[過去ログ] 意識のハードプロブレムの答え45 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
975: 2024/12/09(月)20:34 ID:0(975/1000) AAS
>>808
>>813
976: 2024/12/09(月)22:58 ID:0(976/1000) AAS
>>956
お前がチンパンジーや人間性についてどう感じてるは知らんしお前の考える人間性のクオリアも知らんわ
まさか人間よりチンパンジーが劣ってると思ってるのか?俺には信じられないがそういうことなのか?
>違ってるっておまえのクオリアの感覚で他人の感覚に嘆いてるだけじゃ何一つクオリアの言語化ができるようになるわけがない
理解できるようになれないんじゃなくて理解することはできないって主張なんだけど?
>お前クオリアガ何か理解したいんだろ?人様に説明できるレベルで
そういう理解をするお前を否定しないが俺の主張と違うという反論はしておく
>お前の理解できてる言葉の意味の繋がりがおまえの「てにをは」として文章に現れるんだよ。
まさにその主張をしているんだが他のレスも混ざってないか?
>説明を理解しなきゃいけない聞く耳をもってなきゃいけない側だって事を忘れるなよ、まともな謙虚さが無さすぎ
省9
977: 2024/12/09(月)23:14 ID:0(977/1000) AAS
>>956
大修館書店の716でこう書いてあるよな
「この紙は赤い」と「この紙はドイツ語で<赤い>と呼ばれる色である」という二つの文についてはどうだろうか。この二つは同じことを言っているのか。それは、ある色がドイツ語で<赤い>と呼ばれることの基準が何であるかに依存するのではないか。

クオリアという「感じ」は定義で説明できないってことなんだがそれに対して「辞書を引け」って言われたらそりゃ呆れるだろ
978
(1): 2024/12/09(月)23:28 ID:0(978/1000) AAS
いつまでクオリア言ってんのこいつ?前世紀からずっと同じこと呟いてるよね
仮にそれほど重要でかつ難問なら数学の難問のように世界的にもっと注目されてるだろにそうではない
つまり研究進めずに呟き続けてるだけかただの妄想か宗教みたいなものか、そういうことじゃね

てみんな呆れてるよ
979
(1): 2024/12/09(月)23:33 ID:0(979/1000) AAS
>>956
日常会話で「クオリア」が意識されることは無いんだわ
結果が伴っていれば「伝わっていると前提して良い」という主観で行動しても不都合は起きないということだ
辞書にしてもそこに書かれているのは別の日本語での表現でしかなくてクオリアを説明しているものではない
別の言語ではどうだ?英語のイディオムは?日本語でどのように説明したところで近しいというのがせいぜいだろ?
じゃあクオリアって何なんだよって話なのも分からんのか?
980: 2024/12/09(月)23:40 ID:0(980/1000) AAS
>>979
>>978
981: 2024/12/10(火)07:26 ID:0(981/1000) AAS
認性、あるひは"qualification"の"double-think"

「"re-"を考へ直す/go back thinking」を「かむ(鑒)か(交)へ・な・ほ・す」/"double-think"
982: 2024/12/10(火)07:28 ID:0(982/1000) AAS
ここに現れているのは、実は、しばらく前にソーシャル・ネットワークで盛んに論じられているのが見られた、
哲学的には、いづれにしても極めてくだらないと思える「掛け算の順序問題」と同じである。
983: 2024/12/10(火)07:40 ID:0(983/1000) AAS
というのも、"re-"が表現しているのは、云はば、"double-"であり、ここで検討しているのは、
その"double-"が後に続く動詞を"qualify"する(したがって、その動詞に掛けられる)のか、
984: 2024/12/10(火)07:40 ID:0(984/1000) AAS
それとも"double"の方が「ひとまづ」動詞の代わりをして、その「代動詞」を、その後につづく動詞の方が"qualify"する(したがって、その動詞の方が掛けられて、副詞的な働きをするのか)といふ認識上の問題だからである。
985: 2024/12/10(火)07:47 ID:0(985/1000) AAS
「掛け算の順序問題」で議論されていたのは、哲学的に言ひ換へるなら、X・Y=Zといふ"qualification"において、
いづれが"qualified"とされる側であり、いづれが"qualifying"とされる側であるとされるのか、適正であるとされる順序が決まっているのか、といふことだろう。
986: 2024/12/10(火)07:56 ID:0(986/1000) AAS
学校教育では、文章問題で「XをYが"qualify"したとする」と出題された場合、
それにより算出されるのがZであったとして、その答えを導き出すのに、
X・Y=Zと答案を書けば正解とされるのに、Y・X=Zと書いたら不正解とされ、
数学的にナンセンスな指導がまかり通っている、といふのが数学者による批判だろう。
987: 2024/12/10(火)08:10 ID:0(987/1000) AAS
学校教育では、出題する側の問題設定により、いづれが"qualified"側とされ、いづれが"qualifying"側とされるべきか、
その適正さは「決まっている」とされる。
988: 2024/12/10(火)08:18 ID:0(988/1000) AAS
これに対して、数学者は、出題は、"qualify"の作用を適正に働かせて正しい答えを導き出すことを求めているのだから、
いづれを"qualified"側とし、いづれを"qualifying"側とするかは任意であり、"qualify"の作用を表記する順序は
「自由であるに決まっている」と批判する。
989: 2024/12/10(火)08:30 ID:0(989/1000) AAS
哲学的に見れば、いづれが"qualified"側とされ、いづれが"qualifying"側とされるかは、"qualify"の作用を「現に働かせる際に決まる」。
990: 2024/12/10(火)08:31 ID:0(990/1000) AAS
したがって、何らかの"qualify"の作用のかひ(効)を得たとするなら、必然的にいづれの側が"qualified"側として現はれ、
いづれの側が"qualifying"側として現れるが、いづれがいづれの側となるか、あらかじめ排他的に決まっているわけではない。
991: 2024/12/10(火)08:34 ID:0(991/1000) AAS
ところで、この哲学の立場は、「いづれをいづれの側とするかは任意であり、自由であるに『決まっている』」とする数学者の立場とは異なることに留意しよう。
992: 2024/12/10(火)08:41 ID:0(992/1000) AAS
"qualify"の作用について、学校教育が"the qualified"を決める「忍性」の立場を代表しているとすれば、
数学者は、"qualification"の「任性」の立場を代表するのに対して、
哲学は、"to qualify"の「かひ(効)」から遡る「認性」の立場を代表する。
993
(1): 2024/12/10(火)08:46 ID:0(993/1000) AAS
英語の"by"、中国語の"陪"という表現について考へてみるといい。
"by"/"陪"に関して現に現れる際には、いづれかの側に現れるしかないが、
いづれの側に現れるかがあらかじめ決まっているわけではなく、しかし、
現われてしまったなら、それがいづれの側であるかは、任意に選択できるわけではない。
994: 2024/12/10(火)12:17 ID:0(994/1000) AAS
>>993
>>974についてお答えください。
1-
あと 8 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.023s