[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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381: 356 2021/12/29(水)06:23 ID:F5u5FpD0(2/4) AAS
あー、テラワーダもノンアートマンの主張なのね。
仏陀は明確にそう言ってないと思うけど。
382: 2021/12/29(水)06:38 ID:hH+rggdu(1/2) AAS
縁起は偶然と因果の関係、個人的には善行の一種として資本主義に替わる経済観を提供するだろうと他人事で期待している。ぼやきからのおやき。
383
(1): 2021/12/29(水)07:11 ID:S/b09xgZ(1/4) AAS
>>380
私がここで何を言っても匿名掲示板に書かれた言葉に過ぎません
書き込みを読んでいると、あなたは四向四果に懐疑的な立場のようですし、そういった方にあえて四向四果を理解してもらおうという気も私にはないです
あなたが四向四果が本当かどうか知りたければご自身の修行で確かめればいいことだと思います
四向四果が嘘だと思うならそれはそれであなたの判断ですから誰が文句を言うことでもないでしょう

ただ四向四果というかテーラワーダ全般が初期経典の解釈です
テーラワーダの中でも主張の違いはありますし解釈が正しいかどうかは確かめたい者がそれぞれに確かめることだと思います
私もテーラワーダの説明を信じているわけではなく自分の修行の結果と照らして答え合わせに使っているだけです
あなたはあなた自身の修行をされて初期経典であろうとテーラワーダであろうと真実が何かを確かめたらいいかと思います

アートマンの否定、無我、非我に関することはテーラワーダでも主張の分かれるところだと思います
省1
384: 356 2021/12/29(水)07:25 ID:F5u5FpD0(3/4) AAS
>>383
はい、了解です。
日本でテラワーダというというと、どうしても例の仏教協会寄りの情報になってしまうので。
385: 356 2021/12/29(水)07:33 ID:F5u5FpD0(4/4) AAS
ちなみに四向四果は一例としてであって、テラワーダであれマハヤナであれ多くの部派仏教の妄想的、創作的な教えには懐疑的です。全部が嘘だとは思いませんが。

このスレのタイトルにはブッダの教えと書いてありますので、本来の教えが知りたいと思っています。
386: 2021/12/29(水)08:05 ID:qfsQ2rwn(1/2) AAS
確かにそういうのは思うけども
イスラム教であれ浄土関係であれ
全てどんなことに対しても「神様の思し召し」ってなれれば、それでブッダの言う修行完成や思う

今ここにブッダがいて直接師匠になってくれたとしても
結局 ただのただ というか、起こったことは起こったことってだけ受け止めれるようになるかどうかは自分次第だし
イスラム教でそうなってるのもいると思うし、オウムでだってそうなった信者とかいると思う
帰依する相手が間違っていたとしても、一切仏道と関わりなくても
こっちが疑いなく帰依してしまえばブッダの言う涅槃に行ってしまうんではないかと思う

もちろん、ブッダが実際言ったこと教えたことにそうしたいって気持ちはわかるし俺だってそう思う

キリスト教で言えば
省1
387: 2021/12/29(水)10:52 ID:j8PVL1ay(1) AAS
必ずしも信じる・信じないの事実に基づかない概念があるかもしれない。「なんかさぁ、レベル分けしたいじゃん」って思ったら、一致不一致の精細な話ではなく、イメージしやすいようにラベリングする可能性はある。気になるなら、あまり拘らなくても良いことかもしれない。
388
(1): 2021/12/29(水)14:32 ID:oQqYW/Hj(2/2) AAS
非常に有益で面白い議論ですね
まあいつも通りの繰り返しの話題って気もしますが

この話に関わる人は非常に恵まれています
なにせ少なくとも1つは方法がハッキリしているのですから
気になる場合はとにかく最後までやってみるだけです
これがどんなに恵まれて幸せなことか

ちなみに私の場合は瞑想に関わる経典や解説書を
ほとんど読まずに瞑想方法だけを教えてもらい実践しましたが
段階を超えた後で、清浄道論やら瞑想が進むとどうなるのかっていう
書物を調べたところ
省23
389: 2021/12/29(水)15:31 ID:hH+rggdu(2/2) AAS
軽く整理、

・当て推量しなければ納得しないことは、何をはっきりさせるかはっきりさせれば、属性に過ぎないということ。

・瞑想は思想・態度ではなく、体験であり、放逸な高揚感、イメージの横溢だけでは、悟りは嗄れてしまうこと。

・知見を示すことが他人の知見を参照にする限りは、比較的なものであり、自我の数多の解釈に過ぎないこと。

等。
390
(1): 356 2021/12/29(水)15:42 ID:ylTwSbos(1) AAS
>>388
現在流行しているテラワーダ的なサティ(観)瞑想はビルマで細々と受け継がれてきたサティパターナ(四念処)の教えが西洋に紹介され、急速に広まったものです。この、サティパターナが仏陀自身が開発した手法なのか、ビルマから北インドにもともと有った教えで、それを仏陀が習得しただけなのかは判然としませんが。(自分は後者だと推測はしますが)

一方のディヤーナ(止)側の教えも八正道にはごく簡単に記載されていますが、これも当時の土着の教えだったのか、そうで無いのかは判然としません。

清浄道論を見てみましたが、止と観の基本的瞑想やその心構えは記載されており、目次をざっと見る限り、観察対象を自己の内面や外界のあらゆる多岐に渡らせ、冷静に観察するという手法は正しいと思います。
391: 2021/12/29(水)15:52 ID:S7AnRBDs(1) AAS
なんか、Wi-Fi届いているのか、不安。
392: 2021/12/29(水)18:11 ID:S/b09xgZ(2/4) AAS
ア非常に表現が難しいですが体験は全て四向四果の手前の話ですね
非常に表現が難しいですが体験は全て四向四果の手前の話ですね
観察対象があり観察があり自分が変っていく、心の状態が変って行く、それはみな体験であり体験内容であり、ただ心や身体の変化です

四向四果は基本的に涅槃の話です
変化の世界の話ではありません
四向四果以前は自分とは観察者ですが四向四果では自分とは観察対象と観察者である自分とその両方が現れる場のようなものです
もちろん正確にはそれは自分でも場でもありません
何々だと言えるあらゆるものが生じる「それ」、涅槃だからです
当然それはそれでも涅槃でもないです
言った瞬間、示した瞬間それは現われた対象だからです
省17
393: 2021/12/29(水)18:11 ID:S/b09xgZ(3/4) AAS
アートマンの話が出ましたがそれがつまりヴェーダンタで言うところのアートマン、対象とならない主体です
観察対象も観察者である自分もその両方が対象となります
しかしそれら全てが現われているこの場のようなものは対象とならない主体としてはっきりするのです
これはわかるとかそういうことではありません
何故ならわかるというのはわかる内容とわかる主体のことでありその両方が現われた対象だからです
アートマンはわかるでもなくはっきりとします

ではアートマンがはっきりとして終わりかというとそうでもありません
アートマンですら微細に分かる対象だからです
それが認められるということは結局のところまだ対象の性質を持っているからです
四向四果でも預流果以降に消えていく概念などが示されています
省13
394
(1): 2021/12/29(水)18:14 ID:S/b09xgZ(4/4) AAS
自分とは対象にならない側なのだとわかると自分(心身)がどうであろうと他人事です
この時点で悩みがあろうとなかろうとそれは自分の心身のことで自分のことではないのでどうでもいいことです
預流果に達するか、それ以前の観察者であるかでここのところが違います
ヴィパッサナーは観察の精度を純粋に高めてある地点で自分を観察者から何でもないものにシフトさせる(シフトが起こる)瞑想システムです

このへんの話は意味のない議論になりやすいのであまり言葉にはしたくないのですが
自分以外にも四向四果を語っていただけてる方がいますしアートマンの語句も出ましたので書かせていただきました
こういったことは自分自身で確かめるかどうかですのでやりたい方は自分で試してみてください
観察対象とそれを観察する観察者である自分とその両方をいつもわかっているのは誰なのか真摯に調べるだけです
興味のない方はどうぞスルーしてください
395: 2021/12/29(水)18:39 ID:Z5gHaxMl(1/2) AAS
乱れる必要はないと思います。瞑想の一々の仕儀が客観的に認識できる「プロセス」なのは疑いようがないでしょう。

では、それに事実足り得る要素は何でしょう。確信を深めるプロセスだけでは、良く言って、目的に敵った自己啓発、

普通で自己洗脳でしょう。
396: 2021/12/29(水)19:06 ID:qfsQ2rwn(2/2) AAS
チャクラが光って回る人にとっては、チャクラが光って回るのは真実だしね
397: 2021/12/29(水)19:40 ID:Z5gHaxMl(2/2) AAS
そう、在るものは在るといって答えになるのが「体験」であり、般化すれば「洗脳」となる。仏教にとって「検証」とは何だろう。
398: 356 2021/12/30(木)06:26 ID:5Ged89r/(1/2) AAS
所詮イメージでみんな語るしか無いけど、生命としての自分の根源的実態を仮にアートマンと呼ぶなら、純粋な非物質的精神エネルギーとか生命の種子とかでしょう。

で、大概の異説は魂とか人格的なものとか、思考や感情の切れ端をそれと誤認する。ソウルもプシュケもこの種子では無い。微細な、と言ってる段階で物質的なイメージを思い浮かべるが、微細も何も物質じゃない。

奇異なように感じるが、アミノ酸をDNAの設計図通り並べてみても恐らく生命は生まれない。
399
(1): 356 2021/12/30(木)06:53 ID:5Ged89r/(2/2) AAS
検証かー。例えば検証すべき現象や対象としては、
自分の内外の現象や物体の構成要素を仔細な観察で認識すること(正念)
思考や感情のエネルギーの作用および反作用プロセスを認識することまた、現象の推移には全て原因とそれに対する結果があると知ること(正念、正見、因果・縁起)
その上で、正しいバランスの取れた思考や行動を行う必要があると知ること(正思惟)

なお、世の中の自然な現象(生老病死はじめ)を何でも苦であるとする、もしくは意図的でなくても後世そう思わせた苦諦の考え方は誤りだと思う。
400: 356 2021/12/30(木)07:43 ID:Pyqe/3CT(1) AAS
あ、 加えて、検証のさらに適切な言い方があったわ。

ダンマ(色んな概念があるが、ここでは自然や宇宙の摂理や法則)を知り、その法則性に合致した生き方や考え方をすること。
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