[過去ログ] はじめての認知行動療法 4 (1001レス)
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889: 2014/07/04(金)23:56 ID:+OSSX9SN(23/23) AAS
>>877の英文を読めばあなたが誤読とわかるでしょうが。
もしかしてバカ?ふわっと誤読?
890: 2014/07/04(金)23:59 ID:8QdAtfxE(1) AAS
まさか>>877に引用した原文が、ヒューム著、ヒュームの言でないとはいわないだろうね。
ヒュームの英語は分かりやすいよ。
891: 2014/07/05(土)00:04 ID:l9LH1ahE(1/5) AAS
>>887
素人のあなたに高級な解釈の妥当性がわかるわけないじゃない。
英文は訳をかいさず本物だから。
ほんとに何の反論にもなっていない。
892: 2014/07/05(土)00:05 ID:l9LH1ahE(2/5) AAS
で、どこが誤読でないと?>>877を引用して具体的には?
893: 2014/07/05(土)00:09 ID:l9LH1ahE(3/5) AAS
で、どこが誤読でないと?>>877を引用して具体的には?
百歩譲って逐語訳の引用を認めるよ。
894(1): 2014/07/05(土)00:11 ID:l9LH1ahE(4/5) AAS
あなたはヒュームを読みもせず、
「自明であり、因果関係の認識論、特にヒュームの因果関係に関する「知覚論」「心理的習慣」論の介在する余地はない」以上。」
(>>841)
なんて吠え面かいてたわけ?
895: 2014/07/05(土)00:13 ID:l9LH1ahE(5/5) AAS
>>894の引用部分につき、
逐語的に要件事実と言葉の定義を明らかにして説明してくれよ。
ていってみようか?
896: 2014/07/05(土)00:15 ID:iRxNVYbA(1/2) AAS
裁判長閣下も、要件事実に関する質問はよろこんで認めるだろうね。
897(1): 2014/07/05(土)01:23 ID:vG6EBGJv(1) AAS
まあ要件事実と言うのはギャグとしてだ
英語は弱いのでちゃんとした翻訳本借りてくる。
ただ、「ヒュームが自然的関係に因果関係を認めていない」ってのは通説かなあ?
「哲学でも、ヒュームは、あらゆるものを排除し、否認するのではない。
彼は理知の演繹的論証が絶対に正しく、それによって得られる知識は真知であることを是認する。」
「ヒュームは、観念の意味をロックより厳格に狭く限定し、
これによって観念の関係と事実の関係を峻別し、前者だけを真知の領域とする」
「事実関係でも、この関係が成り立つ事実の世界の存在をヒュームは疑わない」
と大槻さんの解説にもあったし、最初の頃は幾何は認めなかったけど代数は認めてたしなあ。
(これも後でひっくり返したみたいだけど)
省6
898: 2014/07/05(土)13:29 ID:FM2oEvIC(1) AAS
ニュー速+より
>極論を言うと膵臓を持っている人間は
>皆糖尿病になる可能性があるから車の運転をするなとなる。
899: 2014/07/05(土)15:07 ID:xcx6nX8k(1/4) AAS
統計的事実を一回きりの事例へ演繹するのが滑稽だということかなあ。
900(1): 2014/07/05(土)20:44 ID:xcx6nX8k(2/4) AAS
>>897
あなたは自分の形而上の認識が誤りであることを認めた。
>>867
あなたは自分の科学用語の理解が誤りであることを認めた。
次に認めるべきは、それらによって正当化されえない自分の主張の取り下げだ。
また、自分の誤りを認めようとしない態度に発した他人の意見への不当な非難を謝罪すべきだ。
901: 2014/07/05(土)21:06 ID:xcx6nX8k(3/4) AAS
これらは別の問題だ、という反論は当たらない。
なぜなら、あなたは自分の信念の誤りのために間違った主張の仕方を正当化していることに気づいていない。
根拠があるとはいえない、根拠がないとはいえない、根拠があるともないともいえない
の違いを正しく理解していない。
また、「作用機序→治療効果」の矢印が正しいときの条件を正しく理解しようとしていない。
「完璧なる数式」が正しくないのは、それが完璧でないか適用対象や適用の仕方が不適切なときです。
現象論的法則と、それを説明する法則の二つは区別するべきです。
902: 2014/07/05(土)21:26 ID:xcx6nX8k(4/4) AAS
>>ヒュームの論を科学に適用する専門家がいるとは思いませんが
>は一緒だけどね。
>>900をよめばヒュームをわざわざ引用した意図がわかるはずです。
903: 2014/07/05(土)21:57 ID:iRxNVYbA(2/2) AAS
>現象論的法則と、それを説明する法則の二つは区別するべきです。
これを混同してる(でそれに気づかぬ)胡乱な人は、知識人レベルでもいるよね。
興味がちがうってだけなのに。
904(2): 2014/07/06(日)10:44 ID:geNPbocp(1/5) AAS
>>877
まず、その文章は、俺が引用した「人(間本)性論」(A Treatise of Human Nature)じゃなくて、
「人間知性研究」(An Enquiry Concerning Human Understanding)の一つのパラグラフだ。
で、その引用している文章の和訳は
「それゆえに必然性と因果性の観念は、全く自然の作用のなかに観察されうる斉一性から発生するのである。
その場合には、相似する対象は恒常的に連結され、心は習慣によって他方の出現から一方を推理するように決定される。
これらの二つの事情は、我々が物質に帰属させる必然性の全体を形成する。相似する対象の恒常的連関、
およびその結果である一方から他方への推理(inference)を越えては、
我々は必然性あるいは結合のいかなる想念をも持たないのである」(渡部俊明訳 哲書房刊「人間知性の研究・情念論」118頁)
この文章は「想念、観念(notion)」の話であって、「ヒュームが自然的作用の因果関係を認めている」という俺の主張の反論にはなっていない。
省9
905(2): 2014/07/06(日)10:48 ID:geNPbocp(2/5) AAS
ヒュームは自然的作用と自然的作用を観念する知性の問題を峻別し、
自然的作用の因果関係の存在を前提としていることは以下の文章で明白。
「言われるかも知れないこと、すなわち、自然の作用がわれわれの思惟と推論から独立であるということについては、
私はこれを認める。それゆえに、私は、対象がたがいに隣接と継起の関係を持つということ、
類似した対象がいくつもの事例において類似した関係にあることが観察できるということ、
そして、これらすべてのことが、知性の作用から独立で、それに先行するということを、先に述べたのである」
(木曾好能訳「人間本性論」第一巻 法政大学出版局1995年刊 198-199頁)
906(1): 2014/07/06(日)10:49 ID:geNPbocp(3/5) AAS
おすすめの久米暁「ヒュームの懐疑論」において引用されている、
1745年のジョン・スチュアート宛の手紙でも、ヒュームは以下のように述べる。
「あることが原因なしに生じうるというような馬鹿げた命題を私は決して主張しなかったと言わせて下さい。
私が主張したことはただ、その命題の誤りに関する我々の確信は、直感や論証からは生じず、
ある別の源泉から生じるということです。カエサルが存在したこと、シチリアという島が存在すること、
これらの命題に対してわれわれは論証的なあるいは直感的な証明を持たないと私は断言します。
それらの心理やあるいはそれらの確実さまでも私が否定してると思います。
確実性にはさまざまな種類があります。そして、それらのいくつかは、ひょっとすると、
論証的な種類の確実性と同じようには完全でないにしても、精神にとっては満足のいく確実性なのです」(81-82頁)
のように、自然的存在の因果関係を否定していないこと、その認識も否定していないこと、
省1
907(2): 2014/07/06(日)10:52 ID:geNPbocp(4/5) AAS
その他調べた本でも、ヒュームが自然的存在の因果関係自体を否定していると書いた本は見当たらなかった。
「一方でヒュームは、人間の行動等も含めて、自然を支配する因果の確実性を、蓋然性を超えた強度のものと考え、
この点で自然の斉一性を必ずしも疑っていない。」(杖下隆英「ヒュームの因果論」お茶の水書房刊「デイヴィッド・ヒューム研究」67頁)
「ヒュームの議論はピュロニズムの議論ではないということである。
セクストス・エンピリコスの述べているピュロニズムや、モンテーニュの「レイモン・スポンの弁護」における懐疑論は、
『何ものについても、如何なる真なる証明も存在し得ない』という趣旨のものである。
しかしヒュームは、われわれが物事を理解する仕方を二分(詳しくは三分)したのである。
すなわち、(絶対的)知識(knowledge)と蓋然的知識(probability)を彼は分けた。
このことは、すくなくともある種のアプリオリな知識をヒュームが認めていたことを意味する。」(神野慧一郎「ヒューム研究」368頁)
「自由と必然との伝統的な二項対立図式を乗り越えようとするヒュームの『調停プロジェクト』は、
省5
908(2): 2014/07/06(日)20:11 ID:geNPbocp(5/5) AAS
>>881
>哲学が自然科学から脱落したのは、比較的最近の話です。
>19世紀の物理学者マッハは、感覚の分析』(1886年)や『認識と誤謬』(1905年)など、
>認識論の著作があります。
問題は、ヒュームの時代の話でしょ?
『人間本性論』の副題は、「実験的な推論法を精神の諸問題に導入する試み」となっている。
当時、哲学を、現代の自然科学に相当する「自然哲学」(natural philosophy)と、
人間精神に関わりのある諸問題を扱う「精神哲学」(moral philosophy)とに、二分する習慣があった。(中略)
副題に見られる「精神の諸問題」(moral subjects)とは、この意味での精神哲学に含まれる諸問題、
すなわち人間精神に関する諸問題のことである。」(木曾好能「ヒューム『人間本性論』の理論哲学」前掲木曾訳383頁)。
省11
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