[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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371: 美魔女 2021/12/28(火)13:08 ID:OFlJme9Y(1) AAS
宇宙は曲率的に双曲的ですとビッククランチが起こる、
宇宙は楕円形ですと定常。

宇宙は放物線ですと宇宙はずっと広がり続ける
372: 2021/12/28(火)13:45 ID:b5Us15bj(4/6) AAS
>>370
何言ってるかわからんわ。

自分はもう数年アーナパーナサティをやってるけど、実際の体験はもっと具体的であって、そんな観念的なものじゃないけど。
ここ、瞑想のスレなんで、瞑想の体験を語って欲しいわな。

あと、禅寺でもちょくちょく接心に行ってたよ。認識上に勝手に現れてるんじゃなくて、禅でも1坐禅の時間が決まってるんだが(一ちゅう=約45分)。時間は意味なくなんて無いけど。
373: 2021/12/28(火)13:52 ID:b5Us15bj(5/6) AAS
もとい、366は359氏への質問で結構です。
(370氏ではなく)
374
(1): 2021/12/28(火)17:15 ID:5myrE5K9(1/2) AAS
>>360
残念ながら私も人生二度目の区切りの段階に挑戦している最中で
苦しみながら色々と瞑想に取り組んでいます
前回の段階からもう4年以上になりますが、
それ以降短期で瞑想熱が燃え上がることは度々ありましたが、
最初の段階に達したときのように地面を這いつくばってでも...
という粘りというか情熱では瞑想できなくなっています

私の場合は次の段階ではどうなるのかはあまり心配というか
気にしていないんですが、
進むにつれてどのような瞑想が主力になっていくのか
省8
375
(1): 2021/12/28(火)17:36 ID:5myrE5K9(2/2) AAS
>>自我意識(執着)がガクッと減る
という表現でお騒がせしてしまったみたいで申し訳ありません

自分としては
>>生きるのにやっかいな強い自我意識(執着)がガクッと減るのは
預流果の段階に達した直後からです。それも結構緩やかに変化していきます

>>それも結構緩やかに変化していきます
で勘違いされないよう配慮したつもりでしたが、足りなかったようです

>>ガクッと減る
についてはどうでしょうか、
本当に背負っていた荷物を方から一気に下ろして身軽になったと感じた
省4
376: 356 2021/12/28(火)18:33 ID:b5Us15bj(6/6) AAS
>>375
返信ありがとうございます。返信と思って良いのかな?

自分の感覚では、瞑想が進んでも何かの拠り所が無くなるとか、自己意識がなくなるとかいう感覚はないですね。

思考や感情の自動発生というノイズからは遠ざかりますが、寧ろ現在意識が透明でクリアに、かつ強くなっていく、そこに留まりたい、そこから離れているとまたそこに戻りたいという感覚です。例えると、満員電車の中で自分だけがすごく背が高くなって、他の人と少し違う空気を吸ってるような感覚です。

この現在意識を真の自己と呼ぶなら、自己が無いなどということはない、後期仏教の説は嘘(=仏陀はそんな事は言ってない)だと思います。
377
(2): 2021/12/28(火)19:35 ID:wJNuOYGe(2/2) AAS
>>374
お答えありがとうございます
実際四向四果の説明だと預流果から一来果へは大した違いはないと言われてますね
そもそも一来の定義は他より後からできたというようなことも聞いたことがあります
自由への旅のジョーティカ師も預流果に達するのは大変
そのあと一来と不還に達するのはわりと楽
最後の阿羅漢はまた大変だと書いてました
自分も預流果以降は習慣で残っていたものが段々と消えていったように思います

預流果に達した人なら分かると思いますが預流はその字の通り悟りの流れに乗ったということですし放っておいても自然と次の段階に達するものだと思います
あなたのおっしゃる通り真実を知ってしまったのでもう先に進むだけで戻ることはないですね
省2
378: 2021/12/28(火)22:00 ID:CcnCgWT7(1) AAS
ある瞑想″でなければならない″、という積極的な「否定」によって区分されると思いますけど、刺激を抑えて体感を得るか、定格の刺激から感覚に修正を加えるか等でも、理解に隔たりがあると思う。なにせ、あるメソッドの効用という記憶になりますから、正統性という認識が出てくる。ではどこまで果の因を認めることが可能かという時に、複数の前提が考えられて、特に常態の終わりを意識しているかは指標かもしれない。そういう句点がないと、循環して形象と悟りが体系的にセットにならない。横スレ。
379: 2021/12/29(水)01:27 ID:oQqYW/Hj(1/2) AAS
色んな方のお話を聞けて非常にありがたいです。
特に
>>377
"そのあと一来と不還に達するのはわりと楽"
には大いに期待が膨らみました(笑)
ありがとうございました
380
(1): 356 2021/12/29(水)06:18 ID:F5u5FpD0(1/4) AAS
>>377
調べてみましたけど、四向四果って根本分裂からだいぶ後の300年頃に成立したものじゃないですか?(大般涅槃経)

警句や喩えとしては面白いですが、中身を見るとやっぱり後世の創作的ファンタジーが相当組み合わさっていて額面のまま受けとれませんが。例えば、アートマンの否定など。
381: 356 2021/12/29(水)06:23 ID:F5u5FpD0(2/4) AAS
あー、テラワーダもノンアートマンの主張なのね。
仏陀は明確にそう言ってないと思うけど。
382: 2021/12/29(水)06:38 ID:hH+rggdu(1/2) AAS
縁起は偶然と因果の関係、個人的には善行の一種として資本主義に替わる経済観を提供するだろうと他人事で期待している。ぼやきからのおやき。
383
(1): 2021/12/29(水)07:11 ID:S/b09xgZ(1/4) AAS
>>380
私がここで何を言っても匿名掲示板に書かれた言葉に過ぎません
書き込みを読んでいると、あなたは四向四果に懐疑的な立場のようですし、そういった方にあえて四向四果を理解してもらおうという気も私にはないです
あなたが四向四果が本当かどうか知りたければご自身の修行で確かめればいいことだと思います
四向四果が嘘だと思うならそれはそれであなたの判断ですから誰が文句を言うことでもないでしょう

ただ四向四果というかテーラワーダ全般が初期経典の解釈です
テーラワーダの中でも主張の違いはありますし解釈が正しいかどうかは確かめたい者がそれぞれに確かめることだと思います
私もテーラワーダの説明を信じているわけではなく自分の修行の結果と照らして答え合わせに使っているだけです
あなたはあなた自身の修行をされて初期経典であろうとテーラワーダであろうと真実が何かを確かめたらいいかと思います

アートマンの否定、無我、非我に関することはテーラワーダでも主張の分かれるところだと思います
省1
384: 356 2021/12/29(水)07:25 ID:F5u5FpD0(3/4) AAS
>>383
はい、了解です。
日本でテラワーダというというと、どうしても例の仏教協会寄りの情報になってしまうので。
385: 356 2021/12/29(水)07:33 ID:F5u5FpD0(4/4) AAS
ちなみに四向四果は一例としてであって、テラワーダであれマハヤナであれ多くの部派仏教の妄想的、創作的な教えには懐疑的です。全部が嘘だとは思いませんが。

このスレのタイトルにはブッダの教えと書いてありますので、本来の教えが知りたいと思っています。
386: 2021/12/29(水)08:05 ID:qfsQ2rwn(1/2) AAS
確かにそういうのは思うけども
イスラム教であれ浄土関係であれ
全てどんなことに対しても「神様の思し召し」ってなれれば、それでブッダの言う修行完成や思う

今ここにブッダがいて直接師匠になってくれたとしても
結局 ただのただ というか、起こったことは起こったことってだけ受け止めれるようになるかどうかは自分次第だし
イスラム教でそうなってるのもいると思うし、オウムでだってそうなった信者とかいると思う
帰依する相手が間違っていたとしても、一切仏道と関わりなくても
こっちが疑いなく帰依してしまえばブッダの言う涅槃に行ってしまうんではないかと思う

もちろん、ブッダが実際言ったこと教えたことにそうしたいって気持ちはわかるし俺だってそう思う

キリスト教で言えば
省1
387: 2021/12/29(水)10:52 ID:j8PVL1ay(1) AAS
必ずしも信じる・信じないの事実に基づかない概念があるかもしれない。「なんかさぁ、レベル分けしたいじゃん」って思ったら、一致不一致の精細な話ではなく、イメージしやすいようにラベリングする可能性はある。気になるなら、あまり拘らなくても良いことかもしれない。
388
(1): 2021/12/29(水)14:32 ID:oQqYW/Hj(2/2) AAS
非常に有益で面白い議論ですね
まあいつも通りの繰り返しの話題って気もしますが

この話に関わる人は非常に恵まれています
なにせ少なくとも1つは方法がハッキリしているのですから
気になる場合はとにかく最後までやってみるだけです
これがどんなに恵まれて幸せなことか

ちなみに私の場合は瞑想に関わる経典や解説書を
ほとんど読まずに瞑想方法だけを教えてもらい実践しましたが
段階を超えた後で、清浄道論やら瞑想が進むとどうなるのかっていう
書物を調べたところ
省23
389: 2021/12/29(水)15:31 ID:hH+rggdu(2/2) AAS
軽く整理、

・当て推量しなければ納得しないことは、何をはっきりさせるかはっきりさせれば、属性に過ぎないということ。

・瞑想は思想・態度ではなく、体験であり、放逸な高揚感、イメージの横溢だけでは、悟りは嗄れてしまうこと。

・知見を示すことが他人の知見を参照にする限りは、比較的なものであり、自我の数多の解釈に過ぎないこと。

等。
390
(1): 356 2021/12/29(水)15:42 ID:ylTwSbos(1) AAS
>>388
現在流行しているテラワーダ的なサティ(観)瞑想はビルマで細々と受け継がれてきたサティパターナ(四念処)の教えが西洋に紹介され、急速に広まったものです。この、サティパターナが仏陀自身が開発した手法なのか、ビルマから北インドにもともと有った教えで、それを仏陀が習得しただけなのかは判然としませんが。(自分は後者だと推測はしますが)

一方のディヤーナ(止)側の教えも八正道にはごく簡単に記載されていますが、これも当時の土着の教えだったのか、そうで無いのかは判然としません。

清浄道論を見てみましたが、止と観の基本的瞑想やその心構えは記載されており、目次をざっと見る限り、観察対象を自己の内面や外界のあらゆる多岐に渡らせ、冷静に観察するという手法は正しいと思います。
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