◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
上下前次1-新
191: 2011/02/21(月)17:32 ID:iJLgyZEX(8/12) AAS
(中略)しかしながら、限定戦争に対する抵抗する体質としては、自由諸国と共産諸国とではおのづから違ひます。
共産諸国は、閉鎖国家でその中で言論統制が自由であり、相互の監視が徹底してゐますから、国論の統一のためには、
どんな陰鬱な暗澹たる手段を弄することも辞さない。(中略)
そしてアメリカでは御承知のとほり反戦運動が収拾つかないやうな形になつてをり、しかもそれがブラック・パワーの
やうな一種の民族主義的なものと結びついて、ますます国論統一を妨げていく状況です。
(中略)共産圏の有利な事は、人民戦争理論といふものがありますから、自由諸国の正規軍に対して、自分らの方は
不正規軍をもつて不正規戦を戦ふことが出来る。この不正規戦はあくまで人民が主体で、女、子供もこの戦争に
参加します。そして彼等は、いはゆる工作員になつて、全くなにも知らない子供が手紙の走り使ひにつかはれても、
その手紙が重要な秘密文書である場合もある。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
192: 2011/02/21(月)17:33 ID:iJLgyZEX(9/12) AAS
(中略)これで一方では、アメリカ正規軍の兵隊が十人死ぬとする。一方では人民戦争に参加した、あるひは、
ひそかに参加した女、子供が十人死んだとする、その場合にその死の与へる衝撃は女、子供の方が何十倍強い事は
御承知のとほりであります。
(中略)
今言つた事をだいたい要約しますと、共産圏の利点としては、限定戦争下における国論統一の利点、人民戦争理論に
よるヒューマニズムの徹底的利用の利点、この二つが彼等の最大の利点であります。この点については自由諸国内の
マスコミュニケイションは、むしろ共産圏に有利に働くわけであります。(中略)
かういふ点から、自由諸国は二つの最大の失点を初めから自らのうちに包含してゐるんです。これを考へないでは
世界戦略も国際戦略もないといふ事は非常に重要な問題で、これをコンピューターではじいて、物量の上で、
あるひは純戦術的な上で勝つ事が明らかな場合でも、この二つの失点によつて負けるべき事は今までしばしば
省2
193: 2011/02/21(月)22:14 ID:iJLgyZEX(10/12) AAS
日本のことを考へますと、私は日本はやはり、あくまで忘れられたものに対する価値といふものを認識してゐないと
いふ感じがしてしやうがないのです。といふのは、日本も自由諸国の一環でありますから、私は言論統制といふ事には、
非常に反対であります。そして分断国家の場合には共産圏に対する反感、憎悪、あるひは競争意識、かういふものは、
国民に彌漫してをりますし、また、共産圏からも直接的な被害、肉親の殺戮、その他の恐ろしい体験がありますから、
これに対する言論統一はむしろ容易であります。韓国が良い例であり、いろんな分断国家ではさういふ例が見られます。
(中略)さういふ意味で(日本は)非常に言論統一といふ事がむづかしい。もしこれを強行しようとすれば、
非常に人工的な手段を使つて、益々国民の反撃をかふやうな方法でしか出来ないわけでありますから、マスコミ操作と
いふ事自体が難しくなつてくる。これはアメリカも同然であります。ところが日本人には民族精神の統一として、
その団結力の象徴といふものがあるのに、それが宝の持ち腐れになつてゐるといふのは、これは当然天皇の問題で
あります。
省1
194: 2011/02/21(月)22:15 ID:iJLgyZEX(11/12) AAS
またもう一つは、第二のヒューマニズムの利用といふ点につきましても、我々は現代の新憲法下の国家において、
ヒューマニズム以上の国家理念といふものを持たないといふ事によつて苦しんでゐる。先のよど号事件にも
見られましたやうに、韓国や北鮮が非常に鮮明な単純なわかりやすい国家意志を表明したのに、日本政府は、
つひに人命尊重以上の理念を打ち出す事が出来なかつた。これはあくまでも敵に戦略的に負けてゐる事であると
私は思ふのです。といふのは、新憲法の制約が、あくまで人命尊重以上の理念を日本人に持たせないやうに
ぎりぎりに縛りつけてあるからであります。
私がこれから申し上げる防衛問題の前提としてこれを申し上げるのは、我々はヒューマニズムを乗り越えて、
人命より価値のあるもの、人間の命よりももつと尊いものがあるといふ理念を国家の中に内包しなければ
国家たり得ないからであります。これは種々利用されて欠点はありますが、我々は天皇といふものを持つてゐる。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
195: 2011/02/21(月)22:16 ID:iJLgyZEX(12/12) AAS
我々がごく自然な形で団結心が生ずる時の天皇、それから、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統と、この
二つのものを持つてゐながら、これを常にタブーにして手をふれることが出来ないままに戦後体制を持続してきた。
ここに私は共産圏、敵方に対する最大の理論的困難があるにもかかはらず、結局この根本的な問題を是正すること
なしに、ずるずると動いてきてゐることに非常に危機感を持たざるを得ないのです。そして現在の状況は、戦争は
すぐには起りますまいが、ある暴力が発生すると、非暴力といふものが非常にいいことに見えます。(中略)
さういふ点から、左右そのものが平和的な仮面を被つた共産党系と、いろんな点で利用し合ふやうになる。
これは大きな政治の場面でも、向うが平和的な手段にくれば、これを利用することによつて自分も利得をうる。
そして中間にゐる大衆社会はどちらもニュートラルなものとして歓迎する、さういふ状況が出来上つてゐることが
戦略上、非常に私は問題点であると考へます。これは、私は日本の防衛といふものの、先づ基本的な前提として
判つていただきたいと思ふのです。
省1
196: 2011/02/22(火)11:21 ID:ZNtRfI9a(1/7) AAS
第二に今度私は国防理念の問題を申し上げたいと思ひます。それで国防理念の問題としては、我々はつまり物理的な
あるひは物量的な戦略体制といふものに非常に頭が凝り固まつてゐる。例へば中国の核の問題。この核に
対抗する手段が我々には無いわけです。ABMを持たうと思つてもABMは非常に金がかかりますから、ABMを
持つことだけでも大変なことであります。それによつて我々は、集団安全保障といふ理念の中に入つて日米安保
条約によつてアメリカの核戦略体制の中に入るといふことを、国家の安全保障の一つの国是にしてゐるわけです。
ところが、アメリカはABMを持つてをりますが、日本はABMを持つてゐない。従つて核に対しては、我々は
アメリカの対抗手段に頼ることは出来ますが、アメリカの防衛手段から我々は疎外されてゐる訳であります。
我々は防衛手段を自分で持たなければなりませんが、その防衛手段については、あくまでも核の問題が入つて
きますから、非核三原則を原則とする現政府では、それについて核に対抗する核的な防衛手段もまた制限されて
ゐるといはなければなりません。
省1
197: 2011/02/22(火)11:22 ID:ZNtRfI9a(2/7) AAS
ところが集団安全保障と自主防衛との問題が段々出てきますにつれて、この間の矛盾が、私は、国防理念の中で
段々大きなギャップと裂目を露呈してくるのが、これから二、三年の大きな問題ではないかといふふうに考へて
をります。といふのは、沖縄の問題において、我々は自主防衛といふ問題にいやおうなく直面せざるを得ませんが、
自主防衛とは何であるかといふことについて、先づ人々が考へることは、核のことであります。我々は核が無ければ
国を守れない、しかし核は持てない、これは永遠の論理の悪循環で、核が持てないから集団安全保障に頼る外はない。
従つて我々にとつては、純然たる自主防衛といふことは有り得ないんだ。我々の自主防衛といふものは、
集団安全保障の前提付の上で、二次的に自主防衛といふものが、からうじて許されるわけである。かういふ
固定観念が私は非常に強くなつてゐると思ひます。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
198: 2011/02/22(火)11:23 ID:ZNtRfI9a(3/7) AAS
さういふ場合には、新憲法自体が国連憲章の上に成り立つてゐまして、国連の防衛理念といふものが第一になつて
ゐるにもかかはらず、我々は国連軍に参加することも出来ませんから、国連の防衛理念に対しては、片務的であつて、
我々は国連的な防衛理念によつて、自らの手で自らを守る、といふやうな論理矛盾を犯さざるを得ない。
(中略)我々は我々の国を守るのだ、外国の世話にならないで我々のことは、我々でやるんだ、ともかく我々の
この腕の力の限り、やるだけやるといふところが、我々の考へる自主防衛です。しかしこの理論的裏付けとしては
はつきりいつて何も無い。といふのは、もし戦略的に考へれば、そんな事は、不可能だ、だから国連軍に入れば
いいだらう。従つてもし、非常に政治的にいへば、お前はさういつてゐる段階でもうすでにアメリカの戦略的体制に
引つかかつてゐるんだ、お前はアメリカの傭兵になつてゐるんだと、いはれざるを得ないところへ自分を
追ひこむ外はない。自主防衛といふ言葉をさういふふうに使はしてしまつたのは誰の罪だ。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
199: 2011/02/22(火)19:57 ID:ZNtRfI9a(4/7) AAS
(中略)私はこの間、防衛研修所に行つてこの話を大分したのですが、防衛研修所の人達が十週間位にわたつて、
お互に議論してきた結論は実に簡単なことなのです。つまり魂の無い所に武器はない。これは日本の防衛体制を
考へる場合に、魂のない所に武器はないといふ、こんな簡単なことはないんです。ところが、一方では武器が
多ければ魂が無くても安全だといふ考へがある。そして一方では魂が有つても武器が無ければしやうがないのでは
ないかといふ考へがある。いまの日本のいはゆる非武装中立といふ考へが、ある程度非常に観念的ではあります
けれども、日本人のメンタリティーのどつかに訴へてゐるといふのはまさにこの点の矛盾をついてゐるからだらうと
思ひます。といふのは、魂のないやつがいくら武器をもつてもしやうがないから武器をもたんでおかう、といふ
事になれば実際おつしやるとほり何ともいひやうがない。しかし防衛問題のキーポイントは、魂と武器とを
結合させることであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
200: 2011/02/22(火)19:59 ID:ZNtRfI9a(5/7) AAS
(中略)
ところが、核兵器が発明されましてからモラルと兵器といふものが無限に離れてしまつた。といふのは使へない
からです。我々は人間が使へない武器を持つた時に、人間の思想と道徳の問題が最大の危機に直面したといふ
ふうに私は考へる。といふのは、使へない武器は恫喝にすぎませんから、恫喝によつて、どんな嘘も可能になる。
例へば膨大な核基地が何処かにあるといふことが、察知されますと、敵側からスパイを派遣してこれを察知するでせう。
あらゆる方法で情報を集めてこの核基地の所在を発見しようとするでせう。ところがこの核基地の所在が本当は
無くてもいいんです。無くても絶対ここにあると信じれば充分恫喝になるのですから、核兵器といふものは、
最終的にいへば、無くてもいいんです。あるぞといつてゐるだけで嚇かされるんです。勿論昔の法科をお出に
なつた方は、秋刀魚をもつて強盗に入つた場合に、強盗に入られた方がこれを凶器だと思つて間違へて金を
出した場合、これはどうなるのだといふ問題を出されたと思ふのです。
省1
201: 2011/02/22(火)20:00 ID:ZNtRfI9a(6/7) AAS
これは刑法上昔から錯誤の問題として出される珍問題の一つですが、核とは秋刀魚と同じやうな形をもつてゐる。
持たなくても持つてゐると嚇かすだけで効果がある。この場合には、核といふものはつまり心理的な武器になり、
人間の心理に嘘をつかせる、そして嘘であつても、とにかく恫喝されるといふ目的が達せられればいいので
ありますから、証明するやうな材料が最終的に無ければ無い程有利であるわけです。
これは、沖縄問題で非常によく出たと思ふのであります。といふのは佐藤さんがアメリカにいらした時に、沖縄の
核兵器の基地を撤去するかしないかの問題を新聞記者会見でつつこまれました。この問題についてはわれわれは
両国間の暗黙の腹芸としていへないとおつしやつた。これは勿論です。いへないことが核兵器の面白いところです。
もし、これが普通の武器でしたら使ふ武器ですから、ここに日本刀が三挺あるぞ、ここに機関銃が三挺あるぞと
いつた方が有利なはずです。それなのにいへないところに核の面白さがある。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
202: 2011/02/22(火)20:01 ID:ZNtRfI9a(7/7) AAS
ここで私は武器と魂、武器とモラルといふものの結び付きが非常にこはれてきた、それと同時に国民精神といふ
ものに対する影響が核によつて非常にマイナスに働いてきたと思ひます。といふのは国民精神といふのは正直な
ものです。国民が一心団結して火の玉になつて敵国にあたらう、あるひは国を守らうといふ時には、それの
よりどころとして日本には昔、日本刀があつたんです。あるひは、アメリカには、フロンティア・スピリットが
あつてピストルといふものを彼等は持つてゐます。そこに己の存在をかけますから、おれは命をはつてもこの
モラルを守るといふやうな気構へがある。しかし、あるかないか分からんものに対して、どうして人間はモラルを
かけることが出来るか。自分の全生涯をかけることが出来るか。そこに国民精神分裂の一つの原因とモラルの
退廃が潜んできた。
そこに参りますと、コンベンショナル・ウェポンといふものの戦略上の価値をもう一つ復活すべきではないだらうか。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
203: 2011/02/23(水)16:53 ID:7jsSUgIC(1/3) AAS
人民戦争理論でなくて核でなくて、日本が闘へる、しかし一歩も日本によせつけないといふものを考へますと、
これは、私は英語を使つたコンベンショナル・ウェポンでなくて、日本には日本刀といふものがあるではないか、
日本刀で充分だと云ふ考へに到達せざるを得ない。私は、かういふのは単に比喩としていつてゐるのであつて、
日本は、日本刀だけで守れるとは限りませんから、五十歩百歩と云ふことを考へれば、たとへ非核ミサイルを
持つても、地対地ミサイルを持つても、地対空ミサイルを持つても、核でないから日本刀と同じことなのです。
全く同じことなのです。それならば日本刀の原理といふものを復活しなければ、どうしたつて防衛問題の根本的な
ものは出てこないんです。(中略)使へる武器だけを持つてゐるのは日本の利点だと考へなければいけない。
(中略)そしてここにつまり武士と武器といふものを、武士と魂とを結びつけることができなければ、日本の
防衛体制は全く空虚なものになつてしまふ、といふところが私の考へてゐる最終的のところです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
204: 2011/02/23(水)16:56 ID:7jsSUgIC(2/3) AAS
さて、武士といふものはどういふものか。私は、中曾根長官が就任されたとき、又聞きですから、軽率な判断は
慎みますが、自衛隊は一種の技術者集団である、そしていはゆる武士ではない、などと仰せられた様に仄聞して
をります。私の間違ひだつたら訂正致しますが、とんでもない話である。もし自衛隊が武士道精神を忘れて、
いたづらにコンピューターに頼り、いたづらに新しい武器の開発や、新しい兵器体系といふ玩具に飛びつくことに
よつてしか日本の防衛が考へられないやうになつたら、その体質において自衛隊には超近代軍隊といふものが持つ
非常な欠点が表はれる。それは軍の官僚化といふこと、次は軍の宣伝機関化だといふことだ。そしてかういふことは、
各国の軍隊で非常に困つてゐることでありますが、さらにもう一つ、軍の技術者化。この三つが問題です。(中略)
そのテクノクラットは、このテクノクラシーの社会でなんら軍人といふ意味をもたないのです。大会社の実験を
やつてゐる技術者と軍隊で一番新しい兵器を開拓した技術者と、スピリットとしてちつとも変わらないものになる。
そこに産軍合同の理念があるわけです。
省1
205: 2011/02/23(水)16:58 ID:7jsSUgIC(3/3) AAS
もう一つは、軍のパブリシティといふもの、軍の秘密主義からなるたけ国民にパブリサイズすることとなれば、
軍の主張は必然的に大衆社会に追随することになりますから、いつまでたつても、軍といふものは、男性理念を
復活することができなくて、益々、おふくろ原理に追随しなければならない。もう一つ軍の官僚化といふことは、
軍が戦争しないうちに、あくまで、軍の秩序維持といふことに、頭を労してゐるうちに、シビリアンコントロールが
いきすぎて、軍の体質といふものが、野戦の部隊長といふものを生まなくなる。あくまでも、この静かな奇麗な
官僚機構の中の一環になつて、これは、政府には、非常に喜ばしい傾向かもしれませんが、武士としては、野性の
欠如した、非常に上官にペコペコするやうな、全く下らない人間が出来上る。そして、単なる戦争技術者になつて
一切スピリットが無くなる。このスピリットが無くなる空隙を狙つて、先に申し上げた共産勢力といふものは
自由自在に入つてくるんです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
206: 2011/02/24(木)10:43 ID:ptJ1K2Q5(1/7) AAS
(中略)
よく外国人の記者からいはれますが、私は、小さな会などをやつてゐますから、お前は日本に軍国主義が
復活するのを鼓吹してゐるのではないか、軍国主義を鼓吹するために、さういふ事をやつてゐるのではないか、
といろいろいはれるんです。私はいつも、それについて申しますのは、武士道と軍国主義といふものを、一緒に
扱つたのがアメリカの占領政策の一番悪い処である。アメリカ人は、日本が負けた時に、武士道精神をもつて、
日本の武士道に対する敬意だけを残すといふことを遂にしなかつたではないか。彼等は、日本の武士道と日本の
末期的な軍国主義とを全く同一視した。そのために、剣道もやらせなくなつた。そして、まあ一時は歌舞伎ですら、
非常にこの復讐劇や、侍の精神を鼓吹したやうな歌舞伎はやらせなくなつた。
彼等は、外国人だから、仕方がないけれども、日本の武士道といふものは、軍国主義と如何に背反して悲劇的な
結末にいたつたかといふことを、歴史的に無視したからだといふ風にいつも説明するのです。
省1
207: 2011/02/24(木)10:44 ID:ptJ1K2Q5(2/7) AAS
私が外人に説明しますことは、乃木大将をもつて、日本の軍における、武士道といふものは、一応終つたんだ、
といふ風に説明するんです。(中略)私は、外人に極く概略的に説明しますことは、武士道と云ふものは、
セルフ・リスペクトと、セルフ・サクリファイスといふことが、そして、もう一つ、セルフ・レスポンシビリティー、
この三つが結びついたものが武士道である。そして、この一つが欠けても、武士道ではないのだ。もしセルフ・
リスペクトと、セルフ・レスポンシビリティーだけが結合すれば、下手すると、ナチスに使はれたアウシュビッツの
収容所長の様になるかもしれない。何故なら彼としても、自分自身に対する尊敬の念を持つてゐただらう。自分の
職務に対する責任を持つてゐただらう。しかしながら上層部の命令するとほりに四十万のユダヤ人を焚殺したでは
ないか。日本の武士道の尊いところは、それにセルフ・サクリファイスといふものがつくことである。この
セルフ・サクリファイスといふものがあるからこそ武士道なので、身を殺して仁をなすといふのが、武士道の
特長である。
省1
208: 2011/02/24(木)10:45 ID:ptJ1K2Q5(3/7) AAS
そしてこの三つが、相俟つた時に、武士道といふものが、成り立つのだ、といふことを、外人に説明するんです。
ですから侵略主義とか軍国主義といふものは、武士道とは始めから無縁のものだ。武士道は、セルフ・リスペクトを
もつた人間が、自分の行動について最終的な責任を持ち、そして、しかもその責任を持つ場合には、自己を犠牲に
すること、一命を鴻毛の軽きに比するといふ気持が、武士道の権化で、これがないときには、武士道といふものはない。
ところが戦後の自衛隊にはこのセルフ・リスペクトといふものが常になかつた。また、セルフ・レスポンシビリティーは
あるかもしれないが、これも官僚的セルフ・レスポンシビリティーに堕してしまつたかたむきがある。第三に、
セルフ・サクリファイスについては、遂に教へられることがなかつた。といふのは、あくまでも人命尊重理念が、
先に立つてきたからであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
209: 2011/02/24(木)19:32 ID:ptJ1K2Q5(4/7) AAS
(中略)
一旦終焉した武士道は、どういふ形で生き永らへたか。私は、軍閥といふものは、一朝一夕で成つたとは思ひません。
これは、やはり山県有朋以来の権道主義の政治家と軍人とが徐々に徐々に作りあげていつたものだと思ふのです。
その中では、セルフ・サクリファイスといふ理念は完全に失はれてしまつた。そして勿論、天皇の軍隊であり
ましたから、セルフ・リスペクトの点については欠ける処がなかつた。あるひは、セルフ・レスポンシビリティーの
点についても立派だつたでありませう。しかし、軍の主流は徐々に徐々に、その権力主義と、ファシズムを
受け入れる体制になりつつあつた。そして、全くこの頑固なセルフ・サクリファイスに生きようとする武士は、
段々辺境へ追ひやられてしまつた、まあ、いい例が、ノモンハン事件ですけれども、ノモンハン事件で、
参謀本部がとつた態度は、完全に責任逃れで、現地部隊長を皆自決させて、自分達だけが、一切責任を逃れて、
出世しようとしか考へなかつた。セルフ・サクリファイスの最後の花は、いふまでもなく特攻隊でありました。
省1
210: 2011/02/24(木)19:33 ID:ptJ1K2Q5(5/7) AAS
軍のこれに対して、私に言はせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したもので
ありますが、結局勝ちをしめた統制派といふものが、一部いはゆる革新官僚と結びつき、しかもこの革新官僚は、
左翼の前歴がある人が沢山あつた。かういふものと軍のいはゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としての
ファシズムが結びついて、まあ、昭和の軍国主義といふものが、昭和十二年以降に始めて出てきたんだと外人に
説明するんです。私は、日本の軍国主義といふものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、
全部外国から学んだものだ、と外国人にいふんです。純粋な日本では、さういふものはなかつた。日本の武士とは
さういふものではなかつた。君等がそれを教へたんではないか、(中略)あくまで君等、ヨーロッパ文明の中にある
過酷さが、我々日本を毒したのではないか、我々日本の純粋の武士の魂の中にさういふものはなかつたんだと
いふことを口を極めて説くのであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 301 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.012s