◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
上下前次1-新
171: 2011/02/18(金)15:30 ID:vlCgAgQG(8/9) AAS
(中略)現代社会では、一定の効果と一定のメリットが評価され、それが抽出されてしまふと、たちまちうしろへ
投げ捨てられてしまふ。政治は場当りの効果主義の集積である。
(中略)この「何事か」の積み重ねは、いくら積み重ねても同じ次元の積み重ねにすぎず、そこから別次元の
変革への飛躍は生れない。(中略)
私は文士としてまづ言葉を信ずる。しかし何らかの政治的有効性において信ずるのではない。私にとつての変革とは、
言葉と同じ高度の次元の、決して現象化され相対化されぬ現実を創り出すことでなければならない。そのための
行動とは、死を決した最終的な行動しかなく、それまでの行動類似のものはすべて訓練であり、世阿弥の言ふ
「稽古は強かれ」の「稽古」にほかならない。
変革とは一つのプランに向かつて着々と進むことではなく、一つの叫びを叫びつづけることだ、といふ考へが、
私の場合には牢固としてゐる。前述の自衛隊二分論は、相対的解決策としての変革にすぎぬが、その中にも私の
省2
172: 2011/02/18(金)15:32 ID:vlCgAgQG(9/9) AAS
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。この着眼は
卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだつたからである。彼らはこれらをおそれ、
その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。しかしこの叫びを忌避して、日本人にとつての真の
変革の原理はありえない。近代日本知識人が剣道のあの裂帛の叫びを嫌悪するのは、あれによつて彼らの後生大事に
してゐる近代ヒューマニズムと理性の体系にひびのはひるのをおそれるからだ。あの叫びこそ、彼らの臆病な
安住の家をこはしにかかる斧の音をきくからだ。
変革とは、このやうな叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。その結果が死であつても構はぬ、
死は現象には属さないからだ。うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救ひ上げ、精神の
最終証明として後世にのこすことだ。言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそ
すべてなのだ、と信ずる点で私は古代ギリシア人と同じである。
省1
173: 2011/02/19(土)11:30 ID:YN/FOojl(1/4) AAS
文人の倖は、凡百の批評家の讃辞を浴びることよりも、一人の友情に充ちた伝記作者を死後に持つことである。
しかもその伝記作者が詩人であれば、倖はここに極まる。小高根二郎氏のこの好著を得て、蓮田善明氏は、
戦後二十年の不当な黙殺を償つて余りある、文人としての羨むべき幸運を担つた。(中略)このやうな作品を
小高根氏をして書かせたものこそ、蓮田氏の徳であり、又、その運命の力である。しかも蓮田氏の生前、
小高根氏との交遊が浅かつたことを考へれば、この作品に好い意味でも悪い意味でもみぢんも私心のないことが
首肯され、蓮田氏の文業とその謎の死が、この著作を内的な自然な衝動を以て促したことがすぐ見てとれるのである。
蓮田氏の文業とその壮烈な最期との間には、目のくらむやうな断絶があり、コントラストがある。終戦直後、
蓮田中尉がその聨隊長を通敵行為の故を以て射殺し、ただちに自決したといふ劇的な最期を遂げたとき、これを
伝へ聞いた蓮田氏の敵は、戦時中の右翼イデオローグのファナティシズムの当然の帰結だと思つたにちがひない。
三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より
174: 2011/02/19(土)11:31 ID:YN/FOojl(2/4) AAS
しかし少年時代氏に親炙した私にとつて、この死と私の知る蓮田氏のイメージとの間には、軽々に結び合はされぬ
断絶があつた。
ところで一個の肉体、一個の精神から出たものが、冥々の裡にも一本の糸として結ばれるといふ点については、
蓮田氏の敵もまちがつてはゐなかつた。ただ敵は、そのやうな激しい怒り、そのやうな果敢な行為が、或る非妥協の
やさしさの純粋な帰結であり、すべての源泉はこの「やさしさ」にあつたことを、知らうともせず、知りたいとも
思はなかつただけである。
少年時代に蓮田氏を知つた私の目からすれば、私は幸運にも蓮田氏のやさしさのみを享け、氏から激しい怒りを
向けられたことはなく、ただその怒りが目の前で発現して、私にもよくわからぬ別の方向へ迸つてゐる壮観を
見るばかりであつた。月に一度の「文芸文化」の同人会に、一少年寄稿家として出席を許され、そこで専ら
蓮田氏に接した私の印象は、薩摩訛りの、やさしい目をした、しかし激越な慷慨家としての氏であつた。
省1
175: 2011/02/19(土)11:33 ID:YN/FOojl(3/4) AAS
が、私は、詩人的国文学者としての氏を、古代から近代までの古典を潺湲(せんくわん)と流れる抒情を、何ら
偏見なく儒臭なく、直下にとらへて現代へ齎しうる人と考へてゐたから、氏の怒りの対象については関知する
ところでなかつた。
氏はそのやうな人として現はれ、そのやうな人として私の眼前から去つたのである。
「予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の自分の
文化だと知つてゐる」(「大津皇子論」)
この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る時代の
青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができないのは、多分、自分が
そのやうにして「文化」を創る人間になり得なかつたといふ千年の憾(うら)みに拠る。
氏が二度目の応召で、事実上、小高根氏のいはゆる「賜死」の旅へ旅立つたとき、のこる私に何か大事なものを
省2
176: 2011/02/19(土)11:34 ID:YN/FOojl(4/4) AAS
(中略)
それがわかつてきたのは、四十歳に近く、氏の享年に徐々に近づくにつれてである。私はまづ氏が何に対して
あんなに怒つてゐたかがわかつてきた。あれは日本の知識人に対する怒りだつた。最大の「内部の敵」に対する
怒りだつた。
戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、その怯懦、その冷笑、
その客観主義、その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、
その非行動性、その多弁、その食言、……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、
どのように文化の本質を毒したか、蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のやうな非妥協のやさしさがとらへた
文化のために、憤りにかられてゐたのである。この騎士的な憤怒は当時の私には理解できなかつたが、戦後自ら
知識人の実態に触れるにつれ、徐々に蓮田氏の怒りは私のものになつた。そして氏の享年に近づくにつれ、
省2
177: 2011/02/20(日)12:11 ID:O0Ate/um(1/7) AAS
どうもこの日本人といふのは、防衛といふ問題について、まだ戦争のアレルギーが残つてゐる。すぐ、徴兵制度の
恐怖といふのを考へる。私はこの機会にもはつきり申し上げておきますが、徴兵制度は反対であります。少なくとも
自分の意志に反して兵隊にするといふことは、これからの時代には、私は原理的に不可能なんぢやないかと思ふんです。
そんな兵隊が軍隊にゐたら反戦運動やるに決まつてるし、パンフレットを配るに決まつてるんです。そんな人間で
軍隊が内部崩壊することを恐れるのに比べれば、人数は少なくつてもいいから、やりたいつて奴だけ集めればいい。
それ以外の人間は、もし戦争でも起きたらどういふふうに国に協力できるか。それは各々の軍を持つてやればいい。
各々の軍といふのはどういふことか。その時になつて色んな人間が自衛隊の周りに群がつて来て、「私にも
手伝はせてくれ」つて言はれましても、御飯炊きをする奴がいつぱいゐても困る。普段の平時からそれぞれの
能力に応じて、一旦緩急ある時に協力できる体制を作ればいいぢやないか。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
178: 2011/02/20(日)12:13 ID:O0Ate/um(2/7) AAS
どんなことかと申しますと、例へば自動車の免許であります。(中略)とにかくレジャー時代で、(中略)
今では子供から自動車持つやうになつちやつた。(中略)
私はこのライセンスといふものをですね、全て一種の軍事的な条件付きのライセンスにしたらいいんぢやないかと。
もし日本で戦争が起きた場合には、お前の自動車召し上げるぞ。或ひは、お前、自動車の運転手として徴集するぞ。
さういふ形にして自動車の免許証を取らせることにいたしますと、まあ、中曾根さんのお話では、それは
憲法違反ぢやないか、職業上の自由を阻害することになるぢやないかと言はれましたけれども、プロの運転手に
なるのは別として、今白ナンバーでヨタヨタ走つてゐるのは皆アマチュアで、遊ぶために自動車が欲しいんですから、
「遊びたいと思つたら軍事的義務を負ふ」といふことを日本中あらゆる所にくつつけておけば、その技術が
役に立つ場合が来るんぢやないか。(中略)さうすると日本中に自動車が減つて公害が少なくなつて、非常に
日本はいい国になるんです。どつち転んでもいいことなら、やつた方がいいぢやないか。
省1
179: 2011/02/20(日)12:15 ID:O0Ate/um(3/7) AAS
また、この新宿なんかいらつしやると、西口に副都心といふものがありますね。あの下の方へずつと入つて
らつしやると、相当な地下街があるんです。あれをどうしてシェルター基準にしないんだ。シェルターといふものは、
一メートル、あるひは一メートル二十位のコンクリート壁がまづ必要条件です。ところが、どの壁も薄くつて
そんなシェルター基準に合ふわけがない。さうしますと、この建築基準の中にですね、シェルター基準をすつと
混じり込ませればいいんです。美濃部さんにも黙つてうまくやれるんです。美濃部さん反対するでせうけど。
さういふふうにちよつとしたことで、基準を設ければ、いくらでも軍事施設といふものに転用ができるんです。
平和時代には、そこでネグリジェだのパンティだの売つてる。そして、戦時になれば、忽ち転換して市民を
とにかく安全な場所へ避難させるシェルターができるんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
180: 2011/02/20(日)12:17 ID:O0Ate/um(4/7) AAS
それから、高速道路ですね。あんなねえ、まあ、仮小屋みたいなもの作つてですね、あれは世界銀行から慌てて
金を借りて、オリンピックに間に合はせた一号線なんてのはもうガタが来てる。あんなもの作るくらゐなら、
初めから戦車一個大隊通れるくらゐの建築基準作ればよろしい。今の高速道路では、戦車一個大隊が無事に通れるか
はなはだ危ない。また方々の高速道路でも、まあゲリラかなんかに爆弾しかけられますと、一ヶ所が途切れれば
もう忽ち輸送ができなくなつてしまふ。
さういふ所に平和の時代から軍事的な配慮を入れて、「治に居て乱を忘れず」といふやうなものも、自主防衛の
一つで、国民がレジャーを楽しむ為に何かを我慢する。もう税金取られてるんですから、どうせ。少しぐらゐ
我慢すること、何でもない。さういふ形でギブ・アンド・テイクをやつていかないと、これからの日本はダメだと。
遊びたかつたら、何かちよつと辛いことが一つある。でも、それでも遊びたいつてのは、人間の本性ですから
遊ぶでせう。
省1
181: 2011/02/20(日)20:40 ID:O0Ate/um(5/7) AAS
(中略)
防衛とちよつと話がはづれますが、ある機動隊へ私は話しに行つたことがある。(中略)私は、この機動隊へ行つて、
機動隊諸君の熱情に非常に打たれた。私は実はおまはりさんてあまり好きぢやないんですけれども、機動隊員は
実に好きだ。といふのは、機動隊員は真つ直ぐに自分の行動に挺身するために身体を張つてゐる。さういふ
行動集団である。かういふ連中は実に気持ちがいい。私は彼等と話して非常にいい気持ちになつた。
ところが、その最後にそこのキャプテンみたいな、ちよつと年輩の人でした、私ぐらゐでせう、それが、私が
あまり話が合ふんで心配になつたんでせう。最後にかういふことを言つた。「えー、ミスマ先生、今のおハナス、
大変結構でしたけれども、どうかこの国民ソクンに誤解されないやうにお願ひしたいと思つてをります」
「誤解されないつて、あなた何を言ひたいんですか」「我々は、ミンススギを、デモクラスィを守るためにやつて
ゐるんで、デモクラスィ、守るのが機動隊だつつうことを忘れないやうにお願ひしたい」
省2
182: 2011/02/20(日)20:42 ID:O0Ate/um(6/7) AAS
我々はデモクラシー守るために機動隊をやつてるんぢやないんだ。デモクラシーつていふものを、さういふふうに
簡単に考へて使ふ、そして、さういふふうな形でもつて機動隊といふものを教育してる。機動隊諸君には可哀想だ
けれども、諸君、デモクラシー守るためにどうしてそんな血を流すんだと。デモクラシーは外国からやつてきて、
外国の占領軍が日本に押しつけて去つた、何かはかない根無し草ぢやないか。
それも日本ていふのは、デモクラシーの良いところを明治時代からうんと認めてですね、徐々に徐々に国民の力で、
普通選挙法の成立まで、国民同士が血を流しながら作つてきたんだ。その中で政治制度にいろんな欠点はあつた
けれども、日本なりに一番日本人に適した形の民主主義を作らうと思つて、営々として努力してきたんだ。
それが、戦争に負けて一時御破算になつたけれども、そこの上に接木されたやうな、全くのアメリカのデモクラシー、
日本の風土に何も根ざさないやうな外国から来たデモクラシーを、何で守らなきやならんのだ。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
183: 2011/02/20(日)20:44 ID:O0Ate/um(7/7) AAS
日本人は日本人に一番適した政治制度を、我々の力で作つていくのが本当ぢやないか。外国から押しつけられた
ものをただ守るために、その武装集団が居てくれたつてしやうがないんだ。我々は外国人のお陰で生きてゐるつて
いふよりも、日本人なんだといふやうな反感を、私は感じたことがあるんです。
それと同じやうなことで、自衛隊も、デモクラシーを守るといふやうぢや困る。自衛隊が国連憲章の精神に忠実で
あることはいいんです。しかし、それは結局デモクラシーの方向において国連に繋がるだけであつて、本当に
国民精神の自発的な要求によつて国連に繋がるんぢやなければ、本当は意味がないんです。
その自発的な国民の意志といふものは国民精神からしか生まれない。しかも、その国民精神といふものがですね、
今、目前の色んな政治的事象の中にある、単なる政治化、国際協調主義から生まれるものぢやなくて、日本といふ
ものに対する本当の自信から生まれるものである。その自信は何かといふと、あくまでも文化価値、精神的価値で
あつて、政治的価値ではない。
省1
184: 2011/02/21(月)11:44 ID:iJLgyZEX(1/12) AAS
国民精神といふものは、歴史と伝統と文化との誇りから自然に生まれてくるものである。外国から押しつけられた
教育で、国民の誇りをなくすやうな方向へ日本を持つて行きながら、さうして国民精神を自ら崩壊させる方向へ
持つて行きながら、何をもつてさういふものを基盤にした防衛といふものが成り立ちうるか。
それで、私はまたしても憲法の問題に戻つてくるんです。私共のやうな人間が絶えず憲法を改正しろと言つて
ゐなければ、もう憲法改正の気運は永久にどつかへ消えてしまふでありませう。私はあの敗戦憲法を敗戦の日本に
残した、この傷跡をですね、なんとかして改善しなけりやならんといふことを永年考へてきたんです。しかし、
我々がいくら言つてもダメだといふやうな悲しい事態になつたのに、国民はそれについて憲法改正できないと
いふことは、何を意味するんだといふことを考へないできたんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
185: 2011/02/21(月)11:45 ID:iJLgyZEX(2/12) AAS
それでは憲法改正すりや、ファッショになるだらうか。これが非常に問題なんですね。ナチスはワイマール憲法を
改正してないのは、皆さんご存知と思ふんです。ナチスはたうとう憲法改正事業つていふことを、やつてないんです。
そして、全権授権法つていふのを成立させたのは、ワイマール憲法下で成立させたんです。あくまで平和憲法下で
ナチズムといふものは出てきたんです。この事実、歴史的な事実をよく知らない人間は、憲法改正すれば
ファシズムになる、ナチズムになると言ふんです。
ところが、ファシズムやナチズムになりたかつたら、憲法を変へる必要がないんです。そして、国家の根本の
精神といふものを作り直すには、何もそんな難しいことをやらなくたつていいんだつてことを、だんだんと
分かつてきてるのかどうかといふことを、私は非常に疑問に思つてきたわけであります。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
186: 2011/02/21(月)12:17 ID:iJLgyZEX(3/12) AAS
(中略)
今この危機感が全然ないといふやうな時代になつてきて、今、世界中で一番呑気なのは日本かもしれないんですが、
日本に果たして、かういふ危機がもし生じた場合、対処するやうな大きな精神的基盤があるだらうか。いや、
日本人は大丈夫だ、日本人といふのは放つておいても、いざといふ時にやるさ。ところが、放つておくうちにですね、
お腹の脂肪が一センチづつだんだんだんだん膨らんでくるのが、皆さんの体験的事実としてご存じだと思ふんです。
そして、人間といふのは豚になる傾向もつてゐるんです。
私は今日人間だと思つても、明日自分が豚になるかもしれないといふ恐怖でいつも生きてきた。やつぱり豚に
ならないためには、そして脂肪が蓄積しないためには、絶えず精神を研ぎすまし、例へば日本刀を毎日磨くやうに、
磨いていかなきや人間てのはダメになると。日本人はその一日一日ダメになつていくといふことに気がつかないんぢや
ないか。さう思つてまゐりますと、今の世界情勢といひますか、この国際戦略上の日本といふ国の難しさといふ
省2
187: 2011/02/21(月)12:19 ID:iJLgyZEX(4/12) AAS
(中略)
我々は国際戦略といふものの、一番渦が渦巻いてゐる日本といふ国にゐるんです。日本ていふ国はあたかも
実験室のやうなものです。ベトナムのやうな激しい戦争は戦はれてはゐないけれども、国民の心の一つ一つの
中にですね、さういふ二つの大きな勢力の渦が、どつちが勝つかといふ形で忍び込んできてゐる。その忍び込み方は
非常に巧妙で、騙されやすい。
(中略)
そして、日本ていふ国はですね、天皇陛下を中心にして、まあ、千年以上、二千年近い歴史を、とにかく
日本人独特のやり方によつて生きてきたんです。これが、日本といふものの大事な点であつて、それをどつか
棚の上に上げておいて、ヒューマニズムだとか、国連中心主義だとか、やれ平和尊重だとか、やれ民主主義擁護だとか
言つてみたところで、私は共産戦略に勝つことは絶対にできないと固く信じてゐるんです。
省2
188: 2011/02/21(月)12:20 ID:iJLgyZEX(5/12) AAS
これは、防衛問題で一番難しいところで、うつかり日本人、日本人て言ひ過ぎると、また、軍国主義復活なんて
外国の新聞で叩かれちやふ。だから、さうも言へない。お前、自分で防衛を論ずる場合、何が一番大事だと思ふんだ、
日本を守ることであるつて言ふと、今や多少モンロー主義的になりつつあるアメリカはどう言ふか。よしやつてくれ。
頼もしい。諸君、是非自分で自分の国を守つてくれつて言ふでせう。
(中略)まあ、左翼側に言はせれば、アジア人をしてアジア人と戦はしめよといふやうなのが、アメリカ側の
軍事政策であると言はれてゐる。(中略)
我々は何もそのアメリカのおかげでもつて、民族同士、よその民族主義と戦ふ気持ちは毛頭ない。我々はただ、
日本といふものを守り、せつかく日本といふ国があるのに、それを侵さうとする勢力から守らうとしてゐるに
過ぎない。ただ、その日本人の守らうとする自主防衛の努力と、向うが、よし自分たちでやつてくれといふ
気持ちとは、本当にすつきりと合ふ時があるかどうかは、私は非常に疑問に思ふんです。
省1
189: 2011/02/21(月)12:22 ID:iJLgyZEX(6/12) AAS
日本はアメリカに反抗して生きることはできません、悲しいながら。しかしながら、アメリカの何も手下になつて、
ただかつかつと、まあ残り物をもらつて生きるといふのもプライドが許さない。(中略)自分たちの力でですね、
日本が日本を守るといふことがどういふことかと、その一番現実的であると同時に理念的精神的な問題を、
突つ込んで突つ込んで突つ込まなきやいかん。
で、その基盤になる国民精神とは何であるか、日本の国体とは何だ、国柄とは何だ、さういふものをよおく
突つ込んで考へることが、防衛といふものの一番の問題であつて、さういふことを抜きにしてですね、この次の
ファントムが一機幾らだから税金をどれくらゐ取られるとか、そんなことは何億円、何十億円かからうとも、
末の末の問題だと私は思つてゐる。何よりも、その精神の価値といふものを自分の中に認識したいと、これが
私の今日のお話で、結論になります。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
190: 2011/02/21(月)17:31 ID:iJLgyZEX(7/12) AAS
私は戦後の国際戦略の中心にあるものはいふまでもなく核だと思ひます。そして核のおかげで、世界大戦が
避けられてゐるのも事実ですが、同時に核が総力戦体制をとることをどの国家にも許さなくなりました。なぜなら、
総力戦体制をとつた戦争はただちに核戦争を誘発するからであります。そして世界戦争の危険がさけられると同時に
限定戦争と云ふ新しい戦争が始められました。(中略)ところが、限定戦争の最大の欠点は国論の分裂を必然的に
きたすといふ事であります。なぜなら総力戦体制に入つた場合にはどんな自由諸国でも国民の愛国心がおほいに
高揚されて、国民はいやでもおうでも、祖国のために戦ふといふ信念に燃え立ちます。第二次世界大戦時がさうで
ありました。ところが今は、一方で国家が国家の国際戦略に従つて、限定戦争を行なつても、国内では総力戦体制が
しかれてをりませんから、これに反対する勢力は互角の勝負で戦ふことが出来ます。従つて限定戦争があるところでは、
かならず平和運動と反戦運動が収拾出来ないやうな勢ひで燃え上ります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
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