[過去ログ] ヤフー知恵袋等、デタラメ法律回答どうにかしろよ (452レス)
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(6): 2013/03/14(木)16:30 ID:cmBNOVYl(1/2) AAS
法律相談板や法学板の人間なら、一度は辟易したことがあるんでは?
ヤフー知恵袋をはじめとする質問サイト、特に法律系の回答が、デタラメ過ぎます。

関連スレ(インターネット板)
『ヤフー知恵袋』『教えてgoo』の住民は知障.W
2chスレ:internet
ヤフー知恵袋のDQN回答者たち
2chスレ:internet
433: 2016/04/16(土)10:30 ID:A8k6aCa7(2/21) AAS
これまでの経緯は

この連載の過去記事はこちら

ここに至る前の訴訟の経緯について今一度見てみる。

まず、一審の名古屋地裁は、認知症患者A氏の妻と長男に対して請求額約720万円全額の支払いを命じる判決を出した。これに対し、二審の名古屋高裁は、長男に対する請求を退け、A氏の妻にのみ損害賠償の支払いを命じ、かつ請求額の半額約360万円のみの支払いを命じた。

責任主体を妻だけに認めた理由は、妻は同居をして現実に介護を行い、日ごろのA氏の行動を制御できる立場にあるから監督義務者としての義務があり、かつその義務を怠らなかったとは言えない一方、
長男は介護方針を決めることに関与はしていてもA氏の介護に日頃関与していたわけではないから、とされた。
省2
434: 2016/04/16(土)10:31 ID:A8k6aCa7(3/21) AAS
これに対し、最高裁は、長男はもちろん妻についてもJR東海への損害賠償義務を否定した。最大の争点は、妻が民法第714条1項にいう認知症患者(責任無能力者)に対する法定の監督義務者としての立場にあるか、
あるとした場合に監督義務者としての責任を果たしていたかどうか、という点であった。しかし最高裁は、そもそも妻は監督義務者の地位になかったと判断したのである。

高裁では、夫婦の協力扶助義務(民法第752条)や事故当時の精神保健福祉法、成年後見人の身上配慮義務の趣旨(民法858条)などを理由として、同居をしている夫婦の一方が認知症などにより自立した生活ができない場合には、
特段の理由がない限りもう一方の配偶者が認知症患者に対する法定の監督義務者に該当すると判断していた。そして、A氏の妻も要介護1の認定を受けていたとはいえ、監督義務者としての地位を否定する特段の理由はないとしていた。

妻は「監督義務者」にあたらず

ところが、最高裁は、本件における妻の監督義務者性を否定した。事故当時の精神保健福祉法や、民法上の成年後見人の身上配慮義務は現実の介護や認知症患者に対する行動監督までは求めていないし、
夫婦の協力扶助義務は抽象的な夫婦間の義務であって、第三者との関係で配偶者として何かしなければならないものではないとした。

関係法令にいう「配偶者の義務」は認知症患者(責任無能力者)に代わって第三者に損害賠償すべき「法定の監督義務」には直結しないとしたのである。
省2
435: 2016/04/16(土)10:32 ID:A8k6aCa7(4/21) AAS
最高裁は、この点、法定の監督義務者と同視するためには、「認知症患者を実際に監督している」もしくは「監督することが可能かつ容易」であるなど、
「公平の観点から認知症患者の行為に対する責任を問うのが相当といえる状況にある」といえることが必要、という基準を示した。

そして、本件では、妻自身も85歳と高齢なうえ要介護1の認定を受けており、長男の補助を受けて介護していた、という事実に照らして、

A氏の第三者に対する加害行為防止のための監督は、「現実的には可能な状況にはなかった」として法定の監督義務者と同視できないと判断した。

あわせて、長男についても、A氏と同居しておらず接触も少なかったとしてやはり法定の監督義務者とは同視できないと判断した。

→次ページ親族の責任のあり方に判断示す
436: 2016/04/16(土)10:32 ID:A8k6aCa7(5/21) AAS
今回の最高裁の判断は、認知症患者が起こした第三者に対する加害行為について監督義務者(と同視できる者)の地位を認めるためには、単に法令上監督義務がうたわれているだけでは足りず、「現実に具体的に加害防止のための
監督ができるかどうか」という視点から具体的に判断するということを示した点で重要といえる。無理を強いない、という点では、より現実に即した判断ということもできよう。

今回の判断では、妻を法定の監督義務者(と同視できる者)としたうえで、妻が「監督義務を怠ったとはいえない」として免責する手法もあったと考えられるが、そもそも法定の監督義務者(と同視できる者)の地位を認めなかったという点は注目される。

認知症患者が主体となった事故の責任のあり方、特に介護に関わっていた親族の責任のあり方について、司法として一つの判断を示した重要な事例ということになろう。

また、詳細は割愛するが、裁判官による補足意見や意見が3つ加えられている。いずれも監督義務について示唆に富む意見であり、今後の議論の参考になろう。

もし妻が「監督義務者」だったら?
省5
437: 2016/04/16(土)10:33 ID:A8k6aCa7(6/21) AAS
今後の課題といっても、本件のような不幸な事故が再び起きて司法の場に持ち込まれる前に、重度の認知症患者の介護の在り方、特に第三者に対する加害行為防止のあり方を議論する必要がある。

2025(平成37)年には認知症患者が700万人にも達するという推計もある中、そして、厚労省が「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」のもと、認知症患者が可能な限り住み慣れた地域で生活を続けていくための整備をするとしている中、
特に症状の進んでしまった認知症患者の介護の在り方、社会内における対応の在り方を、行政も立法も社会も真剣に考えることがより一層望まれるところである。

鉄道の安全対策も課題に

最後に、鉄道事業者からの視点についても述べておきたい。

事故が起きている以上、責任や過失の所在はさておき、認知症患者の行動によって事故が惹起され、鉄道事業者が損害を受けたという事実は動かない。事故態様によっては、逆に安全確保が不十分であったという理由で、
認知症患者の遺族から鉄道事業者が賠償請求を受けるという事態もあり得る。
省5
438: 2016/04/16(土)11:23 ID:A8k6aCa7(7/21) AAS
「さかのぼって処分することは困難」少女誘拐「卒業取り消し」問題で揺れる千葉大
弁護士ドットコム 3月29日(火)14時59分配信
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp

約2年間行方不明になっていた埼玉県朝霞市の女子中学生が保護された事件で、未成年者誘拐の疑いで身柄を確保された容疑者の男性が通っていた千葉大学が「卒業取り消し」の検討を始めると記者会見で表明したことが波紋を広げている。

弁護士ドットコムニュースが3月29日、千葉大学に問い合わせたところ、広報担当者が「(誘拐事件が起きた約2年前まで)さかのぼって処分することは困難という見方に傾いている」と語った。

3月28日の記者会見で、大学側は今回の事態を受けて、約2年前までさかのぼって、停学などの処分を適用する可能性があるとの見解を示していた。以降の出席が無効となり、在学期間が不足するため、卒業要件を満たせなくなるという考え方だ。

この見解をめぐって、ネット上などでは「さかのぼって適用ができるのか」「学業とは別の話だ」などの指摘があった。弁護士ドットコムニュースが電話取材したところ、千葉大の広報担当者は、会見で表明した方針とは異なる状況になっていることを説明した。
439: 2016/04/16(土)11:25 ID:A8k6aCa7(8/21) AAS
●「法律的に難しい」との厳しい意見が出た

「会見の後、本当にさかのぼって適用できるのか、内部で議論になりました。結論から言うと、現在は『さかのぼっての適用は困難』という見方に傾いています。法学の教授らから『法律的に難しい』という厳しい意見があったためです。対応を慎重に検討しなおしています」

現在、千葉大では、3月23日に卒業した男性が、4月になるまでは同大の学生と言えるのかどうかを調査しているそうだ。

「取り消しを前提にしているわけではありませんが、卒業しても3月の末日まで、大学になんらかの効力があるのではないかと考えられるためです」

さらに、取り消しの根拠についても、「容疑者がまだ逮捕されておらず、大学が当事者から話も聞いていないのに、何をもって、(処分を)一方的に決めるのか、という部分もあります。多角的に検討して、なるべく早めに方針を決めたいと考えています」と語った。
省10
440: 2016/04/16(土)11:31 ID:A8k6aCa7(9/21) AAS
女子中学生監禁事件、「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である
千田有紀 | 武蔵大学社会学部教授(社会学) 2016年3月30日 7時19分配信
外部リンク:bylines.news.yahoo.co.jp

朝霞市で誘拐され、監禁されていた女子中学生が逃げ出し、約2年ぶりに保護されたという。子どもの身の上を心配し、活動されていた親御さんもホッとされただろう。よかった。

ところで予想されたことであるが、「なぜ逃げられなかったのか」を検討する報道が続出している。もちろん、なぜこんな監禁事件が行われてしまったのか、それを悔やむ無念さからでもあるだろう。しかし当初監禁されていた千葉市や、
その後の引っ越し先の東京中野区のアパートの鍵のかけられ方、そして壁の厚さや部屋の配置を執拗に検討し、「周囲に物音は聞こえたのではないか」「声を出せば届いたのではないか」を問いかける報道があまりに多く、目に余る。

例えば、女子中生監禁の部屋「声を出せば隣に聞こえた」 なぜ現場周辺では誰も気づかなかったのか?という記事(外部リンク:headlines.yahoo.co.jp)では、検針を担当しているという電力会社の社員の声を次のように紹介している。
441: 2016/04/16(土)11:32 ID:A8k6aCa7(10/21) AAS
「(寺内容疑者が引っ越してくる前の話にはなりますが)、ブレーカーを修理する際に、部屋の中に入ったこともあります。ごく普通のワンルームという印象で、
とくに防音がしっかりしているような様子はありませんでした。玄関のドアも薄く、(女子生徒が)大きな声を出せば隣の部屋や外に必ず聞こえたはずだと思います」

出典:女子中生監禁の部屋「声を出せば隣に聞こえた」 なぜ現場周辺では誰も気づかなかったのか?
もちろん、そのあとに「何か大きな声を出せない理由があったのかもしれません」とも続けられる。だが、大きな声を出せない理由は、「監禁されていたから」以外にあり得ないだろう。
「監禁されていたから、もしも失敗に終わったら、
加害者にさらにどんな目にあわされるかわからない。ひょっとしたら殺される事態だってあり得る。だから声を出さなかった」。被害者だって、それくらいの損得勘定はするだろう。

監禁された人間が、相手に底知れぬ恐怖をもつことは容易に想像される。被害者の生命や健康は、ひとえに加害者にかかっている。犯罪被害者は、加害者の機嫌を損ねたら危害を加えられることがわかっているため、
過剰に加害者へと同一化し、
愛着すら持つという「ストックホルム症候群」という心理状態も知られている。この女子中学生は報道を見る限りかなり冷静であり、加害者に過剰な同一化をしているようには見えない。だからこそ隙を見て、逃げ出すことができたのだ。
逃げ出せたことが、むしろ称賛されるべきだろう。
省2
442: 2016/04/16(土)11:33 ID:A8k6aCa7(11/21) AAS
また「理由」である。監禁されていたアパートから逃げるのに、「理由」が必要だろうか。「両親と会いたいという気持ちが高まった」というのは、「アパートから逃げることを決行する勇気をもてた理由」なのではないか。
これでは、逃げなかったのは「両親と会いたいという気持ち」の「高まり」が十分でなかったかのようにすら読めてしまう。

逃げなかった理由としてあまり指摘されていないように思うが、大きな理由のひとつは、(私の記事を含む)こうした報道だろう。「なぜ逃げられなかったのか」「何があったのか」という視線にさらされ、
根掘り葉掘り報道されることを考えれば、想像力があればあるほど、
逃げる勇気がでなくなる。監禁から逃れたあともまた、違う被害にさらされるのであるから。事態を理解すればするほど、勇気を必要とするだろう。

そもそも、「なぜ逃げなかったのか」という問いの答えは、「逃げられなかったから」という同語反復以外にない。他の犯罪でこのような問いかけがされるだろうか。
「なぜナイフが取りだされて殺される前に、逃げなかったのだろう」「なぜひったくりにあう前に、気が付けなかったのか」
。少し考えるだけでも、おかしさに気が付くはずだ。

逃げられるなら、逃げている。逃げられないのは、心理的、物理的、さまざまな理由で、逃げられないからである。こうした報道自体が、
不幸にして次の監禁事件が行われた場合、被害者の救出をさらに困難にしないだろうか。次の被害者を出してしまう可能性すらある。助けられなかった無念さはわかる。しかし、「なぜ」を問いかけるのはやめたほうがいい。
省6
443: 2016/04/16(土)12:05 ID:A8k6aCa7(12/21) AAS
女子中生誘拐事件、容疑者「父親お詫び」が物議 「謝罪相手違う」「親が謝る必要ない」
J-CASTニュース 4月2日(土)14時59分配信
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp

埼玉県朝霞市の女子中学生が約2年ぶりに保護された事件で、未成年者誘拐の疑いで逮捕された寺内樺風容疑者(23)。その父親とみられる男性が、自身が経営する防犯グッズ販売店のホームページ(HP)上で
「お客様、お取引先様をはじめとする関係者の皆様」に対するお詫び文を掲載した。

 スポーツ紙などが2016年4月1日に報じたこのニュースが、いまネット上で物議を呼んでいる。ツイッターやネット掲示板などでは、「被害者に謝れ」「謝罪する相手を間違えてる」との指摘が上がる一方で、
「成人の犯罪を親が謝る必要ない」「親には何の関係もない」と疑問を呈するユーザーもいる。

■実家の防犯グッズ店「当面の営業を自粛させていただきます」

 寺内容疑者の父親とみられる男性は、遅くとも2016年3月31日時点で「謝罪文」を掲載していた。「弊社近親者に関する報道についてのお詫び」と題した文章で、経営する防犯グッズ通販専門店のHP上に、
省7
444: 2016/04/16(土)12:06 ID:A8k6aCa7(13/21) AAS
「成人」の犯行で、なぜ親が出てくるのか

 こうした日刊の報道を引き金として、ネット上では「父親のお詫び文」について賛否両論の意見が相次ぐことになった。ツイッターやネット掲示板を見ると、

  「被害者と家族にわびるべき。謝罪する相手を間違えてる」
  「父として少女の親御さんに手紙の一つも書くのが筋」
  「取引先に謝る前に被害者に謝れよ」

などとして、お詫び文の内容に批判的な意見が目立った。だが、その一方で、

  「成人の犯罪を親が謝る必要ないでしょ」
  「お父さんが犯罪をしたわけじゃない」
  「犯行時もう成年だったんだろ。なぜ父親が出てくるんだ」
省10
445: 2016/04/16(土)12:07 ID:A8k6aCa7(14/21) AAS
2014年3月11日(火)

謝罪会見オンパレード。なぜ火に油を注ぐか
外部リンク:president.jp

しかも、阪急阪神ホテルズの出崎弘社長(当時)は記者会見で「偽装ではなく誤表示だ」「あくまで社員の知識不足によるもの」と、とんでもない発言をしました。
「私は寝ていないんだ」といった雪印乳業の石川哲郎社長、「知らんといえ」の船場吉兆の女将に匹敵する、記者会見史上に残る大失敗といっていい。

一口に食材偽装といってもさまざまで、非常に安価な食材を仕入れ高い値段で販売するような偽装もあれば、価格も味もほとんど変わらない偽装もあります。しかし、「偽装」という視点で見ればいずれも偽装であり、弁解の余地はありません。

飲酒運転で警察に捕まった人が「水だと思って飲んだら日本酒でした。だから飲酒運転ではなく誤飲です」と言い訳したところで通用しません。ところが阪急阪神ホテルズの社長は、記者会見で酔っぱらいの言い訳と同じようなことをいってしまったのです。
446: 2016/04/16(土)12:08 ID:A8k6aCa7(15/21) AAS
【ネット】ガチャ炎上中の「グランブルーファンタジー」が謝罪 ユーザーからは「謝罪になってない」「そこじゃない」などの声も★3 [無断転載禁止]c2ch.net
外部リンク:da★ily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1452287957/

ただ、本当にアンチラだけ出現率が低かったのかについては言及されず、コンプガチャ疑惑のあった
「クロスフェイトエピソード」についても特に触れられませんでした。今回の説明に納得していないユーザーも
多く、Twitterでは「火に油を注いだだけ」「説明にも謝罪にもなってない」といった不満の声が依然として
多く見られました。
447: 2016/04/16(土)12:10 ID:A8k6aCa7(16/21) AAS
「やさしさ」が導く“一発レッド社会”――ベッキー、宮崎議員、ショーンK、“謝罪”の背景にある日本社会
松谷創一郎 | ライター、リサーチャー 2016年4月7日 5時30分配信
外部リンク:bylines.news.yahoo.co.jp
パターン化する謝罪術

パターン化する謝罪術

今年に入って目立つのは、ズバリ“謝罪”です。ベッキーさん、宮崎謙介議員、そしてショーンKさん等々――毎月数人の謝罪が報道されている印象があります。このとき毎度気になるのは、いったい誰に対して何を謝っているのだろうか、ということです。
彼らに本気で怒っているひとよりも、ゴシップを楽しんでいるひとが大多数なのでなおさらそう思います。

それでも、この3者のなかでももっとも謝罪に成功したのは、やはりショーンKさんでしょう。ラジオでの涙声の謝罪は、多くのひとの同情を誘いました。もちろんショーンさんの場合は、そもそも視聴者の被害者意識が強くなかったことも関係しているのでしょうが。

対して大失敗だったのは、ベッキーさんです。謝罪後に、会見前日のLINEやりとりが流出してしまい反感を買ってしまいました。不倫相手のLINEが不正にアクセスされたことのほうがずっと問題であるにもかかわらず、そのことは吹っ飛んでしまいました。
省3
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(1): 2016/04/16(土)12:12 ID:A8k6aCa7(17/21) AAS
千葉大がそこまでビクつくのは、日本が“炎上”だらけの怖い社会になってしまったからです。なにかしくじったら、深々と謝罪をし、長期の低迷を余儀なくされます。しかしそれ以上に怖ろしいのは、
謝罪しないことで炎上がネットで際限なく拡大し、再起不能の大ダメージ――一発レッドカードを喰らうことです。謝罪とは、その判定をイエローカードに留めるためのものなのです。

いまや日本は、完全に“一発レッド社会”の恐怖に包まれています――。

謝罪とはなにか

謝罪が目立つ背景には、日本社会の複数の特徴が見え隠れします。“炎上”がネットで頻繁に見られることはもちろんのこと、企業などではコンプライアンスの浸透もあるでしょう。さらに、土下座や切腹、はたまたヤクザの指詰めなど、
謝罪における過度に自罰的な文化もあります。

それにしても、こうした謝罪とはいったい何なのでしょうか?
大渕憲一『謝罪の研究――釈明の心理とはたらき』(2010年/東北大学出版会)大渕憲一『謝罪の研究――釈明の心理とはたらき』(2010年/東北大学出版会)
社会心理学者の大渕憲一さんによる『謝罪の研究』(2010年)は、その書名どおり謝罪を考えるうえで参考となる一冊です。そこでは、さまざまな実験結果をもとに、謝罪の中核的な要素がふたつあると論じられています。ひとつが「私が悪かったです」といった「責任受容」、
もうひとつが「申し訳なく思っています」といった「改悛表明」です。これらに加えて、被害者へのいたわりや赦しを請うことなどの要素を盛り込めば、さらに謝罪は効果的になると述べられています。
449: 2016/04/16(土)12:13 ID:A8k6aCa7(18/21) AAS
ただ、当人が実はそれほど悪くない場合もあります。たとえば偶発的な事象に巻き込まれた場合や、誤解が生じてしまった場合がそうです。そこでの謝罪は、弁解・正当化・否認などともに4タイプの「釈明」のひとつに分類されます。

この本でとくに興味深い点は、この「釈明」における日本とアメリカとの比較です。ここでは、被害者側の反応に明確な文化的差異が見られました。日本では、謝罪が正当化の2.5倍ほど支持される傾向にありますが、
アメリカでは正当化のほうが謝罪の1.3倍ほど評価されます。
もちろんこれらの反応はケースにもよりますが、大渕さんはこの背景に自己主張を肯定的に捉えるアメリカと、そうではない日本との違いを読み取ります。

なるほどそれは納得できます。大して悪くもないのに(あるいは誤解であるにもかかわらず)ひたすら謝罪する日本人を見ると、アメリカ人にはその場をただやり過ごそうとするポリシーのない人物だと見なされるのかもしれません。

思考停止を招く「やさしさ」

『謝罪の研究』は、謝罪をめぐる心理的メカニズムを知るにはとても良いテキストです。ただ、そこで考えてしまうのは、やはり謝罪があふれる日本社会の様相です。アメリカとは異なり、さほど悪くなくても誰もが深々と頭を下げてばかりです。
そのことによって、問題の究明から離れてしまうことにも繋がることもあります。
省4
450: 2016/04/16(土)12:14 ID:A8k6aCa7(19/21) AAS
「自分の子どもが殺されても、そんなことが言えるのか!」

私もこの言葉を投げかけられたことが幾度かありますが、その発言者の多くは普通のひとびとです。成人を迎えたばかりの若者、子を持つ親、孫のいるお年寄り等々、どこにでもいる善良そうな方々です。
そのひとたちが、被害者側に同情しながら感情をむき出しにしてそう言ってくるのです。

しかし、この言葉にはふたつの問題が隠されています。

森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』
ひとつは、映画監督の森達也さんが著書『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(2013年/ダイヤモンド社)でも指摘したように、「加害者の人権」と「被害者の人権」が対立する概念だと捉えられていることです。
同じ人間である以上、加害者も被害者も同じ人権であることは当然です。

もうひとつは、自分の子どもが加害者になることの想像力が完全に欠落していることです。彼らの想像力は極めて限定的で、エスパーかのごとく被害者の気持ちだけを代弁します。子どもを持つ以上、自分の子どもが加害者になる可能性もゼロでないにもかかわらず。
省1
451: 2016/04/16(土)12:16 ID:A8k6aCa7(20/21) AAS
「ほんとはこわい『やさしさ社会』」

「やさしさ」は、日本社会において暴力的な言動を正当化する大義にもなります。ネットで起きる炎上事件も、その根底には渦巻くのが「やさしさ」であるケースは珍しくありません。

たとえばこうしたケースがありました。

瑕疵のある言動をしたAさんに対し、激怒したBさんが本人に直接強い批判を投げつけました。その対立は、Bさんと仲の良いCさんの参戦によって炎が大きくなり、さらにAさんをかねてから敵視する多くの第三者によって炎上状態に突入しました。

その結果、AさんはBさんに対して「死んでお詫びしたい」と述べるほどの謝罪をします。これを聞いて、BさんやCさんはもとより大勢のひとびとはさらに激怒し、吊し上げの度合いも進みました。
なかには、Aさんを「命を人質にして脅迫するな!」と断じたひとまでいます。これは、Bさんに対する思いやりの裏返しです。被害者への「やさしさ」が、加害者への無制限の糾弾を正当化しているのです。
省5
452: 2016/04/16(土)12:17 ID:A8k6aCa7(21/21) AAS
(※1)。

内集団には優しいのに、外集団には冷たいことは、日本社会の特徴としてむかしから指摘されてきたことでした。社会学者・宮台真司さんの「仲間以外はみな風景」とは、この状況を一言で表した言葉です。
森真一さんはこの内集団と外集団の格差――「思いやりの落差」が、「やさしさルール」の厳格化により年々拡大しているのではないか、と論じます。

たとえば、先進国のほとんどで廃止されつつある死刑制度が、日本では存置されているだけでなく80%を超える高い支持をされるのも、「やさしさ」と無関係ではないのでしょう。被害者への「やさしさ」が、加害者に対する死刑(合法的殺人)を正当化しているのです。

チャールズ・チャップリンは、連続殺人犯を描いた1947年の映画『殺人狂時代』の最後で、自身が演ずる主人公にこう言わせて死刑台に向かいました。

「ひとり殺せば悪党で、100万人だと英雄です。数が殺人を神聖にする」
省1
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