[過去ログ] 【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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205: 2016/11/05(土)09:20 ID:7V/mSUfP(119/147) AAS
概要[編集]
中湧別駅から分岐して湧別駅に至る支線の中間に仮乗降場として設置され、国鉄分割民営化と共に駅へ昇格した。
仮乗降場時代の一時期は事前に車掌へ降車する旨を伝えておかないと、乗降場を通過して運行することがあった[1][2]。なお、このような取り扱いは国鉄の規則に違反するものであった。末期は乗降客がいなくても停車するようになった。
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月25日 - 日本国有鉄道名寄本線の四号線仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。四号線駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(湧別方面に向かって左手側)に存在した[3]。転轍機を持たない棒線駅となっていた。
仮乗降場に出自を持つ無人駅で、駅舎および待合所も存在しなかった[3][4]。ホームは遠軽方にスロープを有し[3]駅施設外に連絡していた。板張りのホームであった。
206: 2016/11/05(土)09:21 ID:7V/mSUfP(120/147) AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在地の昔の地域名より[5]。「四号線」の名は、開拓期に碁盤状に設けられた道路の名に因む。また、当駅遠軽方を東西に通る道路が「東四号線」「西四号線」と名付けられていた[6]。
駅周辺[編集]
国道238号(オホーツク国道)[6]
湧別小学校[6]
湧別中学校[6]
湧別錦町簡易郵便局[6]
Aコープゆうべつ店
湧別大橋[6]
湧別川[6]
省3
207: 2016/11/05(土)09:22 ID:7V/mSUfP(121/147) AAS
湧別駅
湧別駅
ゆうべつ - Yūbetsu
◄四号線 (1.9km)
所在地 北海道紋別郡湧別町栄町
北緯44度13分26.1秒
東経143度37分10.3秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線(支線)
キロ程 4.9km(中湧別起点)
省13
208: 2016/11/05(土)09:22 ID:7V/mSUfP(122/147) AAS
「湧別駅の跡」碑と跡地に建った消防署
湧別駅(ゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線(支線)の駅(廃駅)である。
電報略号はユツ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 駅名の由来
5 利用状況
6 駅周辺
省9
209: 2016/11/05(土)09:23 ID:7V/mSUfP(123/147) AAS
歴史[編集]
1916年(大正5年)11月21日 - 鉄道院湧別軽便線社名淵駅(後の開盛駅) - 当駅間延伸開通(湧別軽便線全通)に伴い下湧別駅(しもゆうべつえき)として開業。一般駅。
1922年(大正11年)9月2日 - 線路名を湧別線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1930年(昭和5年)2月12日 - 湧別軌道当駅 - 丁寧間が開業。
1932年(昭和7年)10月1日 - 遠軽駅 - 当駅間を湧別線から削除し名寄本線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1939年(昭和14年)
8月1日 - 湧別軌道の軌道運輸営業廃止が許可。
9月1日 - 湧別軌道の廃止が官報掲載(廃止公示)。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1954年(昭和29年)11月10日 - 湧別駅に改称。
省5
210: 2016/11/05(土)09:24 ID:7V/mSUfP(124/147) AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(湧別方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[1]。かつては貨物用の側線を2線有しており、
駅舎側から1、2、3番線となっていた(1975年(昭和50年)3月時点ではこの配線)[2]。
そのほか1番線の延長上から遠軽方に戻る形で駅舎側に分岐し駅舎北側の貨物ホームに至る側線を1線有していた[2](以上の側線は1981年(昭和56年)3月時点では撤去済みであった[2])。
無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北西側に位置し、ホームとは通路で連絡した[1]。開業当初からの[3]、
民家の様な木造平屋建ての建物であった[2]。ホームの有効長は旅客ホームが50 m、貨物ホームが30 mであった[2]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ユペ・オッ」(カレイサメが多い)に由来する[4]。別説として「イペ・オッ・イ」(魚の豊富である所)に由来するという説もある[4]。
利用状況[編集]
211: 2016/11/05(土)09:24 ID:7V/mSUfP(125/147) AAS
駅周辺[編集]
北海道道656号湧別停車場サロマ湖線
北海道道204号湧別上湧別線
湧別町役場湧別総合支所(旧・湧別町役場)
湧別郵便局
湧別町運動公園
オホーツク海 - ホームからも望めた[3]。
サロマ湖
湧別川
バス路線[編集]
省4
212: 2016/11/05(土)09:25 ID:7V/mSUfP(126/147) AAS
北湧駅
北湧駅
ほくゆう - Hokuyū
◄中湧別 (3.1km)(1.5km) 上湧別►
所在地 北海道紋別郡上湧別町屯田市街地
北緯44度9分35.3秒
東経143度34分48.6秒座標: 北緯44度9分35.3秒 東経143度34分48.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 125.0*km(名寄起点)
省11
213: 2016/11/05(土)09:25 ID:7V/mSUfP(127/147) AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
歴史[編集]
省3
214: 2016/11/05(土)09:26 ID:7V/mSUfP(128/147) AAS
駅構造[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
駅名の由来[編集]
かつて当駅附近に6年制の学校である「北湧校」が存在したことに由来する[2]。
駅周辺[編集]
国道242号(置戸国道)[3]
湧別川[3]
北海道北見バス・北紋バス「出合橋」停留所
省4
215: 2016/11/05(土)09:26 ID:7V/mSUfP(129/147) AAS
かみゆうべつチューリップ公園
Kamiyubetsu Tulip Park
Tulip field Kamiyubetsu Hokkaido japan.jpg
(2006年5月)
分類 都市公園[1]
所在地
日本の旗 日本
北海道紋別郡湧別町上湧別屯田市街地[2]
座標 北緯44度9分33.4秒 東経143度34分43.6秒座標: 北緯44度9分33.4秒 東経143度34分43.6秒
面積 12.5ha[2]
省21
216: 2016/11/05(土)09:27 ID:7V/mSUfP(130/147) AAS
概要[編集]
約200品種のチューリップが約120万本植栽されており、チューリップ生産の盛んなオランダや富山県から毎年新品種を導入している。
チューリップ作付面積は7万平方メートル(7ヘクタール)に及び[2]、これは公園総面積の56%に相当する。
公園中央には風車展望台が設置されており、園内を一望出来るほか、園内周遊バス「チューピット号」が運行されている(1周約15分)。
かみゆうべつチューリップフェア開催期間中(約1か月)のみ開園している。開園期間中の天候とチューリップの開花状況に左右されやすいが、見頃は5月20日前後で、年間来園者数は10万人を数える年もある[2]。
開園期間 - 5月上旬〜6月上旬(かみゆうべつチューリップフェア開催期間)
開園時間 - 8:00〜18:00(入園受付は17時30分まで)
入園料[注 1] - 大人(高校生以上):500円、小人(小中学校):250円、幼児:無料
シーズン券(期間フリーパスポート)が大人800円、小人400円で販売されている。
ギャラリー[編集]
省5
217: 2016/11/05(土)09:27 ID:7V/mSUfP(131/147) AAS
周辺[編集]
国道242号
湧別町役場上湧別庁舎
遠軽地区広域組合消防署上湧別出張所・リサイクルセンター
湧別町立郷土博物館「ふるさと館JRY」
上湧別郵便局
湧別町立上湧別中学校
交通アクセス[編集]
鉄道
JR北海道(北海道旅客鉄道)石北本線遠軽駅から車・バスで15分。
省5
218: 2016/11/05(土)09:28 ID:7V/mSUfP(132/147) AAS
当駅(当時は仮乗降場)開業に当たり、代替として中湧別駅 - 上湧別駅間にあった厚生病院前仮乗降場(こうせいびょういんまえかりじょうこうじょう)が廃止された
(1955年(昭和30年)12月25日開業、1966年(昭和41年)10月1日廃止)[6]。同仮乗降場は中湧別駅と当駅との間に位置した。
219: 2016/11/05(土)09:30 ID:7V/mSUfP(133/147) AAS
上湧別駅
上湧別駅(1989年3月)
かみゆうべつ - Kami-Yūbetsu
◄北湧 (1.5km)(3.2km) 共進►
所在地 北海道紋別郡上湧別町屯田市街地
北緯44度8分49.4秒
東経143度34分20秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 126.5km(名寄起点)
省10
220: 2016/11/05(土)09:30 ID:7V/mSUfP(134/147) AAS
上湧別駅(かみゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字屯田市街地(現・湧別町上湧別屯田市街地)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はカユ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
省14
221: 2016/11/05(土)09:31 ID:7V/mSUfP(135/147) AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[2]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった対向ホーム側の1線は、交換設備運用廃止後も遠軽方の転轍機は維持され側線として残っていた[2]。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[2]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置しホーム北側に接していた[2]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、湧別川の上流に位置していたために[3]「湧別」に「上」を冠する。
駅周辺[編集]
旧上湧別町の中心地にあった[4]。
北海道道404号上湧別停車場線)[4]
国道242号(置戸国道)[4]
省11
222: 2016/11/05(土)09:32 ID:7V/mSUfP(136/147) AAS
共進駅
共進駅
きょうしん - Kyōshin
◄上湧別 (3.2km)(3.9km) 開盛►
所在地 北海道紋別郡上湧別町字南兵村一区
北緯44度7分12.9秒
東経143度33分53.4秒座標: 北緯44度7分12.9秒 東経143度33分53.4秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 129.7km(名寄起点)
省19
223: 2016/11/05(土)09:32 ID:7V/mSUfP(137/147) AAS
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月1日 - 日本国有鉄道名寄本線の一区中通仮乗降場(いっくなかどおりかりじょうこうじょう、局設定)として開業。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。同時に改称。共進駅となる。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[2]。
無人駅となっており、駅舎はないがホーム中央部分に待合所を有していた[2]。
駅名の由来[編集]
当地の住民が手に手を取って共に進もう、という意味を込め付けられた[3]。また原田勝正は、開拓に当たった人々の意気込みを付けたものであろうと評している[2]。
省9
224: 2016/11/05(土)09:33 ID:7V/mSUfP(138/147) AAS
開盛駅
開盛駅
かいせい - Kaisei
◄共進 (3.9km)(1.8km) 北遠軽►
所在地 北海道紋別郡上湧別町開盛
北緯44度5分51.5秒
東経143度31分59.3秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 133.6km(名寄起点)
省19
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