一番最初のサウンドクラッシュ (92レス)
上下前次1-新
64(1): 2023/09/12(火)12:52 ID:XivkEkRr(1) AAS
>>63
その代わり一度レコードが売れたら客の盛り上がり具合で次のレコードの買い取り値段が決められた。
そして売れたお金で次のレコードを作るスタジオ代にした。
この取引は小さなサウンドにとって相当重要な事になった。
65(1): 2023/09/12(火)18:53 ID:Si40FyGl(2/2) AAS
>>64
今までは弱小サウンドはビックサウンドのおこぼれの残り物レコードしか手に入れられなかった。
特別なキラーチューンを手に入れる事は本当に難しかった。
ところがコンテスト出身のジャマイカの若手アーティストが持ち込むお手製レコードは、作成の都合上、一枚しかカット出来ない。
つまり若手アーティストがイイ曲を作ってその一枚を買うことができれば、
その一枚はそのサウンドしか持ってない大きな武器になった。
66(1): 2023/09/13(水)08:43 ID:MvvAtZNO(1/2) AAS
>>65
ゲットーにはゲットーの序列や階級があった。
さらに、ジャマイカ全体に、「ジャマイカで生まれ育ったものを軽視する風潮」があった。
このような状況だったため、大きなサウンドやオペレーターが純粋なキングストン産のレコードを見下したとしても仕方が無いだろう。
67(1): 2023/09/13(水)21:22 ID:MvvAtZNO(2/2) AAS
>>66
ビッグになったオペレーターはあまりに偉くなりすぎたせいか、いちいち地元のシンガー志望の男の子達に構ってる暇などなく、
外国のレコードを買い付けるのに忙しかった。
68(1): 2023/09/14(木)08:00 ID:q/5coNbT(1) AAS
>>67
そのためコンテスト出身のシンガー達はどんなに限りない可能性を秘めていても、
すでに人気あることが実証されていても、
地元の有名人以上になることはなかった。
69(1): 2023/09/14(木)14:01 ID:eK1xR0NK(1) AAS
>>68
彼らの出来たてホヤホヤのレコードはすぐそこにあったのに、ビッグサウンドは決して自らそれを探し求めることはなかったのである。
しかし、ビッグサウンドが全然かけないにもかかわらず、次第にその純粋なキングストン産の音楽がサウンドシステム産業の中で絶対不可欠な要素となってゆく。
70: 2023/09/14(木)15:29 ID:n5upeT0J(1) AAS
1950年代、
ジャマイカにはすでに、
中で家族四人が
暮らせるくらい
デカいスピーカーがあり、
なんなんだ、その貧乏くさい始まりは
71: 2023/09/14(木)23:36 ID:JNrtYlno(1) AAS
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72(1): 2023/09/15(金)07:18 ID:TZbIkHlZ(1/2) AAS
>>69
1960年代に入ると一つ階段を上るような変化が訪れた。
今までのサウンドシステムにやられ、自分もサウンドをやりたいと始めた、次世代オペレーター、次世代サウンドが育ち始めていたのである。
サウンドマンの第二世代はほとんどが20代に入ったばかりの若者だった。
73(1): 2023/09/15(金)12:27 ID:LTE8a0Zv(1) AAS
>>72
彼らは「骨の髄までシビレさせてくれるサウンドシステムがなければ、キングストンでは生きていけない」という考えと共に育ってきた世代だ。
ダンスとは何かを伝える努力をする必要も、サウンドシステムという文化を流行らせる必要もなかった。
もうすでに土台はできていた。
74(1): 2023/09/15(金)18:39 ID:TZbIkHlZ(2/2) AAS
>>73
だからおかげで、社会的、商業的イベントとしてのサウンドシステムに磨きをかけ、その可能性を限りなく大きくする事に集中できた。
ニューウェイブともいえる第二世代の代表格は、
デュークリード
コクソンドッド
プリンスバスター
の三人である。
75(1): 2023/09/16(土)08:51 ID:oZ11reRs(1/2) AAS
>>74
彼らはサウンドシステムという文化を本のページをめくるように静々と伝えたというよりは、そのシーンにマッチで火をつけて燃え上がらせたと言った方がいいだろう。
76(1): 2023/09/16(土)19:29 ID:oZ11reRs(2/2) AAS
>>75
トレジャーアイルのデュークリード
スタジオワンのコクソンドッド
伝説のアーティスト、プリンスバスター
三人の関係の一時にスポットをあてて書くと、
デュークリードとコクソンドッドはライバルであり、
プリンスバスターはコクソンドッドの用心棒だった。
77(1): 2023/09/17(日)14:36 ID:MMZbctZk(1) AAS
>>76
この三人には他の誰よりもジャマイカの音楽の道筋をつけた者としての責任がある。
78(1): 2023/09/17(日)21:12 ID:HSNRtNBx(1) AAS
>>77
コクソンドッドはちっちゃい頃からサウンドをやりたいと思っていた。
コクソンドッドのお母さんは酒屋&居酒屋さんをやっていて、コクソンは酒飲みにきた客に自分の好きなJazzのレコードを聞かせたりしていた。
79(1): 2023/09/18(月)09:28 ID:oq+7wMco(1/2) AAS
>>78
コクソンは次第に「音楽をわかってる奴」
という評判を得ていった。
80(1): 2023/09/18(月)19:43 ID:oq+7wMco(2/2) AAS
>>79
だがお母さんはそんな息子の事を心配して、しっかり自分で食べていけるように、大工の技術を学ばせた。
ジャマイカといえどやはり自分の子供が音楽を仕事にするというのは親にとって不安な事だったのだろう。
81(1): 2023/09/19(火)09:54 ID:bZt427VY(1) AAS
>>80
しかし、まっとうな仕事について欲しいというお母さんの思いどおりにはいかなかった。
大工職人のコクソンは地元のダンスにいくうちにスピーカーキャビネット(サウンドシステムのスピーカーの木でできた箱の部分)の作成を依頼されるようになった。
82(1): 2023/09/20(水)13:33 ID:BolqK7F4(1) AAS
>>81
その後、給料の良いアメリカのさとうきび刈りのバイトをしにアメリカとジャマイカを行き来するようになった。
すると地元のサウンドマンたちはコクソンの耳を信用してレコードの買い付けや機材の買い付けを頼むようになった。
83: [www] 2023/11/16(木)20:57 ID:8BKt8jVE(1) AAS
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