[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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194: 桃太郎 2021/07/21(水)23:06 ID:Po0EYB/4(2/2) AAS
自分の心に反する意見を言う人間は、みんな「自分を攻撃する人」に見えるもんだよ。

「自分の信じるものを否定されたくない」その強烈な思いが無意識に働きかけ自己防衛本能が
仮想の敵を作り出す。

仮想的な敵を心の中に投影させるだけならまだしも、これが度を過ぎてくると、現実に於いて敵を排除しようとする。
この典型がISISやオームのような思想だ。

結局、自分自身を冷静に客観的に観察できず、すべては「敵」に見えてくる。
自分の心が歪んでいるのに、それすらも気付かないし、気付こうともしない。

そして、だれも怒っていないのに、被害者妄想で、架空の敵を作り上げ
一番、修羅(怒り)の心を露わにしているのは自分自身だと言うこともたぶん気付いていないだろう。

瞑想でどんなに観察してみても、その心に写るものは、結局自分に都合のよい景色でしかない。

なぜ、このような誤った方向に進んでしまうかと言うと、何度も言うように「他の思想、哲学を見ない」からだ。
※いや、見たくないという表現か適切か。
比較検証、精査、現証、一切やらないからだ。

仏教の歴史は古代の昔から、小乗、大乗にかかわらず「真実の仏法」を求めて、仏法を様々に解釈し主張し、
※部派仏教
それらをお互いに議論しあい、切磋琢磨しながら、長い年月を得て淘汰され現在の仏教体系が完成された。

そこには「敵」とか「味方」なんて考えは入り込む余地は無い。
自分より優れた教えを説く法師がいれば潔く弟子となり、教えを請うたものである。
それが厳然たる仏教史なのです。
そこには、「どちらが上に立つか」とか、そういう低次元な話では無く、弟子の純粋な求道心しかなかったのです。

もし、かつての弟子が議論する相手を「敵」とみなし、排他的に議論を一切拒んでいたら
それらはISISのような盲信、独善となり、今のような仏教体系は存在しなかったであろう。
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