[過去ログ] 架空の車輌形式・番台スレ S10編成 (783レス)
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712: 茄子塩腹 2007/06/17(日)21:56 ID:wJgWL7tM(2/2) AAS
C56形165-171

樺太で建設中だった恵須取鉄道向けC5601-07として1943・44年に三菱重工三原で製造された。
しかし鉄道線が未成のまま、樺太もソ連に占領されたため、1945年に運輸逓信省籍になり、C56に形式編入された。

性能は同一だが、キャブはC58形類似の密閉式になっていた。
全機飯山機関区に配置され、1両も転出することなく1972年の無煙化で引退した。
飯山市役所前に168号機が保存されている。
713: 2007/06/17(日)22:35 ID:KZ3DyG3Q(1) AAS
クハ86900〜・モハ80900〜
国鉄が昭和50年代初頭に老朽化した80系電車の初期車を車体更新したもの。
台枠を残して車体を撤去し、165系相当の車体を新製した。改造担当は浜松・
名古屋・長野の各工場と日本車輌。
当初は飯田に試作改造された20両が投入され、急行「伊那」を中心に活躍した。
車体は165系相当で、モハ車のパンタ部分は低屋根構造となって将来の身延線投入を
想定したと思われる作りになっていた。
もちろん前面貫通形で、4連に増結の2連を繋げるときに役に立った。
下回りは手を付けておらず、在来の80系とも連結可能であった。
しかし、国鉄はその直後に80系を含めて旧型電車は新性能電車の新製で置き換える方針
省9
714: 2007/06/17(日)23:02 ID:ooUynj/m(1) AAS
電気式蒸気機関車 EC56-900

石炭の代わりに電機で湯を沸かしてその蒸気で駆動する機関車。C56をベースに炭水車を水タンク及び集電車とし、
パンタグラフを設置。電磁誘導Induction Heating により水を加熱し蒸気を発生させる。
なお、給炭装置など運転台の機器は大幅に撤去されたため、空いたスペースにナショナルのIH調理器が設置され
運転者の空腹を満たすこともできるようになっている。

蒸気式電気機関車 SEF58-900

原理的には、電気式ディーゼル機関車のディーゼルエンジンを石炭動力に置き換えたものといえる。
オイルショック時代の1974年、石油枯渇に対応する切り札として試作された。
石炭で蒸気を発生させるところまでは蒸気機関車と同じだが、これはその蒸気を利用しタービンによって発電器をまわし
蓄電池に蓄えた電気を持ってモーターを回す仕組みである。
省3
715: 2007/06/18(月)09:31 ID:SOj8bIqS(1) AAS
クモヤE241
東急車輛製造 配置 東ヤテ・横コツ
クモヤ143・145の置換えとしてE231系ベースに誕生
配備は入換が必要な東京総合車輌センターと東京照合車輌センターに入場車があり職員輸送もある国府津運輸区
新潟、ならびに長野は現有車を延命して使用することに。
スタイルは近郊型E231系を両運転台化したような感じ
716: 2007/06/18(月)11:06 ID:ab4G9Pb9(1) AAS
クモヤ209

クモヤ143・145の置換え用として廃車になった209系の機器や車体を再利用して作られた。
717: 2007/06/18(月)22:46 ID:Nirj9Odn(1/2) AAS
205系1000番台広島地区仕様
JR西日本が広島地区に投入した205系。
4両編成で、帯の色は紺色。
103系とは異なり前面方向幕は使用されているが種別しか表示しない。
運行番号幕は準備工事で、編成番号を表示。
トイレがなく不評なため最近になって取り付け工事が行われた。
718: 2007/06/18(月)23:47 ID:Nirj9Odn(2/2) AAS
サハ103-911
国鉄が昭和55年にモハ72970をサハ103に改造したもの。
昭和61年の103系3000番台登場時にサハ103-3006に改番されたが、ドアエンジンが異なり、台車がTR201になっているなど特徴があった。
しかし台枠が72系時代のままなため非冷房のまま一足先に廃車されてしまった。
719
(1): 2007/06/19(火)08:32 ID:Nvopbqog(1) AAS
キハ22-501〜
国鉄が作った本州向けのキハ22、寒冷地より車内保温のためデッキ仕切付きの
一般気動車の要望が多かったため、キハ20に代わって製作された。
車体はキハ22に似ているが、窓が二段窓となっている点が異なる。
秋田局・仙台局に投入された。
720: 2007/06/19(火)13:23 ID:/NOaDBO2(1) AAS
233系950番台
中央線のラッシュ対策の為、全7扉椅子なしで設計された。
わざと正面は通常の233系と同様にされ、ラッシュ時の始発駅では入線と共に
「残念でした外れです」のアナウンスが流れる。
始発駅以外からの乗客には好評で現在も活躍中。
数年で中央線の東京〜甲府、青梅線、五日市線ならびに中央・総武緩行線は
全部これに置き換わる予定。
八高線や甲府以西、富士急線などにも一部運用。
721: ミウナ 2007/06/21(木)10:22 ID:qpodl7eM(1) AAS
>>719の続き
キハ24-500 キハ46-500
>>719同様にキハ23系の北海道型であるキハ24と46の本州向け型である。
主に青森局に配備され、大湊・津軽・八戸線と五能線の青森県部分など
で使用された。盛岡や秋田や仙台に配備しなかったのは急勾配がある線
には向かないため。キハ24が10両とキハ46はたった4両の少数生産のみ。
最大の区別点は窓が2重窓でなく2段窓になっていること。キハ46は継承
されずに全廃され、JRに継承されたのはキハ24のみで大湊線への
キハ100系投入やキハ40系の投入等もあり急速に数を減らしたが、1991年に
車両更新とDMF11HZへの機関更新をキハ24-503と508のみが行い、晩年は
省20
722: 2007/06/21(木)10:35 ID:ChdjVgAM(1) AAS
EDFF999超早い時速5000000キロで東京ロサンゼルスを30分で
特急地球号停車駅東京大阪ロサンゼルスパリイラクスウエーデン横浜
これによって世界がつながり平和になる
100量編成
地球にやさしいハイブリッド電車
723: 茄子塩腹 2007/06/21(木)20:13 ID:CyRrmCLf(1/2) AAS
…中央西線の電化が早まったと仮定してみる…

181系200番台特急形電車

1970年春、中央西線の塩尻電化に伴い、特急「しなの」増発用として日車、川車で新製され、神領に配置された。(クハ・モロ・モハ・サシ)
当初は485系を新製して捻出した向日町の181系を充当する案もあったが、車両計画や製造費の都合で181系を新製した。
基本数値は100番台と同じだが、車体外板をSPA(耐候性高張力板)にした等、485系との共通点も多い。
クハは前照灯をシールドビームにし、MGを大出力形に代えて床下に吊るしたため、クハ485-100やクハ489-0・500のプロトタイプ的な存在である。

また、サシ(201・202)はサシ481-15〜と同じ内装だが、100番台に倣って勘定台仕切を道標形(デザインは変えた)にし、食堂妻側壁面に木曽駒ヶ岳(201)、御嶽山(202)のレリーフを付けた。

1970年4月より「しなの」運用につき、71・72年には向日町から転属した0番台も加えて「しなの」は完全電車化。キハ181系は高松・米子に転属した。
しかし所要時間はキハ181系と大差なく、来るべき中央自動車道西区間の開通に対抗するには力不足と判断され、1974年には381系振子形への代替が始まり、1975年3月のダイヤ大改正で「しなの」は全て381系化された。
このため200番台は新潟に転属して「とき」に転用されたが、0番台は状態良好な一部のモハユニットが新潟に転属した他は廃車された。 (続く)
724: 茄子塩腹 2007/06/21(木)21:15 ID:CyRrmCLf(2/2) AAS
181系200番台続き

200番台は全車新潟に転属して「とき」「新雪」運用についたが、1978年にサシ181が全て連結を解かれた。
この時、200番台のサシ2両は松任工場でサシ481-101・102に改造されて向日町に転属。0番台車を予備車にして北陸特急に投入された。(1984年引退)

また、モロ180形201-203はモハ180形300-303に改造編入された。

1982年11月の上越新幹線開業により181系の残存車は大部分が休車となったが、200番台のクハ・モハ全車と100番台のクハ・モハの一部は6両×3編成に組み換えて新前橋に転属。臨客用になった。
1985年にはアコモ改造されてリクライニングシートに替え、1988年に車両更新工事を郡山で施工された。

1991年7月20日、団臨運用中に栗橋付近で現役最終運用の東武1721Fと並走。双方の運転士・車掌が挙手の礼を交わしつつ互いにタイフォンを鳴らしたため、居合わせたファンを漢泣きさせた。
省3
725
(1): 妄想竹 2007/06/22(金)00:27 ID:8KfLRcZv(1) AAS
101系2000番台

中央線高尾〜大月については、首都圏の外延化に伴う乗客増が続いており、増発が重ねられていたが、
低屋根車か特殊パンタ装備の車しか使えないため、効率化による増発も限界が見えてきていた。
そこで当時廃車の進んでいた101系を使って当面の需要に応えることになった。

継続使用に当たっては、高尾以西で使用することから、
モハ100・クモハ100は800番台、それ以外は状態の良いATS−S付の後期車や冷房車を種車とし、
徹底した車体更新と冷房改造、難燃化、絶縁更新を行った他、
サハへのトイレ取り付け、近鉄2600系に準じたクロス化、扉の半自動化、荷電併結等の対応改造を行った。
これらの改造を行った車両は2000番台の番号を付番され、以下の編成を組成した。
百の位は基本番台車の百の位と同じ機能を持つことを示す。
省6
726: 2007/06/22(金)00:40 ID:CcB5faoF(1) AAS
165系湘南ライナー仕様
JR東日本が湘南ライナーに投入した165系。
10両編成で、グリーン車を2両連結している。
たまに急行「東海」の運用に就くこともあったが、215系の投入で廃車されてしまった。
727: 2007/06/22(金)02:24 ID:/F5hfU9b(1) AAS
>>725
クモニ83を頭に編成を組んだ101系の写真を見たことがあるから荷電併結改造はいらないのでは?
728: 2007/06/22(金)10:30 ID:khQbtF+I(1) AAS
キハE331系
JR東日本が開発したE331系の気動車バージョン。
3両編成(20メートル車2両編成の長さに相当)で、全車両に450PSエンジンを搭載。
連接気動車の製造は恐らく1972年のキハ391系以来35年ぶりと思われる。
729
(1): 2007/06/22(金)11:11 ID:XTzwQ6Hk(1/2) AAS
H91型電気式蒸気機関車
昭和40年代末期、オイルショックによって省エネルギーが叫ばれるように
なった時代に政府が中心になって研究をしたのがH91型蒸気機関車である。
正式名称は「電気式蒸気機関車」だが、世間には原子力機関車と言われた。
つまり小型原子炉を搭載し、核反応によって得た膨大な熱で蒸気を湧かし、
その蒸気で発電してモーターを回すという原子力発電所と鉄道用機関車を
一緒にした構造だった。
車体は2両構成で、1両目が小型原子炉とボイラーと発電機を積んだ発電車、
2両目が発電車で得た電気を制御して2両合わせて8軸の動輪のモーターを
制御する電気制御車だった。車体はED76を片運転台に背中合わせにしたよう
省16
730
(1): 続き 2007/06/22(金)11:12 ID:XTzwQ6Hk(2/2) AAS
それでも政府は函館〜札幌間での使用を前提に研究を進めることになる。北海
道と何とか話をつけ、昭和54年にやっと原子炉を使用した試験運転の許可を
取り付けた。昭和54年11月までに青函連絡船に乗せられて北海道へ渡り、軌道
強化が行われ主要幹線並の軌道に生まれ変わった狩勝実験線で初めて原子炉を
稼働、そして性能試験を開始した。
試験の結果は概ね良好で、性能と燃費が予想以上のものであったが、この頃
既にオイルショックをきっかけとする省エネブームは冷めており、また国鉄
の債務が膨らんで高価な原子力機関車を導入するどころではない状態だった。
何よりも維持コストが高いのが問題だった。使用済み核燃料の処理の目処が
立たなかったのも大きかった。
省1
731: 茄子塩腹 2007/06/22(金)12:52 ID:x8S+Nxz7(1) AAS
サロ84形(→サハ84形・クハ84形)

80系電車の二等車だが、サロ85形とは異なり、座席はオロ35近代化工事車並の転換クロスシートである。
本形式は全て下降窓で、1956年製の0番台と1957・58年製の全金車300番台のみ。
定員は60人で専務車掌室と業務室も設備。
(このためサロ85300は車掌室・業務室なしとする)東海道・高崎・上越線で運用され、上野・新潟間急行にも使用されたが、新性能車の増備が進んだため1967年に格下げされてサハ84になった。
一部はクハ化されたが、下降窓ゆえ車体の傷みがひどく、1982年、飯田線を最後に全廃された。
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