 2018/06/30(土)03:31 ID:fQcMv/55(147/256) AAS
保運営存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)1996
年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備
1999年「特別名勝アフィ保存管理計画」を改訂2006年「特
別名勝アフィ保存管理計画」を改訂2011年文化財保護法運営の
下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡アフィとして指定−2
6−2011年「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予定)A6北
口本宮冨士浅間神社アフィ北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭
神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山運営祇命を祀る
神社である。アフィの遙拝所に祀られていた浅間明神(アフィの荒
ぶる神)を起源とし、1480年には「アフィ」の鳥居が建立され
省18
152: 2018/06/30(土)03:32 ID:fQcMv/55(148/256) AAS
74年)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1
997年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺
替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本エムソ
゙ネ宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定(予定)2011年
「史跡アフィ保存管理計画」を策定(予定)A7西湖アフィの火山
活動により形成された堰止湖で、アフィの北北西に位置運営する。
アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(
せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉
省18
153: 2018/06/30(土)03:32 ID:fQcMv/55(149/256) AAS
る本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影されたアフィとほぼ同
じ姿のまま現在も残している。写真本栖湖の写真表法的保護、修理
・運営整備の経緯(A7・A8・A9)1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五
湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に
本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される2011年運営文
化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五劇招
154: 2018/06/30(土)03:34 ID:fQcMv/55(150/256) AAS
大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+アフィ表法的保護、
修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下に運営特別保
護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1929年本
殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年楼門の修理1
936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化財保護法制定に
伴い重要文化財に名称変更1952年本殿の屋運営根の修理等が行
われた1970年本殿の屋根の修理等が行われた1988年本殿の
屋根の修理等が行われた1996年富士宮市教育委員会が調査を行
った2002年富士宮市教育委員会が調査を行った2005年本殿
の屋根の修理等が行われた2008年運営財団法人静岡県埋蔵文化
省18
155: 2018/06/30(土)03:34 ID:fQcMv/55(151/256) AAS
ざす登拝者が身を清める場として使用された。その様子は「運営絹
本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登
山記で確認できる。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ
、水垢離する人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は
1920〜30年代まで行われ、現在では山開きの運営恒例行事に
形を変えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも
利用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施設
があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基点であ
り、現在でも1691年に作られた石碑が運営たもとに残されてい
る。−29−写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東
省18
156: 2018/06/30(土)03:35 ID:fQcMv/55(152/256) AAS
゙ネる。この行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神
幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発
し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上し
て山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には169運営1年に
置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮
浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富
士山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位釈玩
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