「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って? (675レス)
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285: Now_loading...774KB [sage] 2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:bb9lNcFU parafla!感謝祭は大きく目立つことはないけれど、個性的だったり、面白い作品がかなーりある気がします。 今回はいろいろ悪条件が重なった中で、それでも作品が集まり……気負わずに息長く続いて欲しいイベントの一つ。 感想、読みました。もう、すんごく心血そそいで書いた感じがあって、面白かった。 時間が経つのはあっという間だなー。 時というのは本当に儚い。(8000歳くらいまで年をとって、悟りを開いてくだされば) 最近2chという場も脆いと思える事件があり。巻き込み規制も控えてるし。 自分には何がどうこう出来るものじゃないけど、ただただ今の当たり前に、感謝です。 >PokerFaceUp とても血が通った温かく熱い作品だなーと思いました。 AIのようなプログラムされた機械な感じを、AAキャラが打ち消してる。 かと言って長い演出でもなく、むしろモーションが独特のテンポを作っていて、ゲームにノルことができる。 中毒になる感じが、ああ、とてもわかります。楽しそう。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/285
286: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/07(土) 14:17:24.47 ID:ofN1Znau メモメモ ・あぐ(略 ttp://www.youtube.com/watch?v=E_EaOef4qFY うん、可愛い。 途中からの展開は、タイトルから乖離している。たぶん作者の意図や思惑を外れたものだと思う。 でも、そこがいい。 キャラクタは、何を見つめているんだろう、何が起こってるんだろう、作者は何を見つめているんだろう。 そういう想像力を働かせる、微妙な隙間を提供している。と思う。のは自分だけですか。そうですか。 キャラクタが作者の描いた設定、ストーリーから外れて、キャラクタがキャラクタとして動き出す、喋りだす。 それは作者のコントロール不足、という場合もあるけど、 それがずば抜けて高く発揮され、キャラクタとのあいだに強い連帯感を持った時にも起こるんじゃないかな。 こんなのを思い出しました。 「ドラゴンクエスト ダイの大冒険36巻」から引用します。 漫画の原作を書いていて一番驚いてしまう時、感激する時……それはキャラクターが勝手にしゃべりだす瞬間です。 自分が設計図をひいて、稲田先生と組み立てたはずのキャラが計算外の行動をとり、 まるで生きているかのように台詞を口にしはじめるのです。ぼくはそれを書き写すだけ。 そしてこの巻で、このキャラは、このシリーズを強く深く印象づける名セリフを叫びます。 ちょっと大げさかもしれないけれど、途中までで作者は映像を切ろう、恐らくボツにしようと思っていただろう次の瞬間、 この動画でもキャラクタが動いてくれます。 タイトルの対象から離れ、けれども興味津々の眼で世界を見つめてくれます。作者はそれを見守り続けます。 そこにあざとさはなく、ほんわりとした優しさが満ちています。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/286
287: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/07(土) 14:23:01.09 ID:ofN1Znau しかも、この作者さんは過去作も凄いです。 ttp://www.youtube.com/watch?v=zpEMLFcrpUo なんだ! このシンクロ具合は! ttp://www.youtube.com/watch?v=FeUSUtVLjAo 奥行きを意識した構図、カメラ。 キャラクタの可愛らしさ、シチュエーションのお膳立ては勿論のこと、緩急が自然と作られていて。 あくびをします。平然と。自然と。 その油断を狙ったかのように、動画は動き出します。 その模様は、台詞が浮かんでくるような、思わず当てたくなるような、そんな妙味が。 ただ本当に台詞を当ててしまうと、多くのテレビ番組がそうであるように、嘘臭さや人間万能な匂いがしてしまい、失敗してしまうと思うのでここは控えます。 この作品は天が与えてくれた偶然の産物なのかもしれませんが、それを産むまでの沢山の時間とチャレンジがあったように思います。 よっぽどの愛好家じゃないと出来ないくらい。 というか運だけでこんな場面をごく自然に演出できたとしたならば、タカラクジ当選者くらい羨ましいです。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/287
288: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/07(土) 23:30:50.29 ID:f4it0Ytv なるほど、中々考えさせてくれる動画群でした。 これらの動画の猫は、自分の世界を持っている。それは、飼っている「人」の意図や思惑から自由である「自然」側の存在といえそうです。 ユクスキュルという生物哲学者が、すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考えを展開していて、 これを「環世界」というそうですが、この動画群は「猫の環世界」へと想像力を誘ってくれるものであったと思います。 「人間の環世界」から視点が離れ、一瞬「猫の環世界」との隙間を漂う存在になった。そんな感覚を受けました。 動画においては「人が作ったストーリィの全能性を疑ってみる」というのも、一つの顧みるべき視点なのかも。 そういう主題で作られたFLASHも趣きが深そうです。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/288
289: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/07(土) 23:59:54.32 ID:f4it0Ytv そういえば、宮崎駿監督が引退してしまいましたね。ジブリ好きとしては寂しい。 ジブリの作品も、「自然」と「人間」の関わりについて描いたものが多かったように思います。 まあジブリが無くなったわけではないので、今後の展開を見守っていきたい。 せっかくなので、印象に残っている歌詞の鑑賞を書いてみようかな。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/289
290: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 00:12:26.86 ID:B01lO3bN 「べてらん先生の名文鑑賞教室」みたいな感じのが始まります。 今回のテーマは「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」である。 歌詞は以下の通り。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る >果てしなく 道は続いて見えるけれど >この両手は 光を抱ける >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/290
291: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 00:13:20.64 ID:B01lO3bN (中略) >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも何度でも 夢を描こう >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ >海の彼方には もう探さない >輝くものは いつもここに >わたしのなかに みつけられたから 以上となっている。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/291
292: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 00:39:16.91 ID:B01lO3bN >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい さて、まず最初の部分であるが。 「胸の奥で心躍る夢を見たい」というのは、人なら抱くであろう普遍的な気持ち。 「なぜ見たいのか」と問われてもここですぐに解釈することは難しい。 そこで明らかにすべきは「呼んでいる」とは「誰が、誰を呼んでいるのか」であろう。 それに関しては、この部分だけではさすがに情報が足りないので次にいく。 >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える 「かなしみは数えきれない」も人間における普遍的な事象といえる。 では、「その向こうで会えるあなた」とは、果たして誰なのであろうか? あえてつっこんで推測することもできなくはないが、ここはひとまず、無理をせず読み進めよう。 >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る >果てしなく 道は続いて見えるけれど >この両手は 光を抱ける 前半は、人間において普遍的な事象。「やっちまったなぁ・・・」と思うたび、人は天を仰ぐもの。 そのたびに、空をあらためて「青い」と感じることが出来る。 人間は普段「空」を当たり前のように見ているが、それを「意識」しては見ていないということがポイント。 「失敗してヘコむ」という「なんでもないこと」を上手く膨らませると、こういう文章になるのだ。 後半については、趣深い比喩が多用されている。 人間を扱った文章で「道」とは基本的に「人生」を指すものと思ってよい。 また「光」は「希望」を指すことが多い。「両手で抱く」は比喩における場合、心理的な描写に使われる。 分かりやすく言えば「失敗ばかりの自分にはこの先の人生は長いと思えるけれど、でも希望を持つことは出来るよね」という文である。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/292
293: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 01:00:34.13 ID:B01lO3bN >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる ここはわかりにくい。 「さよならのとき」とは一体どういうときで、また「静かな胸」とは何を表すのか? そして「ゼロになるからだ」というのも独自の比喩で判然としない。 そういうときは、他の文脈から判断するのがよい。 >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ この部分を読むことで、おぼろげだったこの文章はようやくまとまりを帯びてくる。 はっきりと作者の思いが書かれているここが、この文章の中での「主題」である。 この文章は「生きていく不思議」「死んでいく不思議」に関係し、それは「花・風・街」に共通する。 つまり、評論的にいえば「人間を中心としつつ、生物に限らない広い視野での「生成」と「消滅」への畏敬を描いている」 と解釈することができるのである。 となると、 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える ここの文章の意味が明確に判明することになる。 すなわち「かなしみの向こう」とは「人生の向こう」=「死」であり、 「あなた」とは「死別してしまった人」のことなのだ。 であれば、 「(死別してしまった人が私を)呼んでいる、胸の『どこか奥』で。 (あなたが生きていたときの)心躍る夢を、見(てい)たい。」 と補うことが出来て、これで完璧に意味が通ることになる。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/293
294: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 01:23:29.27 ID:B01lO3bN >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる ここまで読み取ることによって初めて、この部分の意味が判明する。 「さよならのとき」とは「死にゆくとき、もしくはお葬式」であり、「静かな胸」はまさにその視覚的なイメージである。 「ゼロになるからだ」とは、まさに人が「消滅」していくことであり、 「耳をすませる」とは、死者が、そのような動作をしているように見えることの比喩なのである。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも何度でも 夢を描こう では、2番を続けて読み解いていく。 「(死別してしまった人が私を呼ぶこともある)、胸の『どこか奥』で。 (私の人生における)『夢』(というべきもの)を、いつも何度でも、描いていこう」 ここら辺は、単語が前と全く同じ意味や文脈で使われているのかどうか、解釈には熟練を要する。 「主題」については既に触れているが、この歌には「副題」といえるべきものがある。 それは、先に解釈した「失敗ばかりの自分にはこの先の人生は長いと思えるけれど、でも希望を持つことは出来るよね」である。 すなわち、 「人生には失敗がつきものであり、そのたびに人は挫折(=生きる気力の「消滅」)を体験する。 しかし、そのたびに人は希望を抱いて立ち直り(=生きる気力の「生成」)生きていくことが出来る」 ということである。 これを踏まえれば、前述のような訳が自然であろうと思われる。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/294
295: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 01:37:15.65 ID:B01lO3bN >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう 「副題」についての言及が続く。 「あれはかなしい。これは嫌だ。それはどうしようもない」 沢山ある悲しみの原因を、一つ一つ取り上げることはできる。 しかし、それは周りの人間も、自分もより悲しくしてしまう。 それならば、同じ唇でそっと歌い出した方がいい。 少しでも、前向きな気持ちになれるはずだ。 >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される 前半の「閉じていく思い出」は「死別した人との思い出」であり、 その中に、「死別していた人」からの「思い出の一言」があるはずということを述べている。 忘れたくないのは、その人物が生きていた「証」だからである。 ちなみに私も、おばあちゃんが私にかけてくれた言葉を今も覚えている。 「お前はね、私の……宝物なんだよ」 ……やさしかったなぁ、おばあちゃん。今も、空の向こうで元気にしているだろうか。 後半は、「主題」もしくは「副題」について、今一度「鏡」という形でたとえて述べている。 一般論なので、具体的な場面は自由にイメージすることが出来る文章である。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/295
296: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 02:15:15.22 ID:B01lO3bN >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ >海の彼方には もう探さない >輝くものは いつもここに >わたしのなかに みつけられたから この文章の上手いところは、このまとめの文章において、 「主題」と「副題」のどちらでも心に響くように書かれているということである。 すなわち「主題」から解釈するならば、 「はじまりの朝」とは「ゼロになるからだ」が「満たされていく」朝、 つまり人間の「生成」が起こる朝、出産の場面である。 となれば「海の彼方」とは「死者の世界」であり、 もう気持ちの上で「死別した人」に引きずられない(=探しにいかない) ということであり、精神的にふっきれたことがうかがえる。 なぜか? それは、「輝くもの」を「私の中」に見つけられたから。 すなわち、「これから愛すべき子ども」を「宿すことができた」というわけである。 人間の「消滅」=「死別」から、「生成」=「誕生」へとつながる文章の織りなす感銘は、並大抵のものではない。本当に感動した。私が。 一方「副題」から解釈するならば、「はじまりの朝」とは「挫折(=生きる気力の「消滅」)からの立ち直り(=生きる気力の「生成」)の朝」であり、 「ゼロになるからだが満たされていく」というのは、「生きる気力」が満たされていくと捉えることが出来る。 となれば「海の彼方」は「どこか遠く」である。 気がめいっているときは、「どこか遠く」に漠然とした「幸せ」を求めるもの。 しかし、もうそれは探さない。自分の中に「輝くもの」=「はっきりとした目標、希望」を見つけることができたのだから。 こちらの解釈では、なんとも未来への希望で胸が埋め尽くされ、元気が湧いてくる文章である。 総評としては、 多くの人に訴えかける抽象的な普遍性と、人が自身の経験に思い当たることがある具体的な特殊性。 この二つを兼ね備えている、優れた歌詞といえる。 また「主題」と「副題」が絡み合うようにして書かれている点でやや戸惑う構造かもしれないが、 作者の考える「主題」をはっきり明示してしまってそこを拠点とすることで、 あいまいな点を残さずに解釈が周縁部まで可能になる点も非常に良く考えられている。 やっぱり名曲です。おわり。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/296
297: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/09(月) 22:00:37.01 ID:HG8qYEgF あー、この人の猫は、ツボっす。 人と猫の交わりと、その差異の交錯なんて、これなんかもズバッと打たれます。ニヤけてしまう。 入念な下準備と演出とドキュメントと猫の、コブラツイスト。 ttp://www.youtube.com/watch?v=7QdPlSWdLpg >宮崎駿監督 の引退は寂しいんだけど、残念感は少ないんです。自分の場合。 何でだろ? って思うと、一個一個の物語を、その時の技術と情熱を振り絞って、完結させているからかな? トトロやラピュタやルパンとか、まだまだ明日が続きそうな含みを持たせながら、一つの映画としてきちんと幕を閉じている。 そういうのはナウシカとかにもあって、映画のクライマックスで「完結ーっ!」って、満腹感と充実感がある。 漫画の原作は確かもっと続いていたと思うんですが。ナウシカ2を作ってとか思わせないし、匂わせない。これって凄いことだと思う。 ビデオ派の自分は「風立ちぬ」はDVD待ちかな。流石にポニョショックは大きかった。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/297
298: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/09(月) 22:02:13.53 ID:HG8qYEgF >いつも何度でも はメロディが優しいなぁっ、て思っていて。歌詞にまで心が及ばなかった歌です。ランランランってのが一番残っていて。 なるほど、こうして検討していくのを追うと、すげー、いい詩。 何か今までの自分は。 死と生というより、夢(神隠し世界)と日常(引越し先での現実)って感じで、捉えてました。 でも、あの神隠し世界って何だったんだろう。 あの世界で最後の方に列車が出てきて、そういうのは銀河鉄道の夜みたいな生と死の中間点みたいに思えたり。 だめだ、解釈の土台に妄想を使っちゃあ。でもあの神隠し世界は、凄いイマジネーション。近くて遠い世界。その距離感が。 細かいとこだと >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る ここが個人的に大発見でした。なるほど、空を仰ぐ。 もう取り返しのつかない失敗って感じがするんだけど、変わらず青くて広い空って、なんだか一筋の救いというか癒しみたいなのがある。 全体的にかなりシリアスに現実を切り取っているんですが、それ以上の願いや祈り、再生がある感じを受けました。 なんか凹んだ時に聞いてみよう音楽リストに、加えよう。 素敵な歌と、素敵な紹介を、ありがとう! http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/298
299: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/09(月) 22:05:23.37 ID:HG8qYEgF ジブリの歌と言えば、自分は「紅の豚」での歌の使われ方が好き。 あれですよ。最後に成長したフィオの回想って形でたたんで、時間を未来へすっ飛ばして、それまでの物語を想い出にしてしまう。 けれど、次に「時には昔の話をしようか」なんて、飛ばされた過去を手繰り寄せようとする。 なんつーか、昔の話に、「物語内のマルコとジーナの青春」と「終わってしまう物語そのものと、語られないその後」の両方を滲ませていて。 余韻が。余韻がー! ああ、時間の制御がほんと巧み。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/299
300: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/24(火) 17:46:45.02 ID:vwBs38RF 誰も見ていないな。お久しぶりの僕です。 しょーもない。いくら立派な講師がいて中身のある講義をしても、生徒がこんなんじゃ、ダメでしょ。って思います僕は。 あきれ果てた顔が浮かぶ。 ということで久しぶりに草葉の陰から、勢いだけでやってみましょう。僕が。 ・いつも何度でも まず、この歌の危ういところは、この部分。 >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう 1 悲しみ無責任な口先系応援ソングにも成りそうなところだし、 2 悲しみを強く歌ってる本曲の自己矛盾にもなりうる。 1は、まあ、誤解されそう。悲しみと真正面に向きあわないのか? って。 2は更に深刻。この歌そのものを欺瞞にさせてしまいそうな表現だ。 何せ、ここに至るまで、この人はかなしみや死をたくさん描写している。特に >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ に至っては終わりを、個人ではなく自然、人工物、全てに広げている。 街が死ぬも印象的だし、風が死ぬも印象的。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/300
301: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/24(火) 17:47:41.16 ID:vwBs38RF さて、どう繋げていくか…… >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ ここから見えるのは、破壊の中でも、どうしようもないことでも、それを認めて生きていこうという強い意志だ。 「閉じていく思い出」、「砕かれた鏡」、「ゼロになるからだ」、すべてを認めながら、それでも受け入れて生きていこうと肯定する心だ。 締めの歌詞、そこから続くランランランのハミング(敢えて歌詞を載せない)の何と優しいことか。 忘れがちな不意に訪れる悲しみを気づかせ日常に対置する序盤、 そこからの転換、そして悲しみの受容と明日への希望へと踏み出す心を描ききっている。 歌というのは限られた時間、文字で紡がなければならない。 その中で、この複雑な重奏性を、丁寧に切り取った。並大抵な事じゃない。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/301
302: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/24(火) 18:26:14.35 ID:vwBs38RF FLASH/K ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm2167930 歌系ということで。 Bump of chickenの名曲K。 原曲PVも普及していない頃、物語性の強いこれら初期の曲は、頻繁にAA化、Flash化された。 特にこの曲はバンドの名前を「売る」のに大きく貢献したように思える。 原曲にふれてないとギャップによる面白みがわからないっぽいので、未聴な方はこちらを。 絵描きから逃げ出す「走った」から、恋人の元へと「走った」の転換が、胸を揺さぶる。 ttp://www.youtube.com/watch?v=Ee_QaBjj08c 本編へ。 観ればズバズバ感じるんだけど、笑いどころが沢山ありながら、物語は一本筋が通っている。 てきとーな絵も、幼稚園児的な幼さがありつつ、意味不明っぽさは控えめで、テンポ良く進む。 悪ふざけ、ながらも、センスといってしまっていいのだろうか。何か妙な迫力がある。 下手の一言で切って捨てる人もいるだろうけど、僕は笑った。この系統のFlashでは一番、印象に残った。 ニコニコならではの観客の激しくも温かい目が、それを支える。 そして、鮮烈なオチ。冒頭部分から予告されているのだけど、これは反則スレスレの際どさ。 これは面白い。 でも、真似ようとフォローしても、正に罵声と暴力が返ってきそうな、そんな域にある。 自力のようなものは後半のメグミルクあたりから伺える。でも、ここはカットしてしまったほうが潔くも思える。ここで、頑張ってる感が、出てしまった気がする。 まー、凄いです。洗練された武器はなくとも、ここまで闘えたっていうのは、何か嬉しいです。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/302
303: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/24(火) 19:25:42.35 ID:vwBs38RF 昔はFlashがネット上でも夢を見れる時代だった。 gagaシアター(だっけ?)、デジタルジャンプ、ライブドアネットアニメといった、登竜門的な場が多くあった。 今ではもう、どれも無くなってしまった。 その中でも日本でのshockwaveが撤退してしまったのは本当に残念だ。 後に商用で出る「zoo keeper」「或る旅人の日記」「catman」といった人気コンテンツは胸をときめかしたし、 何百とあるジグゾーパズルには文字通り何百時間も暇を潰してもらった。 その中で「或る旅人の日記」を。 ・世界観、スケール感 とにかく連作短編アニメーションで、これだけ世界を豊かにイマジネーションさせる作品は稀だ。 独特の色使い、寂しさと朗らかさを持つ音楽、さりげなくも豊かに流れるアニメーション、それと静との対比。 ファンタジーっぽくも、どこか感じさせる身近さ、世界での現実への親和性。 ・シリーズとして 連作としても、一話一話がまるで日記の一ページのように完結する心地よさと素晴らしい余韻。 一話一話の連載間隔の驚異的な短さ。 適度な飢餓感を持って終わる、何とも言えない後味。 その飢餓感は、同作者のアカデミー賞作品でも、DVDのボーナストラックでも満たされなかった。 どうしても続きを読みたいのだけど、たぶんもう本人でも作れない、そんな奇跡的な作品にも思える。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/303
304: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/24(火) 19:28:08.86 ID:vwBs38RF ・透明な主人公 この作品は世界のファンタジーを鮮やかに提示する。けれど、この主人公、とても透明感がある。 ずばねけた特技や行動力もなく、旅人ならではの朗らかな陽気さや静かな陰気さもない。さりげない、何だろう、アクが薄い。 一人旅の目的自体、伏せられたままだし、目的地も曖昧だ。個人的には、ずっと旅をし続ける人なのかな、との思いがある。 トルタニアという世界は不意に、大きなファンタジーを旅人に与えるのだけど、旅人はとても受動的。 ファンタジーは世界にあって、主人公にはない。 そしてそれに出会うとき、主人公はさり気ない驚き方をするのだけど、体でジェスチャーしたり、動揺してどなったり等、感情を表に出さない。 能動的に行動したのは、雨の街での悪夢を焼却しようとする部分くらいだ。 だからこそ、感情移入しやすい。 共に一人旅をしているような一体感が気持ちを覆い、着心地のいいセーターのようなナジム感じ、一体感がある。 彼も僕たちもトルタニアの旅人なのだ。 DVDでのエピソードに今ひとつ共感できなかったのは世界観の色合いなどよりも、陽気に踊ってしまった彼に、とても残念な思いをしたからだと思う。 ・二話 具体的に最もお気に入りの二話目を見ていこう。 真夜中のコーヒー。喫茶店。ここでもうドラマがある。眠れなくなるコーヒーを深夜に飲む主人公、なぜか営まれるコーヒー店、ほかに客はいない。 これだけでワクワクさせる舞台設定が、溢れている。 きっと、です。目新しさや独特といったような世界観もいいけど、こんな感じに組み合わせの妙な世界の表現の仕方が、僕は好きだった、んだと思う。 さて、この作品。間の使い方が自然で丁寧。 3分にも満たない全体の尺にも関わらず、旅人がコーヒーの砂糖をツボからだし、コーヒーに入れるまで、かなりの時間をとっている。 けれど、この精緻で現実的な描写があるから、その次に起こる日常的なファンタジーにどきりとする。 そして、オチの独白の何ともいない不思議さと寂しさ。それに優しさ。 観る人によって、感じる印象はたくさんあると思う。でも、多くの場合、少しほろ苦く、気持ちいいものになるんじゃないかな。コーヒーのように。 なんだろう。この作品は折に触れて輪廻でまだ何回も触れていくことになると思う。観る栄養剤。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/304
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