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【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/
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315: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/23(火) 23:06:54.32 ID:Dyzb667a >煩悩があるままで煩悩が障りとならない状態をさす そう、その通り というかこれが煩悩、これが煩悩でないと分けるのこそ煩悩 その判断基準がどこにあり、一体その判断を誰が行っているのか? 正確には自分の心身に不自然な煩悩はなくなるが自然な煩悩というか反応は残る 心身が物理的にあるので物理的な反応が生じるのは当然 しかし心身は自分でないと分かれば心身の煩悩(反応)がどのように生じようともそれは自分の煩悩(反応)とはならない もちろんそれが分かるときには煩悩はいわゆる煩悩ではないですし、それが分かるようになるために日々煩悩に巻き込まれないようにしていくのは大切な基本修行だと思います 釈迦が弟子が死んだときに何故泣いたのか、解脱しているなら泣くことはないのではないかという古来からの議論を踏まえ 心身に反応が生じるとはどういうことか、そもそも心身とは何であるのかを探求すれば、やがて答えが導かれてくると思います http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/315
316: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/24(水) 09:59:09.64 ID:WV7NscYs 坐禅してる人の言ってることに聞こえる http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/316
317: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/24(水) 22:47:26.50 ID:ISRZhPo7 >>313 阿羅漢の目連は外教の者に打ち殺されましたが 後にある比丘が釈迦にこの件について「聖者目連は何の業があって外道にその身を粉砕せられたのか」と問うと、 釈迦は「目連はかつて過去世に、バラモンの子となり婦人を婬溺して母に孝行をしなかった。ある日、母に怒り悪語を発す、曰く如何ぞ勇力の人を得てかの身形を打たんと。この悪語によって五百生の中に於いてまさに打砕せられ、今日聖道を修して神通第一になったが、なおもこの報いを受けたのだ」と説明した(毘奈耶雑事18)。 また他の説では、彼は過去世において弊魔だった時に、しばしば拘楼孫仏の上首の弟子であった毘楼尊者を弄び、小児に変化して大杖で彼の頭を撃ち血を流させたことで地獄に堕した。 その宿業によって現世では釈迦仏の上首となり外道によって撲殺された(魔嬈乱経)。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/317
318: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/25(木) 00:10:51.90 ID:WsViHsR/ 仏教の輪廻については、言ってる人バラバラで何を信じていいか良く分からんよ。 頓悟系の人だと、輪廻は昔の方便で、死んだらそれで終わりと言ってる人もいるみたい。 観察瞑想すると、心がすごい速さで回転しているのは分かるけど、肉体が死んだら心も 一緒に無くなるのか、良く分からない。 子供を作って、子孫残してって言うのが輪廻転生ならまだ分かるけど、オウムなんかでも 特殊な瞑想すると自分の過去生が見えてくるとか言うし、これまた、違うっぽい。 心のエネルギーはすごいから肉体が死んでも止まらないっていうのがテラワダの見解なのかな? 一時期、サイキックな能力が使えたことあるから、唯物論者じゃないんですけどね。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/318
319: 神も仏も名無しさん [] 2021/03/25(木) 00:37:09.61 ID:zaI+3byt 修行僧たちよ、 サーリプッタ、モッガラーナが亡くなってから、 この集(つど)いも淋しくなってしまった。 かつてサーリプッタ、モッガラーナのありしことを憶(おも)うと、 わたしにはこの集いはむなしい。 しかし、この世で形あるもの、有為(うい)なるもので 滅びないものがあるであろうか。 故に修行僧たちよ、 自らを島とし、自らをよりどころとして、 他人をよりどころとせず、法を島として、 法をよりどころとして、 他のものをよりどころとせずにあれ。 (サンユッタニカーヤ) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/319
320: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/25(木) 07:28:41.02 ID:U7rr+vtC 人が生まれた時には、実に口の中に斧が生じている 人は悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/320
321: 桃太郎 [] 2021/03/25(木) 16:34:08.93 ID:LggU5cVt >>319 私が >>258 に書いた事だね。 >自らを島とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、 >法を島として、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 ここは大事なところだよ。 最初に「自らを島とし」とあり、次に同じように「法を島として」とある。 つまり「自ら」と「法」は同じ意味になるので、ここで言う「自ら」とは「煩悩にまみれた愚かな自身の事」を言うのでは無いことは言うまでも無い。 ましてやネットで遊んでいるようなのナンチャッテ覚者でも無い。 要するに、釈尊の本意は「法を体現した自身を島とし拠り所とせよ。」という事になる。 まぁ、釈迦十大弟子の阿羅漢である「阿難」ぐらいの境涯になれば「自らを島」と出来るでしょうね。(笑 ゆえにテラワダ信者はムリ。僧侶でも無いし、世俗にどっぷり浸かっているし、 しかも釈迦の教えによらず、経典無視の勝手な解釈で悟ったつもりで自己満足しているばかり。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/321
322: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/25(木) 19:06:19.18 ID:zZTs2Rfm 他人をよりどころとせず他人のあれこれをいちいち気にしなくてよろしい http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/322
323: 神も仏も名無しさん [] 2021/03/25(木) 22:44:00.05 ID:zaI+3byt 「比丘たちよ、みずからを洲 すとし、みずからを依所 えしょとして、他を依所とせず、法を洲とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい。 比丘たちよ、みずからを洲とし、みずからを依所として、他を依所とせず、法を洲とし、法を依所として、他を依所とせずして住し、事の根本にまで立ちもどって観察するがよい、<嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みは、いったい何によって生じ、何によって起こるのであるか>と。 比丘たちよ、では、嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みは、何によって生じ、何によって起こるのであろうか。 比丘たちよ、ここに、いまだ教えを聞かざる凡夫があるとするがよい。彼らは、いまだ、聖者にまみえず、聖者の法を知らず、聖者の法を行ぜず、だから、彼らは、色(肉体)は我である、我は色を有す、わがうちに色がある、あるいは、色のなかに我があると考える。だがしかし、色は移ろい変わる。色が移ろい変わるから、彼らに嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生ずるのである。 だから、彼らは、受(感覚)は我である。われは受を有す、わがうちに受がある、あるいは、受のなかに我があると考える。だがしかし、受は移ろい変わる。受が移ろい変わるから、彼らに、嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生ずるのである。 彼らは、想(表象)は我である、・・・ 彼らは、行(意志)は我である、・・・ 彼らは、識(意識)は我である、我は識を有す、わがうちに識がある、あるいは、識になかに我があると考える。だがしかし、識は移ろい変わる。識が移ろい変わるから、彼らに、嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生ずるのである。 しかるに、比丘たちよ、いま、色において、その無常なること、変易することを知り、貪りを離れ、滅尽すべきものなることを知り、さきの色もいまの色も、すべては無常・苦にして移ろい変わるものなることを、あるがままに正しき智慧をもって観るならば、その時、嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みは消滅するであろう。 それらが消滅するがゆえに心の動揺はなくなる。心の動揺がなくなるがゆえに安楽に住する。そして、安楽に住する比丘は、まさしく涅槃にいたれる者と称せられる。 比丘たちよ、また、受において、その無常なること、変易することを知り、貪りを離れ、滅尽すべきものなることを知り、さきの受もいまの受も、すべては無常・苦にして移ろい変わるものなることを、あるがままに正しき智慧をもって観るならば、その時、嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みは消滅するだろう。それらが消滅するがゆえに心の動揺はなくなる。心の動揺がなくなるがゆえに安楽に住する。そして、安楽に住する比丘は、まさしく涅槃にいたれる者と称せられる。 比丘たちよ、また想において、・・・ 比丘たちよ、また行において・・・ また、比丘たちよ、識において、その無常なること、変移するものなることを知り、貪りを離れ、滅尽すべきものなることを知り、さきの識もいまの識も、すべては無常・苦にして移ろい変わるものなることを、あるがままに正しき智慧をもって観るならば、その時、嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みは消滅するであろう。 それらが消滅するがゆえに、心の動揺はなくなる。心の動揺がなくなれば、安楽に住する。そして、安楽に住する比丘は、まさしく涅槃にいたれる者と称せられる」 (サンユッタニカーヤ) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/323
324: 神も仏も名無しさん [] 2021/03/25(木) 22:48:09.64 ID:zaI+3byt 「阿難よ、私は以前このように説いたではないか。 『愛すべきもの、諸々の喜ばしい事柄は、すべて別れ離れる定めのものである』と。 故に(私の死が間もないからといって)嘆き悲しむ事なかれ。阿難よ、まさに知るべきである。如来もまた久しからず、まさに滅び往くべきものであると。 故に阿難よ、まさに自らを洲[しま]とし、自らを拠り所とするべきである。まさに法を洲とし、法を拠り所とするべきである。他を洲とせず、他を拠り所とせずにあれ」 阿難は仏陀に申し上げた。 「世尊よ、どのようなことを『自らを洲とし自らを拠り所として、法を洲とし法を拠り所として、他を洲とせず他を拠り所とせずにある』ということでしょうか」 仏陀は阿難に告げられた。 「もし比丘が身についての身観念処を、勤め励んで行い、正しく知り〈正智〉、正しく気をつけた〈正念〉ならば、この世の貪欲と憂いとを制する。 そのように、外身と内身と、また受・心・法と法観念処についてもまた、同様に説く。 阿難よ、これを名づけて『自らを洲とし自らを拠り所として、法を洲とし法を拠り所として、他を洲とせず他を拠り所とせずにある』というのである」 (『雑阿含経』巻廿四) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/324
325: 桃太郎 [] 2021/03/26(金) 09:12:59.71 ID:diYGJ3y5 「法を体現した自身を島とし拠り所とせよ。」 ゆえに「法を見るものは私を見る。私を見るものは法を見る」となるわけだよ。 問題は「正しき智慧」とはなんぞや?という事でしょ。 それこそが、末法の御本仏であられる日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」に他ならない。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/325
326: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/26(金) 12:15:59.88 ID:QM1kewQC ネットで遊んでる煩悩にまみれた桃太郎さんと、正しい智慧としての南無妙法蓮華経は両立するわけですよね http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/326
327: 桃太郎 [] 2021/03/26(金) 12:57:49.43 ID:diYGJ3y5 >>326 >ネットで遊んでる煩悩にまみれた桃太郎さんと、正しい智慧としての南無妙法蓮華経は両立するわけですよね もちろんそうだよ。(苦笑 なにか勘違いしているようだけど、私は瞑想もしないし、世俗を離れる気も無い。 ふつうに人生を楽しんで、一切衆生の幸福の為に日蓮仏法を信仰している。 ゆえに、娑婆世界に身を投じて衆生を救うというわけだから、悩みも多いし、苦労も多い。 そのぶん功徳も大きい。「冬は必ず春となる。」だよ。 法華経の修行は「如蓮華在水」の精神なんだよ。 苦悩の衆生の中に飛び込んで行かなければ、仏の智慧など分かろう筈も無い。 ※例せば、バットも振らずに教本暗記したぐらいでホームラン王になったつもりでいる人みたいなもの。 目をつぶって(瞑想)「らくらく解脱」なんて虫が良すぎると思いますよ。(笑い 仏道修行を、ありえないほど簡単に考えすぎていませんか? 釈迦在世の阿羅漢がそんな安易な修行をしていたと思いますか? <御義口伝> 煩悩の淤泥の中に、ありのままの仏がいる。それは、我々衆生のことである。 今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉っているのを当体蓮華の仏というのである。 「煩悩即菩提」 というわけだね。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/327
328: 桃太郎 [] 2021/03/26(金) 13:06:42.17 ID:diYGJ3y5 どんなに厳しい現実の悩みや、人生の宿命に直面しても、白蓮が泥沼の中から尊貴な大輪の花を薫らせていくように、必ず必ず最高無上の幸福の花を咲き誇らせていける。 それが、「如蓮華在水」(蓮華の水に在るが如し)という法理なのです。 さらにまた、この白蓮は、花と実が同時に成長していきます。すなわち、原因(花)と結果(実)が俱時(=時を俱にすること)に備わっている。 これが、「蓮華の法」つまり「因果俱時」の法則であります。 ゆえに、いつか、どこかで、仏になるというのではない。 今この時、真剣に妙法を説き弘めゆく、わが命に、即、仏の大生命が躍動してくるのです。 友のため、法のため、広宣流布(仏に成る教えを弘める)のために行動することは、人の何倍も苦労が多い。 しかし、それは、自分自身の若き生命を、何よりも尊く強く美しく、光り輝かせていく道であります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/328
329: 桃太郎 [] 2021/03/26(金) 13:10:42.15 ID:diYGJ3y5 法華経は小乗教のような「現実逃避」の教えでは無いという事だ。 苦悩から逃げまとう小乗教に対して、苦悩を乗り越える道を示したのが法華経という事だね。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/329
330: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/26(金) 14:17:02.22 ID:QM1kewQC つまり桃太郎さんの言う正しい智慧というのは、この自我そのままの思考と同じ地平にあるものだということですか http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/330
331: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/26(金) 14:36:39.46 ID:NZ0ez6Pg 瞑想ってつらいよ はっきり言って 座って悟れるとかは、坊さんでもないのに坐禅でお釈迦様と同等の域に悟ったとか言うのを見るけど そういう人たちぐらいで、原始仏教で座ってたら悟れるとか言う人いるの? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/331
332: 神も仏も名無しさん [] 2021/03/26(金) 20:15:53.45 ID:q8GJfLYZ >>318 テーラワーダでの輪廻の見解は 多くが瞑想を通して体験したイメージに 基づいています 例えば私の場合は預流果に達する1ヶ月前辺りで 生命の流転に関する二つのイメージを 繰り返し見ました 全く同じ寸分違わないイメージの繰返しでした 当時は流石に輪廻転生は方便だろうと思って いた為 どういう意味なのか ただの魔境なのかわかりませんでしたが こんな感じで多くの弟子たちが同じような 体験をするため そういう体験に基づいた 輪廻の考え方になっています 理論ではなく体験です そしてもっと大事なのが輪廻の真実ではなく それを体験した時にどのように気持ちが変わるかです 普通の人はそんな体験をすると来世もまた生きられるなど どちらかというと安心とか嬉しさを感じるかもしれません ですが瞑想で至った場合には反対の気持ちが芽生えます 自分は今までもこれからも進歩も意味もなく 全く同じようにただ繰り返し転生を繰り返すんだと 何て意味が無い人生なんだと 殆どが瞑想に裏打ちされた理論体系です そこから話は始まっています なお体験が真実かどうかは全く別の話です あくまでも体験によって心が変わっていくことに 意味があります 映画マトリックスの世界が本当だった場合 見たイメージも悟りの体験も全部プログラマー に仕組まれたことになるので真実は誰にもわかりません http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/332
333: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/27(土) 07:57:53.78 ID:JcLKgMcL 神秘体験経ないと進めないの? それなら麻薬でもその他でも進めちゃう http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/333
334: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/27(土) 12:07:30.55 ID:pvN6yxWP >>317 別に死にざまの良しあしや過去につくった業によって阿羅漢とはいえ 左右されることは問題ないんだよ 俺が言いたいのは、ごく日常的な因果のことを言っている 業感縁起説では善因善果悪因悪果という運命論をとくわけで それは右手をあげようと思う、右手があがるというごく日常的な因果をも 包括すると思うわけよ。阿羅漢になったとたん業がなくなるのであれば そういった日常的な因果関係はどう業によって説明されうるのかなと 疑問に思ったわけだよ。過去に薫重された業が異熟果を生み出すことについては ぜんぜん問題あるとは思ってない。 もちろん右手があがったのが過去の業によって起こっているというのであれば それはそれで問題ないんだけど、それは明らかに予定調和的な話だ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/334
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