[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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360
(1): 2021/12/27(月)17:25 ID:UbAkJng0(1/2) AAS
一来果以上に達した方なのでしょうか?
でしたら預流果と一来果の違いをある程度具体的におしえていただけますか?
預流果から一来果になるとどうなるかの説明は本などでもかなりあいまいな気がしますので
一来になったときは預流とは違ってこういう点がこうなるというような具体的な説明をしていただけるとたすかります
私もある程度のことはわかっているので細かいところをおしえていただきたいです
361: 2021/12/27(月)17:47 ID:scPNjcPh(1) AAS
ステージなのですね。
362: 356 2021/12/27(月)22:57 ID:Yr2GnZnH(1/2) AAS
>>358
そうした内的な劇的なイメージは、所詮陶酔的な願望とか自己暗示から発生するもので、目指すべきはあくまで冷静な純粋観察だと思いますが。
また、思考や人格という意味での自我は深い瞑想では感じられませんが、自己がなくなるという感覚は無いですよ。

縁起とかいう言葉をどういう意味で使ってます?
縁起は単なる原因ー結果の継続的な関係に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもなくてましてや神秘的なものでもありません。
363
(1): 356 2021/12/27(月)23:02 ID:Yr2GnZnH(2/2) AAS
>>359

また、どっかのステージで自我意識がガクッと減るといった感覚もありません。毎日あくまで徐々に変化し、徐々にしつこい自己意識が消えていき、振り返ってみるとかなり高い山に登ってきたんだな、ていう感覚です。

良かったら、どんな瞑想を毎日何分くらい、どれくらいの期間続けてきたか教えていただけますか?
364
(1): 2021/12/27(月)23:30 ID:UbAkJng0(2/2) AAS
自意識がガクッと減るわけではないですが自分という認識が全く違ったものになる地点はありますよ
ミャンマーの瞑想という本でも重い荷物をぶら下げていた蔦が切られたようなとか色々な例えで表現されています
自我うんぬんの話ではなく自我が自分でなくなります
自我が減るとか治まるとか観察が鋭くなっていくとかはその前の段階で預流に達した瞬間自我や全ての事柄は他人ごとになります
自我がどうであっても自己意識がなんであってもそれは自分ではないので他人事です
ただ他人事となっているのでもちろん自我はかなりおとなしくなっていますし観察も自動的に行われるようになっています
このへんは正直なところ指導者レベルでもちゃんとわかってる方とまだそこまで達してないがゆえに勘違いしてる方といると思います
365: 2021/12/28(火)06:10 ID:CYrV6G+h(1) AAS
「あ〜、わたしはいま、囚われてるなぁ」と感じ取ること、いわゆる客観視することはイメージではない特殊な内観であって、ある外形をもって単純に判定するのは難しい(不可能に近い)だろうと思いますし、そもそも一般的な意義はあるのかを考えると、教団内部の昇進システムの他、連綿とした観察の過程で有用になる、具体的な場面はどういうものかなと思います。
366
(2): 2021/12/28(火)07:13 ID:b5Us15bj(1/6) AAS
自分じゃない、というより、自我(と思いこんでいる)意識や人格は、単に過去の感情や自動化された思考の流れが脳内や身体のどっかにこびりついて本人にはアンコントロールのまま自動発生しているだけのことであり、でそんなに大仰なものではないのでは。

それらを客観化する作業自体は確かに骨が折れますが、作業自体は単純です。

ご質問した、具体的な瞑想手法と日々の時間を宜しければお教えください。
367
(1): 366 2021/12/28(火)07:16 ID:b5Us15bj(2/6) AAS
>>364
366は364へのレスです。よろしくお願いしますー
368
(1): 2021/12/28(火)08:54 ID:VZnfYIUc(1) AAS
ブッダって結局
”今”以外のことに気を取られるという現実を受け止めて、可能なら比丘になって色々慎んで可能な限り”今”にいよう
ってだけであって、
これで預流果、これで一来果不還果とか
大乗でいろいろこれはこーだあーだ
仏教哲学はどうのこうの、これはこれでこれはこれ
言ってるのは枝葉末節な気がする
369: 2021/12/28(火)11:13 ID:b5Us15bj(3/6) AAS
>>368
そうだね。仏陀は実践としての生き方の指針を整理しシンプルに示しただけだ。

今の自分は過去の経験の集積だが、未来は今の瞬間の自分の思考や行動が作っていく。なので最大限、今この瞬間に向き合って正しく観察して正しく考えし正しく精進せよ、と言っている。

後の仏教徒は、枝葉末節的というより、誇大妄想的な仏説をご多分にもれず付け加えた。
370
(1): 2021/12/28(火)12:56 ID:wJNuOYGe(1/2) AAS
>>366>>367
366に書かれている内容はあなたに生じた見解ですね
それ自体が無常です
書かれている内容はその通りですがそれはあなたが書かれてるように自動的にただ現われただけの本来あなたが持つことのできないただの見解です
というよりあなたは実際にはその見解も持っていません

私は359ではないので瞑想手法や時間は質問されてはないのですが瞑想手法はヴィパッサナーやボディスキャンやネティネティや坐禅や公案や様々です
時間は出来る限りいつもです
ただ瞑想方法や時間に意味はないです
何故なら瞑想方法や時間もただ自分に生じてるものだからです
私の場合は瞑想行為より初期経典やミャンマーの瞑想や自由への旅やヨーガスートラなどを読み自分に生じている執着に明確にきづくほうが自我に対して役には立ちました
省7
371: 美魔女 2021/12/28(火)13:08 ID:OFlJme9Y(1) AAS
宇宙は曲率的に双曲的ですとビッククランチが起こる、
宇宙は楕円形ですと定常。

宇宙は放物線ですと宇宙はずっと広がり続ける
372: 2021/12/28(火)13:45 ID:b5Us15bj(4/6) AAS
>>370
何言ってるかわからんわ。

自分はもう数年アーナパーナサティをやってるけど、実際の体験はもっと具体的であって、そんな観念的なものじゃないけど。
ここ、瞑想のスレなんで、瞑想の体験を語って欲しいわな。

あと、禅寺でもちょくちょく接心に行ってたよ。認識上に勝手に現れてるんじゃなくて、禅でも1坐禅の時間が決まってるんだが(一ちゅう=約45分)。時間は意味なくなんて無いけど。
373: 2021/12/28(火)13:52 ID:b5Us15bj(5/6) AAS
もとい、366は359氏への質問で結構です。
(370氏ではなく)
374
(1): 2021/12/28(火)17:15 ID:5myrE5K9(1/2) AAS
>>360
残念ながら私も人生二度目の区切りの段階に挑戦している最中で
苦しみながら色々と瞑想に取り組んでいます
前回の段階からもう4年以上になりますが、
それ以降短期で瞑想熱が燃え上がることは度々ありましたが、
最初の段階に達したときのように地面を這いつくばってでも...
という粘りというか情熱では瞑想できなくなっています

私の場合は次の段階ではどうなるのかはあまり心配というか
気にしていないんですが、
進むにつれてどのような瞑想が主力になっていくのか
省8
375
(1): 2021/12/28(火)17:36 ID:5myrE5K9(2/2) AAS
>>自我意識(執着)がガクッと減る
という表現でお騒がせしてしまったみたいで申し訳ありません

自分としては
>>生きるのにやっかいな強い自我意識(執着)がガクッと減るのは
預流果の段階に達した直後からです。それも結構緩やかに変化していきます

>>それも結構緩やかに変化していきます
で勘違いされないよう配慮したつもりでしたが、足りなかったようです

>>ガクッと減る
についてはどうでしょうか、
本当に背負っていた荷物を方から一気に下ろして身軽になったと感じた
省4
376: 356 2021/12/28(火)18:33 ID:b5Us15bj(6/6) AAS
>>375
返信ありがとうございます。返信と思って良いのかな?

自分の感覚では、瞑想が進んでも何かの拠り所が無くなるとか、自己意識がなくなるとかいう感覚はないですね。

思考や感情の自動発生というノイズからは遠ざかりますが、寧ろ現在意識が透明でクリアに、かつ強くなっていく、そこに留まりたい、そこから離れているとまたそこに戻りたいという感覚です。例えると、満員電車の中で自分だけがすごく背が高くなって、他の人と少し違う空気を吸ってるような感覚です。

この現在意識を真の自己と呼ぶなら、自己が無いなどということはない、後期仏教の説は嘘(=仏陀はそんな事は言ってない)だと思います。
377
(2): 2021/12/28(火)19:35 ID:wJNuOYGe(2/2) AAS
>>374
お答えありがとうございます
実際四向四果の説明だと預流果から一来果へは大した違いはないと言われてますね
そもそも一来の定義は他より後からできたというようなことも聞いたことがあります
自由への旅のジョーティカ師も預流果に達するのは大変
そのあと一来と不還に達するのはわりと楽
最後の阿羅漢はまた大変だと書いてました
自分も預流果以降は習慣で残っていたものが段々と消えていったように思います

預流果に達した人なら分かると思いますが預流はその字の通り悟りの流れに乗ったということですし放っておいても自然と次の段階に達するものだと思います
あなたのおっしゃる通り真実を知ってしまったのでもう先に進むだけで戻ることはないですね
省2
378: 2021/12/28(火)22:00 ID:CcnCgWT7(1) AAS
ある瞑想″でなければならない″、という積極的な「否定」によって区分されると思いますけど、刺激を抑えて体感を得るか、定格の刺激から感覚に修正を加えるか等でも、理解に隔たりがあると思う。なにせ、あるメソッドの効用という記憶になりますから、正統性という認識が出てくる。ではどこまで果の因を認めることが可能かという時に、複数の前提が考えられて、特に常態の終わりを意識しているかは指標かもしれない。そういう句点がないと、循環して形象と悟りが体系的にセットにならない。横スレ。
379: 2021/12/29(水)01:27 ID:oQqYW/Hj(1/2) AAS
色んな方のお話を聞けて非常にありがたいです。
特に
>>377
"そのあと一来と不還に達するのはわりと楽"
には大いに期待が膨らみました(笑)
ありがとうございました
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