[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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441: 2022/01/09(日)21:13 ID:Mk0F+4wm(1) AAS
> っていきなりあってびっくりしたわ
人間なんてたった数十年の存在なんよね
未知の世界にポンと生まれてきて一生が終わったらまた雲散霧消していく
二千年経っても人間は人間なんやね
442: 2022/01/09(日)23:05 ID:ziB3ikGH(1) AAS
>>430
自分に言い聞かせてるようでは、ズレて、滅苦も、自分に言い聞かせてるレベルにとどまるのでは。
443: 2022/01/10(月)00:30 ID:vBbwsYX/(1) AAS
>>438
このあたりの話も凄く面白いところですね
人間が真剣になる場面とはどういう時なのかと考えると、
追い詰められた時とか、逃げ場がない状況で
立ち向かわなければいけない時、ということがよくあるので
何かを決心したり誓いを立てたりするには一番恵まれた状況
と逆に考えることもできます

しかし悲惨すぎて飛び出す人、平凡に耐えきれなくて飛び出す人
悲惨に押しつぶされる人、平凡を受け入れる人と色々ですもんね

仏教的には業ということになるんでしょうけど
省3
444: 2022/01/10(月)00:43 ID:18buOADt(1) AAS
すみません。
1つ教えて欲しいのですが、
仏教で真理を目指す道で、
世界へ目を向けてその道理を探求していく方法と、
己の内面に目を向けて自己の内部を探求していく方法の2つが有るとか言う、
考えが有った様な気がするんですが、誰かこれについて知ってる人は居るでしょうか?
知ってるならばこれを専門用語でなんと言うか、
又はソースに成るようなサイトとか教えて下さい。
お願いします。
445
(1): 2022/01/10(月)12:43 ID:cf/Vd6Pi(1/5) AAS
見解が大きく二つに分かれていて、面白い。とても重要なところだと思う。
446: 356 2022/01/10(月)13:17 ID:Ilnj4ycx(1) AAS
人の一生の大まかな地図は予め描かれているけれど、日々の一挙手一投足の選択はあくまで本人次第。全部が既定なわけじゃないわね。

今の自分有り様は過去の自分の選択の結果で、そこには原因と結果、因果の法則と、縁起、時間的な関係性から必然的に生まれてきたものがあるだけだわ。たとえ過去に善でも悪でも、自分が成した行為は自己の内部で消化されて様々な角度から自己反省され智慧になっていく。

人の深奥にはそうした生来の平衡的な意識があるからだ。
人間を縛り付けるような信賞必罰や因果応報的な処罰的な解釈は違うと思う。
447: 2022/01/10(月)14:24 ID:cf/Vd6Pi(2/5) AAS
個人的な経験ですが、数多の宗教者と問答すると>>440>>430が基本になっている。「捉われ」とは、「仏教」とは何ぞ。
448
(2): 2022/01/10(月)17:16 ID:Y7UejED0(1) AAS
>>445
凄く面白いところではあるんですけど
答えを出すような話でもないんですよね

まず全人類共通の例外がない真実であるかわかりません
生命全般 宇宙人まで含めると更に謎です

ですから有意義なことがあるとすれば
こういう話題に触れて自分に照らし合わせて考えるとか
瞑想でちょっと真剣に確かめてみようとか
そうなった時にはじめてちょっと役に立つというか

純粋に持家派か賃貸派か?みたいにトークバトルとして
省4
449
(2): 2022/01/10(月)17:36 ID:8f7X7QrX(1/2) AAS
ひとつ問題なのは苦という語句を自分の定義で捉え、その上で苦に関して解釈してしまうこと
つまり言葉の意味という執着を持ったまま結論をつけようとしてしまっている
簡単に言えば言葉には意味があるという捉われが外れれば全てが苦と言われてもそもそも苦などないと言われてもそれらは矛盾せず同じことであり同じように納得がいく
概念や捉われや思考は何でもないものを何かと何かに分ける
何かと何かに分かれる前の、言葉に意味もないその前の、何でもない何だとも言えないものを、それを探すのでもなく、それがただ現われることが、起こらなければいけない
450: 356 2022/01/10(月)17:48 ID:6UVIVPGY(1) AAS
過去2000年、様々な宗教が生まれ、いつの間にか消えていったものもあるけど、これからまた2000年かけてそういった宗教や誤った教えがゆっくりと融解して本当の生命哲学が醸成されていくと思うけど。そういった生命哲学には輪廻の真実、思考や感情のコントロールの仕方、人間の精神的進化などが科学的に徐々に解明されていくことが含まれる。

信仰という刷り込みが深く根を下ろしている分融解するのには数百年とか数千年とかいうオーダの時間がかかるとは思う。

逆にいうと、三大宗教はたかだかニ千年、二千数百年の歴史しかない。仏教にしても、一応仏陀の教えに近いと言われるテラワーダが西洋や日本でクローズアップされたのはたかだか20年くらいでしかない。
451
(2): 2022/01/10(月)18:25 ID:8zMXfCVN(1) AAS
もっと発展した妄想をすると
テクノロジーの進歩や生命倫理の変化によって
生命の機械化やDNAの操作
薬物治療や手術その他諸々の手段によって

「昔は苦しいって感情が人間にはあったんだって」
「文献によると胸のあたりがギューって
 なる人が多かったらしい」
「そのギューがわかんないわ」
「そうだよね 今はみんな生まれた時に治療されるもんね」
みたいなことがあるかもしれません
省3
452: 2022/01/10(月)18:28 ID:cf/Vd6Pi(3/5) AAS
>>448
答えを出すような話ではないんですね。それは考えても仕方ない。

>>448
現れ一元論のようなもの?言葉の普遍化を仏教が促しているとは。

>>449
脳科学の発話の前駆体の同定に成功すれば、予防できそう。
453: 2022/01/10(月)18:31 ID:cf/Vd6Pi(4/5) AAS
>>451
ロボトミーでもよさそうですね。
454: 2022/01/10(月)18:38 ID:cf/Vd6Pi(5/5) AAS
>>448>>449一個ずつずれてました。いずれにしても、参考になります。そこらへん関心あります。
455: 356 2022/01/10(月)21:01 ID:yCGqEayM(1/2) AAS
>>451
恐らく寿命ももっと伸びて、神話にあるような太古の本来の寿命、数百年とかになるかもしれませんね。また、痛みという意味での苦も医療の発達によって相当緩和されたり、再生技術も大幅に進歩し、大半の臓器が人工的に培養再生できるようになっていると思います。

並行して、人間の精神性や人間の価値とは何かが改めて問われ、研究されるようになると思います。

本来はそこで宗教の果たす役割が大きくあるべきですが、精神活動や輪廻が科学的に研究され、徐々に解明されていくと思います。
456: 2022/01/10(月)21:42 ID:8f7X7QrX(2/2) AAS
苦を感じなくなることで苦がなくなるなら死ねばいいだけのことになります
死ねば苦を感じないし苦はなくなる
しかし死ぬのは嫌だというのは、それは生を手放したくないからでしょう
では何故人は生を手放したくないのか
それは思考や判断をする自己自身が生の上に成り立っている(と自己自身が思い込んでる)からであり
実際には生を手放したくないという思いにより自己そのものが想定されその自己が自分自身と自分の見た世界という対象全てを作り出している

自己が生を手放したくないという思いに捉われている限り自己を失いたくないという苦から逃れられない
生きたまま苦が感じなくなるとしたらそれは苦がなくなったのではなく、苦を感じないようにしただけで、例えば麻酔で感覚を麻痺しているのと同じことでしょう
生きていて自分が存在している限り、それを失いたくないという苦が根底にあるからです
つまり凡夫にとって自己とは苦それ自体であり、そこから生じるいまここに存在するはずの自分も世界も苦を通したものに過ぎません
省6
457
(1): 356 2022/01/10(月)22:01 ID:yCGqEayM(2/2) AAS
自分達が生きている物質世界は相対的な世界であって、あらゆる精神的な活動においても必ずプラス的側面とマイナス的側面を受け取ります。プラスだけ、マイナスだけというわけではありません。

苦と楽、快不快、愛憎などは、平衡的に世界に存在しており、どちらか一方が完全に消滅したりはしないかと。

もし片方の極しかなければ、あらゆる物質や精神活動は一点に急速に収束してしまいます。
458
(1): 2022/01/11(火)00:49 ID:N/WwfTOn(1/2) AAS
>>457
そうですよね
まあ人間も粒子の集まった機械と考えた場合には
不快に関係する部分を徹底的に切り取ってしまえば
もっと簡単に言うとアンドロイドを作る時に
快だけの回路を作って不快の回路を作らなければ
思考実験的には可能なんですが、脱線し過ぎなので置いておくとして

"もし片方の極しかなければ、あらゆる物質や精神活動は一点に急速に収束してしまいます。"

私の好みに勝手にちょっと改造して書き直すと

"もし片方の極しかなければ、それはもはや極では無くなり、変化は起こらず
省2
459: 2022/01/11(火)01:29 ID:ny/D8Gq2(1) AAS
何らかの活動を評価して苦だと仏教は考えない。それもまた分析なのだから、無常を捉えれば、生は苦と評価してしまう。
460
(1): 356 2022/01/11(火)09:17 ID:0p6RLWUj(1) AAS
>>458
はい。

人間は長大な時間をかけて物理的肉体を持たなくても良いような精神活動だけの生命進化を遂げる可能性はあります(あくまで個々の人間であって、地球上の人間存在全てが、ということではなく)
その時間的オーダーは数千万年とか億年に渡るもので、少しの修行(長くてもたかだか百年とか)で簡単に「解脱」できるとする仏教や東洋哲学の時間的オーダーは誤りだと思います。

仮に非物理的な存在になったとしても、そこもあくまで相対的な世界だと思います。「判断」や「画像的イメージや表現」「感情」「音」などがある世界は非物理的なイメージの世界(微細な世界)であっても依然相対性(善悪、苦楽、快不快など)が存在します。

先にに述べた絶対性(相対性のない単一世界)が存在するのは、収縮、爆発、膨張を繰り返す宇宙の、爆発以前の眠りのような状態だと思います。
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