[過去ログ] 架空の車輌形式・番台スレ S10編成 (783レス)
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692: 2007/06/15(金)20:54 ID:zYtnklgU(1) AAS
>>683
都営車による橋本〜本八幡間の急行復活だな。
693: 茄子塩腹 2007/06/15(金)21:03 ID:Zcm6Gs2+(4/4) AAS
↑秩鉄は「系」じゃなくて「形」だった…。

大井川鉄道18000系
1982年に近鉄18000系を2編成とも譲受改造したもの。
車体と補機はそのままに、主要機器と台車は国鉄165系の廃車発生品に振り替えた。
2007年現在も在籍しているが、18003Fは定期運用がない。
694: 妄想竹 2007/06/16(土)00:21 ID:bPJkH273(1) AAS
JR西日本 415系500・700番台

岡山・広島・下関地区で使用する113・115系のうち、老朽化し抑速ブレーキの無い113系を優先して廃車、
115系も0番台(相当)は廃車、300番台以降をセノハチや伯備線等の急勾配区間運用を持つ岡山、広島へ集中配置し、
下関向けは九州乗り入れ運用を考慮し、ちょうどJR東日本・常磐線で大量に余剰となっていた415系を購入することになった。

譲渡されたのは主に常磐線でK800代となっていた編成で、7両中サハと500番台のモハユニットを抜き、Tc500-MM'700-T'c600の4両編成で揃えられた。
転用に当たって、ATSの変更と関門トンネルを走行することから塩害対策が施され、モハ414の屋上機器に若干の変更を生じた。
素人目には碍子類が全て緑色となったのが目立つ。
外観上の変更はその程度であり、塗装や車内はほぼ常磐線当時のままであるが、
方向幕類がアーバン仕様の黒幕となり、広島管内では珍しく前面幕も電動幕化、行き先を表示しているのが目立つ。

4両編成12本を購入、呉線広〜山陽本線海田市〜鹿児島線小倉のほか、宇部線全線でも運用されている。
省1
695: 茄子塩腹 2007/06/16(土)01:03 ID:Nwgoxljg(1/2) AAS
実在車捏造
サシ161-1・2→サシ181-41・42、サシ181-43

「とき」専用として1962・65年に製造されたグループ。
内装も概ね旧サシ151に準じているが、天井板がより白っぽくなった他、会計台周りのデザイン変更、食堂の妻側仕切壁には群馬県や新潟県の景勝地を模したレリーフを取り付けた。

41「佐渡」
42「谷川岳」
43「尾瀬」

これは存外好評で、1966年に「あずさ」用として製造された101-103にも北アルプス各峰のレリーフと道標形の会計台仕切が付けられた。
なお、101は「とき」専従になった1973年夏頃にレリーフを「穂高」から「武尊山」に付け替えている。

全車1978年9月限りで編成からはずれ、1980年までに廃車されたため形式消滅した。
696
(1): ミウナ 2007/06/16(土)07:13 ID:QgkPSUj9(1) AAS
大井川鉄道10000系
小田急電鉄より10000系残存編成を大井川鉄道に譲渡したもの。
改造は先に長野電鉄に譲渡された10000系(1000系)と同じで11連を
4連に短縮している。普通ではなくSL急行を補完する急行「南アルプス」で使用される。
当初系列の名鉄より7000系3連4本が譲渡予定だったが、天井等にアスベスト
使用の判明で譲渡不可能となり、時節柄小田急電鉄が新型特急車両投入で
ハイデッカーが災いしてバリアフリーに対応出来ない10000系の廃車が
上がっていた事から観光急行用として白羽の矢が立ったもので、
特急ロマンスカーの大井川鉄道譲渡は3000系以来になる。
これにより旧近鉄特急車421系が廃車となる。
697: 茄子塩腹 2007/06/16(土)12:08 ID:Nwgoxljg(2/2) AAS
>696
大鉄がSSEを犬死にさせず、改造費用を工面できれば架空話ではなくなってたかも…。

またも捏造…。
青函連絡船 石狩丸(2代)
1966年、津軽丸級の最終船に船名を譲り、石狩丸を継いだ旧十和田丸だったが、まだ青函航路の旅客需要は多く、夏季や年末年始の旅客輸送力に不安があったため、客船の機能も残しつつ貨物船に改装されることになった。施工は函館どっく。

上甲板の旧2等椅子席スペースを車両甲板にしてワム・トラ級貨車の搭載を他の在来車両渡船並に43両としたが、遊歩甲板の客室スペースを縮小・オール2等化(定員500名)した。
客室は2等(のち普通席)桟敷のみで、エントランスに売店、案内所、立ち食いそばコーナーを設けた。
1967年4月に竣工し、通常は貨物便、繁忙期や団体貸切時に臨時旅客便としたが、巡航速力が劣ったため、所要時間は津軽丸級より40-50分程度長かった。
利用客の減少で1973年夏季を最後に旅客便運航を取りやめ、1977年、同名の後継船の進水を機に引退し、ギリシャに売却されてカーフェリーに改装。1995年まで運航されていた。
698: 2007/06/16(土)13:00 ID:UR4WMBYM(1) AAS
京阪神急行電鉄720系(720+750)

阪急は運輸省規格形電車(700系)を導入したが、京都線の車両不足はそれでも如何ともしがたく鉄道省モハ63形10両、クハ79形10両の
供出を受けた。阪急では車体の出来の悪さから難色を示したが、背に腹は代えられず不承不承導入せざるをえなかった。
山陽700系という広軌63形の導入事例もあり、押し切ることができなかったと思われる。
動力性能は140kwのMT40ということもあり、車体が簡素な作りのため軽量ということもあり予想以上であったが、
やはり車体の出来はすさまじく、大幅に手を加えなければならなかった。
桜木町事故をきっかけに改造工事がなされ、屋根・室内の不燃化、貫通路取付、前面貫通改造、2段窓化等が行われた。
さらにP-6と併結運用するため、制御器を交換の上P-6形の緩衝器付き幌を取り付けられ63形の中でも
特異な風貌となった。のちに幌が外され阪急式の幌枠となったが、切妻ということを除けばどこからどうみても「阪急顔」になった。
長らく京都本線の急行・普通運用に使用されていたが、P-6より早く昭和43年までに廃車となった。
省2
699
(3): 鉄道タイムズ 2007/06/16(土)20:23 ID:XAtkZjWt(1/2) AAS
◎営団地下鉄04系
・製造年 2001-3
・車種・編成 04-100(CT1),04-200(M1),04-300(m2),04-600(m1),04-700(M2),04-800(CT2)
・特記仕様 m車は一台車のみにモーターを設置 架線・第三軌条集電ハイブリッド 小断面トンネル対応蒲鉾状車体
・営業 14号線
○「わっ、まるでロンドンの地下鉄みたい♪」と驚きの声が、営団地下鉄(現東京地下鉄)14号線電車04系が公開された時の出来事であった。
1985年、東京圏の鉄軌道整備に関する運輸政策審議会にて計画路線などが答申された。翌86年、日本は、あの伝説のバブル景気に突入。
この未曾有の好況を反映して、90年、審議会が再度開催され、さらに路線が追加された。
その一つが、地下鉄14号線である。銀座、丸ノ内、中央の各線の混雑緩和を目的に、新宿と新橋を一本で結び、新宿で中央線に並行する西武新宿線と相互直通。
なお、当時、西武新宿線には上石神井〜西武新宿の地下急行線による線増計画が在った
省9
700
(3): 鉄道タイムズ 2007/06/16(土)20:24 ID:XAtkZjWt(2/2) AAS
営団地下鉄04系(>>699)の続き

トンネル断面を可能な限り小さくする事並びに駅間距離を伸ばして駅を削減する事で以て対処した。
まず、駅は、歌舞伎町(西武新宿隣)、新宿(JR新南口近隣)、四谷三丁目、四谷、麹町(半蔵門駅連結)、虎ノ門、新橋(JR烏森汐留口)に絞られた。
全駅ホームドア、ワンマン運転、最大八両編成で設計。車両基地は、7、8、9号線―千代田線―各線の既存のものを使用。その為の連絡線も建設。
将来の他社線への直通復活を配慮して車体の基本寸法を大きく縮小させ無い為に、第三軌条集電とし、車体を小型トンネル側壁に目一杯沿った蒲鉾形状にした。
つまり、車体寸法を大きく縮めずに、トンネルをどんどん縮小させ、空きを無くした結果である。
14号線用電車の形式は、既に3000系に4000番台が使用されていた為に、04系となった。
04系は、第三軌条集電用に床下に可動式集電靴があり、他線経由の基地回送に備えて屋根にシングルアーム型パンタグラフも搭載。
架線区間走行の際、集電靴を引っ込め、パンタを上げる。
蒲鉾形状の車体なので、通常の戸袋・引き戸では無く、外吊り式プラグドアを採用。
省6
701: ミウナ 2007/06/17(日)13:53 ID:s1i0hXyu(1/2) AAS
オハ65 オハフ65 オハ66 オハフ66 オハニ65 スユニ64
木造客車であるナハ22000系を更新した61系と同時期にオハ31系の
更新型として登場した17m級客車。オハ65はオハ31・オハフ65は
オハフ30でスユニ30の更新型がスユニ64である。派生型として北海道
型のオハ66とオハフ66も作られている。なお旧2等のオロ30とオロ31
およびオロハ30はハ座で更新されてる。
更新としては車体を2重屋根からスハ43系に準じた切妻型に取り替える
オハ61系と同じ方式だが座席が板張りでなくオハ35系に準じたもので
あることなどからオハ61系よりも車内レベルは高かった。台車はTR11
をそのまま使用したが一部TR23や34にした車両もある。やはりローカル線
省14
702: ミウナ 2007/06/17(日)14:00 ID:s1i0hXyu(2/2) AAS
続き
唯一郵便・荷物車であったスユニ64は本州と北海道で使用されたが
荷重の少なさがネックとなり大型で使い勝手のいいスユニ60系が
好まれるようになると救援車等に使われるなど閑職に回され、
最後まで残った苗穂のスエ64-13(スユニ64-13{旧スユニ30-8})と
青森のスエ64-18(スユニ64-19{旧スユニ30-7})が1978年に廃車され
消滅した。
703: 茄子塩腹 2007/06/17(日)14:04 ID:wJgWL7tM(1/2) AAS
サハリン向けC56形

旧ソ連政府の発注で1949年にD51とともに10両が製造された。
標準形と大きく異なる点はキャブの前部の後退角がなくなったのと密閉式になったこと。デフの前上部を斜めにカットしたことである。

公式には1970年に運用離脱して全車廃車解体された。
704: 妄想竹 2007/06/17(日)15:52 ID:Ihx8Fho6(1/2) AAS
>>679のさらに続き

201系最終増備車

1988年12月に東中野で発生した追突事故で、201系9両、103系9両の合計18両が使用不能となり、総武・中央緩行線では2編成が不足した。
とりあえず大宮の廃車置場にあった103系非冷房車9両のほか、
南武線101系非冷房車・青梅線103系非冷房車の廃車を延期して捻出した103系をそれぞれ暫定投入、急場を凌いだ。

これらの代替車を総武・中央緩行に投入するにあたり、車種統一の観点から久しぶりに201系が増備されることになった。
番号は>>679の続番となったが、投入先の三鷹は10両のままで検査が可能となっていたため、最初で最後の黄色いサハが登場。
電装品、トドア、台車、窓枠、内装など、使える部品は廃車車両から流用、足りないものは同一の予備部品を流用したため、
側窓が上段下降・下段上昇のバランサつきだったり、制御装置がCH1だったり、クーラーがAU75Dだったりするなど、
最終増備車にも拘らず仕様は初期量産車のそれに近いものとなっているが、
省6
705: 2007/06/17(日)15:57 ID:Ihx8Fho6(2/2) AAS
自己レス。

書き込んでから気が付いたんですが、廃車部品の徹底流用をやるくらいなら、編成はこうしないと変ですなw
以下、訂正。

Tc161-MM'310-T101-MM'311-T102-MM'312-T'c161
Tc3-MM'313-T103-MM'314-T104-MM'315-T'c162
706
(1): 2007/06/17(日)16:04 ID:nWB5W3pO(1/2) AAS
新幹線200系3000番台(S編成), 5000番台(T編成)
1983年、新東京国際空港の開業から5年を経て、
空港を都心と直結する成田新幹線が開業した。

国鉄は、前年から営業運転を開始した新幹線200系電車の内装を変更した
車輌を追加製造し、3000番台として投入した。
主な変更点は荷物置き場の設置と、過剰な暖房装置の簡略化であった。

S編成10両編成:
221(Mc)-226(M')-225-3400(Mk)-226(M')-215(Ms)-216(M's)-225(M)-226(M')-225(M)-222(M'c)
唯一の中間駅、千葉ニュータウン駅には当初全列車が停車。35分と短時間の乗車なので、
ビュッフェ車は連結されず、コーヒーや旅行用品の車内販売が行われた。
省16
707: 2007/06/17(日)16:11 ID:nWB5W3pO(2/2) AAS
>>706 下の、17両だった。
221(Mc)-226(M')-225(M)-226(M')-235(MB)-216(M's)-249(Tsd)-248(Tsd)-215(Ms)-
236(MB)-225(M)-226(M)-225(M)-226(M')-225-5400(Mk)-226(M')-285(M)-282(M'c)
に訂正。
708
(1): 鉄道タイムズ 2007/06/17(日)18:31 ID:T3wUhGqc(1/2) AAS
>>700の訂正
>将来の他社線への直通復活を配慮して車体の基本寸法を大きく縮小させ無い為に、第三軌条集電とし、車体を小型トンネル側壁に目一杯沿った蒲鉾形状にした。
>つまり、車体寸法を大きく縮めずに、トンネルをどんどん縮小させ、空きを無くした結果である。

将来の他社線への直通復活を配慮して車体の客室スペースを大きく縮小させ無い為に、(略)
つまり、客室スペースを大きく縮めずに、(略)

◎JR東日本E231系850番台
・製造年 2003 
・仕様 都営地下鉄三田線直通 6M2T
・営業 川越・埼京線(指扇〜十条)、地下鉄三田線(十条〜品川)
省11
709: 2007/06/17(日)18:45 ID:nNWh82eb(1) AAS
モヤ200
JR東日本が作った201系の訓練車。
モハ200から1両だけ改造された。
103系や115系訓練車の置き換え用。
710: 2007/06/17(日)19:57 ID:SmQQsmpX(1) AAS
JR東日本E231系0番台松戸車両センター所属車

首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の開業による収益悪化を改善するため、
常磐快速線や成田線で使用されているJR東日本E231系0番台に以下のような処置が行われた。

・二階建てグリーン車のサロE230-0とサロE231-0を製造し、基本編成の5号車と6号車に充当
・先頭車の車端部の座席を一部撤去し、バリアフリー対応の洋式トイレを設置
・基本編成の1〜2号車と9〜10号車、及び付属編成の11〜13号車の7人掛けロングシートを可変座席と交換

二階建てグリーン車の導入によりサハが34両余剰となるが、廃車にされず一部改造の上転用されることになり、
中央・総武緩行線の運用車種統一を目的として増備されるJR東日本E231系0番台12編成に組み込まれた。
711: 鉄道タイムズ 2007/06/17(日)21:50 ID:T3wUhGqc(2/2) AAS
>>133 >>249 >>488 >>699-700 >>708 に続く架空答申もの

◎京王2000系
・製造年 2004-5
・特記仕様 地下鉄日比谷線直通 18m車体 4M4T
・営業 井の頭線(吉祥寺〜駒場東大前)、日比谷線(駒場東大前〜北千住)
○バブル景気絶頂の1990年の運輸政策審議会において、京王井の頭線と営団地下鉄日比谷線の直通運転、
並びにその為の日比谷線恵比寿駅から分岐して井の頭線駒場東大前に至る日比谷線支線の建設が答申された。
かねてから世間では井の頭線と銀座線との直通を望む声が多いが、両線の規格が違いすぎて事実上無理であった。
代替として日比谷線との直通が決まった。
東横線での日比谷線直通需要は再開発による人の集積地の多様化や南北・三田・副都心線直通により減少するだろうと予想され、
省13
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