[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17 (1002レス)
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222: 2019/06/30(日)03:23 ID:7YiIO3WE(3/14) AAS
 
>生命は永遠なんだ

たとえば
大乗の
仏性.真如.如来蔵とかのことを

言ってるのかしらん?
223
(1): 2019/06/30(日)10:18 ID:oLaWIXPn(1/8) AAS
>>218
今世の自我のなかに、過去世の記憶があるわけないからね。
自我を手放した時、どうなるかって話。
各自で確認して下さい。
224
(1): 2019/06/30(日)10:27 ID:oLaWIXPn(2/8) AAS
人間は思考概念でものごとを捉えるけど、般若の智慧に属すること(無我や輪廻)は思考概念
ではないから、言葉で言おうと思ったら、基本的にあれじゃない、これじゃない、それじゃない、
という言い方しかできないと思う。

あるいは仏教用語で言うと、
想として五蘊の中に生みだされた概念(pannatti)は、
五蘊を洞察した智慧(pannaa)ではない、ということかな。

自己流の表現なので、教理学的に正確じゃなかったらごめんなさい。
225: 桃太郎 2019/06/30(日)10:29 ID:V/Punie7(2/4) AAS
>>219

このリンク先の内容もアビダルマに傾斜した思想であることが分かる。

原始仏教は釈迦仏教の正統を受け継ぐとされた教団が、いくつもの部派に分裂し、互いに閉鎖集団を形成してしまった。
アビダルマ研究は、ますます煩項におちいり、大衆からは遊離する一方であった。

菩提樹の下で成道した釈尊は、その悟りを自分一個のものに留めておくのではなく、自らの悟達を全人類の共有のものとするため、仏法流布の旅に出立した。
ところが、部派仏教の僧侶達は、世俗の権威から超然とするばかりで、山林に閉じこもり、アビダルマ(阿毘達磨)研究に専念する傾向が出てきた。

すなわち「自利」のみを求め、大衆を化導する「化他」の実践がおろそかになったと考えられる。
そこで大乗教徒達は、自らの仏道修行はもちろん、苦悩に沈む大衆を広く教化していくことにこそ、釈迦の本来の精神があったのではないか、−そのように主張した
省2
226: 桃太郎 2019/06/30(日)11:17 ID:V/Punie7(3/4) AAS
前スレからのコピーだが

本来、原始仏教では、あくまで自己の体験的覚証を得ることが最第一の関心事ですから、
理論的に論証しようとしたり、誰かと論争したりすることは頭から否定したでしょう。
究極の生命を体得するという修行だけに心を集中することが第一義ですから、それから逸脱する行為は邪道としてしりぞけられたであろうと思う。

ところがテラワダは見ての通りかなりの部分でアビダルマに傾斜しているので、原始仏教とも言え無いのではなかろうか。

100歩譲って、「いや、あくまで自己の体験的覚証を得ることが最第一の関心事」だよ。と言ったところで
原始仏教には大きな落とし穴がある。それは体験的覚証は論証のしようが無いという事がひとつ。

めんどくさい仏法用語で、あたかも覚者のごとく主張しても、体験的覚証を証明しようがない。
例えば100人が実践して100人が現象として証明出来る明確な現証を得られれば、それは間違いなく正しい教えと言えるが
そうでなければ、確証は得られない。
省3
227: 桃太郎 2019/06/30(日)11:17 ID:V/Punie7(4/4) AAS
仏典の「沙門果経」には彼の説として、懐疑論が説かれてある。
次のようなものだ。

「もしあなたが、あの世は有るか、とたずねて、わたしがもし、あの世は有ると考えたら、あの世は有る、とあなたに答えるであろうが、〈しかし実際には〉わたしはそうはしない。
そのとおりだともわたしは考えないし、別だとも考えない。そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない。
もし、あなたが、あの世は無いのか、あの世は有り又無いものなのか、あの世は有るのでもなく無いのでもないのか、とたずねても、同じことである。」(略)

つまり、一つの問いに対して、かならず有・無・亦有亦無・非有非無の四句分別をもって答えたそうです。

いわゆる仏典で、なまずのような論とか、ごまかしの論とか非難しているのもだ。捕らえどころがない。

しかし、サンジャヤの立場に立って考えてみると、それなりに筋の通った論理だ。
 たしかに、言語を道断する究極の悟りは「無我」という立場から、人間の知覚感覚のあいまいさを前提とするかぎり、事物に対するなんらかの意思表示や判断を中止せざるをえない。
もし、なんらかの判断を行なうならば、その判断の根拠にある知覚を信頼したことになり、大きな矛盾に陥ってしまう。
省6
228
(1): 2019/06/30(日)11:23 ID:7YiIO3WE(4/14) AAS
 
桃太郎師匠の場合は↓これかしらん?

外部リンク[html]:blog.livedoor.jp

無の世界も超えて
計らいのない、分別のない心で
移り行く世界の様をありのまま見つめている

外部リンク[html]:www.shogyoji.or.jp
無住処涅槃
生死にも涅槃にも住さない涅槃
省5
229
(1): 2019/06/30(日)11:40 ID:XUQ411oR(1/8) AAS
>>223>>224
それは仏教の理論的にはそうなるはずだという推測にしか過ぎない。
なぜ「私は瞑想して観察下結果、輪廻や輪廻を決定する功徳の証しを見つけました」と言えないのですか?
230: 2019/06/30(日)11:44 ID:7YiIO3WE(5/14) AAS
 
>禅定による確証的思考も乗り越えてはいない

>>228の続き

桃太郎師匠の場合は↓これ?

たとえば
説一切有部とかが言う.涅槃も超えて

そして.大乗の無住処涅槃
省11
231: 2019/06/30(日)12:06 ID:7YiIO3WE(6/14) AAS
 
>輪廻の証しを見つけました

前世も
現世も
輪廻というしくみも

地水火風の微細な粒子に分解して
そして
たとえば
因縁滅智とかで

地水火風の微細な粒子も滅するので
省7
232: 2019/06/30(日)13:20 ID:XUQ411oR(2/8) AAS
>>219
それは違うよ。

スッタニパータ

645 前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、すべて無一物で、何ものをも執著して取りおさえることのない人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。

646 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望のない人・沐浴した者・覚った人(ブッダ)、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。

647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。
省4
233
(2): 2019/06/30(日)13:45 ID:oLaWIXPn(3/8) AAS
>>229
直接的な言及を避ける理由は主に三つ。

1. ほとんどの人は有身見があるので、証拠といったら物証のことを意味する。
   しかし、精神は物質ではないので、精神現象の証拠を物質として出せるわけではない。

2. 無我や輪廻といった智慧は、思考の成り立ちそのものを、思考の外から洞察して初めて
   分かることなので、思考(言葉や論理)によって伝えることはできない。

これをやろうとすると、1.証拠のないことについて、2.論理の成り立たない話をしていることに
なってしまいます。
だから禅僧も含めて、誰も直接的には言わないんです。

今ひとつの理由は、
省1
234: 2019/06/30(日)13:48 ID:oLaWIXPn(4/8) AAS
一方で、人々が空想した輪廻や無我についての概念というものがあります。
これを信じている人もいるし、ほとんどの人はそんなものはないと思っていることでしょう。

人々が妄想した神や仏の概念。
人々が妄想した輪廻の概念。

そんなもん無いに決まってます。
当たり前です。
235
(2): 2019/06/30(日)16:00 ID:7YiIO3WE(7/14) AAS
>阿羅漢になると前世を知ることが出来る

外部リンク:ja.wikipedia.org

宿命通.天眼通.漏尽通

過去世(前世)を知る
生まれ変わることはなくなったと知る
  _  _  _

たとえば↑これは
対機説法という可能性もあるかもしれない
省12
236
(1): 2019/06/30(日)16:23 ID:7YiIO3WE(8/14) AAS
 
外部リンク:kotobank.jp
対機説法(たいきせっぽう)
たとえば
仏陀とかが教えを説示する場合
その相手の精神的能力 (→機根 ) や性質などに応じて
それにふさわしい手段で説法する

外部リンク:kotobank.jp
四悉檀(ししつだん)
たとえば
省15
237
(1): 2019/06/30(日)17:03 ID:XUQ411oR(3/8) AAS
>>233
まず2と3が矛盾してますな。

>>235>>236
要するに輪廻も功徳も解脱も方便に過ぎない、と?
238
(1): 2019/06/30(日)17:40 ID:oLaWIXPn(5/8) AAS
>>237
話し方はある程度どうにかできるが、話の聞き手が理解するかどうかまではコントロールできない。
239: 2019/06/30(日)18:59 ID:7YiIO3WE(9/14) AAS
 
外部リンク:ja.wikipedia.org
方便(ほうべん)
衆生を教え導く手段
真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教え
目的のための便宜の手段
  _  _

「嘘も方便」などの用法もあるかもしれないけど
それでも.とりあえず
外部リンク:docs.google.com
省12
240: 2019/06/30(日)19:05 ID:XUQ411oR(4/8) AAS
>>238

>>233
>   分かることなので、思考(言葉や論理)によって伝えることはできない。

>3. お釈迦さまがすでに言葉を尽くして語り尽くしておられるので、それを聞けばいいだけの話だから。

さ、この整合性を語ってください。
241
(2): 2019/06/30(日)19:20 ID:oLaWIXPn(6/8) AAS
悟りの話は悟りじゃない。
おわり
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