[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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620
(9): 2022/05/15(日)16:06 ID:bT7Ka6UI(1) AAS
≻≻614
≻これに対して私は、仏教の三昧、定とは、煩悩に心が攪乱されないことであり、
この経典では解脱を表わしていると反論した。

逃げているのは深山さんの方です。
あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?
そういうゴマカシはいけません。

「心の安定ー原語samadhiは「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。
漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが・・・」
(『ブッダのことばースッタ・ニパータ』中村元訳、岩波文庫、300頁)

三昧や禅定はどう転んでも解脱にはなりません。
省23
621
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)17:01 ID:DWiU60xl(1/4) AAS
>>620
あっ、そう。
622
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)18:39 ID:DWiU60xl(2/4) AAS
>>620 神も仏も名無しさん 2022/05/15(日) 16:06:15.96 ID:bT7Ka6UI
>男なら潔く諦めなさい。

プッ、子どもみたいw

>「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、
>所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、
>四根本静慮を依持とし威徳殊勝を示現するを漏盡智通と名づくることを設けるものなり。」
>(『望月佛教大辞典 第五巻』、望月信亨、世界聖典刊行協会、5082頁)

>漏尽智とは煩悩を断ち、それを確認する神通のことです。
>煩悩断ちから確認までの一切を漏尽智というのです。

いや、「『一切の有漏煩悩を斷盡し・・・後有を受けじ』と證知するを漏盡智と称し」と読むべきでしょう。
省8
623
(3): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)18:53 ID:DWiU60xl(3/4) AAS
>>620 神も仏も名無しさん 2022/05/15(日) 16:06:15.96 ID:bT7Ka6UI
>あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?
そういうゴマカシはいけません。

>「心の安定ー原語samadhiは「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。
漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが・・・」
>(『ブッダのことばースッタ・ニパータ』中村元訳、岩波文庫、300頁)

>三昧や禅定はどう転んでも解脱にはなりません。

だから三昧も禅定も心の安定ならば解脱も心の安定なんです。
解脱していない修行者でも瞑想三昧に入って心の安定を得ることはできます。
ただし定が解ければまた煩悩が沸き起こるから解脱しているとは言えない。
省13
630
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)21:59 ID:f7wcLzS1(1/7) AAS
>>620神も仏も名無しさん2022/05/15(日) 16:06:15.96ID:bT7Ka6UI
>あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?

他の信者さんたちはごらんください。
前に指摘したように、ペテン大作さんは何をどう反論されようが、
心の安定にしか心が向かない。
こちらが指摘した「清浄で、きよらかで、よごれなく・・」という
言葉が目に入られないのです。

>>602神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:52:24.56ID:rbXSUWMk
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
省6
637: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)22:29 ID:gKJ1EppJ(4/5) AAS
>>627
じゃあ私が>>623でレスを付けた>>620は屁理屈にはならないのか?
説明してみ。
いや、長い文章書けないかw
638: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)22:31 ID:f7wcLzS1(4/7) AAS
>>620神も仏も名無しさん2022/05/15(日) 16:06:15.96ID:bT7Ka6UI
>アナゴンは確かに漏尽智を得て解脱したのです。
>>601神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:42:19.94ID:rbXSUWMk
>アナゴンは漏尽智を得たらもう阿羅漢だから「阿羅漢に属する」
>と表現されているわけで、アナゴンが漏尽智を得られないわけではない

「アナゴンは確かに漏尽智を得て」とあり、601の書き込みとも一貫性があり、
ペテン大作説「アナゴンが漏尽智を得る」
ということになる。
だが、議論を読んでいる方は、アナゴンが漏尽智を得るという
ペテン大作説は仏教の教義に反することをご存じでしょう。
省8
640
(3): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)22:43 ID:f7wcLzS1(5/7) AAS
>>620神も仏も名無しさん2022/05/15(日) 16:06:15.96ID:bT7Ka6UI
>もしこの説明が間違っているのなら、どうしてアナゴンが漏尽智を得られるのかということになる。
>「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。」という中村氏の文章と矛盾してしまうのです。

「もしこの説明が間違っているのなら」って、彼の説が間違っているから矛盾したのです。
「どうしてアナゴンが漏尽智を得られるのか」って、アナゴンは漏尽智は
得られないからこそ、漏尽智はアラカンにのみに属するのです。
「中村氏の文章と矛盾してしまう」のは、そのとおりで、あの文章を
ペテン大作さんが漏尽智で煩悩を切るとデタラメな解釈をしたから、矛盾するのです。
これだけ自己矛盾に突き当たってもペテン大作さんは自分の知性を疑わない。
と言うよりも、彼の説の矛盾を>>608>>616などで指摘されも、理解できないのです。
省9
641: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)22:55 ID:f7wcLzS1(6/7) AAS
>>620神も仏も名無しさん2022/05/15(日) 16:06:15.96ID:bT7Ka6UI
>アナゴンは確かに漏尽智を得て解脱したのです。

漏尽智「あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1444頁)

ペテン大作さんは「あらゆるけがれを滅する智」を「煩悩を切る智」だと決めつけている。
それでは、「阿羅漢に属する」と矛盾するだろうと指摘されても、
彼は気にしないというよりも、意味がわからない。
漏尽智で煩悩を切るなら、アナゴンが漏尽智を持つことになり、
漏尽智がアラカンに属することと矛盾する。
つまり、「あらゆるけがれを滅する智」は「煩悩を切る智慧」という解釈が間違っているから、矛盾した。
省8
738
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/25(水)22:47 ID:eAdtIzVf(4/6) AAS
>440神も仏も名無しさん2021/01/18(月) 00:39:46.02ID:E24irVxD
>だからアナゴンが漏尽智を持つことはないわけです。

去年↑、ペテン大作さんはアナゴンは漏尽智を持たないと書いている。
彼が引用した中村博士の辞典に、漏尽智は「阿羅漢に属する」と
あるのだから、アナゴンが漏尽智を持つはずがない。
つまり自分で引用した中村博士の文章が原因で、アナゴンが
「漏尽智で煩悩を切る」というペテン大作説が自家中毒をおこした。
煩悩を切るのがアナゴンなら、アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾。
煩悩を切るのがアラカンなら、アラカンが煩悩を持つことになり矛盾。
彼の「漏尽智で煩悩を切る」は成り立たない。
省14
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